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2015-10-16 引っ越し先が決まりました。 このエントリーを含むブックマーク

lmnovels2015-10-16

お久しぶりです。

お元気ですか? 私は、元気。

今日は取り急ぎのご報告をしようと思いまして、久しぶりにここに来てキーボードを叩いております。ぱた、ぱた、ぱた、と。

そうなんです、引っ越し先が決まったのです。ココだよ!→http://lovemoon.hatenablog.com/

これまでは「仮住まい」でしたが、暫くここにどっかと腰を据えることになりました。

入り口の表札には水色地に黒字でこのように彫らせてもらいました。

「水と今(のようにたゆみなく刷新される私的なブログ)」

つまりは、まあ、相変わらずってやつです。でも、やっぱりちょっと、たしかに違うんです。所が変われば空気だって人だって、多かれ少なかれ変わっていきますから。

さてさて……久しぶりにここに戻ってきたのですが、やっぱ住民いないと、家はちょっと荒れてしまいますわね。

見渡すと、あちらこちらに雑草(的広告)が生い茂っているし、堆いホコリもたまってます。無慈悲なGoogleロボットが足を踏み入れた形跡もありまする。

ああ、懐かし……とか言ってないで、月に1度くらいはお掃除に来ないとダメですね。あ、でも聞いた話によると、あと1週間くらいしたら、すっかり封鎖されてしまうみたいです、ここ。

それもちょっとさみしいやね。でも、自然と時間の摂理でもあるし。新しい場所もできたし。ぜんぜんまったく悲しむこたあない、ない。

だけどまたいつの日か、ここに戻ってきて、ここで肩肘ついて、しれっとここで何やかや記している、かもしれない。そんな気がしないでも、ないのです。

ともあれ、早いめに引っ越し先に遊びにいらしてね! どなたも待ってるよ。

かしこ

lmnovels(イツキ) 2015 10/16

2015-07-23

lmnovels2015-07-23

2015-07-22 さよなら、水今novels このエントリーを含むブックマーク

lmnovels2015-07-22

突然ですが、さよならの刻です。


今日を持ちまして、当ブログ『水今novels』を閉じることを決めました。狼少年ではありません。青ウサギです。


Oh,why?(と、自分に問うてみる) 


いくつかの象徴的な出来事が重なって、ここを離れるべきであることにはっきり気づいた。


それはここの記述が1000記め(とにかく1000までやろうと思っていた)を越えたこととか、


先日、私が営む名曲喫茶が3周年めを迎えたこととか(たくさんさん素敵なお祝いを頂きました……感謝!)、


私の三十台がもうすぐ終わることとか(なんてこったい)……ほかにもあれやこれやと重なって、「節目」が見得た。


30歳手前くらいからブログなるものを記してきました。


すなわち、かれこれ10年近く、このような徒然なる他愛ない記述を続けてきたわけですが、


ここ『水今novels』にはそれはもう、長き歳月と並々ならぬ想いと様々な意匠がたっぷり。


端的に言って、ここには僕の30代の(ほぼ)総てが練り込まれているような気がします。


読み返すと、数多の風景、感情、関係が次々と立ち上り、それらが暮れなずむ夕暮れの如く……。


だけど、さらっといきましょう。さよならの刻です。(きっとまた性懲りもなく始めるのですが。)


ありがとう、『水今novels』。読んでくれた方々に心の底から感謝、感謝、感謝。感謝の念しか出ないよ。


ありがとう!(あ り が と う!←エコー)ばい。

ぎむぎむ 2015/07/23 21:46 水今ファンでした。いろんな場所で、わくわくしたり、しんみりしたりしながら読んでいました。おつかれさまでした!

いつきいつき 2015/07/24 17:02 >ぎむさん
いろんな場所で、わくわくしたり、しんみりしたりしながら読んでくださったのですね。水今冥利に尽きます。ありがとう。きっとまたどこか(あるいはここ)でお会いしましょう!

wannawanna 2015/10/06 04:00 こんばんは!ブログ閉じてしまうのですね。そうですが、何というか、たまにたちよれる版画部の部室を失ったような気分ですが、節目というものは大切ですよね。わたしが今日ここを覗いたのは、「パンチドランクラブ」という映画について聞きたい事があったからなんです。もしいつきさんが見ていたらの話ですが(^^;;

いつきいつき 2015/10/13 15:27 wannaさん
お久しぶり! 元気ですか?「たまに立ち寄れる版画の部室」って、何だか嬉しいな。新しい部室は今、何処かで(ここかもしれません)、よりよい形での再開(再会)を模索しているところ。完成したらまた訪ねに来てください。
パンチドランク・ラブ? 大好きな映画です。うまく答えられるかわからないけど、何でも訊いてやってください。http://ask.fm/lmflowers

2015-07-10

lmnovels2015-07-10

テスト

さて、「テスト」と言えば、ポール・ヴァレリー(写真)であり、ポール・ヴァレリーと言えば「風立ちぬ」であり、「風立ちぬ」と言えば、堀辰雄であり、堀辰雄「風立ちぬ」と言えば、宮崎駿「風立ちぬ」であり、私は昨晩、自室でジブリ映画「風立ちぬ」を母とともに観ていたのだが、どうにも眠くなって、3分の2くらいで止めてしまった次第(続きは今晩観る予定)。


当方、そこまでジブリ好きというわけでもないが、この「風立ちぬ」はじつに素晴らしい映画だと思っていて、僕は2年前の観賞時、いささか息荒い感想文http://d.hatena.ne.jp/lmnovels/20130731をここにしたためたほどだが、堀辰雄の小説とは違って、度重なる観賞には向いていないかもしれない。すなわち、1度か2度観れば充分かもしれない。このあまりに「包み隠さない」映画は、(僕にとっては)初観賞時にもっとも多くのsomethingを与えてくれたような気がするから。

でも、映画作品にかんしては(いくつかの例外はあれど)、たいていそう思う(初見でじゅうぶん)ことが多い。だから、どれほど心に強く訴えてきた作品も、一期一会気分でいっぺんしか観ないと決めてしまうのも手である。『アデル、ブルーは熱い色』とか『マンハッタン』とか『Boyhood』とか、何度でも観たい映画、あえてもう観ないでおくか。


ああ、すっかり話が逸れている。なぜ、本日のタイトルが「テスト」なのか?について書こうとしたのだった。

それは、今日、これを記すのに用いている媒体・iBook(という名のアップル社のノートPC)が、押し入れから引っぱり出してきた、かなりの「年代もの」で、はたして電源が入るのか、ネット接続できるのか、キーボードは打てるのか……そんなような心もち、つまりは「テスト」っぽい気分たっぷりだからである。


(テスト)


薄汚れたiBookを電源タップに繋ぎ、OSを立ち上げ(かりかりがりがり……)、どうにかネットに接続できたものの、漢字を変換するのにかなり長いタイムラグがあるうえに、液晶画面がいささか暗く、トラックパッドはうまく反応してくれない(指が滑らない)うえに、内部ハードディスクが、まるでネズミが床下をかじってるみたいに、かりかりがりがり……鳴りっぱ。こりゃ、ちょっと実用には耐えないかもしれないな。いや、待てよ……インストール済みのワープロソフトを単体で立ち上げ、本文をそこに記し、あとからこのブログに貼り付けてから更新すれば良いのではないか? 試してみましょう。


(テスト)


うまく反応しないトラックパッドをあきらめて、これまた古いアップル社のマウス(マイティーマウス)をどこからか持ってきて繋ぎ、古き良きワープロソフト(アップルワークス)を立ち上げたことによって、どうにかこうにか記せるようになった。しかし、時間が経つにつれて、別の問題が。左手の甲があたる本体がやたら熱くって、もうちょっと高くなったら低温火傷しそうなほどになってきたのである。


そうまでして、そんなに古いノートPCを使う必要があるんかい、と問われたら、ちょっと返事に窮してしまうのだが、多分あるんである。このiBookは、キーボードのアンバイが僕の手にあまりにもぴったりくるんである。多分、これほどぴったりくるキーボードは(少なくともノートPCにおいては)未来永劫現れることはなさそう。そういうわけで、このiBookがまだどうにか使える(ネット接続できる)うちに、このブログを更新したり、何かしらしたためておこうと思ったの。しかし、この発熱ではちょっと難しそうである。早々にあきらめるとしよう(いそいそ)。


さて、これから隣町にコンタクトレンズを購入しに行って参ります。まったき私事ですが、今日は眼医者での検診(混んでいると1時間以上かかかる)もあるのでたいへん面倒です。では、またのちほど。

2015-07-03

lmnovels2015-07-03

糖雨が(あるいはストリーミング音楽配信サービスについて)

1日中、降りしきってゐる。7月の雨は甘露のようにヒキガエルやナメクジや私を喜ばせる。屋根を持たない野良猫(的存在すべて)にとっては厳しい季節だが。幼少の時分から、7月は好きな季節だった。ひょっとしたら12ヶ月の内でもっとも、あるいは2番めに好きな月かもしれない。暑いのも湿気も苦手だが、肝心要の精神がばっちり落ち着いている。雨に濡れるのはさほど好きではないが、雨にざぶざぶ打たれ、泥ぬかるみにずぶずぶ沈んでいったり、じゃばじゃばと浮かび上がったり、くるくる旋回したりして、森羅万象にすっかり溶け入ってしまったような――そんな心持ちを喚起させてくれる、7月。これが8月(生まれ月)になると、ぜんぜん違ったことになってしまう。


昨晩、誰彼大絶賛中の『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』という名だたるアメリカ映画を、凄まじい大音量を供する隣町の映画館で観賞しました。あまりに音圧が凄すぎるので、後半、耳栓をしながら観ました。それについてはまた後述(しないかも)。


一昨日、アップル・コンピュータが提供するストリーミング定額音楽サービス「Apple Music」がスタートしました。わりに新しいもの好き(ミーハー?)な僕は、すぐに「3ヶ月無料期間サービス」に登録し、古き良き、あるいは新しき良き音楽を、洋邦クラシック問わず、聴き漁っていました。まるで、これまで堅固な法律によって引き離されていたたくさんの友人にようやく出会えたような、正しい法的改正(的変化)を感じた。なにしろ、どばどばとなだれこんで来るのです。「購入」という契約によって、躊躇したおかげで出会えなかった愛おしい曲たちが。

世界的にもうじき主流になる(もうなっているのかも?島国に居るから実感がない)というこの音楽配信形態(ストリーミング配信サービス)は――ひと言で言うなら、音楽の在り方/聴かれ方をすっかり変えてしまうことは(僕に言われなくても)間違いないことです。よかれ、あしかれ。ここでは「よかれ」ということにしておこう。個人的に、素晴らしく画期的な、来たるべき在り方だと思った。いささか大人げなく興奮してしまった。しかし、それは「聴き手」である僕にとっては、にすぎなくて。これから作り手にとっても、すなわち音楽産業全てにとってそうなっていくことを(今はそうではないらしいので)楽観的に祈りたいです。

僕としては、楽曲とリスナーが出会う機会が加速度的に、即時的に、地球規模で増えるという事態は――もちろんさまざまな意見はあるでしょうが――結果的にはポジティブで必然的な事象と思っています。などと言いつつ、私の名曲喫茶仕事では、未だ化石のような円盤を後生大事に扱っているのですが。でも、名曲喫茶でクラシック音楽がストリーミング配信されるようになったら、それはちょっと興ざめかもしれぬ……なるべくそういう方向には行かないように心がけたいと思います。


さて、今日は「ストリーミング音楽配信」のことを記そうとしたわけではなかったのですが、こうなってしまったので、今日はここまで。いったい何を記そうとしていたのだろう? ここには(ほとんど)手なりで記しているので、しっかり舵を握っていないと、話があちこちに飛んでしまうのです。こんな自分勝手ブログを最後まで読んでくださって、本当にありがとう。

明日は5日ぶりの名曲喫茶仕事です。早起きなので、日本酒をあおって、とっとと眠ります(眠れれば)。おやすみなさい。

2015-07-01

7月いっぴ


ということで、何かしら記しておこうと思い立ち、ひさしぶりにラップトップ(っていう呼称は時代錯誤的に感じる……最近は何て呼ぶのが主流なのだろうか? モバイルコンピューター、略してモバコンとか? それはないな)を開いてみた。


そう、今日から7月だ。それについて思うところは何かあるかな?と自分に問うてみると、どうやらおおいにあるようだ。まず、7月は僕が細々と営んできた名曲喫茶『月草』が3周年めを迎える。うみの日、いつだったか。あとで確認しなくては。

そして、月草を始めた3年前、すなわち2012年7月は、僕にとって多くの意味において「ターニングポイント」あるいは「帰路」でも「岐路」でもいいけど……そのような月だったように思う、というか確信している。よかれあしかれ(ここでは、「よかれ」ということにしておこう)、僕はそこで自分の運命の舵を自分の意思で、大きく漕ぎ出した。水面が波紋を作りながら揺らぎ、大きな飛沫をざぶざぶと飛ばしているのが見えた。

そうしてそれから3年間、クラシックがあり、コーヒーがあり、出会いがあり、離別があり、契約更新があり、また出会いと離別があり、クラシックがあり、温かい黒ビールがあり、ため息があり、そういった様々な偶然と決断と習慣の集積の結果として、現在、私はここにいる。そしてここで、

7月のいっぴだから、何か記しておこう。と思い立ち、

そういえば3年前は自分のターニング・ポイントであったなあ……

などと思い巡らしながら、この、見慣れた場所で冷蔵庫がぶんぶんうなる音を通奏低音にしながら、浅いストロークのキーボードをぱたぱたと打っている。そうだ、このキーボードも、もし3年前に名曲喫茶を始めていなければ、今、こうして叩いていることはないんだった。何故なら、このモバイルコンピューター(ラップトップでも、ノートPCでも何でも良いが)は、名曲喫茶を始めたことによって、7月に出会った或る人がきっかけとなって購入したからだ(その詳しい経緯について書くといささか長くなるので割愛)。そしてその人は、今、簡単に会える場所にはいない。いつか、また会えるだろうか? わかりません。


それにしても、邂逅だの、離別だの、決心だの、誰がどうした彼がこうしたなどといった人間的事象は、それが起こったその時は、流れ星とか火山の噴火とか一目惚れのように、気まぐれで、行き当たりばったりに起こった自然的現象のように見得ても、しばらく時間が経ってみると、自然的現象の必然性とそれが生み出したまったき新しい現実に、驚異と畏怖の念を抱いてしまうほどに、まるで年表に太字でくっきり明記された歴史的事実のように、自分の内で確固とした楔(くさび)になっているのが判る(楔が嫌なら、水面に浮かんだブイ、あるいはナイフで木に刻んだ目印でも良い)。


個人的には、自分が(意識的に、あるいは無意識的に)選んだことごとは、もっと、偶然、あらら、いつのまにま……って感じの適当な雑感を得たいのだが、年月と年表と現実はそれを許しちゃくれない。とどのつまり、私が今、ここでこのようにこうしているのは、何か(誰か)にやらされているのではなくて、自身で選択を繰り返してきた(あるいは選択しないことを選択してきた)結果なのである。よかれ、あしかれ。ここでは「よかれ」ということにしておこう。なぜなら、今日は7月いっぴで、今日から、また、始まるから。私は始めることを選ぶだろう。踏み出すことを決断するだろう。足を踏み出し、そちらに進むだろう。時には不安げに背後を振り返ったりもするだろう。でも、あるポイントを越えると、もう先に進むことしか考えていないだろう。いつしか考えることもできないだろう。そのようにして、辿り着く場所は何処か? 死か? 否、死をゴールとするのは詮なきことだ。名曲喫茶4年めか? そういうことかもしれない。あるいは今生における新しいステージを求めることになるのかもしれない。自分の内に、Desire(欲望と書くのは気が引ける)みたいなものがあるうちは、あるいは、他者や動物に求められているうちや、自分なりにうまくこなせる案件があるうちは、とにかく生きていたいと心から思う。ジェリー・ガルシアなら「楽しむことだ」と言うだろう。『スプラトゥーン』(最近とても夢中になっているFPS)なら、「塗り替えなイカ?」と煽ってくるだろう。フルトヴェングラーなら、壇上から「このタクトを見ろ」とばかりに睨みつけてくるだろう。じゃあ、行こう。