泣いた日

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

今さら読んだ。もし、これを読んで家族について改めて考えさせられたという人がいたなら、その人は普段なにも考えてないアホか何かなんだろう。リリー・フランキー氏の自伝的な文章であるけど、内容のほとんどは自分の家族についてのみ書かれていて、仕事や友達や特に恋人に関する記述はびっくりするほど淡白だ。これはおそらく母親への追悼という目的によってのみ書かれたのだと思う。だから泣けて当然である。この場合の涙は、テレビの特番で「親子、感動の再会!」とかやってるのを見て流す涙と同じである。別に文章がうまいから泣くわけじゃない。文章はうまいけど、構成は適当で、思いついたままに母親のエピソードをだらだらと書きなぐったにすぎない。だから、ひとつの小説として見れば完成度は低い。というか小説じゃないだろこれ。リリー氏の長いエッセイだと思って読めばいいんじゃないの。

どこにも行ける気がしない

ウォータールー・トゥ・エニウェア

ウォータールー・トゥ・エニウェア

ライブで見たピート・ドハーティはロックンロールそのまんまだった。出てきて演奏を始めるなりマイクを蹴り倒してぶっ壊したせいで、1曲目が終わると機材セッティングをやりなおすためにライブが20分くらい中断した。次にビールを片手に出て来たときは、演奏しながらビールをマイクに浴びせたので、再びマイクがぶっ壊れ、袖から太ったおっさんが怒り狂ったように現れてライブをまたもや中断させた。何度も観客席に向かってダイブする、勝手にギターを観客にあげちゃう、テンガロンハットを投げてくる(そしてスタッフにそれを回収させる)。ピート・ドハーティはそんな男だった。おそらく、心臓にロックンロールの破片でも突き刺さっているのだろう。死ぬまで抜けない、抜いてしまったら死んでしまう。馬鹿野郎である。いつまで経っても改心するそぶりを見せず、最近はファンの血を抜いて絵を描くという新しい遊びを思いついたらしい。とてつもない馬鹿である。


そんな一方で、もうひとりのlibertineであるカール・バラーが馬鹿を放っておいて結成したバンド、dirty pretty thingsは、それでも、当然のことながらlibertines・マイナス・ピートとしか言いようのないバンドだった。それがどうしようもなく悲しい。