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Lithos kulindomenos to pukos ou poiei.

2010-07-12

映画で見る史跡「長いナイフの夜事件」他

  先日アップした「グーグルマップで見る史跡『長いナイフの夜事件』」の記事。その記事について前回のゼミの時間に立花隆先生から「ルキノ・ヴィスコンティの映画『地獄に堕ちた勇者ども』」(1970)を見るとよいとオススメいただき、レンタルDVDで観ました。

 連行されたあと処刑された突撃隊員らが、現場で撃ち殺されていることなど、映画用に変更は加えられています。しかし、この当時この事件を取り上げる映画が少なかったであろう時期に、タブー視をすることなく同性愛者について撮影・上映がなされたことはすごいことだなと感じました。

 なお、このシーンは映画の中のワンシーンであり、話の本筋は、ナチス体制下の鉄鋼一族の没落について描かれている映画です。

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 余談ですが、その後、映画ついでにもう一つ。偶然テレビをつけたら、

宮崎アニメ「耳をすませば」(1995)で

立花隆先生が月島靖也(雫の父)の声を担当している場面でしたので、

ついついそこから最後まで観てしまいました。

以前、初めてこの映画を見たときには立花先生が出ているとは知らずにいたので、今回は雫の父である月島靖也(立花先生が声を担当)が登場するシーンを

じっくり観ました。

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2010-06-08 グーグルマップで見る史跡 「パリ市庁舎」

 2002年10月5日。この日のパリは、ベルトラン・ドラノエ市長(52)が企画した、翌日曜の朝方にかけての「眠らない夜」というイベントが開催されていました。

 エッフェル塔や数々のモニュメントが夜通しライトアップされ、ルーブル美術館や教会といった歴史・文化施設、市庁舎などが市民に無料開放され、これにあわせデパートやレストランなどが深夜営業していました。

 そして、日付が変わった6日の午前2時半ごろ、市内を回り終え、市民で満席状態だった市庁舎内のイベント会場を訪れたところ、市長は突如飛び出してきた男にナイフで腹部を刺されました。


 ドラノエ氏は、1977年にパリ市議会議員に当選。1995年には上院議員に当選(上院議員とパリ市議を兼務)。そして、上院議員在任中の1998年11月22日に、異性カップルおよび同性カップルの事実婚の権利を保障する準結婚制度(PACS)の法定を巡る論争について、賛成の立場からテレビに出演をしました。そして、インタビュアーから「ドラノエさん、 あなたは異性愛者なのですか、同性愛者なのですか」と質問された際に「そうです、私は同性愛者です。今日この場で、行っている議論の重大さを承知しています。しかし、私はもう48歳です。自分の信念を持って生きなければならない。自分のキャリアなど、私にとっては最も重要なことではない。」と語りました。この発言によって自らの政治的生命が絶たれる危険性を覚悟した上での発言でしたが、ドラノエ氏の発言は好意的に受けとめられ、2001年3月には現職市長を破ってパリ市長に当選をしていました。


 市長を刺した男は周囲の人々に取り押さえられ、警察に逮捕されました。 逮捕された男は警察の取り調べに対して「政治家、とくに同性愛者が嫌いだった」と動機を語った。市長はすぐに病院に運ばれ、緊急手術を受けたものの一命を取りとめました。

 ドラノエ氏はその後も一貫して、反ユダヤ主義イスラム教徒への差別、同性愛者への差別、性差別闘う政治家として、現在も市長として在職をしています。


 1〜3枚目の画像はパリ市庁舎、4枚目の写真はドラノエ市長の写真です。

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2010-05-11 グーグルマップで見る史跡「長いナイフの夜事件」

長いナイフの夜事件(Nacht der langen Messer)とは、1934年6月30日から7月2日にかけて、ナチスが行った粛清事件です。

 第一次対戦後、ワイマール憲法下で同性愛者を罰する刑法規定が執行されない状況が続いていましたが、ナチス台頭に伴い状況が一変します。

 ナチス内でも、この事件で、ヒトラーとの対立が増していたナチス突撃隊(元々は他党の妨害に対抗する組織)の隊長であったレーム以下、複数の同性愛者を含む隊員幹部が処刑されることとなりました。

 三百万人を超えた突撃隊と国軍との対立を原因とする粛正事件でしたが、同性愛者の幹部への登用に国民的な反発もあったようです。

 写真はレームら突撃隊が宿泊していた場所で現在もホテルとして使われているそうです。

 大義名分として、同性愛者の処分のためとの情報も流されたようです。

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Bad WiesseeHotel Hanselbauer

Bodenschneidstrasse 9-11

Today: Hotel Lederer am See

Hitler himself arrested Ernst Röhm in this hotel on the 30th of June 1934.

2009-12-14

グーグルマップで見る史跡 「シェイダさん事件」

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写真は牛久にある東日本入国管理センターです。


★入国管理センターとは

 そもそも、入国管理センターとは、在留資格がない不法入国者やオーバーステイをはじめとする入管法違反で退去強制手続の対象となった外国人を収容する施設です。

(退去強制相当の違反をした場合、最終的には、―亶駝仁瓠↓即日仮放免(後日なんらかの手続をする)、C亙入管局に付設されている収容場(しゅうようば)への収容の継続、て国管理センター(日本全国に三箇所)に収容(事案処理の見通しがつかずに中長期に及ぶと想定される者)のいずれかとなります)

 入国管理センターの待遇は非常に悪く、8畳間に8人を押し込めたり、昼も夜もわからなかったりするなど、「刑務所より酷い」環境に置かれているという話もあります。しかし、内部の取材を認められた例はないため、現時点では難民申請者の証言のみに留まっているとのことです。

 ただし、在留資格のない外国人の中には難民として日本に在留している人もいます。


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写真は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の駐日事務所 (@国連大学ビル《UNハウス》) 

です。

★難民

 難民認定の方法には2つあります。

・1つ目は国内にいる難民認定申請者の中でいわゆる難民条約・難民議定書上の難民該当性を有する者を難民と認定するというものです。

・2つ目は国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が行っている第三国定住プログラムでリストアップされている難民について受け入れ枠を定めて難民と認定し、国内に入国させ保護するというものです。(UNHCR認定者はマンデイト難民、あるいはマンデート難民と呼ばれます)。

*日本では後者については、過去に、インドシナ難民に限って時限的に行った実績はあるものの、平時の広汎な受入れ対応は行っていません。

 例えば、2005年1月18日には、日本国政府はUNHCRが難民認定したクルド人をトルコに強制送還したことがあります。なお、国連難民高等弁務官事務所が認定したマンデイト難民を、一国家が認めずに強制送還をするということは世界初のできごとでした。

 人が難民になる理由は様々ですが、その理由の一つにセクシュアリティに関するものもあります。

例えば、イラン・イスラム共和国刑法では、

第108条 ソドミーとは二名の男性で行われる性行為で、かつ性器の挿入を含むもののことを指す。

第109条 ソドミーが行われた場合、挿入者と被挿入者はともに処罰の対象となる。

第110条 ソドミーの処罰は死刑であり、執行の方法はイスラム法判事の指示に基づく。

第111条 挿入者と被挿入者がともに成人であり、健康な精神状態で自由意思によりソドミーが行われた場合、これを死刑に処す。

第121条 二名の男性間の挿入を伴わない性行為の場合、両者を100回のむち打ち刑とする。

第123条 二名の血縁関係にない男性が、不必要に全裸で横たわった場合、両者を99回のむち打ち刑とする。

第124条 性欲をもって同性とキスを行った場合、60回のむち打ち刑とする。

とされています。

(下記のシェイダさん事件の弁護団の調査によって、)1990年から2000年の11年間でわかっているものだけでも

10件の事件(人数としてはゲイ13名、レズビアン2名。ただし15名の内2名はスパイ罪も問われ、1名は飲酒の罪にも問われている。)

があります。

★シェイダさん事件

 そして、日本で初めて同性愛者であることを理由に難民申請をしたのがシェイダさんでした。 

 シェイダさんは、1991年にイランを出国し、来日。来日後は性的・政治的な自由を求めるグループに参加してイランの現体制への批判を行っていました。

その後、オーバーステイにより、2000年4月22日に逮捕されました。

仮にイランに強制送還されたら、身に危害が及ぶ恐れがあるとして、シェイダさんは2000年5月に日本で初めて、同性愛者であることを理由とする難民申請を行いました。

 その結果、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はシェイダさんを難民(マンデート難民)と認めたものの、日本政府は「難民にはあたらない」という判断をしました。

 シェイダさんは裁判を起こ司法の場で争うことを決意し、一度は入国管理センターに収容されたものの、裁判中の2001年11月仮放免が認められました。しかし、第1審、第2審とも敗訴となりました。

 *シェイダさん在留権裁判1審(2004年2月25日(水)シェイダさん敗訴)

 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_38.html 

 

 *シェイダさん在留権裁判 第2審も敗訴 

 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_48.html 2005年1月20日)

 そして、最終的には2005年3月30日 北欧の第三国に出国というかたちで、この事件は終わりました。

 なお、この事件の直後に、法務省は「国連認定難民は強制収容せず」という新方針を打ち出しました。(2005年04月07日)

 関係者によると、その時点で国内には約25人のマンデート難民がいたようです。

  この新方針では「難民認定をめぐる訴訟などで国側が勝った場合も強制退去とはせず、UNHCRと協力し、安全な第三国への定住をはかる」されました。

2009-11-30

googleマップで見る史跡 「新宿二丁目」

A:イプセン

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 「新宿2丁目」エリアにはじめてできたゲイバーがイプセン(開店当時は喫茶店)でした。

このお店は1951年に新宿三丁目の伊勢丹裏の建物の2階に開店をしたそうです。

(正確な場所が分からないため、屋外の写真は伊勢丹裏の写真です)

 新宿二丁目は1958年の売春禁止法によって空家となった元赤線の店などを利用してゲイバーが数を増やしていったといわれています。(赤線=1946年のGHQによる公娼廃止指令により日本の公娼制度は廃止されましたが、新宿2丁目などは風俗営業法の許可を得た特殊飲食店が100件近く存在する赤線地帯として、売春禁止法の施行まで生き残りました。なお、風俗営業法の許可を得ていないモグリの店は青線と呼ばれていました)

 売春禁止法施行以前に先駆け的に誕生したイプセンは、当時の新聞に「男色居酒屋」という見出しで掲げられ、「この世にこんな気味の悪い場所があるのか」、といった論調の記事がかかれたこともあったそうですが、1980年代末まで営業をし続けました。お店を閉じた後、マスターは今年2009年の8月に100歳の誕生日を迎えたものの、10月22日にお亡くなりになられたとのことです。

(参考: http://www.pot.co.jp/fushimi/20091025_171817493914780.html )

 (なお、風俗営業法およびそれに関連する政令や条例に基づき、学校、図書館、児童福祉施設、病院、診療所の近くに風俗営業を行う営業所を作ることが禁止されていますが、東京都では都内4区の一部地域は特定地域とされ、上記の保護対象施設がそばにあっても、風俗営業の営業所を作ることができるとされています。そのひとつが新宿区の歌舞伎町1丁目、歌舞伎町2丁目の9〜10番地、同じく歌舞伎町2丁目の19〜46番地、新宿3丁目であるとされています)(昭和60年3月1日公安委員会告示第33号)*1


B:タックスノット

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 同じく新宿三丁目に、1982年にオープンし、現存している老舗のゲイバーとしてタックスノットがあります。

 1976年春から1980年初夏にかけてラジオ放映された音楽番組『スネークマンショー』・『それいけスネークマン』では、当時はほぼタブーとされていた同性愛者に関するコーナーが作られました。毎週水曜日担当のタックさんこと大塚隆史さんの「ゲイのみなさん、こんばんは!」という番組の始まりのあいさつが話題となり、同性愛者当事者の中でも、初めて「ゲイ」という言葉を聞いたという人もいたようです。そのタックさんが開いたゲイバーがこのタックスノットというゲイバーです。

(参考: http://www.asahi-net.or.jp/~KM5T-OOTK/tacsknot.html )


C:メゾフォルテ・新宿二丁目振興会

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 新宿二丁目振興会の会長を勤めるマスターのお店。新宿二丁目振興会はこの地域のフリーペーパーを発行すると共に、

2000年(平成12年)から、この振興会を中心とした「レインボー祭」を毎年開催している。(写真下)




(参考:メゾフォルテ:http://www.g-token.com/bars/mf/wp/

    新宿二丁目振興会:http://dreamswan.com/Sjk/S2/Sjk2.htm


D・E:変わり行く町並みf:id:lithos_08:20091130003516j:image

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新宿二丁目は世界で最も店舗数の多いゲイバー街であるといわれてきました。(床面積の狭いお店が多いので、総面積では大きくはないのですが)

上の写真で見ても分かるとおり、ひとつのビルにたくさんのゲイバーがひしめき合っています。

 しかし、赤線時代からのあるいはそうでなくとも古くなった建物をつぶして下の写真のような駐車場とするところが増えています。

 横浜の小金町や、同じ新宿区内の歌舞伎町と同様に、「街の浄化」という流れが新宿二丁目にも押し寄せてきています。

老朽化名目で古い雑居ビルが解体されていくなか、2丁目から撤退するゲイバーも多くなってきています。 ちなみに、写真の駐車場の場所は以前は、新宿二丁目でも最大規模のゲイバーのひとつが1階に入っていて、店内や店先は賑わっていました。



上記A〜Eの地図上のポイントです。

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( *1 風俗営業の特定地域としては他に中央区銀座4丁目〜8丁目、港区新橋2丁目〜4丁目、渋谷区道玄坂1丁目1〜18番地・同二丁目1〜10番地・桜丘町15〜16番地がある。)