ゼパニヤ3章・エホバの燃える怒りを諸国民の上に注ぐ時とは

「わたしの司法上の決定は、諸国民を集め、わたしがもろもろの王国を集め寄せて、その上にわたしの糾弾を、わたしの燃える怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって全地はむさぼり食われるのである。」(ゼパニヤ3:8)


ゼバニヤ3章には、エホバがご自分の燃える怒りをもろもの王国の上に注ぐことが預言されています。これは、何を意味しているでしょうか。これは、この世の終わり、この事物の体制の終わりを意味していると思われます。なぜなら、この度エホバの怒りは、ご自分のみ名を負っていたユダとイスラエルに表明されるのではなく、諸国民、もろもろの王国に表明されると述べられているからです。ですから、この時は北の王と南の王の最終戦争を意味する大患難ではなくて、世の終わりを意味すると考えられます。


ゼパニヤ3章のエホバが「燃える怒りをことごとく注ぐ」時は、またゼパニヤ2章の「エホバの怒りの日」を意味していると考えられます。(ゼパニヤ2:2)そして、ゼパニヤ2章で預言されている「エホバの怒りの日」もまた、世の終わりを意味すると考えられます。なぜなら、ゼパニヤ2章の「エホバの怒りの日」で用いられている言い回しは、ダニエル2章のこの事物の体制が滅ぼされる時に関する言い回しと同じだからです。


ゼパニヤ2章によると、「エホバの怒りの日」は「もみがらのように過ぎ去(ります)」。(ゼパニヤ2:2)そして、ダニエル書では、神の民と関係する人間製の政府を表すネブカドネザルの夢の像は、「夏の脱穀場から出たもみがらのように」、神の王国によって滅ぼされてしまいます。(ダニエル2:35)ですから、ゼパニヤ2章と3章で預言されている時は、共に人間製の政府が神の王国によって滅ぼされる時でしょう。


ゼパニヤ2章で予告された「エホバの怒りの日」にもたらされる滅びはエホバからもたらされる滅び、超自然的、選択的なものです。その時に「隠される」ためにはエホバを求め、義を求め、柔和を求めていなければなりません。(ゼパニヤ2:3)



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エホバの燃える怒りを諸国民の上に注ぐ時とは世の終わり


聖書は神の律法に違反する者たちに関して、「いずれも神の王国を受け継がないのです。」と述べています。(コリント第一6:10)ですから、ゼパニヤ書の2章と3章の預言が成就する今の事物の体制が終わる時には、神の律法に違反する者たちは、裁かれ滅ぼされてしまうでしょう。


しかし、大患難の時は、神の律法を守っていない一般の人々であっても、山や人里離れた田舎に住んでいる人や、イエスの助言に従って山に逃げるならば生き残れると考えられます。(マタイ24:16)なぜなら、その時は、基本的に諸国民が全地で行なう戦争だからです。言い換えると、この時には、クリスチャンではなくても、山に住んでいる人は、大患難の災いを生き残る可能性が高いでしょう。


しかしながら、啓示の書の中で、イエスは、偶像崇拝や淫行を行っているイゼベルのような人を、「大患難に投げ込む」と述べられています。(啓示2:20,22)それで、神の律法を守っていない人は、聖書の預言に対して注意を払わない可能性が高いでしょう。ですから、偶像崇拝と淫行を常習的に行なっていれば、大患難の前にイエスの助言に従って山に逃げるということをしないでしょう。結果として命を失ってしまうと考えられます。


それで、世の終わりの時まで、ぎりぎりまで、自分を変化させないのではなく、できるだけ早く自分を変化させ、「神の司法上の定めを守り行なう」ことが賢明でしょう。(ゼパニヤ2:3)すなわち、殺人、偶像崇拝、性の不道徳、盗みなどのような神の律法に反する行ないを避けることよって、聖書からの霊的啓発を受けられるようにしましょう。そうすれば、大患難も無事に切り抜けられる可能性が高くなるでしょう。


そうして、この事物の体制の神の律法に違反する人々の上にエホバ神が怒りを表わされる時にも、エホバから保護されるでしょう。そうすれば、永遠に神の是認と祝福を得られるでしょう。エホバ神の燃える怒りを恐れて行動しましょう。


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