映画で見る史跡「長いナイフの夜事件」他

  先日アップした「グーグルマップで見る史跡『長いナイフの夜事件』」の記事。その記事について前回のゼミの時間に立花隆先生から「ルキノ・ヴィスコンティの映画『地獄に堕ちた勇者ども』」(1970)を見るとよいとオススメいただき、レンタルDVDで観ました。

 連行されたあと処刑された突撃隊員らが、現場で撃ち殺されていることなど、映画用に変更は加えられています。しかし、この当時この事件を取り上げる映画が少なかったであろう時期に、タブー視をすることなく同性愛者について撮影・上映がなされたことはすごいことだなと感じました。
 なお、このシーンは映画の中のワンシーンであり、話の本筋は、ナチス体制下の鉄鋼一族の没落について描かれている映画です。

 余談ですが、その後、映画ついでにもう一つ。偶然テレビをつけたら、
宮崎アニメ「耳をすませば」(1995)で
立花隆先生が月島靖也(雫の父)の声を担当している場面でしたので、
ついついそこから最後まで観てしまいました。
以前、初めてこの映画を見たときには立花先生が出ているとは知らずにいたので、今回は雫の父である月島靖也(立花先生が声を担当)が登場するシーンを
じっくり観ました。

グーグルマップで見る史跡 「パリ市庁舎」

 2002年10月5日。この日のパリは、ベルトラン・ドラノエ市長(52)が企画した、翌日曜の朝方にかけての「眠らない夜」というイベントが開催されていました。
 エッフェル塔や数々のモニュメントが夜通しライトアップされ、ルーブル美術館や教会といった歴史・文化施設、市庁舎などが市民に無料開放され、これにあわせデパートやレストランなどが深夜営業していました。
 そして、日付が変わった6日の午前2時半ごろ、市内を回り終え、市民で満席状態だった市庁舎内のイベント会場を訪れたところ、市長は突如飛び出してきた男にナイフで腹部を刺されました。


 ドラノエ氏は、1977年にパリ市議会議員に当選。1995年には上院議員に当選(上院議員とパリ市議を兼務)。そして、上院議員在任中の1998年11月22日に、異性カップルおよび同性カップル事実婚の権利を保障する準結婚制度(PACS)の法定を巡る論争について、賛成の立場からテレビに出演をしました。そして、インタビュアーから「ドラノエさん、 あなたは異性愛者なのですか、同性愛者なのですか」と質問された際に「そうです、私は同性愛者です。今日この場で、行っている議論の重大さを承知しています。しかし、私はもう48歳です。自分の信念を持って生きなければならない。自分のキャリアなど、私にとっては最も重要なことではない。」と語りました。この発言によって自らの政治的生命が絶たれる危険性を覚悟した上での発言でしたが、ドラノエ氏の発言は好意的に受けとめられ、2001年3月には現職市長を破ってパリ市長に当選をしていました。


 市長を刺した男は周囲の人々に取り押さえられ、警察に逮捕されました。 逮捕された男は警察の取り調べに対して「政治家、とくに同性愛者が嫌いだった」と動機を語った。市長はすぐに病院に運ばれ、緊急手術を受けたものの一命を取りとめました。
 ドラノエ氏はその後も一貫して、反ユダヤ主義イスラム教徒への差別、同性愛者への差別、性差別と闘う政治家として、現在も市長として在職をしています。


 1〜3枚目の画像はパリ市庁舎、4枚目の写真はドラノエ市長の写真です。




長いナイフの夜事件(Nacht der langen Messer)とは、1934年6月30日から7月2日にかけて、ナチスが行った粛清事件です。
 第一次対戦後、ワイマール憲法下で同性愛者を罰する刑法規定が執行されない状況が続いていましたが、ナチス台頭に伴い状況が一変します。
 ナチス内でも、この事件で、ヒトラーとの対立が増していたナチス突撃隊(元々は他党の妨害に対抗する組織)の隊長であったレーム以下、複数の同性愛者を含む隊員幹部が処刑されることとなりました。
 三百万人を超えた突撃隊と国軍との対立を原因とする粛正事件でしたが、同性愛者の幹部への登用に国民的な反発もあったようです。
 写真はレームら突撃隊が宿泊していた場所で現在もホテルとして使われているそうです。
 大義名分として、同性愛者の処分のためとの情報も流されたようです。




Bad WiesseeHotel Hanselbauer
Bodenschneidstrasse 9-11
Today: Hotel Lederer am See
Hitler himself arrested Ernst Röhm in this hotel on the 30th of June 1934.

グーグルマップで見る史跡 「シェイダさん事件」



写真は牛久にある東日本入国管理センターです。


★入国管理センターとは

 そもそも、入国管理センターとは、在留資格がない不法入国者オーバーステイをはじめとする入管法違反で退去強制手続の対象となった外国人を収容する施設です。

(退去強制相当の違反をした場合、最終的には、①出国命令、②即日仮放免(後日なんらかの手続をする)、③地方入管局に付設されている収容場(しゅうようば)への収容の継続、④入国管理センター(日本全国に三箇所)に収容(事案処理の見通しがつかずに中長期に及ぶと想定される者)のいずれかとなります)

 入国管理センターの待遇は非常に悪く、8畳間に8人を押し込めたり、昼も夜もわからなかったりするなど、「刑務所より酷い」環境に置かれているという話もあります。しかし、内部の取材を認められた例はないため、現時点では難民申請者の証言のみに留まっているとのことです。

 ただし、在留資格のない外国人の中には難民として日本に在留している人もいます。




写真は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の駐日事務所 (@国連大学ビル《UNハウス》) 
です。

★難民
 難民認定の方法には2つあります。
・1つ目は国内にいる難民認定申請者の中でいわゆる難民条約・難民議定書上の難民該当性を有する者を難民と認定するというものです。
・2つ目は国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が行っている第三国定住プログラムでリストアップされている難民について受け入れ枠を定めて難民と認定し、国内に入国させ保護するというものです。(UNHCR認定者はマンデイト難民、あるいはマンデート難民と呼ばれます)。

*日本では後者については、過去に、インドシナ難民に限って時限的に行った実績はあるものの、平時の広汎な受入れ対応は行っていません。
 例えば、2005年1月18日には、日本国政府はUNHCRが難民認定したクルド人をトルコに強制送還したことがあります。なお、国連難民高等弁務官事務所が認定したマンデイト難民を、一国家が認めずに強制送還をするということは世界初のできごとでした。

 人が難民になる理由は様々ですが、その理由の一つにセクシュアリティに関するものもあります。

例えば、イラン・イスラム共和国刑法では、
第108条 ソドミーとは二名の男性で行われる性行為で、かつ性器の挿入を含むもののことを指す。
第109条 ソドミーが行われた場合、挿入者と被挿入者はともに処罰の対象となる。
第110条 ソドミーの処罰は死刑であり、執行の方法はイスラム法判事の指示に基づく。
第111条 挿入者と被挿入者がともに成人であり、健康な精神状態で自由意思によりソドミーが行われた場合、これを死刑に処す。
第121条 二名の男性間の挿入を伴わない性行為の場合、両者を100回のむち打ち刑とする。
第123条 二名の血縁関係にない男性が、不必要に全裸で横たわった場合、両者を99回のむち打ち刑とする。
第124条 性欲をもって同性とキスを行った場合、60回のむち打ち刑とする。
とされています。
(下記のシェイダさん事件の弁護団の調査によって、)1990年から2000年の11年間でわかっているものだけでも
10件の事件(人数としてはゲイ13名、レズビアン2名。ただし15名の内2名はスパイ罪も問われ、1名は飲酒の罪にも問われている。)
があります。

★シェイダさん事件
 そして、日本で初めて同性愛者であることを理由に難民申請をしたのがシェイダさんでした。 

 シェイダさんは、1991年にイランを出国し、来日。来日後は性的・政治的な自由を求めるグループに参加してイランの現体制への批判を行っていました。
その後、オーバーステイにより、2000年4月22日に逮捕されました。
仮にイランに強制送還されたら、身に危害が及ぶ恐れがあるとして、シェイダさんは2000年5月に日本で初めて、同性愛者であることを理由とする難民申請を行いました。
 その結果、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)はシェイダさんを難民(マンデート難民)と認めたものの、日本政府は「難民にはあたらない」という判断をしました。
 シェイダさんは裁判を起こ司法の場で争うことを決意し、一度は入国管理センターに収容されたものの、裁判中の2001年11月仮放免が認められました。しかし、第1審、第2審とも敗訴となりました。

 *シェイダさん在留権裁判1審(2004年2月25日(水)シェイダさん敗訴)
 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_38.html 
 
 *シェイダさん在留権裁判 第2審も敗訴 
 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_48.html 2005年1月20日

 そして、最終的には2005年3月30日 北欧の第三国に出国というかたちで、この事件は終わりました。

 なお、この事件の直後に、法務省は「国連認定難民は強制収容せず」という新方針を打ち出しました。(2005年04月07日)
 関係者によると、その時点で国内には約25人のマンデート難民がいたようです。
  この新方針では「難民認定をめぐる訴訟などで国側が勝った場合も強制退去とはせず、UNHCRと協力し、安全な第三国への定住をはかる」されました。

googleマップで見る史跡 「新宿二丁目」

A:イプセン

 「新宿2丁目」エリアにはじめてできたゲイバーがイプセン(開店当時は喫茶店)でした。
このお店は1951年に新宿三丁目伊勢丹裏の建物の2階に開店をしたそうです。
(正確な場所が分からないため、屋外の写真は伊勢丹裏の写真です)

 新宿二丁目は1958年の売春禁止法によって空家となった元赤線の店などを利用してゲイバーが数を増やしていったといわれています。(赤線=1946年のGHQによる公娼廃止指令により日本の公娼制度は廃止されましたが、新宿2丁目などは風俗営業法の許可を得た特殊飲食店が100件近く存在する赤線地帯として、売春禁止法の施行まで生き残りました。なお、風俗営業法の許可を得ていないモグリの店は青線と呼ばれていました)

 売春禁止法施行以前に先駆け的に誕生したイプセンは、当時の新聞に「男色居酒屋」という見出しで掲げられ、「この世にこんな気味の悪い場所があるのか」、といった論調の記事がかかれたこともあったそうですが、1980年代末まで営業をし続けました。お店を閉じた後、マスターは今年2009年の8月に100歳の誕生日を迎えたものの、10月22日にお亡くなりになられたとのことです。
(参考: http://www.pot.co.jp/fushimi/20091025_171817493914780.html )

 (なお、風俗営業法およびそれに関連する政令や条例に基づき、学校、図書館、児童福祉施設、病院、診療所の近くに風俗営業を行う営業所を作ることが禁止されていますが、東京都では都内4区の一部地域は特定地域とされ、上記の保護対象施設がそばにあっても、風俗営業の営業所を作ることができるとされています。そのひとつが新宿区の歌舞伎町1丁目、歌舞伎町2丁目の9〜10番地、同じく歌舞伎町2丁目の19〜46番地、新宿3丁目であるとされています)(昭和60年3月1日公安委員会告示第33号)*1



B:タックスノット


 同じく新宿三丁目に、1982年にオープンし、現存している老舗のゲイバーとしてタックスノットがあります。
 1976年春から1980年初夏にかけてラジオ放映された音楽番組『スネークマンショー』・『それいけスネークマン』では、当時はほぼタブーとされていた同性愛者に関するコーナーが作られました。毎週水曜日担当のタックさんこと大塚隆史さんの「ゲイのみなさん、こんばんは!」という番組の始まりのあいさつが話題となり、同性愛者当事者の中でも、初めて「ゲイ」という言葉を聞いたという人もいたようです。そのタックさんが開いたゲイバーがこのタックスノットというゲイバーです。
(参考: http://www.asahi-net.or.jp/~KM5T-OOTK/tacsknot.html )


C:メゾフォルテ・新宿二丁目振興会

 新宿二丁目振興会の会長を勤めるマスターのお店。新宿二丁目振興会はこの地域のフリーペーパーを発行すると共に、
2000年(平成12年)から、この振興会を中心とした「レインボー祭」を毎年開催している。(写真下)




(参考:メゾフォルテ:http://www.g-token.com/bars/mf/wp/
    新宿二丁目振興会:http://dreamswan.com/Sjk/S2/Sjk2.htm


D・E:変わり行く町並み

新宿二丁目は世界で最も店舗数の多いゲイバー街であるといわれてきました。(床面積の狭いお店が多いので、総面積では大きくはないのですが)
上の写真で見ても分かるとおり、ひとつのビルにたくさんのゲイバーがひしめき合っています。

 しかし、赤線時代からのあるいはそうでなくとも古くなった建物をつぶして下の写真のような駐車場とするところが増えています。

 横浜の小金町や、同じ新宿区内の歌舞伎町と同様に、「街の浄化」という流れが新宿二丁目にも押し寄せてきています。
老朽化名目で古い雑居ビルが解体されていくなか、2丁目から撤退するゲイバーも多くなってきています。 ちなみに、写真の駐車場の場所は以前は、新宿二丁目でも最大規模のゲイバーのひとつが1階に入っていて、店内や店先は賑わっていました。



上記A〜Eの地図上のポイントです。


( *1 風俗営業の特定地域としては他に中央区銀座4丁目〜8丁目、港区新橋2丁目〜4丁目、渋谷区道玄坂1丁目1〜18番地・同二丁目1〜10番地・桜丘町15〜16番地がある。)

グーグルマップで見る史跡 「府中青年の家事件」

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2005年3月末日を持って閉館となり、今は更地となっていますが、
この地には「東京都府中青年の家」が建っていました。

この場所で、
「同性愛者に対する公共施設宿泊拒否―東京都青年の家事件」が起こりました。
 その際、利用団体であったoccur(動くゲイとレズビアンの会)が東京都を相手に提訴。1審の東京地方裁判所は1994年3月30日に東京都の処分は不当なものであったと認めましたが、東京都は不服として東京高等裁判所に控訴、東京高等裁判所判決が平成9(1997)年9月16日に出、東京都が上告をしなかったため、判決が確定しました。

 この事件に関しては、
憲法判例百選Ⅰ(第四版)34事件(有斐閣刊「別冊ジュリスト 第154号」・2000年)70-71頁や、判例タイムズ986号206頁,判例地方自治175号64頁でも取り上げられています。

 occurが府中青年の家にて団体宿泊をした際に、青年の家恒例のリーダー会にoccurのメンバーが出席し、自分たちが「同性愛者の団体であり、同性愛者の人権を考えるための活動をしている」ことを説明したところ、同日に宿泊中だった、少年サッカークラブの小学生や青年キリスト教団体のメンバーから、侮蔑的なことを言われたことが事の発端でした。

 この件について行われた臨時のリーダー会では、少年サッ力ークラブは帰ってしまった後であり、青年キリスト教団体のリーダーは旧約聖書の一節(旧約聖書レビ記20章13節の文章「女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。 」)を引用して同性愛は許されないことを力説しました。

 その後、occurが再度施設の利用を使用としたところ、「他団体との不要な摩擦の危険性」等を理由に本件使用申込みが受理されませんでした。そこでoccurは都教育委員会宛に、本件使用申込みの承認などを求める請願書と要求書を提出しましたが、最終的にoccurの使用を承認しない旨の決定をするとともに、本件使用申込みについても、
都青年の家条例8条の1号「秩序をみだすおそれがあると認めたとき」、
2号「管理上支障があると認めたとき」
に当たるとしてこれを承認しませんでした。また、都教育長は、
「青年の家ではいかなる場合でも男女同室は認めておらず、同様に複数の同性愛者が同室に宿泊することも認められない」というのコメントを出しました。
 それを不服とするoccurは裁判を起こすこととなりました。

 そして、裁判の過程で、東京都が裁判で利用拒否の事由として主張した「男女別室ルール」について、他の自治体の青年の家では男女同室も認めるところもあり、また、グループの自主性で部屋割りを任せている場合が多かったことなどが明らかになり、1審はoccurの勝訴となりました。
 その後、東京都は控訴趣意書で「同性愛という性的指向を、性的自己決定能力を十分にもたない小学生や青少年に知らせ混乱をもたらすため、秩序を乱すことになるのが問題である」と明記して控訴をしたものの、東京高裁は「一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」と述べるとともに、以下の判決が出され、occur側の勝訴となりました。 

 判決要旨は以下の通りです。
==============
 (一) 青年の家での宿泊は「原則として数名の宿泊者の相部屋であると考えられる。そうすると、特定の2人による宿泊に比べ、性的行為が行われる可能性は、同性愛者においても、異性愛者同様に、それほど高いものとは認めがたい」。
 「元来は異性愛者を前提とした」男女別室宿泊の「原則を、同性愛者にも機械的に適用し、結果的にその宿泊利用を一切拒否する事態を招来することは、右原則が身体障害者の利用などの際、やむを得ない場合にはその例外を認めていることと比較しても、著しく不合理であって、同性愛者の利用権を不当に制限するものといわざるを得ない」。
 (二) 「青少年に対しても、ある程度の説明をすれば、同性愛について理解することが困難であるとはいえないのであり、青年の家においても、リーダー会を実施するかどうか、実施する場合にはどのように運営するかについて、青年の家職員が相応の注意を払えば、同性愛者の宿泊についても、管理上の支障を生じることなく十分対応できるものと考えられる」。もしなお問題があれば、「後に使用申込をした団体の申込を都青年の家条例8条に基づき拒否することも場合によっては可能と考えられる」。
 (三) 「都教育委員会が、青年の家利用の承認不承認にあたって男女別室宿泊の原則を考慮することは相当であるとしても、右は、異性愛者を前提とする社会的慣習であり、同性愛者の使用申込に対しては、同性愛者の特殊性、すなわち右原則をそのまま適用した場合の重大な不利益に十分配慮すべきであるのに、一般的に性的行為に及ぶ可能性があることのみを重視して、同性愛者の宿泊利用を一切拒否したものであって、その際には、一定の条件を付するなどして、より制限的でない方法により、同性愛者の利用権との調整を図ろうと検討した形跡も窺えないのである。したがって、都教育委員会の本件不承認処分は、青年の家が青少年の教育施設であることを考慮しても、同性愛者の利用権を不当に制限し、結果的、実質的に不当な差別的取扱いをしたものであり、施設利用の承認不承認を判断する際に、その裁量権の範囲を逸脱したものであって、地方自治法244条2項、都青年の家条例8条の解釈適用を誤った違法なものというべきである。」
================

なお、聖書には死刑の規定がいろいろありますが、


・自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。(出エジプト記 / 21章 17節 また、レビ記 / 20章 9節 にも同様の記述がある。)
・父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである。 (マタイによる福音書 / 15章 4節 )
・人がもし、月のさわりのある女と寝て、これを犯すなら、男は女の泉をあばき、女はその血の泉を現したのである。ふたりはその民の間から断たれる。(レビ記20章18節)

などといったことも書かれています。

グーグルマップで見る史跡「新木場事件」



青姦(青カン)という言葉、ご存知ですか?

 青姦は「青空の下での性交」という説がありますが、夜に行っても「青姦」とされるを考えると、「青天井の下での性交」という説のほうに利がありそうです。

 ラブホテルが一般に普及する1965年代までは、日本の住宅事情の悪さもあって、若い男女が屋外で性行為に及ぶという選択肢はかなり存在していたようです。また、現在でも屋外の開放的なところのほうが窓のないホテルなどよりもよいという方もいます。また、カーセックスをされる方も社会の中に一定数いるでしょう。
 また古くは、現在にも残る暗闇祭りのルーツが元々「夜這い祭り」とも呼ばれていたそうです。昔は一般の男女参拝客はその祭りの期間だけ「暗闇の中での情交(夜這い)が許され、不特定多数の性交が可能だった」とされています。

 現代の社会において、青姦などの人から見られてしまう可能性のあるセックスはどの程度容認され、どの程度黙認され、どの程度処罰を受けるものなだと思いますか?

 そもそも、他人の前で裸になることについては、
 海外では、1ヶ月ほど前に自宅で全裸になっただけでも警察に通報されたという事件が米国で起こったり、(http://news.livedoor.com/article/detail/4413311/
スイスで全裸での登山に罰金を科す制度が今年の4月にできたりしています。
http://japan.techinsight.jp/2009/04/szk0904280452.html
 日本でも最近ではタレントのKさんが、公園で全裸になり、公然わいせつで逮捕されたことが記憶に新しいかと思われます(この事件については最終的に起訴猶予処分になりました。)

 裸になるだけでも、罪であるなら、青姦はさらなりと思われる方が少なくないと思われます。
 また、「青姦をする破廉恥なやつなんか死んでしまえ!」と暴言を吐く人も中にはいらっしゃるとおもいます。しかし、実際にそれが死刑になるような罪でないことは多くの方が理解していると思いますし、ましてや実際に自ら刑の執行の手を下す人はいないでしょう。
 ちなみに、法治国家である日本では、裁判に依らない私刑(個人間で、刑を執行すること)は禁止されています
 ちなみに、公衆の前での青姦は刑法第174条にある「公然わいせつ罪」に該当します。通報されれ、裁判にかけられれば「6ヶ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」になる可能性があります。しかし、あくまで「公然」わいせつですので、他人に見られない前提があれば、青姦をしても罪にはならないという弁護士さんもいます。(もちろん、青姦の性行為については基本的に和姦を指しています。)

 しかし、写真の夢の島公園夢の島緑道公園をはじめ、都内の数箇所の公園では、青姦中の人を襲う死傷事件が起こりました。被害者はいずれも男性同性愛者です。

 江東区にある新木場駅周辺はほとんど人が住んでいない地域となっています。
新木場1丁目は人口10人、新木場2丁目は人口16人、新木場三丁目は人口30人、新木場4丁目は人口3人。また、夢の島若洲については人口0人となっています。

 この地域で大きな敷地面積を持っているのが夢の島公園夢の島緑道公園です。
陸上競技場や熱帯植物園があるほか、辰巳国際水泳場も近く、昼間はそれなりに人通りがあるものの、夜間は駅前のバスターミナル以外ではまったくと言っていいほど人影のない地域となっています。



 男女のカップルと比べ、男男の場合だと、ラブホテルの入店が断られるケースや、店員からマジマジと奇異の目で見られることが未だ珍しいことではありません。
 また、自分が同性愛者であることをひた隠しにしている人、たとえ相手が自分と同じ同性愛者であったとしても自分について知られたくない、顔を見られたくないという場合もあります。恋人を作るわけでもなく、顔を知られぬセックスの相手を闇夜の中で探すということも珍しいことではない状況があります。また、顔を見られることに躊躇がない場合でも、暗闇の中での情交を求めて夜の公園に出向く人は少なくありません。(もちろん、暗闇の中で出会った人と恋仲になる場合もあるわけですが)

 そして、この新木場の公園の場合、夜間は駅をおりてから公園に出入りをする際に通行人に顔を見られたりすることも、公園内で一般の人の通行人に見られることもほとんどありません。夢の島公園は男性同性愛者にとっての「公然の場ではない」青カンのメッカ(ゲイ用語的には「野外ハッテンバ」)だったともいえます。

 その公園で2月10日午後11時、この都立夢の島緑道公園で男性(33)が殺害されました。この事件で逮捕されたのが、区立中学に通う少年(14)と都立定時制高校に通う少年(15)二人です。少年らは丸太などで被害者の頭や顔を殴りつけ殺害した上、現金8000円入りの財布を奪って逃走しました。

 また、2006年7月8日の午後9時頃、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)が殴る蹴るの暴行を受ける事件がありました。被害者は全治40日の重傷を負ったうえ、現金2万1000円を奪われました。この事件で逮捕されたのは都立高校生(18)ら少年4人。4人は「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話していたとのことでした。

 同様な事件は過去、駒沢公園芦花公園でも起こっており、いずれも被害者が死亡しています。
また、死者が出ていなかったり、被害届が出ていないケースも多いといわれ、
ネットアンケート調査(http://park.y-cru.com/survey/CGI/gb_survey1.cgi?mode=list&link=0
でもさまざまな事件が起こっていることがわかります。

 なお、2006年の新木場での事件の後、異性愛者からはもちろんのこと、同性愛者当事者の中でも匿名掲示板や仮名のブログやSNSなどで「以前も同様な事件があったような場所に行くのが悪い」、「外でセックスをするようなことをするのも悪い」、「公共の場で裸になっていた人がそもそも軽犯罪法違反じゃないか」という意見がわっと、次々に上りました。
(もちろん、被害者を擁護する声も多々上りましたが。。。)


 あれから、3年間、史跡というには新しすぎる感じもしますが、
忘れてはいけない事件のひとつだと思い、とりあげることにしました。