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バッタもん日記

2012-08-19

科学は疑似科学に勝てません

私は大学時代は至って不真面目な学生だったので、ろくに勉強しませんでした。研究室に所属して、専門分野のみに集中するようになってからの勉強量(読んだ論文の数)には自信がありますが、基礎的な勉強をかなり疎かにしたので、色々と無知を晒しております。当然ながら科学哲学などまるで勉強しておりません。普段は「素人が専門家のやることにケチを付けるな。まず勉強しろ」などと言っている割には自分には甘いので、科学について駄文を書きます。

私の科学(自然科学)に対する捉え方は次の通りです。

「科学はこの世界(自然現象)を説明するための手段(哲学)である。当然、唯一絶対ではないし、万能でもない。しかし、今のところ科学を上回る手段は存在しないので、科学を信用する」

この考え方は特におかしなものではないと思います。


昨年の東日本大震災以降、疑似科学が大きな影響力を持つようになっています。
疑似科学」の定義は難しいのですが、ここでは「インチキ科学」ぐらいの意味でお考え下さい。

面白いことに、疑似科学の提唱者はほぼ例外なく「万能」を売り文句にします。
例えば、EMは土壌に撒けば肥料になり農薬や重金属や放射性物質を無害化する。水中に撒けば水質を浄化する。飲めばどんな病気も治る。余談ですが、EMの万能性を巡って呆れたトラブルがあったようです。
同様に、マクロビオティックを実践して玄米を食べれば、どんな病気も治る。
また、優しい言葉を掛ければ水の結晶が美しくなるから、みんな健康になり、世界は平和になる。
等々

科学の専門家、科学を商売としている人間は、科学の領分や限界をよく知っておりますので、「万能」という言葉には慎重になります。自然界はあまりに複雑なので、「万能」ということが果たして可能なのかよく考える必要があるからです。これだけ医学薬学が発展しても「万能薬」が未だに存在しないことからも明らかです。

この「万能」という概念から何が言えるのでしょうか。私の解釈はこうです。

疑似科学は人間の願望を満たすために産み出された安直な手段である」

科学は本来この世界を理解する手段であり、人間の夢を叶えることを第一の目的とはしておりません(大きな原動力となっているのは事実ですが)。ところが、疑似科学提唱者・信奉者は、科学を「人間の夢を叶えるお手軽で便利な魔法」と捉えているようです。魔法だから万能なのは当然です。
だからこそ、疑似科学は人間の心をひきつけてやまないのです。対して努力もせずに、時間も金も掛けずに夢を叶えてくれるのですから、支持されるのは当然です。

また、科学は根本的に人間の気持ちを考慮しませんので、どうしても「冷たく」見えてしまうことが避けられません。何より大事なのは「正しいかどうか」です。「当事者がどう思うか」ではありません。人間の感情と自然現象は全く無関係ですから。個人の「思い」で物理法則は変わりません。
一方の疑似科学は、人間の夢を叶えることのみを目的としていますので、非常に「優しく」見えます。何より大事なのは「当事者がどう思うか」です。個人の「思い」で物理法則は変わるようです。

福島原発の事故の影響に怯える人にとって、「腐った米のとぎ汁が放射線を消す」と教えてくれる人は、まるで救世主のように思えることでしょう。それに対して、「根拠がない」と口出しする人はまるで外道のように思えることでしょう(個人的経験あり)。

科学は冷たく、疑似科学は優しいのです。これでは、科学は疑似科学に対して全く勝ち目がありません。

「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」という疑似科学揶揄した歌がありますが、その中にこのような歌詞があります。

「救いを求める一般市民に科学はなにもしてくれない」

これに尽きます。

先日とある弁護士の科学に対する無知・無理解を批判しましたが、知的階層である弁護士でもこれですから、状況は極めて厳しいと言わざるを得ません。誰か何とかして下さい。


続きと補足

arerugenarerugen 2012/08/20 15:10 こんにちは。とある高飛車弁護士の記事でコメントさせていただいたものです。
自分はアトピーを食事改善で克服した経験があるので、農業や農薬に関して関心があり、locust0138さまの記事を楽しく拝見し学ばせてもらっています。

さて、科学と疑似科学の違いですが、科学は政治的で、疑似科学は宗教的という違いがあるように思います。
科学は、世界が相対的であるという前提に立った上で、様々な学説が対立し、それぞれの理論の美しさや利便性、実証性などを争います。
討論した上でより多くの人々を納得させた学説が勝利し真となります。
一方、疑似科学は世界に絶対性を求めます。原発に絶対安全を求め、食材に絶対安全を求めます。
そして絶対神からの啓示のごとく、真を知った者が無知な人々をこんこんと説得するという態度をとります。議論ではなく説教をします。

ただ、科学が今のように相対性を前提に据えたのはわりと最近のことで、
近代科学の祖とされるデカルトも絶対明証性を追い求めた結果、「考えている自我」を発見し、そこから絶対公理系を構築しようともがきました。
アインシュタインも量子論における確率解釈を批判し「神はサイコロをふらない」といっていましたし、
数学の世界でもゲーデルの不完全性定理が出てくるまで、完全な自然数論の公理系を立証しようと必死になっていました。

人間が絶対性の誘惑から解き放たれてからまだ日が浅いので、科学の厳しさが人口に膾炙されるにはまだ時間が必要なんだと思います。
いや科学者ですら、自分の理論が受け入れられない日々が続くと、学会政治に疲れ果て、容易に疑似科学の魔の手に絡みとられていることがしばしばのような気がします。
帯を締め直すべきは一般市民ではなくむしろ科学者の方かもしれません。

だらだらとした駄文ですみません。以上です。

そうそう 2012/08/20 19:03 勝ち負けじゃなくて、おおやけの場で発言権を持たせなければそれでいいのでしょ。
どうせおバカさんは、おバカさんなのれす。
むしろ勝手に怪しい代替医療にはまって死んでくれれば、
長い目で見れば信者淘汰が怒ってバカが地球上から消えてくれるのでわ。わお。

そう考えるとむしろ怪しい代替医療は知的能力の選別用リトマス試験紙として、もっと普及させた方がいいかもです。
300年ぐらいすれば、地球はバカがすっかりいない暮らし良い世界になってるかもしれませぬ(笑)

locust0138locust0138 2012/08/20 20:23 そう様

疑似科学の提唱者も信奉者もバカなのは間違いありませんが、バカを排斥したところで問題は何も解決しません。我々もいつ何時バカになるかわかりません。疑似科学を信じるか信じないかの差は紙一重です。

あと、人類が誕生して数十万年経っていますが、バカは絶滅していません。バカは不滅です。

locust0138locust0138 2012/08/20 20:46 arerugen様

先日はコメントをありがとうございました。

ご指摘の通り、疑似科学は宗教性を帯びると思います。
○カリスマ気取りの指導者がいること
○絶対性・無謬性が強調されること
○独善で排他的な主張が行われること
○盲目的な崇拝が要求され、疑問や批判が許されないこと
○論理性や整合性より善意が重視されること
など。

「疑似科学退治」は誰の仕事かと考えると、答えが出せません。科学者かジャーナリストか政治家か文部官僚か。科学コミュニケーターやSTS研究者の体たらくを見ていると、暗然たる気持ちになります。

本来は科学者の役目なのでしょうが、科学者は高度な専門家集団なので、素人との対話が苦手です。前提とする知識のレベルが違い過ぎて、会話が成立しません。そもそも業績(論文)になりませんし。よって、この問題については科学者に過度な期待は難しいと思います。
しかし、この状況では、科学者が自分の専門のみに専念することを許すべきではなく、社会貢献を要求すべきかとも思います。
何より、疑似科学が蔓延すると、一番不快な思いをするのは自らの領域を侵される科学者のはずです。そろそろ科学者にも本格的に動いて欲しいところです。

影響力の大きさの点から、さしあたってはマスメディアに期待するしかありませんが、マスメディアの科学音痴ぶりは半端ではありません。

私は農学部という文系と理系が入り乱れる場所で学問を修めたので、両者の対立を煽るのは嫌いです。しかし、やはり理系軽視、科学軽視の付けは大きいと思わざるを得ません。

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