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ポール・グレアムの「子供につく嘘」を翻訳しました。
原文は「Lies We Tell Kids」で、原文は http://paulgraham.com/lies.html です。
現在、「はてな」で訳文のおかしなところを質問中です。http://q.hatena.ne.jp/1210865780
そしてpracticalscheme様、sibazyun様、tmasao様、ko1kun様のアドバイスを受けております。大感謝です。
子供につく嘘
2008年5月
大人はしばしば子供に嘘をつく。嘘をやめようというのではない。少なくともどんな嘘をなぜついているのかを調べておこう。
おそらく嘘を調べることによって、大人も得をするだろう。私たちは子供のころに、みんな嘘をつかれた。言われた嘘の一部には、今でも影響されている。だから大人が子供に嘘をつく方法を調べることで、つかれた嘘を頭から取り除くこともできるかもしれない。
私は「嘘」という言葉をとても広い意味で使っている。明らかな虚偽だけではなく、子供を誤解させる、もっと微妙な方法も含めている。「嘘」には否定的な意味合いがあるが、私は「決して嘘をつくな」と言いたいのではない。ただ「嘘をつくときは注意しろ」と言いたいのだ。[1]
大人が子供に嘘をつく方法の中で、いちばん目につくのは、口裏合わせが非常に広く行われているということだ。子供に「親に聞きなさい」と答えるような質問は、嘘だということを大人はみんな知っている。ある子供が「1982年にワールドシリーズに勝ったのはどこ?」とか、「炭素の原子量は?」と尋ねたら、そのまま教えるだろう。でも子供が「神はいるの?」とか「売春婦って何?」と聞いてきたら、おそらく「親に聞きなさい」と言うだろう。
大人たちはみんな示し合わせているため、子供は示された世界観の歪みをほとんど見つけることができない。両親と学校の間の差が最大なのだが、それでさえ小さい。学校は議論の種となりそうな話題には慎重だ。子供に信じさせたいことに矛盾したら、親は学校に対し黙っているよう圧力をかけたり、子供を転校させてしまう。
口裏合わせはすごく徹底しているので、嘘を見抜く子供は、その嘘どうしの矛盾を見つけるという方法によることがほとんどだ。手術中に目覚めてしまった人は、トラウマになることがある。それがアインシュタインに起きたことだ。「一般的な学術書を読んで、私はすぐに聖書の逸話の多くが真実ではないと信じるようになった。その結果、国家は嘘によって思春期の若者をだましているという印象と結びついた、熱狂的な自由思想の持ち主となった。それは圧倒的な印象だった」[2]
私はその感覚を覚えている。15歳になるころには、私は世界は何もかも腐っていると信じていた。それがマトリックスのような映画が共感を呼ぶ理由だ。子供はみんな偽りの世界で成長する。見えない力を異星人のようにはっきりと分離できるなら話は簡単だ。人はカプセルを飲むだけで、きれいさっぱり関係を絶つことができるだろう。
保護
なぜ子供に嘘をつくのかと大人に尋ねたら、挙げる理由のトップは「子供たちを守るため」だろう。たしかに子供は保護する必要がある。生まれたばかりの子供のために用意したい環境は、大都市の路上とはぜんぜん違うからだ。
すごく妥当に聞こえるので、それを嘘と呼ぶのは間違いに思える。確かに世界は穏やかで暖かく安全だと赤ん坊に思わせるのは悪い嘘ではない。しかし無条件のままに信じ込まれたままでは、この無害なタイプの嘘も有害になりうる。
ある人を赤ちゃんと同じような環境に18歳まで閉じ込めたと想像してほしい。誰かを世界についてあまりにはなはだしく誤解させるのは、保護ではなく虐待に思えるだろう。もちろんこれは極端な例だ。両親がそういったことをしたら全国ニュースになる。でもティーンエイジャーが郊外住宅地で感じるイライラは、もっと小さな規模ではあるが同じものなのだ。
郊外住宅地の主な目的は、子供を育てる安全な環境を与えることだ。10歳のときにはすばらしく思える。私は10歳のときには、郊外住宅地に住んでいるのが好きだった。私は郊外住宅地がどれくらい無菌だったか気づいていなかった。自転車で回った友達の家と、走り回った森が私の全世界だった。対数のスケールでは、私はベビーベッドと地球の間にいた。郊外住宅地の街路はちょうど適正なサイズだった。だが成長するにつれ、郊外住宅地は息づまる偽の世界だと感じるようになった。
人生は10歳か20歳のときはとても良いことがあるが、15歳のときはしばしばフラストレーションがたまる。これはここで解決するには大き過ぎる問題だが、人生が15歳の時につまらなくなる理由の1つに、10歳用の世界に閉じ込められているせいもあるのは確かだ。
子供を郊外住宅地で育てることで、親は子供を何から保護したいのだろうか? マンハッタンから引っ越した友人は一言、彼女の3歳の娘が「見すぎちゃうから」と言った。ざっと考えただけだが、それはラリったり酔っ払っている人々、貧困、狂気、ひどい医療制度、いろいろな変わった性的行動、暴力的な怒りなどを含むのだろう。
私に3歳の子供がいたら、いちばん心配するのは怒りだ。ニューヨークに引っ越したとき、私は29歳だったが、その時でさえ私は驚いた。私が見た口論のあるものは、あまりに恐ろしいので3歳の子供には見て欲しくない。大人は、子供が脅えるだろうという理由で多くのものを子供から隠すが、怖いものが存在するということ自体を隠したいわけではない。子供が誤解してしまうのは、ただの副作用だ。
これは大人が子供につく嘘のうち、最も良質なものに思える。直接的な嘘ではないため、私たちは厳しくチェックしない。親は自分たちがセックスに関する事実を隠しているとわかっている。多くの親は、いつかは子供たちを座らせ、もう少し説明する。しかし現実の世界と、子供たちが育った繭の差については、ほとんど説明しない。さらに親が子供たちに覚えこませようとしている信念が加わって、世界について何でも知っていると思い込む18歳が毎年、生み出される。
18歳なら誰だって、自分は何でも知っていると思うものでは? 実際には、それはせいぜいここ100年の、最近の変化のようだ。産業化以前の時代には、十代の子供は大人たちの世界の子供会員であって、自分たちの短所をよく知っていた。昔の子供は「自分は村の鍛冶屋ほど力もないし上手くもない」と考えていただろう。昔の人々は、いくつかの点に関しては私たち以上に子供に嘘をついたが、人工的で保護された環境における暗黙の嘘は現代のものだ。多くの新発明と同様、最初にそういう嘘を使い始めたのは金持ちだ。王や偉大な成功者の子供は、現実から隔離されて育った最初の人々だった。 郊外では人口の半分が、その点では王様のような生活ができる。
セックス(とドラッグ)
ニューヨークで十代の子供を育てるなら、さらに別の心配がある。子供が見るものよりも、子供がやることを心配するだろう。私はマンハッタンで育った多くの子供たちと大学に通った。一般的に、彼らはかなりすれているように思えた。平均して14歳ごろにセックスをして、大学生になるまでには私が聞いたことさえない多くのドラッグを試していたように思えた。
親が、十代の我が子にセックスして欲しくない理由は複雑だ。妊娠と性感染症という、はっきりとした危険もある。だが親が我が子にセックスをして欲しくない理由はそれだけではない。14歳の少女を持つ普通の親は、妊娠か性感染症のリスクがまったく無かったとしても、自分の娘がセックスするとは考えたくもないだろう。
おそらく子供は、ちゃんとすべてを説明されていないと感じる。妊娠や性感染症は大人にとっても同様に問題であるはずなのに、大人はセックスしている。
十代の子供がセックスをすることで、親が本当に悩むことは何だろうか? 子供のセックスに関する親の嫌悪はあまりに直感的なので、たぶん生まれつきなのだろう。しかし、その嫌悪が生まれつきのものならば、普遍的なはずだ。なのに自分たちの十代の子供がセックスをしても気にしない社会もたくさんある。実際、14歳が母親になるのが普通の社会もある。じゃあ何が起きているのだろうか? 生殖可能になる前の子供とのセックスは、普遍的なタブーのようだ。その進化論的な理由はわかるだろう。私はそれが工業社会において親が十代の子供がセックスするのを嫌う主な理由だと思う。子供が生物学的には子供でなくなっても、親はまだ子供だと考えるので、子供がセックスすることを忌避したいというタブーをあてはめてしまうのだ。
大人は強い快楽を生むものを、ドラッグについても、セックスと同様に隠す。その結果、セックスとドラッグはとても危険になってしまう。セックスとドラッグに対する願望は、人の判断を曇らせる。ただでさえ判断力に乏しい十代の子供の判断が曇るから、特に恐ろしい。
ここに両親の望みの葛藤がある。昔の社会では、子供たちは愚かだと言ったが、現代の親は、自分たちの子供に自信を持たせたがる。子供に自信を持たせるほうが、たぶん昔流よりもよいだろう。しかし子供たちの判断を褒めたら、暗黙の嘘をついたことによる副作用がある。子供が親を信じた場合、親は子供たちがトラブルを起こす可能性があるすべてのものについて、嘘をつき続ける必要があるのだ。
親が我が子にセックスとドラッグの真実について語ったら、次のようになるだろう。「お前にはまだ分別がないから、これらはやめておきなさい。お前の倍の経験を持つ人でさえ、トラブルになっているんだから」。しかし、これは真実であっても説得力がない例だ。というのも、分別のない人間こそ「自分には分別がある」と思うからだ。力が弱くて何かを持ち上げることができないとき、そうとわかるだろう。しかし衝動的に決めてしまったことほど、その決断が正しかったと思い込みやすいものだ。
無垢
親が我が子にセックスして欲しくない別の理由は、子供たちを穢れのないままでいてほしいからだ。大人は子供がどのように振る舞うべきかのモデルを持っていて、それは他の大人に期待するモデルとは異なっている。
いちばん違いがはっきりするのは、子供が使っていい言葉だ。ほとんどの親は、他の大人と話すとき、我が子には使って欲しくない言葉を使う。親はできるだけ長く、汚い言葉があることさえ隠そうとする。これは大人が口裏合わせに加わる別の例だ。大人は、子供の前では汚い言葉を使うべきではないと知っている。
私は親が、子供に「汚い言葉を使ってはいけません」と言う以上の説明を一度も聞いたことがない。私が知っているすべての親は、子供が汚い言葉を使うことを禁止するが、その理由は人によってみんな違う。「子供には汚い言葉を使って欲しくない」という願いが最初にあり、あとから理屈をつけているのは明白だ。
この事実に関する私の説明は、汚い言葉は話者が大人であることの印であるというものだ。「糞」と「うんち」に意味の違いは全くない。 なのになぜ一方は子供が言ってもOKで、一方はダメなのだろうか。唯一の説明は以下の通り。「それが汚い言葉の定義だから」。[3]
大人になったら将来やることを子供がすると、なぜ大人は非常に悩むのだろうか? 口汚いひねくれた10歳がタバコをくわえつつ街の隅で街灯柱にもたれている、というのは、まさしく大人を悩ませる例だ。しかし、なぜ?
大人が子供に無垢であって欲しいと思うのは、子供がある意味、未熟であることを好むように大人はプログラムされているからだ。私は何回か、母親が「うちの子の発音が間違ってたけど、すごく可愛かったから直さないでおいたの」と言うのを聞いた。つきつめて考えれば、かわいさ=未熟さとわかる。かわいらしさを意味するおもちゃやとマンガのキャラクターは、いつもバカっぽく、また短く太い機能的ではない手足で描かれる。
人間の子供はかなりの間、非常に無力であることを考えれば、大人には無力な生物を愛して保護するという生まれながらの願望があっても驚くにはあたらない。子供をかわいく見せるダメさがなければ、子供は非常に煩わしくなる。子供は単に、無能な大人のように見えるだろう。しかし、もっと気になる理由がある。今の無神経な10歳の例が大人を非常に悩ませる理由は、その子供が煩わしいであろうというだけではない。その子供がそんなに早く成長をあきらめてしまったことにあるのだ。人生にうんざりするためには、世界がどのようなものか知っていると思わなければならない。そして10歳が世界について知っていることは、かなり狭いだろう。
また、無垢さは心の広さだ。子供たちが学び続けることができるように、大人は子供が無垢であって欲しいと願う。逆説的に聞こえるが、ある種の知識は他の知識の学習を妨げる。世界は弱肉強食の残酷な場所だと学ぶつもりなら、最後にそれを学んだほうがいい。でなければ、それ以上学びたいとは思わなくなるだろう。
非常に賢い大人は、しばしば非常に無垢に見える。私はそれは偶然ではないと思う。彼らはあえて、あることに関して学ぶことを避けたのだろう。確かに私はそうしている。かつて私は、すべてを知りたいと思っていた。 現在では、自分がそう願っていないと知っている。
死
セックスに次いで大人がもっとも子供に嘘をつくのは死についてだ。セックスについては、深いタブーのために隠しているのだと思うが、なぜ大人は死を子供から隠すのだろうか? おそらく幼い子供は、特に死を怖がるからだ。子供は安全と感じたいのに、死は究極の脅威だ。
親が私たちに言ったいちばん大きな嘘の1つは、最初に飼った猫の死についてだった。何年にもわたって私たちが詳しい説明を聴きたがったので、親は次々と新しい嘘を重ね、ついにはなかなかの物語となった。猫は診察室で死んだ。何で死んだの? 麻酔で。なぜ猫は診察室にいたの? 治療のためよ。なぜ猫は普通の治療をしてたのに死んじゃったの? 治療のせいじゃないの。生まれつき心臓が弱かったのね。麻酔に耐えられなかったのよ。けれど、麻酔をする前にそのことはわからなかったの。20代になってはじめて真実が判明した。私の妹が三歳のころ、うっかり転んで猫の脊椎を折ってしまったのだ。
親は猫はいま天国で幸せそうだったと子供に言う必要があるとは思わなかった。私の親は、死んだ人や動物が「もっと良い場所に行った」とか、また会えるとは決して言わなかった。言わなくても大丈夫だと思ったからだ。
私の祖母は、祖父の死を装飾して話した。ある日、祖母は二人で座って読書しており、祖母が祖父に何か言ったとき、答えがなかったと言った。眠っているのかと思ったが、起こそうとしても起こすことができなかった、彼は逝ってしまったと。まるで心臓発作で眠るように死んだという感じだった。その後、私は、実際はそんなに穏やかな死ではなくて、心臓発作が起きてから死ぬまでに1日弱かかったと知った。
そういったあからさまな嘘の他にも、話をそらされたことが多かったに違いない。もちろん思い出すことはできないが、私は19歳になるころまで、死を本当には理解していなかったという事実から、そう推測できる。そんな明白なことを、どうしてそんなに長い間、理解しないままでいられたのだろう? 親がどう対処したかを見たので、私はどうするか知っている。死に関する質問は、さりげなく、しかししっかりと逸らされた。
とりわけ死に関しては、子供もどっこいどっこいだ。子供はしばしば嘘をつかれたがる。子供は、親が言うとおりの、快適で安全な世界に暮らしていると信じたいのだ。[4]
アイデンティティ
民族もしくは宗教の集団に強い愛着を持ち、子供にも愛着を持たせたがる親もいる。通常、これには2種類の嘘が必要だ。1番目はその人がXであるという嘘で、2番目はXと信じることで他とは違った存在になると子供に言うことだ。[5]
子供にある民族や宗教のアイデンティティがあると言うのは、最も深く根を下ろす言葉の1つだ。子供に他の事を言っても、ほとんどの場合、子供が自分で考えだすようになれば、子供は後に考えを変えることができる。しかし、親が子供に「あるグループのメンバーだ」と言ったら、その考えを揺るがすのはほとんど不可能だ。
これは親の嘘のうち、最も意図的な嘘であるにもかかわらず、後から覆すことが難しい。親同士が異なる宗教を信仰している場合に、子供はXの宗教で育てよう、と合意することは良くある。そしてその場合でさえうまくいく。子供はお人良しにも、自分はXだと思いながら育つ。もう一方の親の宗教で育てていたら、自分はYだと思いながら育っただろうという事実にもかかわらずだ。
これがそんなにうまくいくのは2番目の嘘のせいだ。真実は普遍的だ。合理的に振る舞い、真実であることを信じていたら、特別な集団にはなれない。他人とは違って目立ちたいなら、何か適当なことをしたり、何か間違ったことを信じる必要がある。
子供たちに何か嘘なことを信じさせ、変な「部外者」だと見なされるようなことに一生を捧げさせたなら、認知的な不一致によって、Xは偉大であるはずだと思い込む圧力がかかる。もしXでないなら、なぜXの信条と習慣を持っているの? なぜXでないなら、どうして非XなみんなからXと呼ばれるのだろうか?
この手の嘘にも使いどころはある。役に立つ信条という荷物を運搬するのには使える。それは子供のアイデンティティの一部になるだろう。たとえば子供に対し、世界は巨大なウサギによって作られたと信じ、魚を食べる前にはいつも指をパチンと鳴らし、黄色の服は決して着ないことに加えて、Xは特に正直かつ勤勉であると言うことができる。するとXの子供は、正直かつ勤勉であることが自分の特徴の一部だと感じながら育つだろう。
これはおそらく、現代の宗教が普及していることの多くを説明し、それらの教義がなぜ役に立つことと奇妙なことの組み合わせであるかを説明する。奇妙な部分は宗教に縛りつけさせ、残りの役立つ部分は荷物なのだ。[6]
権威
大人が子供につく嘘のうち、最も許しがたいのは権力を維持するための嘘だ。こういった嘘は時として、子供にいたずらした痴漢が、何をされたか人に言ったら自分が困るよというのと同様、本当に腹黒い。他の嘘はこれよりはマシだ。それは、大人が自分たちの権力を維持するために、どれくらい嘘をどの程度つくか、そして権力を何に使っているかによる。
ほとんどの大人は、自分たちの欠点を子供から隠す努力をする。通常、動機は複雑だ。たとえば一般に、浮気をしている父親は子供からそのことを隠そうとする。動機の一部は、子供を心配させたくないからだし、一部はセックスの話題だからだ。そして一部の本人が認めるよりも大きな理由は、子供が自分を見る目を曇らせたくないからだ。
子供たちに「問題」について教えるために書かれた本のほとんどすべてを読めば、子供たちがどんな嘘をつかれてきたかがわかる。[7] ピーター・メールの「どうして離婚するの?」もそういう本だ。それは離婚について3つのことを覚えていることから始まる。その1つはこうだ。
離婚が決してどちらか一方のせいではない。だから親の片方を非難してはいけない。[8]
本当? 夫が秘書と一緒にかけおちしたら、いつも妻にも責任の一端があるの? だが私は、メールがなぜそう言ったかを理解できる気がする。たぶん子供が親を尊敬するのは、親について真実を知るより重要なのだ。
しかし、大人が自分たちの欠点は隠すのに子供には高潔な振舞いを求めたなら、多くの子供は、自分たちはダメだと感じながら成長することになる。実際には周りの大人の多くが、もっとずっとひどいことをしているのに、子供たちは、汚い言葉を使ってしまったのはひどくいけないことだと悩む。
これは道徳的な問題と同様に、知的な問題でも生じる。自信がある人ほど「私はそれを知らない」と答えられるようになる。あまり自信がない人は、答えないとバカにされてしまうと感じる。私の親は、何かを知らなくてもかなりそのことを認める方だったが、このテの嘘の多くは教師が私についてきたに違いない。というのも私は大学に入るまで、めったに教師が「私はそれを知らない」と言うのを聞かなかったからだ。ある先生がクラスの生徒全員の前でそう言うのを聞いてすごく驚いたので、覚えているのだ。
教師にもわからないことがあると私が最初に知るヒントとなったのは、小学校6年生のときだった。私が学校で学んだことについて、父が否定したときだった。私は「先生は反対のことを言ってたよ」と言うと、父は「そいつは自分が教えたことを理解してなかったのさ・・・しょせん、小学校の先生だしな」と言った。
しょせん先生? その言葉はほとんど文法的に間違っているように思えた。先生は自分たちが教えていることについては、すべてを知ってるんじゃなかったの? でなきゃなんで教えてるの?
悲しい事実だが、一般的に米国の公立学校の先生は、自分たちが教えていることをちゃんと理解していない。いくつかのすばらしい例外はあるが、原則として教職につきたがる人は、学問的には、大学のランクの下のほうにいる。だから私が11歳のときでさえ、教師は絶対であると思っていたという事実は、システムが私の脳にどんな仕事をしたかを示している。
学校
子供は学校で嘘の塊を教わる。いちばん罪がないのは、学びやすくするため単純化したものだ。問題は、単純化の名のもとに多くのプロパガンダがカリキュラムに入り込むことだ。
公立学校の教科書は、子供に何を教えるべきか主張するさまざまな強大な集団の妥協の産物だ。ほとんどの嘘はあからさまではない。通常、それらは省略されるか、他のものを省いてある話題を過大に取り上げるという嘘だ。私が小学校で教わった歴史は、強い勢力を持つ各グループの代表を最低1人は含む、いいかげんな偉人伝だった。
私が覚えている有名な科学者は、アインシュタインとキュリー夫人とジョージ・ワシントン・カーヴァーだった。アインシュタインの業績は原子爆弾につながるほどすごかった。キュリー夫人はX線を発見した。だが私はカーヴァーであれっと思った。ピーナッツの仕事をしただけじゃないか。
今ではカーヴァーがリストに載っていたのは黒人だったからだとわかるが、(さらに言えばキュリー夫人がいたのも女性だったからだ)、子供のころ、私は長年、なぜカーヴァーがいるのか不思議だった。「黒人の有名な科学者はいない」という事実を教えてもらわないほうが良かったのだろうか? アインシュタインとジョージ・ワシントン・カーヴァーの格付けが同じだったので、科学を誤解したばかりか、私はカーヴァーが生きていた時代の黒人差別についても誤解することになった。
テーマがよりソフトになると、嘘はいっそうひどくなった。政治や現代史を教わるころになると、私たちが教わったことのほとんどは単なるプロパガンダだった。たとえば私は、政治的なリーダーを、特に最近、迫害されたケネディとキング牧師を聖人と見なすよう教わった。後に彼らは、どちらも女にだらしなく、その上ケネディはめちゃくちゃなスピード狂であったと知って仰天した。(キング牧師の盗作を知るころには、私は有名人の悪行に驚かなくなっていた)
私は、嘘なしで現代史を教えることなど可能なのだろうかと思う。なぜって現代史では、みんなが自分の意見を持っているため、ある種の解釈が入ってしまうからだ。歴史の多くは解釈からなる。現代史を教えるなら、たぶん事実についての事実として教えたほうがよい。
おそらく学校で教わる最大の嘘は、「規則」に従うことが成功する秘訣、というものだ。実際には、そのような規則のほとんどは、巨大な組織を運営するときのコツにすぎない。
平和
大人が子供に嘘をつくあらゆる理由のうち最も強力なのは、たぶん大人につくのと同様の世俗的な理由だ。
人が他人に対して嘘をつくのは、意識的な戦略と言うよりは、真実を知った人々が激しく反応するからだ。子供は定義からして自分を抑えられない。子供はいろんなことに激しく反応するために、いろいろな事について嘘をつかれる。[9]
何年か前の感謝祭で、私の友人は、説明した子供に嘘つく複雑な動機の完璧な例となる状況に直面した。七面鳥のローストがテーブルに出されたとき、驚くほど賢い5歳の息子が突然「七面鳥は死んでもいいと思ってたの?」と尋ねた。来るべき災難を予見して、私の友人と奥さんは、すぐに嘘をでっちあげた。ああ、七面鳥は死んでうれしいんだ。七面鳥はほんとうのところ、感謝祭のディナーになるために生まれてきたんだよ。そして、その話は(ふぅーっ)それで終わりだった。
嘘をつくのが子供を守るためであるときは、たいてい大人の平和を守るためでもある。
このテの不安を静めるタイプの嘘によって、子供は恐ろしいことでも普通だと思うように育ってしまう。心配しないように訓練されたことに関しては、大人になっても焦らなくなる。10歳のころ、私は環境汚染に関するドキュメンタリーを見てパニックになった。地球は取り返しがつかないほど台無しになっているように思えた。そこで私は番組を観た後で、これが本当なのか母に尋ねた。母が何を言ったか覚えていないが、母は私を安心させたので、私は心配するのをやめてしまった。
たぶん怯える10歳に対しては、それがいちばんいい方法だった。しかしコストについても知るべきだ。こういった嘘は、悪いものが放置されている主な理由の1つだ。みんな、それを無視するように訓練されてしまったのだ。
解毒
レースでスプリンターはほぼすぐに「酸素不足」状態に陥る。身体は定期的な酸素呼吸よりも速い、非常時のエネルギー源に切り替わる。しかしこのプロセスは、さらなる酸素で分解することになる廃棄物を生み出すため、レースが終わると、回復するために立ち止まってゼーハーする必要がある。
私たちはある種の真実不足な状態で大人になる。私たちを大人にするために、そして親が子育てを切り抜けるために、子供時代に多くの嘘がつかれた。あるものは必要だったかもしれないが、一部は必要なかった。しかし、私たちは皆、嘘のいっぱい詰まった脳で大人になる。
大人があなたを座らせて、言ったすべての嘘について説明することは決してない。大人は嘘の大部分を忘れてしまっているからだ。だから自分の頭からこれらを消去するためには、自分で消去する必要がある。
ほとんどの人はそうしない。ほとんどの人は自分たちの心を堅い殻で守り、一生、嘘について知ろうとはしない。たぶん子供のころに言われた嘘を完全に消去することはできないのだろうが、やる価値はある。私はつかれた嘘を消去できたとき、いつだって他のいろんな事も明らかになった。
幸い、いったん大人になれば、自分がどんな嘘を言われてきたかを理解できる貴重な新しいリソースが手に入る。今、あなたは嘘をつく側の一員だ。大人として、次世代の子供たちが見ている世界を裏側から見ることができる。
自分の頭をきれいにする第一歩は、自分がぜんぜん客観的ではないと自覚することだ。高校を卒業したとき、私はすごい懐疑論者であると思っていた。私は高校は糞だと思った。私は、自分のすべての知識を疑う準備ができていると思っていた。しかし私は、どれほど自分の頭にゴミが残っていたかについては無知だった。自分の心がまっさらの黒板だと思うだけではダメだ。意識して消去する必要がある。
注釈
[1] 私がそんな身もふたもない簡単な言葉に固執するのは、大人が子供に言う嘘は、私たちがおそらく考えているほどには無害ではないからだ。かつて大人が子供に言ったことを調べたら、どれほど嘘をついたか衝撃を受けるだろう。私たちと同様、彼らは最高の善意でそれを行った。だから私たちが子供に対して、可能な限り合理的であると思っているなら、たぶん自分をだましている。おそらく今後100年間で私たちが言う嘘のいくつかは、100年前に言われた嘘に対して私たちが受ける衝撃と同じくらいの衝撃を与えるだろう。
どれが嘘になるかは予測できない。だが私は、100年後にはたわごととなるエッセイを書きたくはない。そこで私は、嘘と書かずに特別な婉曲語法を使う現在の流儀ではなく、単に私たちのついている嘘を嘘と書くことにした。
(私は1つのタイプを省略した。子供のだまされやすさをからかう嘘だ。これらはウィンクとともに言われる嘘から、弟を怖がらせる兄の嘘に至るまで、本当の嘘ではない。これらに関してはたいして述べたいことはない。最初のタイプの嘘はなくなって欲しくないし、2番目のタイプがなくなるとも思わない)
[2] アリス・キャラプライス編「アインシュタイン語録」プリンストン大学出版局、1996。
[3] なぜ子供は汚い言葉を使ってはいけないのかを親に尋ねたら、それほど学歴のない親はふつう「それは良くないから」と答える。しかし学歴のある親は、もっと巧妙な合理化をした答えをする。実際のところ、学歴の高い親ほど、かえって真実から遠ざかるようだ。
[4] 小さい子供と一緒にいる友人が指摘したとおり、小さな子供は時間が非常にゆっくり流れていると感じているため、自分たちは死なないと考えるのは簡単だ。3歳のころの1日は、大人の1カ月のように感じる。 だから子供には「80年」は、私たちが2400年と聞いたときのように聞こえる。
[5] 私は、宗教を嘘だというとすごい反発をくらって大変な目にあうと承知している。ふつうの人は、充分に長い間、充分にたくさんの人に信じられてきた嘘は、通常の真実の基準には影響を与えないというような感じで言葉を濁し、この問題を回避しようとする。しかし未来の世代が、どの嘘は許せないと考えるかがわからないので、私は安全のために、どんなタイプも省略できない。そりゃ宗教が100年後には廃れるなんてありそうもない。だが1880年の人は、1980年には学生はオナニーはすごく正常なことで悪くおもうことなんてないと教えられるようになるなんてありそうもないと思ったのと同程度だろう。
[6] 残念ながら、弾頭には良いものもあるが悪い習慣もある。たとえば、アメリカのあるグループは「白人らしい振舞い」とする品性がある。事実上、同じくらい正確にそれらの大部分を「日本人らしい振舞い」と呼ぶことができまるだろう。そのようなはっきりとした白人らしい習慣など何もない。古い歴史を持つ街に住むものならどんな文化でも共通の性質だ。だからあるグループが、自分たちとは反対の行動をアイデンティティの一部とみなすような集団に掛けるのは、たぶん損だ。
[7] この文脈では、「問題」とは基本的に「意図的に嘘をつくつもりのもの」を意味する。それがこれらの話題に特別な名前がある理由だ。
[8] ピーター・メール「どうして離婚するの?」ハーモニー出版、1988.
[9] 皮肉なことに、これは子供が大人に嘘をつく主な理由だ。誰かが驚くようなことを言うとき、あなたがひどく取り乱すとしたら、みんなはあなたにそれを言わなくなるだろう。ティーンエイジャーは、親が感謝祭の七面鳥に関する真実を5歳の子供に言わないのと同じ理由で、親が友人の家にいると思っていた夜に何をしていたかを自分の両親に言わない。知ったら取り乱すからだ。
この原稿を読んでくれたサム・アルトマン、マーク・アンドリーセン、トレバー・ブラックウェル、パトリック・コリソン、ジェシカ・リビングストン、ジャッキー・マクドナー、ロバート・モリス、デヴィッド・スローに感謝する。 そして、いくつかの議論となりそうなアイデアがあり、ここに書かれたことすべてに同意した人は一人もいなかった、ということを付け加えておこう。
今更で、遅いかもしれませんが、第4番目のパラグラフの「共謀」がしっくりこないので、
英語に強い妹に聞いてみたら、「口裏合わせ」ではどうかと言われました。ただし、それも
ピッタリっていう訳語ではないと思いますが。
ただいま「口裏合わせ」に修正いたしました。