スパークス

最近はイギリスをはじめとするヨーロッパのミュージシャンばっかり取り上げている気がします。
最初の頃は日米のミュージシャンについても書いていたのにどうしたんだろう。このままじゃいかんということで、今回はアメリカのスパークスを取り上げてみましょう。
彼らのことを知っている人の中には、イギリスのバンドだと勘違いしていた人も多いんじゃないでしょうか。それくらいアメリカっぽくない音を出す人たちでした。


スパークスはロンとラッセルのメイル兄弟を中心として、68年にロサンゼルスで結成されました。当初はハーフネルソンという名前だったようですね。
彼らはあのトッド・ラングレンに見出され、71年にデビューアルバムをリリースしますがさっぱり売れず、その後スパークスに名前を改めて翌年に2ndアルバムを出しますが、これもまるっきり売れませんでした。
しかしツアーで回ったイギリスでだけはウケがよかったため、73年からは拠点もイギリスに移し、キング・クリムゾンやエマーソン・レイク&パーマー、トラフィックなどを配給していたアイランド・レコードとの契約を得ます。
そして翌年にマフ・ウィンウッド(あのスティーブ・ウィンウッドの兄)をプロデューサーに迎え、ロック史上に残る名作である3rdアルバム『Kimono My House』をリリースすると、これが大ヒットして人気を得ることとなりました。


Sparks - This Town Ain't Big Enough For Both Of Us


Kimono My House』からのシングル。邦題はただの『ディス・タウン』。全英で2位の大ヒットになっています。
特徴は余人の追随を許さないフリーキーなメロディーラインと、極端にデフォルメされたショービズ色、そしてラッセルの女性と勘違いするようなファルセット・ボイスでしょうか。
そのねじくれっぷりといかがわしさは、今聴いてもいい味を出しています。それでも何気に聴き易いのは、アメリカ的なカラッとしたポップな体質が根底にあるからでしょう。
ハンサムで明るくオーバーアクションのラッセルと、しかめっ面でキーボードを弾いているちょびヒゲのロンの対比もなかなか面白いです。


Sparks - Never Turn Your Back On Mother Earth


同年の4thアルバム『Propaganda』(邦題は『恋の自己顕示』)からのシングル。全英で13位を記録しています。
この曲は彼らには珍しいバラードです。当時の彼らの曲は変幻自在のモダン・ポップといった印象の曲が多いので、こういう曲は逆に目立ちますね。
ちなみにキンクスのレイ・デイヴィスがこの曲をお気に入りで、当時大絶賛していたそうです。


Sparks - Something For The Girl With Everything


75年の5thアルバム『Indiscreet』(邦題は『スパーク・ショー』)からのシングル。全英では17位のヒット。
いかにもスパークスらしい、メロディがあっちこっちにいっちゃってるところが面白い曲です。


その後彼らはアメリカに帰り、何を思ったのかリー・リトナーデヴィッド・フォスターデヴィッド・ペイチなどの腕利きミュージシャンを揃え、ウェストコーストっぽいサウンドに路線変更しましたが、当然のごとく無残に失敗するなど一時迷走しました。
しかし79年にはミュンヘン・ディスコの大御所ジョルジョ・モロダーに出会い、彼のプロデュースでよりエレクトロニックな方向に接近して行きます。


Sparks - The Number One Song In Heaven


79年の8thアルバム『No.1 In Heaven』からのシングル。全英14位、ビルボードでもダンス・ミュージック・チャートで28位に入るヒットになっています。
ディスコティックなテクノを先取りした作品で、そのサウンドと楽曲構成の斬新さは、後発のエレポップのミュージシャンにも大きな影響を与えました。
いかにもモロダーっぽい執拗なまでのシンセベースのシーケンスで、スピード感と高揚感を出すことに成功しています。このへんはさすがの仕事っぷりで感心しますね。
「あの世でならこの歌はナンバーワンだぜ」という、皮肉だか自虐だかよくわからない歌詞も素敵です。


Sparks - Cool Places


83年の12thアルバム『In Outer Space』からのシングル。ビルボードで49位の小ヒットとなりました。
この曲はゴーゴーズのギタリストだったジェーン・ウィードリンとのコラボレーションです。ジェーンはもともとスパークスの大ファンで、一時期スパークスのファンクラブを自分で運営していたこともあったとか。
世界的に評価が高かったのに、そのマニアックで捉えどころのない音楽性ゆえか、米国チャートではあまり活躍できなかったスパークスが、49位とはいえ健闘したのはジェーンの力も大きかったのかもしれません。


その後スパークスは映画音楽に関わるなどして活動が消極的になることもありましたが、現在も現役として活動しています。
また彼らは俗に言うミュージシャンズ・ミュージシャンでもあり、クイーンの故フレディ・マーキュリー(フレディのヴォーカルは、クイーンがスパークスの前座をしていた頃、ラッセルのオペラチックなヴォーカルに影響を受けてあのスタイルになったんだとか)やデペッシュ・モードニュー・オーダーゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツモリッシーなどが、彼らに影響を受けたりファンだったりしたことを公言しています。