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2018-11-23 『ハード・コア』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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山下敦弘監督『ハード・コア』初日を鑑賞する。

政治活動を手伝っている、正しくない世界だから間違っていると言って何が悪いという兄の右近(山田孝之)と、商社マンで正しくない世の中だから妥協して生きているという弟の左近(佐藤健)、女性経験がなくほとんど話さない右近友達である牛山(荒川良々)と謎のロボットのロボオを中心に、家族もいない、あるいは頼ることもない彼らのコミュニティや関係性を描いていた。

山下さんの描くどうしようもない男たちの哀愁に似たもの、負け犬と呼ばれても仕方のない彼らの衝動やむなしさや人間関係はどうしてもなにかを掴まれたような気になる。きっと、どこにもいけない、なにものにもなれなかった者たちの鎮魂歌

途中で石橋けいさんが出てくるが、異様にエロい、それも監督や男性が求めてしまうある種都合のいい男性主観妄想的な女性像であったりもする。だけど、こういう女性はいることはいるのだと思う。映画の中ではすごい美人ではないがどこかエロティックであり、自分享楽のために男を誘い、彼らがハマって自らオチていくのをたのしんでしまうような、それがもしかしたら目的かもしれないような、昔だったら魔性の女って呼ばれていたのかもしれないそんな女性

この作品で出てくる女性って基本的に男性の性的な欲望の対象ではあるけど、メインキャラとそれを省いて関係を持つものがいない。そのためにホモソーシャルな関係は持続し、大切なものとして強固になる。

最後にスタッフロール見てたら、衣装伊賀大介さんだった! 

2018-11-10 『ボヘミアン・ラプソディ』『モダンライフ・イズ・ラビッシュ』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 TOHOシネマズ新宿にてドルビーアトモスで『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞。やはり予告編で観ていた時からこの作品を観るときには大画面でできるだけ音量のいい劇場で観ようと思っていたので、ここで正解だった。

 フレディ・マーキュリーがスターになって大衆を沸かすに沸かす最後のライブエイドまで。彼の人生バンドメンバー、妻だった彼女、やがて自分のセクシャルに気づき最後を共にすることになるパートナーとの出会い。彼の人生が、鳴らした素晴らしい音楽を、いや、彼らが鳴らした音楽時代を超えても届くことがわかる。最後の20分のライブエイドでのライブを完全再現したシーンは鳥肌と涙が止まらない。観るなら大画面で大音量で、家やPCスマホで観る映画なんかじゃない。

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 新宿から渋谷で、なんとか30分以内でヒューマントラスト渋谷に。『モダンライフ・イズ・ラビッシュ』鑑賞。こちらも10人とかそのぐらいか。

 ブラーリバティーンズレディオヘッドUKロック盛りだくさんで、ニルヴァーナスマパンソニックユースストロークスたちUSロック勢は出てこないっていうロックミュージシャン物語ではあるけど、ラブストーリーでした。僕の十代、二十代に聴いてた曲、レディオヘッド貶されたら萎えるよっていうね、あれすごくわかる。今日イギリス舞台にした音楽映画祭りでした。

2018-11-09 『生きてるだけで、愛。』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 公開初日に、渋谷ヒューマックスシネマ仕事帰りに鑑賞。10人ぐらいのお客さんだったような気がする。小説自体はだいぶ前に読んでいるが、鬱になっている主人公趣里)と彼女の彼氏菅田将暉)、彼女のわがままに見える、不器用さやどうしようもなさ、人の優しさが染み込んでくると壊してしまいたくなるのは、自己肯定力のなさやそれに応えることがきっとしんどくなってくるからなのだろう。だが、一緒にいる彼氏、いや恋人や同居人だったら耐えれないとも思う。彼もまたゆっくりと溜まっていたものを最後には爆発させる。彼女の最後の疾走と踊りのような行動は憂鬱の鬱から抜け出す儀式だった。しかし、彼女の行動に胸糞が悪くなるところもある。きっと、今の所自分だったら迷惑をかける側だからだ。しかし、いつ自分が鬱になってしまうかは誰にもわからない。ただ、このメンヘラ的な自意識問題本谷有希子さんが演劇で世に出て、小説を書いていくことになるゼロ年代的なものでもあり、いまでもこのことに苦しんだりしている人が多いのも知っている。だが、どこか見慣れてしまった光景でもあるように思えてしまう。もっともっと早く映像化していた方が突き刺さり方は違ったのかもしれない、とは思う。

 本谷有希子原作『生きているだけで、愛。』と山戸結希監督おとぎ話みたい』の映画の主演が共に趣里が主演で、どちらも劇場で観たが、山戸監督呪いですらある作品に出てた印象には勝てない。というのが観た印象だ。

2018-11-01 『ビブリア古書堂の事件手帖』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 メディアワークス文庫で三上延さんが書いた『ビブリア古書堂の事件手帖』の映画化。栞子を黒木華が演じた時点で勝ち、というか企画は成功したのではないかと思わなくもない。

 文庫一巻で書かれたものをうまく二時間にまとめている印象。祖母に怒られたことで活字恐怖症になった大輔を演じた野村周平もよい、小説ではもっとガタイのいいアメフトとかやってそうな長身のイメージだったが、黒木華とのバランスもよかったと思う。

 大輔の祖母の若い頃の絹子を演じた夏帆がかなりいい、色気もあるけど庶民的な感じもあり、彼女の秘めた恋がすべての発端ではあるし、現代に続く事件に繋がっているわけだが。ただ、文庫の最新刊を見ると主人公のふたりのその後を考えると絹子の残した本が彼らを結びつけるわけになるのだから、この作品がヒットするとシリーズで映画化していくのかもな、って思う。

 キーマンである稲垣を演じた成田凌が悪いわけではないが、なにせ登場人物が少ないせいでミステリー的な要素も早々にわかる人にはわかってしまう、声とかさ、でも、大事なのはそこではないのだろうが。

 大輔と稲垣というふたりの男と本のことになったら話すのが止まらない栞子という現代の三角形を形成するのが、過去の絹子と田中(東出昌大)の関係というのはいいなと思う。

2018-10-18 『SUNNY 強い気持ち・強い愛』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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大根監督『SUNNY 強い気持ち・強い愛』をば。大根作品だし伊賀大介さんスタリストで参加してるし、観ないとなあと思いつつ観てなかった。最後のかつてのサニーのメンバーが斎場で踊るシーンの前に哀しいほどに、彼女たちの現在が浮き彫りになる辺りは辛い。夫たち男性はまるで頼りにならずに金銭的にも追い詰められている数人を救うのは余命一ヶ月で亡くなってしまった芹香であり、現在の根本的なものを突きつけてくる。と同時にその後のエンディングに至るまでのダンスによる高揚感と多幸感でそれを覆い隠しているようにも見えなくない。

ダンスが小学校でも授業に取り入られたのは華やかさに満ちたように見えた90年代が終わった後のゼロ年代以降だったこと、エグザイル的なマイルドヤンキーのような都市部ではなく、地方で幅を利かせるような人たちが好むものが席巻したのは繋がってるんだろう、たぶん。

サニーというかつてのコミュニティが再集結することで、家族や親族には救われない人が救われるというのはたぶんインターネット黎明期にあったような趣味なんかが共通で繋がるゆるやかだけど、信頼がおけたものに近いのかもしれないなあ。

プロデューサーは川村元気さんだが、この作品をリメイクする時に男子版として早見和真著『95』も同時に作ればよかったのに。『95』はタイトルまんまな時代の話で『サニー』同様にいけてる男子高校生グループに主人公が入って仲間に恋に青春もの。野島伸司脚本『未成年』が作中で大きな意味を持つことになる作品でもある。『サニー』と『95』一緒にやって、90年代リバイバルに止めを指してほしかったなあ。

大きな物語を共有できたのが90年代までだし、三浦春馬がレッドウィング履いてるし、とか反応できるのもロスジョネ最後尾まででしょ。

わりと冒頭に主人公の奈美の引きこもりで90年代にエヴァにハマっていた兄貴について、現在の入院中の奈美の母が「あの子は今モー娘。にハマってんねん。なんか原点回帰や!ゆうて」みたいな台詞があって、この二十年近くのサブカルチャーを一言で言わせた大根監督はさすがだな、と思いました。

2018-10-16 『止められるか、俺たちを』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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火曜日はTCGカード提示したら千円で鑑賞できるDayなんで、『止められるか、俺たちを』観にテアトル新宿に観に。若松監督作品劇場で観たことがあるのはここ、テアトル新宿で上映してた『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』ぐらいだと思う。

主演の門脇さんや井浦さん、小路監督『ケンとカズ』に出演していた毎熊さんや藤原さんとかみんな面構えがよかった。居心地のいい、自分が好きな場所や関係性はいつか終わるし変わるから、過ぎ去ったあとに残された者には眩しくていとおしい。

音楽が曽我部さんだった。帰ってからエンディング曲をiTunesで購入した。

だいぶ前に園子温監督が「東京ガガガ」時代のことを園さん役を染谷将太さんで撮りたいなって言われていたことを思い出した。そのためにはかつて関わっていた人の協力も大事になるし、ある程度時が過ぎないとできない部分もあるんだろうか。

2018-10-13 『アンダー・ザ・シルバーレイク』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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昨日、今年のワーストワンな映画を観てしまったので口直しとして『アンダー・ザ・シルバーレイク』をアップリンクで。

毎週『週刊ポスト』に書いてる連載「予告編妄想かわら版」で今週取り上げた『アンダー・ザ・シルバーレイク』を。書いた以上お金もらってるし観ないとなあ、とも思う。ただ、毎週予告編観てオチとか妄想してることの意味不明さはあるけど、来年の六月ぐらいまで続いたら百回になる。そのぐらいの固まりになると謎な映画コラム集の断片にはなるのかなあ。

作中にはLAに行った時に間違えてアスレチックコースを一時間以上かけて登ったグリフィス天文台(ララランドに出てくるあれね)も出てくるけど、アスレチックコースも出てきて親近感。天文台から「HOLLYWOOD」の文字が見えた。あの文字の後ろに隠された○○があるぞみたいな都市伝説みたいな話を聞いたことあるけど、そういう要素てんこ盛りだった。

すっげえわかりやすく言うとゼロ年代の『メフィスト』『ファウスト』出身の佐藤友哉、西尾維新、舞城王太郎が書いてきた世界観、ミステリーをハリウッド、LAに舞台を移してより都市伝説的な要素強めた作品って言えるんじゃないかなあ。

2018-10-01 『愛と酒場と音楽と』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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仕事終わりに、映画の日なので『きみの鳥はうたえる』二回目を観て、そのまま続けてユーロスペースで『愛と酒場と音楽と』を。三作品それぞれタイプの違うオムニバス作品

作品目はセリフがほぼなく、裸の人間の髪を切るところから意外な感じになるのだが、すげえシンプル。

作品目はワンシチュエーションもので、登場人物がかなり癖のある話し方をする。みんなが同じようなスピードで話すので、流れていくけどセリフは残りづらい。間とテンポ、対比になるような人物がいたほうがもっといいのだろうということを終わった後にご挨拶した海老澤さんに伝えた。

作品目はメルマ旬報執筆陣の小川紗良さんが監督主演しているもの。こちらはムーラボ作品だったので、音楽が主体でラップのリズムとMVのように映像を編集しているので観やすい、頑固な父親とのやりとりなど、大まかに省力したかカットしているのだと思う。イワシ屋の息子の高校生の男の子が『リリイ・シュシュのすべて』の頃の市川隼人っぽかった。

2018-09-27 『search』試写 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 『search』試写。ソニーピクチャーは事前に予約制、初めて来た。

予告編妄想かわら版」の公開週の月曜に出る 連載にも書いたけど、映画のすべてのシーンがPCスマホなどの画面で構成されていて、行方不明になった娘を探す父は、PCスマホを使い、娘のSNSにもログインして交遊関係を調べていく。ネット、SNS時代の安楽椅子探偵ものとして見ることができる。

 これが日本だと『スマホを落としただけなのに』になってしまう。いいか悪いかは別として。たぶん、このやり方はいろんな国で模倣されるだろうが、これがアメリカでヒットしている以上、二番煎じになる。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』からモキュメンタリーブームが来たみたいなことになるかなあ。

 若者のTwitterやFacebook離れも言われるが、リアリティーのあるものだとは思う。十代二十代の子供がいる親世代のほうが突き刺さるかも。子供たちはこんなことをして繋がりがあるのか、とか。

Facebookによく投稿してる人とかはそうだよね、と納得しながら話に引き込まれていく可能性も高いかなあ。公開したらヒットするとは思う。

 なにもかもデータで残せるということは辿れば隠されたものも暴けるかもしれない。それを古書をメインにしたのが『ビブリア古書堂』かもしれない。違うか。

 これも前に試写で観た『クワイエット・プレイス』もある種のワンアイデアでアメリカでヒットしてる。日本だと『カメラを止めるな!』がそれになる。もう、マーケティングして映画にしろなにか作品を作っても佳作か秀作程度しかならない。

 低予算だからいいんじゃない。作った人には金が入らないシステムはとりあえずクソだ、それは間違いなく。作る人が情念とかどうにもならない気持ちがあるもの、結局個人的なものにたどり着くんじゃないか、それをサポートする体制がオンラインなりクラファンできれば。ただ、みんなで作ることで無理な部分があるし、出てくる。

 インターネットで繋がりが簡単になると個人の概念みたいなものが簡単に浮き彫りになる、近代化する時に「私」という概念が入ってきたように、あれは個人をキャラクター化するものだった。そのキャラクターは傷つくし当然死ぬし、気持ちもある。

 キャラクター文芸とかいうけど、そもそも近代小説が自然主義を巻き込んでキャラクター小説だった。アトムの命題はのらくろというキャラクターが体現してる。その辺りのことは田河水泡と現在をつないで書いたら批評的な小説になるはず。

2018-09-20 『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 アップリンクにて20時の回で『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を鑑賞。原作である漫画は読んでいない。出てくる役者さんもほぼ知らなかった。タイトルが気になったというのが一番かもしれない。ある時期からラノベとかでタイトルが異様に長いものが主流になってきた流れもあるのかないのか。検索する時に他が引っかからないという話もある。

漫画家・押見修造が実体験をもとに描いた同名コミックを、「幼な子われらに生まれ」の南沙良と「三度目の殺人」の蒔田彩珠のダブル主演で実写映画化した青春ドラマ。上手く言葉を話せないために周囲となじめずにいた高校1年生の大島志乃は、同級生の岡崎加代と校舎裏で出会ったことをきっかけに、彼女と一緒に過ごすように。コンプレックスから周囲と距離を置き卑屈になっていた志乃だが、加代にバンドを組もうと誘われて少しずつ変わっていく。やがて、志乃をからかった同級生の男子・菊地が強引にバンドに加入することになり……。林海象監督や押井守監督のもとで助監督を務めてきた湯浅弘章監督が長編商業映画デビューを果たし、「百円の恋」の足立紳が脚本を手がけた。(映画.comより)

 人前だとうまく言葉を話せない、吃音と言える志乃とミュージシャンになりたいが音痴な加代との交流によって少しずつ心を開いていく。しかし、その居心地のよかった二人だけの関係にクラスでも浮いている男子生徒の菊地が関わるようになってくることで、再び心を閉ざしてしまう。

 志乃と加代が深夜から早朝に至るまでの間、車がまったく通らないバス停で待っている姿はアメリカ映画『ゴーストワールド』を彷彿させる。また、女子高生二人組がメインの物語という意味では枝監督『少女邂逅』と共にこの2018年を代表するようなガールズムービーであり、思春期の繊細すぎる気持ちを描いている作品として同時代の十代やこれから十代になる人たちの心に寄り添えるような作品になるのかもしれない。

 志乃を演じた南沙良は吃音でうまく話せないという役柄だったが、すごく難しかったのではないかと思う。志乃ちゃんは声に出そうとすると言葉にならない音がいくつも漏れて、ようやく言葉になんとかなったり通じるので、その時間は長く感じる。対する加代や菊地はその間待っている。その間は、志乃とってはもどかしく、伝えたいけど伝えられない時間でもあり余計に焦りを生んでしまう。対する相手も普段なら向き合えるがなにか感情に波があったり彼女との関係がほころび始めるとその時間はやはり苛立ってしまう。

 話せないというのはコミュニケーションがうまく成り立たないということだ。しかし、菊地のような明るいが場を乱し次第にクラスの誰かも無視されたり煙たがられるようになる人もいる。話せるからと言っても、相手のことを考える、空気やその温度を感じながら伝えないとそれは伝わらない。この作品では気持ちをどう言語化するかという部分が主題であり、言葉にして伝えることの困難さを吃音の志乃ちゃんに託している。加代が起こした行動を受けて、志乃ちゃんは心情を吐露する。その時、その困難さは一度クリアになるが、ラストでの三人それぞれの関係を思わすシーンは救いがないように見えなくもないが、とてもリアルだった。そういうものなのだ。

 『少女邂逅』のラストシーンのようにひとりの少女が繭をやぶり次の段階に移行する時に、その相手との関係やその存在はそうならざるをえないと思う。『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』のラストでの志乃と加代の距離もそういう風に感じられた。