星屑のイノセンス このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-12-25

[]イーター 00:03 イーターを含むブックマーク

どうもです。さっきまでクリスマスイブでしたけど、特に関係なく過ごしていましたよ、ケーキは食べましたけど。皆様はいかがだったでしょうか。

イブの日はまる一日休みだったんですけど、病院のハシゴして疲れてしまったんで、またまた簡単な内容です。御了承頂ければ何よりです。

あ、体調のほうは徐々に快方に向かっているって感じですね。神経関係のほうはまだまだ長い付き合いになりそうですけど、内臓のほうはあと一、二度病院に通うくらいで済みそうです。

来年はもう少し健康になればいいな、と思ってます。年二回の入院はさすがに多過ぎたので。


さて今回は久しぶりにロンドンパンクをいってみましょうか。

一応リアルタイムで体験したムーブメントなので、愛着はひとしおです。確かに初期衝動のみですぐ消えてしまったバンドが多かったですけど、その後に及ぼした影響の大きさを考えると、軽く見ることはできないと思いますね。

というわけでイーターを取り上げてみましょう。パンクムーブメントの波に乗って颯爽と現れ、一瞬話題になっただけですぐに消えてしまったバンドです。

このバンドの最大の特徴は、音とかじゃなくてメンバーがリアルにガキだったところ。4人のうち3人が16歳、ドラマーに至っては14歳でしたから、本当に子供でした。

演奏ははっきり言って下手ですし音もスカスカなんですが、いかにもガキらしいフリーダムなやりたい放題感だけは十分伝わってきます。


イーターは英国ロンドン北部のフィンチレイで、1976年に結成されました。バンド名はT.レックスの『Suneye』(70年リリースのアルバム『T. Rex』に収録)の歌詞の一節「Tree wizard puretongue, The digger of holes, The swan king, The Elf lord, The eater of souls. Lithon the black, The rider of stars, Tyrannosaurus Rex, The eater of cars」から取られているそうです。

メンバーはハイスクールの学友だったアンディ・ブレイド(ヴォーカル。エジプト系の英国人で、本名はアシュラフ・ラドワン)、ブライアン・シュベット(ギター。本名はブライアン・ハドック)、イアン・ウッドコック(ベース。この人だけステージネームはなし)、そして近所のジュニア・ハイスクールの生徒だったディー・ジェネレイト(ドラムス。本名はロジャー・ブレン)の4人です。ほとんど学生バンドのノリですね。

このバンドはマンチェスターで行われたバズコックスのライブのサポート・アクトとして、76年の11月に公式なデビュー・ライブを行っています。ロンドンの学生バンドが何故マンチェスターで、しかも当時結構名の知れていたバズコックスのサポートとしてライブデビューを行えたのか、そのへんの事情は謎なんですがいろいろ人脈があったんですかね。

その後彼らはロンドンのロキシー・クラブで主に活動し、ダムドやシャム69らの前座を行っています。この間にジェネレイトが14歳であることがばれ、パブやクラブでの演奏が不可能になってしまうというアクシデントもあったんですが、結局ドラムスがソーシャル・デミス(本名はフィル・ローランド)に代わって活動は続行されます。


Eater - No Brains

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珍しいジェネレイト在籍時のライブ映像。

とにかく下手で、ほとんど学園祭のようなノリですが、妙な切迫感のようなものは伝わってきます。


そして77年になると彼らは、セックス・ピストルズの『Never Mind the Bollocks』(邦題は『勝手にしやがれ!!』)でレコーディング・エンジニアを務めたデイブ・グッドマン設立したレーベルレコードと契約し、同年3月にシングル『Outside View』でデビューを果たすのです。


Eater - Outside View

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デビューシングル。

下手ですし音もしょぼいんですが、パンクとしてはかなりいけてると思います。ベースが結構カッコいいですね。


Eater - Thinking of the USA

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同年6月にリリースされたシングル。

しょぼい音なりに必死に疾走している感が、なかなかパンクしていていいなと思います。


Eater - Lock It Up

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同年10月にリリースされたシングル。邦題は『パンクでぶっとばせ』。

ここで紹介した3曲の中では一番出来のいい曲だと思います。てか16歳でこれを作れるのならなかなか才能あるでしょ。


とにかくどれもキャッチーでスピード感があってシンプルでストレート。まあそれしかできなかったんでしょうけど、初期パンク特有の衝動性と勢いだけは十分に感じます。

予算の都合なのか音はスカスカなんですけど、この当時のパンクレコードってセックス・ピストルズ以外は全部スカスカな音*1でしたから、そのへんはまあ仕方ないんじゃないでしょうか。

これらのシングルが好評だったのか、同年11月にはデビュー・アルバム『The Album』(邦題は『パンクでぶっとばせ』)もリリースしています。このアルバムは当時日本でも話題になりましたっけ。まあ話題といっても音楽性じゃなくて年齢のことについてがほとんどでしたけど。

そう言えばダイナソーJr.のJ・マスシスが、一番聴いたアルバムはこの『The Album』ってインタビューで答えてましたっけ。確かに彼のキャラクターにピッタリのアルバムかもしれません。

あとこれは余談ですが、当時三浦友和ロンドンに行って、何故かイーターとスタジオセッションをした写真が当時の芸能雑誌に載ったそうです(僕は見てません)。何を考えてこういうコーディネートをしたのか理解不能ですが、三浦友和も当時バンド*2をやってましたから、そのへんから企画されたことなんでしょうか。

そう言えば三浦友和忌野清志郎の高校の同級生で、その縁から初期のRCサクセションの曲でボンゴを叩いたり、原発批判して一時発売中止になったアルバム『COVERS』にも参加したりしてましたね。今では紫綬褒章をもらうくらいの人になりましたけど。


Eater - Waiting for the Man

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『The Album』収録曲。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカバーですね。かなりスピードを上げてやんちゃな仕上がりになっています。

彼らはアルバムでやはりヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『Sweet Jane』、デヴィッド・ボウイの『Queen Bitch』、アリス・クーパーの『I'm Eighteen』(歌詞を「Fifteen」に変えて歌ってます)を、シングルのB面ではT.レックスの『Jeepster』をカバーしています。

バンド名の由来もそうですが、そういうところでルーツが透けて見えると言うか、高校生のコピーバンドみたいで微笑ましいですね。あとグラム・ロックパンクはやはり近い存在なのだなということも実感します。


さて、若さもあって将来を嘱望されたイーターですが、翌78年には2枚のシングルを出しただけで活動は停滞、そして79年の初めにはあっさり解散してしまいます。

なんでもブレイドの父親が校長をやっているお堅い人で、彼から学業に専念するように諭されたというのが解散理由なんだそうで。体制や既存の価値観に対する反逆の音楽だったパンクも、怖い父親には敵わないってことなんですね。

まあ情けないと言えば確かに情けないですが、子供のバンドらしい逸話で微笑ましいんじゃないでしょうか。


その後ブレイドは80年代にはソロ活動をするためいろいろ試みたようですが、レコード会社との契約を得ることはできませんでした。ちなみに当時の彼のアパートのルームメイトが、のちにザ・カルトギタリストを務めたビリー・ダフィーだったとか。

そして96年になると、イーターは『Holidays in the Sun Festival』というパンク・フェスティバルに参加するために再結成され(当時のメンバーで参加したのはブレイドとシュベットだけですが)、03年くらいまでちょこちょこ活動していたようですね。97年にはライブDVDも出してます。

バンドはいつの間にかまた解散し、ブレイドはソロでブルース系のような音を出していたんですが、06年にはバズコックスの30周年記念ライブに出演するため一夜限りのイーター再結成を果たし、ライブデビューの時と同じようにサポートを務めたそうです。

またブレイドは05年に、イーターの活動とその当時のパンクシーンのことを書いた『The Secret Life of a Teenage Punk Rocker』という本も出版しています。


The Secret Life of a Teenage Punk Rocker: The Andy Blade Chronicles

The Secret Life of a Teenage Punk Rocker: The Andy Blade Chronicles


Cherry Red Books』ってあのチェリー・レッドの書籍部門らしいですね。チェリー・レッドと言えばネオアコが連想されますが、デッド・ケネディーズやライバッハレコードを出したことがあるなど、実はパンクインダストリアル系にも理解のある会社です。


今年はこれが最後の更新となります。いつも読んで下さっている皆様、どうもありがとうございました。ちょっと早いですけど良いお年を。

次回は予定通りに行けば元日に更新ってことになるんですかね。正月早々暇なのかよと思われるのも癪なので、もしかしたら8日になるかもしれませんけど。

何について更新するかはまだ決めてないですが、多分久々のエレポップ系になる予定ですので、読んで頂ければ幸いです。

*1:唯一セックス・ピストルズだけは、プロデューサークリス・トーマスがギターサウンドを何重もオーバーダビングしたため、重厚で迫力がある音に聞こえるが、そのせいで当時ザ・クラッシュのファンなどからは「あんなのハードロックと変わらん」と言われた。

*2:『三浦友和と仲間たち』というめっちゃアットホームな名前で、77年にはアルバム『赤頭巾ちゃん秘密だよ』がオリコン1位になっている。メンバーにはやはり俳優の山本伸吾、沢田勝美もいた。また三浦は80年代にもAGAPE HOUSEというバンドを組んで、シングルとアルバムを各1枚リリースしている。

nesskonessko 2014/12/25 18:39 イーター、バンド名は聞いたことあるのですよね。「パンクでぶっとばせ」が出た頃、ラジオで紹介されたり雑誌に載ったのかも。でも、曲名は覚えていませんでした。
Outside View, Thinking of the USA, Lock It Up, どれもシンプルでストレートで気持ちがいいですね。記憶できるかといわれればビミョーですが、音がスカスカなのがかえっていま聞いても疲れない。最近は青春パンクというのもあるそうですが、白人のロックバンドはこういう若い子の初々しさが魅力なのは多くて、パンクと呼ばれるスタイルは若い子には合いそうですね。なまじ年季を積んでうまくなると消えてしまう魅力があるんですよね。
黒人になると、Too Short なんかの初期のヴィデオを見ると、彼らにとってはHip Hopは白人のパンクみたいなものだったんだろうなと思えて、楽器ができなくてもやれるし、歌というのでもないですから、でも、やっぱりなんだかうまいのですよ、玄人っぽいというかね。白人の若い子がバンドやるのとはちがった世界が広がってしまうような気がします。

グラムロックですが、ジョン・ライドンがデヴィッド・ボウイについて、ジギー・スターダストの頃は好きだったけれどもとインタヴューで答えていたのを覚えています。ハード・ロックやプログレみたいなのではなくて、ロックンロールでけばかったですね。パンク始めた人はああいうのが子供の頃好きだった人なのかな。
アメリカのブラックミュージックだと、プリンスは「パープル・レイン」の頃はちょっとジギー・スターダストを思い出させる雰囲気でした。彼は、アメリカでは一滴でも黒人の血が入っていると黒人とみなされると不満を述べていて、白人の血も入っているし、子供の頃から白人のロックも好きでたくさん聴いてきているそうなので、ブラックミュージックとカテゴライズするといけないのかもしれませんが、やはりだんだん音作りが黒人的な洗練を強く感じさせるようになったと思います。

liquidmania2liquidmania2 2014/12/27 10:19 nesskoさん、いつもコメントありがとうございます。
今ちょっと風邪を引いていて熱があるんで、文章が支離滅裂になっているかもしれませんが、ご了承願えれば何よりです。

イーターは当時日本でも話題になったことはなったんですよね。ただ音楽性云々よりも年齢のことばかり言われていましたけど。
どの曲も下手糞で音質も最低ですが、パンク特有の衝動や勢い、そしてシンプルなロックンロールへの回帰を感じます。「下手だけど勢いがある」というのが美徳とされる音楽のジャンルは、ロックくらいじゃないでしょうか。
ただだからこそパンクのバンドの多くは長続きしなかったというのも事実ですけど。そういうのは歳を経ればどうしても減衰していってしまいますし、それ以外の音楽的の引き出しを持っていないバンドはみんな一度行き詰ってますから。
ヒップホップは確かに黒人にとってのパンク的な存在ではあるのでしょうね。音楽的なイノベーションであったことはパンクと同じですから。
玄人っぽいというのはそうかもしれないですね。ヒップホップで初期衝動剥き出しの感じの音ってあまり記憶にないですし。あまり詳しくないから間違ってるかもしれませんが、トラックをサンプリングや打ち込みで作るところが、そう感じさせる一因になってるのかな、なんて思ったりして。

グラムロックはもともとロックンロールに回帰した音でしたからね。ボウイも70年代後半からはブライアン・イーノと組んでベルリン三部作とか作ってましたけど、『ジギー・スターダスト』の頃はロックンロールだったので、ジョン・ライドンはそこにシンパシーを見出したのかも。
死ぬ直前のマーク・ボランが『マーク・ボラン・ショー』というTV番組のホストをしていましたが、パンクの連中が喜んで出演したそうですよ。彼らにとってのヒーロー的存在だったから、というのもあったみたいです。
プリンスは本当に初期の変態丸出しだった頃しか知らないんですが、少なくとも当時はグラムロック的なグラマラスなスター像を目指していた節はあったように思います。
彼の音楽に関しては、基本エレクトロ・ファンクだけどロックの要素も多分に混ざっているという印象を持っています。いろんな音楽を自由自在に結合してしまうところが、彼の才能が尋常なものじゃないことを示しているように感じております。

PulinPulin 2014/12/27 19:36 パンクの音について言えば、クラッシュも『ロンドン・コーリング』あたりでは結構凝った音になっていますね。もうパンクという範疇には収まらないのでしょうけど。

liquidmania2liquidmania2 2014/12/28 01:49 Pulinさん、いつもコメントありがとうございます。

『ロンドン・コーリング』はもう狭義のパンクではなくなってましたね。それ以前からレゲエに対する傾倒が著しかった彼らですが、このアルバムではレゲエだけでなくダブやスカ、R&B、ラウンジ、果てはロカビリーなど様々な要素がぶち込まれて、カオスみたいになってましたから。
ザ・クラッシュもそうですが、後年高く評価されたロンドン・パンクのバンドは、速攻で解散してしまったセックス・ピストルズを除くとほとんどが音楽性を変化させていますね。ダムドはインチキテクノポップになりましたし、ザ・ジャムはモータウンやファンクへ舵を取りましたし、ストラングラーズは欧州耽美路線に進んでいます。ジェネレーションXのビリー・アイドルみたいにアメリカに渡ってポップスターになっちゃった人もいましたっけ。
ニューヨーク・パンクもラモーンズやパティ・スミス、ジョニー・サンダースみたいに音楽性の変わらない人もいましたけど、ブロンディはポップ・ディスコ路線に行きましたし、トーキング・ヘッズはアフリカン・ポリリズムに挑戦してましたから。
やはり衝動性だけでは長持ちしないですし、ヘタウマを味にし続けられるのはごく一部の限られた人たちだけですし、才能のある人はいち早くパンクのスタイルから脱却しようとするんじゃないですかね。
特に英国人はこと音楽に関しては新奇なものを取り入れるのが好きなようで、アンテナを高くしていろいろな音楽を吸収し、それを形にしようと試みてましたし、またそういう引き出しを持っていた人たちだけが生き残れたんじゃないかと思います。

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