真昼の用心棒

 「真昼の用心棒」は私が見たマカロニ・ウェスタンの中で一番好きな映画だった。私が見たと言ってもこのフランコ・ネロのものが二本、ジュリアーノ・ジェンマのものが二本。それにクリント・イーストウッドがやはり二本か三本か。このジャンルの映画のタイトルは似たり寄ったりで、しかも内容を表しているわけではないので、今でもタイトルと内容がうまく結びつかない。近作「ジャンゴ 繋がれざるもの」や日本の「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」でオマージュがささげられた、フランコ・ネロの映画は「続・荒野の用心棒」だが、その正編 ( ? )「荒野の用心棒」はイーストウッドの別のシリーズなのでややこしい。この「真昼の用心棒」も別段用心棒が出てくるわけではなく、ただ黒澤明の「用心棒」と、ゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」をくっつけただけと思われる。何でも配給会社間で「用心棒」とか「ガンマン」とか「無頼」「一匹狼」などのタイトルを分け合ったそうである。有名な「ジャンゴ 皆殺しの唄」が歌われるその映画も見ているが、私は「真昼の用心棒」の方の主題歌が好きだった。短い歌詞で、それが反復されるだけの歌だが、そのパセティックな歌声に魅せられた。ところが英語のその歌詞の冒頭のところが何度聞いても分からない。どう聞いてもパロル・ゴールドとしか聞こえないので、 parole gold ? 仮釈放の金 ? 保釈金のことか ? しかし別に牢獄に入るわけでもなし。
 しかし、今は何でもネットで知ることが出来る。歌のタイトルは「A Man Alone (come back home someday)」、歌手はセルジオ・エンドリコ、そして問題の歌詞は a pot of gold つまり金の壷である。これもネットで調べると、「(虹のふもとにあると伝えられる)黄金のつぼ、幻の宝物」とある。なるほど、この壷を探しに故郷を去って旅に出た男が、やがてそんなものはないことに気づいて帰郷するという、そういう物語だ。そう言えば、未読だが、ホフマンスタールに「黄金の壷」という小説があった。この映画ではすこし変型されていて、帰郷とともに故郷という黄金の壷が実は存在しなかったことに気づく、という形になっている。
 このパセティックな主題歌と、あらゆるハードボイルド小説の原型、探し求めていたものがこの世では見つけられなかった、という物語の原型の魅力により、この映画に特に魅せられていた(もちろんフランコ・ネロの精悍な美貌と、それに共演者ジョージ・ヒルトンの魅力的なヒップラインも)わけだが、この魅力も今では「繋がれざるもの」に、特別出演として出ていた、老いたフランコ・ネロ(72歳)の如く色褪せてしまった。

1966年 イタリア ルチオ・フルチ