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ジョン・ル・カレ「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ (ハヤカワ文庫NV)

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ (ハヤカワ文庫NV)

 何とも緻密で、何とも繊細なスパイ小説です。そして、人間の深層心理を深くえぐるようなル・カレの洞察力に、思わずため息が出てしまいます。

 イギリスの諜報組織「サーカス」の工作員だったジョージ・スマイリーは、「サーカス」内部の内紛によって職を追われていたが、「サーカス」の内部に<もぐら>(=二重スパイ)がいるとの情報がもたらされたことから、<もぐら>の捜索に当たる。

 スマイリーは、かつてのボスであるコントロールももに「サーカス」から追い出された人たちから証言を得つつ、様々な事件をつなぎ合わせていく。コントロールがその失敗の責めを負ったチェコでの作戦<テスティファイ作戦>、ソ連の情報源とされる<マーリン>からもたらされる<ウィッチクラフト>と呼ばれる情報、スマイリーは、これらの要素を見事につなぎ合わせていくことによって、<もぐら>の正体を突き止めていく。

 実は、当時「サーカス」のチーフを務めていたコントロールは、「サーカス」内部に<もぐら>が存在することを突き止めつつあった。それを恐れた<もぐら>らは、コントロールに罠をしかける。そして、コントロールは、チェコの将軍から<もぐら>の情報がもたらされるという罠の作戦に乗っかってしまう。その作戦の際、<もぐら>の情報をコントロールに内々に伝えるために候補たちに付けられた暗号ネームが、本のタイトルにもなっている<ティンカー>(=鋳掛けや)、<テイラー>(=洋服屋)、<ソルジャー>(=兵隊)等々だった。コントロールの命でチェコに派遣されたジム・プリドーは、敵の罠の中で、銃撃による大けがを負い、学校の臨時教師として身を隠すことになる。コントロールは失脚し、死亡する。

 コントロールの追求を恐れた<もぐら>らは、さらに、ソ連の情報源<マーリン>を仕立て上げ、ソ連に関する時宜に適った情報<ウィッチクラフト>を次々と入手する。コントロールは、<ウィッチクラフト>から遮断され、「サーカス」の権力は、パーシイ・アレリンとビル・ヘイドンのグループが握ることになる。

 こうして<もぐら>の正体を突き止めようとしたコントロールらは「サーカス」からパージされた。ところが、そんな中で、東南アジア担当の工作員リッキー・ターが、<もぐら>の存在に関する重要な証拠をもたらした。香港において活動していたソ連の諜報員の女イヴロフがターに残した日記の中に、<もぐら>についての詳細な記述があり、それが「サーカス」の監視役であるレイコンにもたらされたことから、「サーカス」の元工作員のスマイリーが急遽呼び戻されたのだった。


 この小説の醍醐味は、スパイという一見冷静沈着な人々が、その深層において様々な人間性と葛藤している様子を鮮やかに描いている点です。主人公のスマイリーは、常に落ち着いた態度で相手を追いつめるのですが、その唯一ともいえる弱点が、妻アンに関することでした。最後、スマイリーに尋問されている<もぐら>がスマイリーに対して次のように言います。

「しかし、きみには一つの弱点がある―アンだ。迷いのない男の唯一の迷いだ。」(p565)

 この物語では、スマイリーの冷静な思考がたびたび妻アンの浮気の件で乱されます。特筆すべきは、かつてスマイリーが捕らわれの身のソ連の大物スパイのカーラを尋問した際、アンがくれた<ジョージへ、アンより愛をこめて>と書かれたライターをカーラに渡したという部分です。ソ連に捕らえられたジム・ブリドーがカーラからそのライターを見せられたという話を聞いたスマイリーは、冷静さをやや失って「彼はなんといったのだ」とジムを詰問する場面がありますが、自らの私的な部分を晒したこのライターをカーラが持っているという事実は、スマイリーの思考に少なからぬ影響を与えているように見受けられます。

 また、<もぐら>の存在の決定的な情報をもたらしたリッキー・ターも、偽のパスポートを自分の子供とその母親のために使用したという事実を、スマイリーらに対して頑なに隠そうとします。

 さらに、ジム・ブリドーとビル・ヘイドンとの関係が、並々ならぬものであったことが匂わされている点も、大変意味深です。ジムはビルの紹介によって「サーカス」に採用されており、しかも、ジムは<テスティファイ作戦>のためにチェコに赴く前にわざわざビルに挨拶に行っている・・・。2人の間は、男同士の友情を超えた次元の結びつきによってつながっていたというわけです。

 この小説を1回読んだだけでは、おそらく物語の細部の描写に隠された意図が理解できていないような気がします。読み終わってからパラパラと思い出しながらページをめくっていると、その都度新たな発見があったりするので、私もおそらくこの小説の醍醐味の半分も味わっていないのではないかという気がします。

 決してスラスラと読めるタイプの作品ではないにもかかわらず、読み終わってみると再びじっくり読んでみたくなるような素晴らしい小説です。