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2010-06-20

『ひふみよ』(小沢健二@浜松市教育文化会館)ライブ・レポート

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6月某日

小沢健二の13年ぶりのライブ『ひふみよ』を観るために、東京から浜松に赴いた。僕自身、まさか自分が小沢健二のライブに行くことになるとは公演2日前までは思ってもいなかったのだが、僕の「飲み友」であり、かなり熱心なオザケンファンのSさん(彼女は先月、東京公演@中野サンプラザにも行っている)が浜松公演のチケットを1枚持っていて、この日も有休を取って馳せ参じるつもりだったのだが、なんともバッド・タイミングなことに彼女の上司が「突然の夏風邪」(風邪はいつだって突然だが)に襲われ、泣く泣く有休を返上しなければならなくなったため、泣く泣く僕にチケットを譲ってくれたというわけだ。

しかしSさんはチケットを無料で譲与するにあたって、僕に2つの条件を提示した。

1つは「電車代というか、新幹線の往復費用は自分で払ってね」。これはまあ、当たり前だろう。しかし、東京←→浜松の往復チケットは思っていたよりもずっと高くついてしまった――もう1つは「ライブを観たら、なるべく早く感想というかライブ・レポ書いてブログとかにアップして」。僕は小沢健二のライブに行ったことは1度もないのだが、以前から彼の音楽には触れる機会が多かったし、彼の13年ぶりのライブはいったいどんなものになるのか? というミーハー的興味も多々あったので、彼女の提案をふたつ返事で快諾したのだった。

そういうわけで、ここに『ひふみよ』に行ってきたいち小沢健二好きの個人的雑感(のようなもの)を書きます。はたしてSさんの期待に添えるようなライブレポートになるかどうか、あまり自信がないのですが……。

結論から

書き出すとしたら、ライブは「良かった」と一言で済ませられるようなものではなかった。しかし、これだけは言える。『ひふみよ』は僕が新幹線の中でぼんやり想像し、期待していた「13年ぶりの小沢健二のライブ」とはかなり違ったものだった。順を追って。

午後6時35分

場内が完全な暗闇となり、ゆったりしたビートで「流れ星ビバップ」。客席は興奮、どよめき、ほとばしる歓喜の渦。彼らの中で13年以上静止していた時間が、凍てついた氷河が溶け出すように動き始めたのだ。観客の手拍子、息づかいまでが、暗闇の中に立っていると強く伝わってくる。演奏はすぐに止まり、小沢の朗読――ニューヨーク自爆テロの日の街の様子を生々しく回想し、停電状態でも止まることのなかった「音楽」への強い思いがたどたどしく、しかし、意外なくらいはっきりした語調で語られる。再び「ビバップ」。そして「僕らが旅に出る理由」。「遠くまーで、旅すーる」で、場内の明かりが煌々と点き、さらに大きな歓声。観客たちは目の前の光景を、あたかも奇蹟でも目撃しているような眼差しで凝視している。明るいステージの上、真ん中にはたしかに小沢健二がギターを下げて立っていて、両側には十数年前とほとんど変わらないツアーメンバーの姿が見える。そして3人のスカパラホーンズによる高らかなブラス。余談だが、暗闇と明るさのギャップで眩暈を起こした人はいなかったのだろうか? 僕は直前までの暗闇で平衡感覚を失っていたのか、かなり足下がふらついてしまったのだけど。

13年ぶりの

小沢健二は――42歳の男性を表すのに適切な言い方ではないかもしれないが――すっかり大人になっていた。そこでギターを弾き、歌っていたのは「大人じゃないような、子供じゃないような」オザケンではなく、まったき大人の小沢健二(42歳)だった。かつての岡村靖幸のように、容姿や歌声が大きく変貌していたわけではない。「オザケン、全然変わってないね!」と浮き立つ人たちの声もあちらこちらで聞かれたけど、そんなことはなかった(はずだ)。同年代の男性と比較すれば相当に若く見えるかもしれないが、彼は相応に、自然に13年の歳月をまとっていたように見えた。当時とほぼ同じ髪形、痩せぎすな体形、デビュー当時を思わせる細めのジーンズにTシャツ(物販コーナーであっという間に売り切れた青いうさぎTシャツ)、しかし40代に相応しい円熟味のある表情、落ち着いた物腰、強い確信をはらんだ歌声……それらは長い時間を経て彼が獲得した「年齢」に他ならないはずだ。 

過去十数年間

小沢健二はこのライブを行うことを決意する日まで、自身の楽曲にまったく触れてこなかったのではあるまいか? そんな考えがライブが進むにつれ、何度も頭をよぎった。これまで彼の曲を聴き続けてきた熱心なリスナーたち、そして今、この場で熱唱している観客たちのほうが、今日に至るまではるかに、これらの曲を口に乗せ、自らの中で「育て上げて」きたにちがいない。

セットの中心には彼の「黄金期」(と一般に認知されている)『LIFE』の楽曲群(その後、リリースされた多くのシングルも含む)が据えられた。『LIFE』は発売当時、小沢が意気揚々と語っていたように、現在においてはジャパニーズ・ポップスにおける「スタンダーズ」と化している。小沢はそれらの曲に対して、もはや過剰なパッションを込めず、懐かしい恋人を慈しむように、柔らかい土を固い靴で静かに踏みしめていくように、丁寧に、なぞるように歌い上げていく。表情にも歌い方にも、当時の「狂騒渦中」の躁っぽい様子は露ほども見られない。ヴォーカリストとしての小沢はお世辞にも「上手い」とは言い難い。かつてのような「歓喜の勢い」にまかせた歌い方をしないことも、その技量の無さを際立たせていたように思う。しかし、歌唱の得手/不得手は彼の音楽、そしてこのライブの本質にはかすりもしなかったということは書いておきたい。ぜんたい的に、歌唱にも挙動にもソロ・デビューライブの時のような初々しさと「固さ」が感じられた。その「不器用」に限りなく近い「生真面目さ」は、かつてのウイットとユーモアと多幸感に溢れた彼の姿しか知らなかったファンにはどのように映ったのだろう? 個人的にはとても好感が持てたのだけど。

しかし、曲間に入る何度か入る「語りコーナー」(旅行者としての日本に関する洞察、等々)。正直、これは省けなかったのだろうか?と首をひねらざるをえなかった。オープニング(「流れ星ビバップ」)の闇中での語りは効果的な演出だったと思うが、途中からのMCは、生まれかけた曲のグルーヴをいちいち止めてしまっていてどうにも勿体なく思えた。しかも内容が、いかにも海外に長く居住していた中年男性が酒場のカウンターで若者に説教してるみたいで、本人はユーモア半分のつもりだったとしても、あれはちょっと(笑)。観客たちは序盤こそ戸惑っていたものの、中盤以降は「しようがないなあ、まあ、小沢くんだし」という感じで「語りコーナー」が始まる度に椅子に腰を下ろし、原稿をたどたどしく読み上げている小沢の姿をほほ笑ましく眺めていたように見えた。

セットリストに関して

私見では、『Eclectic』(個人的にもっとも好きなアルバム)からの唯一の収録曲「麝香」や、デビューアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』からの3曲(「天気読み」「ローラスケート・パーク」「天使たちのシーン」)のほうが、ほぼ全曲が演奏された『Life』曲群よりも、はるかに今の小沢健二の纏っている空気/歌唱/演奏に合っていたように思う。個人的には『LIFE』の楽曲は少し削ってでも、この2枚からの演奏をもっと増やしてほしかったが、この日のセットリストは小沢が言うところの「大衆音楽」、すなわち「聴衆と音楽を共有すること」を最優先にして選んだのだとすれば、充分に納得できるものだったと言える(今の小沢健二が歌う「カローラ2に乗って」はかなりアイロニカルに響いていたけど、あれは狙っていたのだろう)。

新曲のうちの1曲「時間軸を曲げて」はライブ中、2度目(か3度目)のハイライトだった。歌詞こそほとんど聴き取れなかったものの、「現在の小沢健二」がもっともポップ、かつリアルに表現されていた(「どんな曲?」と訊かれてもうまく説明できないのだけど)。早めに完全な形でレコーディング、リリースされるとことをせつに願う。

ライブ終盤

僕は帰りの新幹線の時間が気になってしまって、うまくライブに集中できていなかったことを認める。覚えてるのは「ある光」は最初のラインだけじゃなくて、フルで演奏してくれたらいいのにな、と思ったことくらい。毎回アドリブでやっているらしい、終演後のMCは聞けなかった。ラスト曲「愛し愛されて生きるのさ」終了後、駆け足で会場を後にせざるを得なかったので(危うく浜松のマクドナルドで一夜を過ごすところだった! くわばらくわばら)。だから浜松公演で彼が、何をどのくらい喋ったのかは不明。そんなこんなで、このとりとめのないライブ・レポートもそろそろ筆を置くことにしよう。

まとめる

ライブ『ひふみよ』は「狂騒的でも、躁病的でもない、現在の(そして13年ぶりの)小沢健二が『ライフ』期の楽曲を中心に歌う」という、ファンにとってはあまりにも「完璧な絵に似た」(「ラブリー」に新しく付け加えられた歌詞)、本当に贅沢な時間だった。公演が発表された時、13年ぶりの小沢健二が「浦島太郎的」な、経年劣化などまるで感じさせないような狂騒的なライブをやるのではないかという、期待(と不安)を抱いていたファンもいただろう。しかし、ライブが始まれば否応なしに気づかされる。(当然ながら)13年という月日は人を大きく変える。人を成長させ、ときに退行させ、そして余分な木片を削ぎ落とした彫刻の如く、物事の本質を浮き彫りにし、あるいはこんがらがったあやとりのように複雑に歪めてしまうことだってあるだろう。しかし、「人」や「音楽」。そうした存在の中には、年月によってまったく変わらない永遠不滅の「何か」がたしかに在るらしい――ライブ中、終始僕が感じていたことは、せんじつめればたったひとつ、「ここには、時間軸を越えた何ものかが存在する」ということだった。

そう遠くない未来、再び小沢健二のライブが(できればもう少し近場で)体験できることを心から祈って。

ついしん

Sさん、貴重なチケットを譲ってくれてありがとう。楽しんできました。浜松はたぶん良いところだったと思うけど、ほとんど街ブラできなかったからよくわかりません。いつか、機会があったら一緒に観光しに行きましょう。

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