序文

ブログの最初ってどんなことを書けばいいんだろう。迷う。


一応昔からはてなで書いている者です。
今まではアイドルブログをやっていたのですが、アイドルへの熱が失われる(と言っても、未だにハロプロAKB48アイドリング!!!ももクロあたり全部映像は見てますけど)と同時に、昔から聴いていた音楽の記事の比重が増してきて、最近は何のブログだかわかんなくなってきちゃったので、音楽や趣味の関係はこっちに移すことにしました。
自分が最も慣れ親しんできた、70年代から90年代くらいの音楽や、映画や本あたりのことを自由に書いていければ、と思っています。
そんなにマニアックな聴き方をしているわけではないのですが、とにかくネタが古くなりがちなので、結果として読む人を置いてきぼりにする可能性もあります。
でもそこは趣味でやっていることなので、勘弁していただければ幸いです。

セックス・ピストルズ

とりあえずはベタですけど、セックス・ピストルズあたりからいってみましょうか。
レッド・ツェッペリンとかディープ・パープルとか聴いてはいたものの、まだそれほど音楽にのめり込んではいなかった僕を、この世界に没入させるきっかけとなったバンドですから。


僕とピストルズの出会いは13歳の頃。
ちょうど風邪を引いて学校を休んでいて、布団をかぶってラジオを聴いていると、突然洋楽番組が始まって、初っ端に『アナーキー・イン・ザ・UK』が流れてきたんでした。
多分ジョニー・ロットン(現ジョン・ライドン)がピストルズを脱退した直後くらいの頃だったと思います。ラジオ番組のパーソナリティが電話で高校生くらいの女の子と、
ピストルズが大変なことになっちゃったけど、これからも応援していこう」
みたいなことを言っていたのを覚えてますから。
で、肝心の感想ですが、衝撃でしたね。とにかく下手でww
僕は小学生の頃からハードロックやプログレを聴いていた、ロック少年の端くれだったんですが、とにかくパンクの演奏能力の稚拙さと、エキセントリックかつムチャクチャなヴォーカルに驚きました。
でもロックの持つ荒々しさや、原初的なパワーはじゅうぶん感じましたっけ。当時のロックは今とは違って、演奏テクニックや理論を重視する音楽に支配されていましたから、その分ピストルズの音楽は新鮮で魅力的に感じました。


まあそれ以上にインパクトがあったのが、バンド名でしたけどww
何しろ昼間っからラジオで「セックス」という単語が流れるんですから。今ならそんなに珍しくもないのでしょうが、当時としてはありえないことで、そういった意味でもパンクでした。


ピストルズの結成に関しては、ロンドンのキングス・ロードで小さなブティック 『SEX』 を経営していたマルコム・マクラーレンが、そこに出入りしていたスティーヴ・ジョーンズ(ギター)、ポール・クック(ドラムス)、ジョニー・ロットン(ヴォーカル)と、ブティックの従業員であったグレン・マトロック(ベース)の4人を反社会的なロックバンドとして結成させた、という話がポップス界の伝説になっていますが、実際はポールとスティーヴなどの何人かがすでにバンドを結成しており、単にグレンがマルコムの店で働いていたために彼と関係するようになった、というのが真相のようです。


商売人として有名なマルコム・マクラーレンは、アメリカで二週間ほどではありますが末期ニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めるなど、ニューヨーク・パンクのムーヴメントに触れていたため、パンク・ロックをイギリスで流行させようと目論んでいて、ピストルズに反社会的なギミックを施してシーンに送り込みました。
結果は大成功。テクニックや音楽理論を必要としないシンプルで攻撃的な演奏、大手音楽レーベルや政府、ロイヤルファミリーまでを標的にした歌詞、古くなって破れた洋服を安全ピンで留めるファッション、ジョニーの短くカットされツンツンに立てられたヘアスタイル、TVや雑誌のインタビューでの 「SHIT」「FUCK」を連発する人を馬鹿にしたような態度など、このバンドの権力や体制に反抗的な態度は、当時イギリス国内の歴史的な大不況や根強く残る階級社会などで、不満を抱えた労働者階級の若者たちを次々と駆り立てる結果となりました。


ついにイギリスでは放送禁止令まで受けてしまいましたが、彼らは世界中の若者たちにとっては反抗を肯定してくれる存在にまでなりました。
そして同時に保守的思想の愛国主義者からは、その言動や楽曲、ファッションまでが敵視され、演奏会場の提供拒否や排斥運動が起き、社会問題にまで発展しました。
まあ僕は中学生ですから、そういう事情はまったく知らず、とにかくカッコいいと思って聴いてただけなんですけどね。周囲はアリスとか松山千春とか聴いてる人ばっかりだったんで、僕だけ異常に浮きまくってましたけど。ちょっとした異端者気分でしたww


Sex Pistols - Anarchy In The UK


記念すべきデビュー・シングルで、グレン・マトロックが参加した唯一のスタジオ盤。全英38位。
グレンは比較的高い音楽的才能を持っていて、ここで紹介する3曲すべてを作詞作曲しており(『Pretty Vacant』の2番の二行分だけロットンが作詞)、またライブでも超タイトでグルーヴするベースラインを弾いていました。
しかし、他のメンバーと比べ、世間的常識があり、月並みの向上心があったため、メンバー内で浮き上がってしまい脱退(表向きは「ポール・マッカートニーのファンであることが判明したため解雇」となっていた)。有名なシド・ヴィシャスが代わりに加入しました。


Sex Pistols - God Save The Queen


シド・ヴィシャスが参加して初のシングル。
と言ってもシドは楽器をほとんど弾けなかったため、彼のベースはアンプに繋がれることはなかったのですが(スタジオ録音ではギターのスティーブ・ジョーンズがベースも兼任していた)。
彼はベースで客を殴るなど、もっぱら喧嘩に明け暮れていました。胸に剃刀で「FUCK」と刻み、血まみれになりながらベースを提げたエピソードは有名です。
この曲はロイヤル・ファミリーを徹底的にコケにした曲で、BBCでは放送禁止、日本でもNHKが放送禁止にしていました。しかしそれが逆に話題を呼び、全英2位の大ヒットとなっています。
エリザベス女王の顔に安全ピンを刺したジャケットを見て、当時物凄い衝撃(ここまでやってもいいんだ、という)を受けたことを覚えていますね。


Sex Pistols - Pretty Vacant


これも代表曲。77年に全英6位のヒットとなっています。
ここまで挙げた曲の全てが、とにかくエピソードから想像できないくらい聴き易いサウンドなのが特徴です。これはマトロックの書くポップなメロディーと、クイーンやロキシー・ミュージックポール・マッカートニーなどでおなじみクリス・トーマスのプロデュースの賜物でしょう。
特にクリス・トーマスサウンドプロデュースは、ギターを何重にも重ねてハードロックのような厚い音を作り出していて、職人芸を感じさせてくれます。


その後78年にピストルズアメリカ・ツアーを行いますが、ドラッグのせいで演奏はヨレヨレなうえ、パンクに比較的好意的な東海岸の大都市を選ばなかったため、評判は散々でした。
しかもサンフランシスコ公演後に、ジョニー・ロットンがステージ上から
「アハハ、騙された気分はどうだい」
と捨て台詞を吐いてその足で脱退、ピストルズは空中分解してしまいます。デビューして1年にも満たない短いバンド生命でした。


その後メンバーは紆余曲折を経て、再びセックス・ピストルズの名の下に集まるわけですが、正直思い出は美しいまま保っておいてほしかったなあ、というのが本音でした。
でも結局は当人の人生なんで、どう活動するのも自由ですし、なら体力の尽きるまで、できるだけ長くロックしてほしいな、とも思っています。複雑です。