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2018-04-28

乱数性への対処を何処で持ち込むか。

10:51 | 乱数性への対処を何処で持ち込むか。を含むブックマーク 乱数性への対処を何処で持ち込むか。のブックマークコメント

ナンパやセールストークの在り方についてですが。

達人は相手を見定めずに行動する。「いけそうだから」「自分の好みだから」行動するわけではない。常にONの状態になっておりる接触とともに発動するのだ。対象はその結果ある確率にともなって収穫される。対象がONかOFFかは自身がONとなった結果からしか判断できないからだ。高い回収率は回路発動の頻度に伴い得られる。世界は乱数でありその構造の確認は自身の回路起動の回数により確認される(これはその世界においてのみではない。野球やゴルフをしてる人は長ものを持つと自動的に振ってしまう。身体の回路が発動するからである。農家を長く続けてると邪魔な草や枝を見ると反射的に除去してしまう。私は古いパソコンが捨てられるのを見ると反射的に拾って直してしまう。実はそれらは副作用であり、常時ONになっているというのが本質である)。

人間の身体に備わっている機能、それらのいくつかは常にONになっている。そして社会そのものに乱数性が存在するから回収率の高さとしてそのことが確認される。

しかし一般の人々、あるいはコンピュータソフトは、状況を確認してONにする、そのことを特徴的なアルゴリズムとして選ぼうとするわけだ。

そのフィールドが空間的に複数に別れてれば良い。戦略を多数同時に展開すれば確率的に回収率は上がる。人間は視界的にそのような行動には向いている。しかし空間的に狭い範囲でありその中で細かくヒッティングするには、時間軸上で乱打=連打する特有の能力が必要である。

ゲーム機ミサイルを無限に打つような能力がおそらく必須とされる。

おそらくその能力は修練の結果としてしか獲得できない。あるいは才能。そのようなトレーニングを積むことである。

修練と無限連打能力。

12:04 | 修練と無限連打能力。を含むブックマーク 修練と無限連打能力。のブックマークコメント

修練で得るものは無限連打能力なのだ。

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江戸時代末期。北辰一刀流江戸で猛威を振るった。

してることは竹刀での打込み、切返し。無限連打能力の錬成である。毎日それのみを繰返す。練習の半分はそれのみなのである。

柔道は対外試合で柔術に優勢を示した。発揮するものは無限連打能力。古くからの柔術一派は講道館柔道が仕掛る無限回数の足技にたじたじになってしまったのだ。この無限連打能力は乱取りの繰返しによってのみ得られる。形稽古中心のあり方は無限連打能力育成システムの前に敗れ去った。

ボクシングはジャブが主である。ストレートの前に何度もジャブを繰出す。位置の確認、牽制、ワンツー。インパクトセンサを多用することで目視での距離感を補正する。一発の大振り派はジャブの多用についていけない。懐に入れないし無理して入るともらってしまうのだ。

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膨大な修練は体力をも養成する。無限連打能力を保証するものは基礎体力である。

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例として挙げたものはスポーツであるが近代社会では文化的能力もそうであった。

無限回数の繰返しにより得られる珠算能力、辞書引き能力(英字辞書の検索能力が向上することで英文読解能力は飛躍的に向上する。英語の勉強は先ず辞書引き能力の向上であった)。校正として赤ペンを入れる誤字修正能力。判例検索能力。

おそらく近代社会個人特性として無限連打能力こそを重視し、現代社会はコンピュータにそれを委託して教育環境・文化環境から無限連打能力を忘れ去る。

しかし社会が個体に要請するものは先ずもって無限連打能力なのだ。

仮託された無限連打能力を引出す戦略をとるしかない(コンピュータ内で無限連打能力を育成するしかない)。

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社会構造が「空間的に狭く」なり、隙間のない状況では、空間に戦略を汎在させ各個回収するやり方は不発である。おそらく時間軸上で無限連打能力を展開するしかない。この能力を修練で獲得するかコンピュータに獲得させるかのどちらかである(文化的に隠蔽されたから不在であるわけではない。社会そのものは無限連打能力を必要とする。隠蔽されたそれをどこから引出すかである)。

無限連打が先行する社会。

15:00 | 無限連打が先行する社会。を含むブックマーク 無限連打が先行する社会。のブックマークコメント

自動的に無限連打する装置を工場という。

私たちは工場化された社会に生きている。視界に映るもののほとんどが工場生産されたものであり、メンテナンスフリーかもしくはパーツ毎の交換となる。ハンズオンでの作業は不要なのだ。ハンズオンで作業するより部品交換の方が早いのだ。

人間の無限連打能力は意味をなさない。

しかし教育の場では一定期間以上無限連打能力の育成が要請されており、私も無限連打能力の修練は必要であると考える。

その能力は何処で生かされるのか?

おそらく自身のクローンである。自身が獲得する能力の外在化のために機械や工場を利用する。

これはプログラミング化である。現代社会では人間はおそらく他者方針を指示するよりも機械に方針を指示する方が早いのだ。

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人間同士のコミュニケーションは如何にして行うのだろう? おそらく技術的側面は話題にならない。無駄であり無意味だ。人間を甘く見てるわけではなく機械の力を評価しているのである。

人間は機械では代替できない部分をこそ担うべきだ。

つまり機械が負担する部分と人間が負担する部分を正確に分別する必要がある。

機械化されたセックス人形など無意味だ。それは人間が負うべき部分である(人間の能力はそちら側でこそ発揮されるべきである)。