『できそこない博物館』_Posted at 22:14  

「(作品のために
構想のメモを取ることは)
欠かせない執筆儀式の一部なのかもしれない。
なにかいい案はないかと
机にむかって考えている時、
この文字を書く。
すると、
潤滑油のような作用をおこし、
進展がみられる。」
(p244)

本書は
没になって
世に出ることがなかった
構想メモを惜しげもなく披露し
自虐気味に解説するエッセイである。

人気作家のアイデアを世に晒すのは
手品師でいうネタバラシと同じで、
よほど懐が深くないとできまい。
いかに新鮮なネタを
供給する準備ができるかどうか
それ自体が作家の死活問題なのだから。


多くのネタに登場する
「タイムマシン」「薬」「宇宙人」などの
新しい何かを
物語の舞台に据えているのを見つけるにつけ
(決して古いという意味ではなくて)
昭和の匂いをぷんぷん感じる。
物語が発表されていた頃、
人々は
もっともっと先の未来を
目指していたではないかと推測される。
星氏のSFを読んだことがないので、
煮え切らない表現しかできないのが
なんとも歯がゆいが。


「(星自身が気に入っているアイディアは)
未来のひとつの不安への
問題提起である」
(p153)
「そもそも(SFとは)
フィクションなのだ。
筆力さえあれば、
そして未来を舞台にすれば、
いちおうは読めるものになるかもしれない。」
(p188)
「科学は休むことなく進み続つづけているから、
いずれはそんな装置を作り上げかねない。
どうなるか。
そういうSFを書いてみたいのだ。」
(p247)

働けば働くほど
新しい何かを手に入れられた
豊かな物質主義的世界(昭和)とは違って、
今は
慎ましい生活を営むのに困らないものは
すでに現前している(すでに出尽くしている)
にも拘わらず
如何ように
足掻いてももがいても手に入らない。
よって多くの人にとっての
悩みの種は未来にあるのではない。
今が不安なのだ。
見つめるべきは未来ではなく
近未来でもなく今。


ロボット三原則は、
古きよき時代のSFの象徴なのだろう。」
(p245)
と「古きよき時代」の
SFの大家が指摘しているのは
何だか複雑だ。

できそこない博物館 (新潮文庫)

できそこない博物館 (新潮文庫)