光抱く友よ  高樹のぶ子

 特に感興を覚えず。風景描写の方法を学ぶ。植物の名前を覚える。不良少女を持ってくる。するとたちまち「小説」が出来上がる。それだけのこととしか思えない。荒川洋治の解説に「性の対立項をそぎおとして、全き友人として向き合うとき、ひとは無心にも純粋にもなれる」とある。ステイ・フレンズ。それはそれでよい。「性」を文学のテーマにしなければならない義理があらゆる作家にあるわけではない。この作家自身は自足しているし、その美貌と人柄のよさで、十分幸福に生きていくこともできるだろうから。

第90回 
1983年後期
個人的評価★

カイ  高樹さんは、モラリスティックを小説を書くときの支柱としている。珍しい作家である(丹羽文雄) 
ヤリ  非行にそまって行く女子高校生を描いていますが、彼女らは、悪事をはたらくグループに属しても裏をかえせば、性格は純白なので、おそらく事実をそのままに扱いながらつくりものの印象をあたえるのはこのためでしょう(中村光夫)

 美形の閨秀作家が「チョイ悪」小説を書いて、男性審査員の心を焦がす、というのは良く見かける風景のような気がして、女性受賞作家(とその容貌)について調べてみた。第147回の鹿島田真希に至るまでの受賞作家152人中、女性は39人。ようやっと25.7%である。女性が受賞すると概ね華やかであり騒がれもするので、もう少し女性比率が高いような印象を持つが、やはりこんなところだろう。他の職業分野に比してはまだ高い部類に入っていると思うが。蛇足ながらこの女性作家中、樋口一葉与謝野晶子に及ばずながら遠からじという佳人作家は7人。どこの誰とは差しさわりがあるので言えない。その肖像を確認できない作家が3人いたので、7/36で19.4%。この率そのものの軒輊については良くわからないが、5人に1人美人がいるというのは十分いい比率はないか。しかしこの比率を上げているのは80年代後半から現在にいたる時期の受賞作家であることを鑑みれば、それは人が作家になろうとする動機自体の変化を表わしているように思う。マーケットのヴィジュアル化ということもあるが、何よりもはや作家は外部というものから疎外され、ひたすら内面に沈潜する、そのような人の赴く職業ではなくなっているかのようだ。