小金井ゴミ戦争でもなんでもNIMBY問題の雑感。原発でも震災ガレキでもおk

小金井ゴミ戦争で村上春樹の壁と卵の話を思い出した。

そもそもの発端の二枚橋処理場近隣の住民の健康被害、というものが存在しなかったかと言えば否定はできない。敏感な人は何かしらのことで喘息になったりするし、処理場を恨めしく思えば体調を崩す人もいただろうよ。
もう一つの卵は蛇の目ミシン跡地の近所のマンション住民な。ローン背負ってマンション買って値段が下がったら困るので拒否らしい。
その中で、リスクが一定以下である、あるいは自らゴミを出したらそのリスクは引き受けるべきだ、という論調もあるし、より安全な処理場をちゃんと運営するならいいよ、という考え方もある。しかし、得てして「市民」的な運動は、ここにない答えを理想とする。その理想からすれば周辺住民は回避できるのにあえて回避しない損害を受けていると思うようになる。他の市で建てられないの?焼却以外の手段はないの?市内で他に場所はないの?しかしすでに代替案などない。
そしてだんだんと自分が卵だと思うようになって、やがては卵になる。しかし、現実的な解決案は彼らの「思い」とは別の所にあるわけで、彼ら以外はみなその現実的な解決案を是認し壁として立ちはだかり、その卵は哀れにも壁にたたきつけられて砕ける。苦しむ周辺住民を殻で包んで壁に蹴り込んだのは誰だ?

中央線沿線の自治体のNIMBYぶりってのは杉並ゴミ戦争やら、国立のマンションの問題やらいろいろあってその系譜で読み解けばいいだろう。一方で京王沿線の調布や府中はちゃんと市民に損を背負わせてでもゴミ処理問題を貫き通した。武蔵野市も自前の施設だし、三鷹市は調布と共同で三鷹市役所の裏に処理場を作った。何かあれば市役所の職員が体調を崩すからまさに体を張って安全性を保証しているわけだ。見事である
2chやまちBBSを嗅ぎ回ってみた限り、旧来からの集落があり、古くからの有力者同士の相互監視のある町はその構造が優先されるようだ。その中で育つ市長は、ちゃんとビジョンを示し上手に合意形成を積み重ねていき、いろいろな政策を上手に積み立てていくような人物となる。
対してベッドタウンの場合には、そういう古い権力構造がない中で少数の地主が自らの資産を守るために動く。またサラリーマン家庭は政治参加はあまり関心がないので、結果としていわゆる「プロ市民」が大きな力を得ることとなる。そうなると保守革新でそれぞれ無能vs無能対決になってしまう。そして壁に卵がたたきつけられて、何も解決をしていないことに全員が呆然とする。

普天間最低でも県外とか、自然エネルギー脱原発とか、みんな自分が卵だって思い込まされるような夢が多すぎるんだよ。この国に生きている限りは誰しもが大半の時間を知らず知らずに壁として暮らしている訳なんだけどな。その場合に卵が砕けることを当たり前としていないのか、それ以上に卵を作っていないのか、ということを考えたい。