Hatena::ブログ(Diary)

Think globally, act locally

2012-05-23

結婚するっていうことは

今日はこんなfacebook投稿をしました。

結婚記念日なのでした。4年目突入。
日々、地道に話し合い、地道に役割分担。
地道に褒め合い、地道に感情吐露しあい。
修羅場育児やら病気やら)のたびに
旦那さんへの信頼感が増す、そういう3年間でした。
コミュニケーションって、地道で泥臭い。記念日に花買えばいいってもんじゃない。
信頼は、グチャグチャしたなかから産まれるのだね。
3年間で、いい意味で、私も変わり、彼も変わった。
パートナーでいるということが、お互いを成長させることにつながりますように。」

後から見返すと、うーん、重いよ(笑)
結婚記念日だ!旦那さんいつもありがと!☆」
とか書いとけばいいのに、これだから困るぜ。

私は、正直、彼と結婚っていう形式をとってもいいし、
とらなくてもいいし、どちらでもよかった。
その形式をとったほうが、どうも互いの親が暖かく見守ってくれるらしいということで、
(本当に別にどっちでもよかったので)結婚という形を選んで住み始めた。

重要なのは、彼と私がパートナーであるということ。
互いにいい影響を与え合う存在であるということ。
そのための日々の努力を欠かさないことを心に決めていた。
どんなに彼に失望したって、どんなに彼に困難が訪れたって、
コミュニケーションをあきらめることをしない。
それだけは結婚当初から決意していた。

私が重要視していたのは、結婚するということではなく、
結婚式でも、ウェディングドレスの種類でも、結婚指輪の種類でもなく、
この、日々の、一日一日だから、
修羅場育児やら病気やら)のたびに旦那さんへの信頼感が増す3年間だった」
と言えたことは、理想に近く、嬉しいことだ。

重たいけれど、たぶんこれでOKと、言い聞かせる。

2012-05-21

プロジェクト立案で必要なこと―自分の面白いものをつくること、自分の違和感の感知。

5月前半は、案件2本の締切が同日で、両方ともアイディアはあるものの0からの企画立案だったため、ドタバタでした。とてもワクワクして面白く、学びの多い半月でした。
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from By Bill Van Loo

その中での一番の学び。
それは、「自分がいらないものは、他人もいらない」ということ。
自分がそのサービス、商品をほしいと思わなければ、他の人だってそんなものは買わないし、利用しない。

この言葉を師匠からもらった時、AKB48の生みの親である秋元康史さんの過去記事を思い出しました。「日本のコンテンツはなぜ海外で勝てないか――AKB48生みの親、秋元康氏が語る」BLOGOS引用

自分も面白いと思わない限り、ターゲットが誰であれ、面白いものにはならない。
コンテンツが当たる時はドミノ倒しのように広まる。
まず自分が倒れないと他には誰も倒れない。
それまでの僕は「みんなこういうの好きでしょ」って立ちっ放しで作っていました。
でも自分も倒れるくらい面白くなければだめだったんです。
周りを見ながら作るのではなく、自分が良いと思うものを作る。


「みんなこういうの好きでしょ」スタンスから出てきたサービスなんて、誰もほしくない。
これにはものすごく納得です。

そしてその前提の元、重要になってくるのは、「自分の日々の違和感・困りごとを察知できるかどうか」。
毎日、私は自分の人生の時間を使って色々なことをしているなかで、「あ、これめんどうくさいな」という困りごとや、「ん?なんだか変だな」という違和感にいつも接している。そこに「自分のニーズ」があり、ひいては「顧客ニーズ」があり、企画の種があります。
私は、その困りごとや違和感をスルーして「まあ、いいか面倒くさくても。こういうもんか」と許容してしまうタイプ。自分のニーズに鈍感なら、顧客ニーズにも鈍感になる。0からの企画立案も、結局「みんなこういうの好きでしょ」スタンスから作ってしまいます。

自分が倒れるくらい面白いものをつくるには、自分の日々の生活にヒントがある。
違和感を逃さない。無視しない。簡単に許容しない。
地道な訓練をスタートしなければと決意を新たにしています。

2012-04-21

0円でやるわたしの英語の勉強方法(120421時点)

あーだこーだと英語のモチベーションと目標設定について書いておきながら、
私の英語の勉強方法(4年ぶり)はシンプルです。


http://www.flickr.com/photos/jurvetson/3251451369/:title=f:id:localglobal:20120421220405j:image]



NHKラジオ英会話
ブランクありまくりのため英語を思い出すためにやっている。
挫折しないように低めレベル(高校生〜大学生英語レベルかな)にしている。
テキストは市販しているけれど、音だけで十分。ラジオの時間に合わせるのは難しいが、リンク先に先週分の音源がすべて聞けるストリーミングがあるので0円でOK。
4月〜7月の3か月間継続予定。8月以降は「実践ビジネス英語」に移行予定。
とにかく声に出してシャドーイングしており、その日のダイアローグは丸暗記のイキオイでリピートしまくっている。ディクテーションはリズムをつかめてきてから。

TED Talks
wikipediaより
TED(てど、英: Technology Entertainment Design)とは、アメリカカリフォルニア州モントレーで年一回、講演会を主催しているグループのこと。
TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう。講演会1984年に極々身内のサロン的集まりとして始まったが、2006年から講演会の内容をインターネット上で無料で動画配信するようになり、それを契機にその名が広く知られるようになった。

ですよ。
気になる分野で、かつ日本語訳がついているプレゼンテーションをリストアップしておいて、1週間に1度聞きます。挫折しないように一旦日本語字幕見ながら内容を全部理解して、それから英語を聞くという順番にしています。
もう少しなれたら字幕なしチャレンジをしたいが、今は挫折しないことを第一に考えています。


リーディング力」のアップのためには、まず聞いて→話して、話して→聞くの繰り返しからかなと思っているため、まだ英語の本を読むなどはしていません

英語の学びなおしにあたってのモチベーション設定

http://www.flickr.com/photos/jeansman/484818364/:title=f:id:localglobal:20120421220817j:image]


一時は中・高・大学生相手に英語を教えていたこともあった私も、この4年海外に出向かないでいたら、すっかり英語脳が消え去ってしまった。
そして最も重要な、「モチベーション」と「目標」が消え失せていた。

正直、自分がこの先10年ずっと日本にいるなんてまったく想像できないし、いわんや娘が20歳を迎えるまでに海外のどこにもいかないなんて到底あり得ないことだ。日本を否定しているのではない、今後の自分の人生を考えて、「日本国内でだけしか生きられないこと」はリスクだし、「日本語でだけしかコミュニケーションできない」ことはリスクと考えているのだ。

一方で、じゃあ他の外国語コミュニケーションができるようになろうと決めたとき、果たしてそれは「英語」なのだろうか?中国語スペイン語
っていうかどの程度のレベルなら「コミュニケーションできた」とするの?ネイティブレベル?ビジネスで会話するの?文章が書ければいいの?論文が読めたらいいの?単に日常会話ができたらいいの?
はて、何を目指したらいいの?

ここで思考停止。「あーもういっか、仕事しよ(日本語で)」

(もちろん「とりあえず闇雲に英語を勉強する」ということも可能だが、続かないことが目に見えているし、私の貴重な人生の時間を割いてまで・娘との大切な時間を狭めてまで「とりあえず」でやるものに時間を割きたくないのだ。)

こんな感じで4年たった今。
最近、どうも変わってきたことがある。

1)海外の旅行客と話すことが増えた。
京都に移住して以来、海外から来た旅行客と話すことが増えた。単に道を聞かれるものもあれば、電車の中で話し込んだり、カフェで原発について話し合ったりした。とにかく言いたいことが伝わらないし、何言ってるのかさっぱりわからない。
(結局、「マグロ」という英語が出てこなくて、a big fish that...みたいに一語一語懸命に説明すれば大体伝わるし、can you tell me again?とかin where?とかを駆使して何度も聞き直せば、ゆっくり話してくれるから理解できる。しかし、もっと先に議論を進めたいのに、いちいちそれでつっかえてしまうのが気に食わない。)

2)英語のレポート・論文プレスリリースを読まなきゃならん機会が増えた。
仕事で依頼されるリサーチに、「アメリカ人の購買行動に関するデータ」のような「英語で書かれているレポートの読破必須」のものが増えた。
「英語の文章を読むのにもっと慣れていたら、このリサーチあと1時間早く終わった・・orz」的な感想を最後に抱く。1時間だ。子ども保育園に預けている母的には貴重な時間だ。もちろんリサーチに不備はないレベルに読み込みはできるけれど、この1時間が惜しい。見逃しているリンク先もあるかもしれないと思うとさらに惜しい。

ということで、
やはり言語は「英語」で、レベルは「ある一定のトピックを議論しあえるスピーキング力・リスニング力」「ビジネスレポート、簡易的論文の内容を理解できるリーディング力」であると考えた。目的は日本人以外からのコアな意見・レポートや研究結果を聞き出し(読み込み、)自身の糧にするため。あと時間短縮のため。

英語の勉強でもモチベーションの置き方と目標設定は大事よね、というお話。

2012-03-20

お産のこと

新しい環境に来て、夜中延々と泣き続けるムスメを抱えながら、iPhoneを取り出し、出産時のことを思い出して書き留める。ものすごい体験だったけど、文字に起こすことをしていなかったと気づいた。

以下、書き留めたものを起こします
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出産の日。
生理痛のような痛みからはじまる。痛いなーと思うと、スーと気持ちよく痛みが引く、の繰り返し。朝、陣痛感覚が3分おきになり助産院へ。(普通の病院は陣痛間隔10分くらいで入院です。私がお世話になった丸山助産院は、「3分おきにならない限り助産院に来るな!」と妊婦に言い聞かせるスパルタ助産院だった。)助産院に到着しても、やっぱり、グーンと痛くなったかと思うと、スーッと気持ちよくひいて思わず寝ちゃうの繰り返し。

出産前に旦那さんには2つのことを言い聞かせた。仙骨マッサージをやってほしいこと、そして、出産時私がどんなに暴言吐いても傷つかないこと(笑)。この2つの言い聞かせを旦那さんは忠実に守りました。結局その旦那さんが行う仙骨マッサージが気持ち悪くなり、「もう、やめてえ!」と旦那さんの手を振り払ったのが一番の暴言で、よく聞く「孕ませやがって」的な暴言はなかった。

痛みに集中して、痛みと共にあるのが一番いい感じでお産が進む。逆に、「もう無理、逃げたい」というスタンスになると、お産が進まない。陣痛は紛らわさず一本集中。マラソンと一緒。「いたいー!」とか「もう無理無理無理!」とか、赤ちゃん聞いてますから。根拠ないけどそんな叫んだらびびっちゃって出てこないんじゃないかと思う。

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つづく。

2012-03-10

3.11から1年、去年を思い返す。

当日の日記より


地震があった。
いままで体験したことない大きな揺れだった。家族は仕事。助産院から退院したばかりのわたしとさえさん2人で、実家の和室に並んで寝ていたところだった。

寝ていたので、カタカタ…と揺れ出した時から地震に気付いた。さえさんをかばうように四つん這いになって様子をみた。とたんガタガタっときたので、とっさにさえさんを抱き上げリビングに行ったら、ぐわんぐわんと揺れ出した。「えっ、えっ、ええ?!」と声を上げていた。物が落ち、照明は壁にぶつかりながらドカンドカンと音を立てる。視界に食器棚が入ってきて、中で食器が動いているのがわかる。食器棚の上のトレイが落ちて、ガッシャーンと音を立てた。奥でオーブンレンジがドカンと落ちた。TVもこちらに迫ってきた。さえさんにすがるように、必死で抱き抱えた。すやすやと寝ている。

揺れは長かった。
長いように感じただけかもしれない。
しばらく揺れは収まらなかったが、すこししておさまったので、TVをつけた。

あぜんとした。
仙台の町が、ヘドロのようなもので埋め尽くされて行くようすだった。ヘドロのようなものはどんどん町を侵食していった。
少したって、ヘドロは津波だと知った。
どうやら仙台のあたりでかなり大きな地震があったらしいということがわかった。情報は錯綜しており、どうなっているのかわからない。一旦外に出ようと、荷物をまとめ、コートを着た。さえさんをぐるぐる巻きにして外に出た。寒い。何人か外に出ていた。
あまり揺れがないし、寒いのでまた部屋に戻ると、電話が鳴っていた。母かと思いとると、親戚だった。ほっとして、思わず涙が出てきてしまった。親戚のひとは受話器を話さないように言ったけど、また大きな揺れが来て、電話代の近くは危険だったのでいったん切った。

はっと、Twitterの存在に気付く。自分の無事を呟き、旦那さんのツイートを待った。揺れは同じくらいのはず、だけど、万が一物が当たってケガしてたらどうしよう。無事だろうか。電話はつながらないだろう。不安が押し寄せるなか、1時間ほどたって旦那さんからツイート、無事だった。

5時になり、母が帰ってきてくれた。思っていたより早かった。私たちが心配で、はやめに帰ってきたのだと言う。張り詰めていたものがほうっと解き放たれて、ようやく冷静さを取り戻した。それまで、ずーっとさえさんは寝ていた。スヤスヤ、気持ち良さそうだった。
何度も何度も、大きな余震が続いた。こんな不安な気持ちになったのは初めてだった。いまだ情報は錯綜していて、脳裏には仙台の街を飲み込んだ津波が消えずにいた。