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2014-06-25

やめた学生が復帰。これ予測してたのっておれだけってどういうこと? KANAHARA Passive Language Theory による世界解釈について。

11:31 | やめた学生が復帰。これ予測してたのっておれだけってどういうこと? KANAHARA Passive Language Theory による世界解釈について。を含むブックマーク やめた学生が復帰。これ予測してたのっておれだけってどういうこと? KANAHARA Passive Language Theory による世界解釈について。のブックマークコメント

私は言葉をその言葉自体をもとに解釈することはありません。

言葉はあくまで環境を構築する材料のひとつに過ぎない。情報送信の手段のひとつに過ぎない(ものを渡す、等の行動で示される技術もコミュニケーションのひとつです)。そして言葉と行動とが乖離する瞬間も多い。

私は事実世界と言語平面との間に湾曲がある(平行ではない)と判断している。その曲率は、

(ある行動を行うことが期待されているとして)

1)「めんどくせー! 絶対やんねーよ」→やる:楕円(曲率は正の値)

2)「わかりました。やります」→やる:放物線(曲率はゼロ)

3)「わかりました。やります」→全然やらない:双曲線(曲率は負の値)

としてカウントされる。

最初にあげた楕円環境では、言葉は「冗談」「皮肉」として存在する。次にあげた放物線環境では、言葉は「言行一致」「言質」として存在する。最後にあげた双曲線環境では、言葉は「言い逃れ」「当座のごまかし」として存在する。それらはそれぞれ言葉として意味を持つものです(放物線環境で示される言葉のみが意味を持つものではない。言葉は環境とのすり合わせによりはじめて意味が付与される)。まあこの点はネットが普及する以前の環境ではごく当然の事情として存在していたもののわけです。

こちらで示したとある環境において。2日前に退学届けを提出した学生が復帰を希望しているそうです。

私はどうせ戻ってくるものと思っていた。そんなの、みてればわかるのだ。たとえ本人が、大学が、指導教官が、それらの言葉を本気にとらえ、その通りと解釈していたとしても、そうではないことは私には見えてしまっている。「環境」をみればわかってしまう。言葉が世界を構築するのは世界のせいぜい10パーセントでしかないことはわかってしまう(報道事業や教育に直接関わっている人々でなければ、一日のうち言葉を使わない時間が相当程度あることに気づくはずだ。食品製造、機械整備、輸送、清掃、それらは直接には言葉を使わない(なので業務とは異なる情報を職場に流すことが可能となる。ラジオを聞きながら作業できる)。しかし世界はそれらの仕事により支えられている。ある点においては言葉が「不要」だからこそ支えられているのだ(だからこそマスコミの介入する余地も生まれてくるのであるが・・)。つまり世界の解釈には「見る」ことこそが要請される。世界がどう動くのかについては、報道資料をあさるより「見る」ことによって理解される部分も多いのだ)。