『20世紀写真史』_Posted at 21:40

大学で受講した
写真関係の講義の影響で
このところ
写真について
思いを巡らせる機会が増えている。

現在
写真は
すぐに誰でも撮る事が出来て
プロとアマチュアの境目が
最も曖昧なアートである。
また
「写真のうまさ」
「よい写真」の定義は中々説明できない。
加えて写真は映像とともに
写(映)されているイメージ(像)は
もっともらしさに満ちていても、
実像か虚像、
どちらかなのかまでは担保してくれない。

よって
写真は
目の前に見えているのに
捉えどころのないものに見える。



本書で取り上げていた
20世紀の写真を巡る論争は
写真が真実を写す
万能なメディアでなくなった
共通意識が浸透した前提下で、
それでも
「写真とは何か?」と問うことであった。
ふとしたきっかけで浮き上がった心象。
それを
言語ではなく
目の前に「見えている」
心象世界を使って
Representationする。
写真が写真たる肝は
どうもpresentationではなく
Reにあるようだ。
提示ではなく
あくまで「再」提示。
だから
必ずしも
写真が真実を写さなくても良いと
私は考える。
なぜならば、
「『主観』と『記憶』と『感覚』の混淆」(p170)
に刺激され、
カメラマンが
現実世界へ主体的にアクセスし
借「景」と見立てを行い
仮想的心象世界を
部分的現実世界へ仮託し提示する。
カメラマンのフィルターを通して
世界を見直す、
これが写真ではないかと
この本を読んで
私はそう解釈したからだ。


筆者は
写真の示しているテーマ性と
カメラマンのまなざしを感じる。
それだけでなく
写真をきっかけに
世界から
我々人間がどう写って観えるのかを感じる
重要性を繰り返し説いていた。

共感。