my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

罪の段階

罪の段階〈下〉 (新潮文庫) 罪の段階〈上〉 (新潮文庫)
『罪の段階(上・下)』リチャード・ノース・パタースン著、東江一紀訳、新潮文庫刊(ISBN:4102160116,ISBN:4102160124)読了。
やられた!としか言いようがない。緻密かつ繊細なプロット、肉厚の人物描写、緊迫した法廷シーンと大胆なラスト。道具立ての巧さはもちろんだが、複雑な模様を織りなしていく人物たちの心の光と陰が、物語の重厚さに厚みを加えている。けちのつけようがない面白さ。パタースンという作家に何故今まで出会わなかったんだろう!と後悔するほど楽しんでしまった。

発端はホテルのスイート。著名な男性作家の銃殺。通報したのは女性テレビキャスター。彼女は怪我を負っている。レイプされかけ、銃が暴発したと主張する。しかし供述とは違うことが立証されていく……。

前半部分は女性としては読んでいるのがつらいくらいで、出てくるどの女性も、自分の中にある女性という要素の一部分であるような気持ちがした。いったいどれくらいの人間が、人知れず傷を抱えて、それと戦いながら生きているんだろうかと、ページをめくる手を止めて、満員電車の人の顔をぼんやりと眺めたりした。この顔の一つ一つに見えないドラマがあるんだ、と思うと、朝のラッシュもなんだか違って見えてくる。それにしても、これをむくつけき男子が描いているというのが余談ながら怖い(笑)。こんな小説を読んでしまうと、いつも思うのは、人の心を推量する知性にも、性差別にも、国籍とかお国柄とか風土なんかないんじゃないかということだ。いや、相手の心に添うということにかけてはアメリカ人男性の方が得手かもしれない。もちろんその分危ない人も多かったりするんだが。
後半は予審裁判のなりゆきと、何が起こるか分からない展開を純粋に楽しんだ。真実を知っているのは被告ただ一人。それは正当防衛か否か、レイプというものさしはどこで決まるのか、最良の裁定とはなんなのか。けれども被告の中にある嘘で覆われた焦点が見えないために、論争は白熱しながらもどこか上滑りしていく。
著者は一流の弁護士でもあるので、舌戦や心理描写のリアリティはさすがだと思う。森鴎外もそうだが、こういう金の2足の草鞋を履いている作家さんには、わたしはどうも無条件降伏してしまうきらいがある。
読後感の豊かさは、「オーデュボンの祈り」(id:lluvia:20040318#p1)がフレッシュなボジョレ・ヌーボーだとしたら、「罪の段階」は熟成したフルボディのボルドーのごとし。騙されたと思って、お読みください。