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野球本特集 其の三 一高野球部 虎の子の2冊〜 中馬庚と守山恒太郎

だいぶ間が空いてしまいましたが、前回は中馬庚『増補野球』を通じて明治30年代の野球用品について紹介しました。
明治期の日本野球で燦然と輝く一高黄金時代ですが、前回紹介した野球の著者・中馬庚も増補版に加筆した青井鉞男もまた一高野球部黄金時代の一員でした。特に青井は明治29年5月23日に行われた、一高と横浜アマチュアクラブと日本で初めての国際試合に登板し29対4で大勝。
初の国際試合を一高が制した時の投手こそ青井鉞男だったのです。



さてこの2人と同じく一高野球に欠かすことができない人物であるのが守山恒太郎。



「上野の杜に カラスが鳴かぬ日はあれど 守山の姿を運動場に見ざる日無し」



と一高校友会雑誌に書かれるほど、守山の猛練習は有名でした。



いや、もはやスポ根アニメも真っ青な程の練習だったようです。

なにせコントロール習得の為に、毎日練習後に宿舎のレンガの塀に300球を投げ込み、レンガに五寸ほどの穴をあけてしまったのです。
また投球過多で腕が伸びなくなると桜の木にぶら下がり、それを治そうとしたりとその猛練習の逸話はきりがありません。


ちなみに猛特訓の末に穴があいたこのレンガを一高は保存していたようですが、現在はどのようになっているかは不明。


この守山を始めとした一高野球部の猛特訓は、明治野球史に残る『一高野球部第二期黄金時代』を築き上げていくのでした。



その守山恒太郎が明治36年に発行した『野球之友』は、中馬庚『野球』と同じく当時の一高野球部を知るうえでは非常に重要な資料といえます。



特に技術論だけでなく、精神論が多く書かれた『野球之友』はその時期の一高野球部がいかに精神論を大事にしていたかが伝わってくる一冊といえます。


この一高野球部第二期黄金時代誕生には、明治34年5月に行われた横浜アマチュアクラブ(横浜外国人クラブ)に敗れたことが影響しています。
そして守山とともに猛特訓をして黄金時代を築いた一高は翌年に4対0で勝利し、守山も見事に完封勝利をおさめ明治野球史に残る試合となりました。



その後、守山は東京帝国大学医学部に進学し卒業、しかし伝染病研究所で研究中に腸チフスに感染し明治45年2月11日に31歳の若さで亡くなりました。



『野球之友』は守山が東京帝国大学医学部に在籍中に書き記したもので、一高野球部の第一期黄金時代を築いた中馬庚と青井鉞男が記した『野球』、そして第二期黄金時代の守山恒太郎が記した『野球之友』。



この2冊こそ明治時代に一時代を築いた一高野球部の伝統を後世に伝える【一高・虎の子】といえます。

明治・大正・昭和・平成と時代と共にたくさんの野球技術書が出版されてきましたが、【武士道】と【野球】が融合している技術書はやはりこの2冊が突出しているといえます。
そういった意味でも、日本人ならぜひ一度読んでいただきたい2冊です。




≪野球本特集≫
•2014-02-09 野球本特集 其の二 明治時代の野球用品の価格は?
http://d.hatena.ne.jp/losgitanos/20140209
•2014-02-08 野球本特集 其の一 野球本ことはじめ
http://d.hatena.ne.jp/losgitanos/20140208