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2010-06-22

ゆとり教育⇒ドタキャン多発。企業はやっと気付いた。解決にはまずチーム力の養成を。

| 17:12 | ゆとり教育⇒ドタキャン多発。企業はやっと気付いた。解決にはまずチーム力の養成を。 - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク ゆとり教育⇒ドタキャン多発。企業はやっと気付いた。解決にはまずチーム力の養成を。 - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

不景気です。学生の就職事情は困難を極めている模様ですね。しかし一方的に「いまの学生はかわいそうだ」で済まされない現象も生じているようです。以下ニュースソース。

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企業説明会に「ドタキャン」多発 就職厳しく「とりあえず」予約

http://news.livedoor.com/article/detail/4840322/

新卒学生対象の就職採用説明会に異変が起きている。予約はするが、「ドタキャン」する例が急増しているのだ。申し込みの半分程度しか来ないこともあるようで、企業の採用担当者も「予約できない学生が結構いるのに」と困惑している。

「例年『ドタキャン』はあるが、2011年卒は特に多いという印象だ」

東証一部上場の中堅鉄鋼メーカーの人事担当者は語る。2010年2月頃から採用活動を行っているが、20人の枠を用意してもその半分、10人しか説明会に来ないこともあった。「困るけど仕方ない」と、半ば諦め状態だ。

キャンセル手続きなし、が多い

ネット上には、こうした「ドタキャン」に困惑する担当者の嘆きがたくさん見られる。

東京大阪家事代行業を展開しているベンチャー企業は、新卒採用人事ブログに「会社説明会と他者へのマナー」という記事を掲載、「連絡なしでの不参加」が目立つと明らかにしている。

1 次選考や2次選考を説明会より優先させることは理解できる。それ自体は問題ないが、キャンセル手続きなしの不参加は良くない。「そんな人は、私だったら採用したくはありません。自分の行動が他人にどういう結果をもたらすのかを考えられるのが、一流の社会人であり素敵な大人としての在るべき姿でしょう」と書いている。

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就職先についてすらこれです。普通のアルバイトの現場で何が起きているのか、ご理解いただけるでしょうか? 一昨年(2008年)11月14日の当方の日記を最録させていただきます。

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http://d.hatena.ne.jp/losttechnology/20081114/1226652080

ゆとり教育の欠点とは何か。ドタキャンである。とにかく年中ドタキャンされる。何もかも自分の都合優先。先方に偉い先生がいて、貴重な時間を割いて控えてくれていてさえもそうなのだ。他人に迷惑をかけているという認識がない。

これはいったい何なのだろう? ちまたでは、ゆとり教育施行以前と以後との間で、試験の成績的には大きな変化はみられていないとも言われてる。つまり、ゆとり教育は成功してると言う判断だ。

私はそれこそ試験中心的な見方だと思う。ペーパーテストの成績さえよければいいのか? 何をしてもいいのか? 断然否! 試験以上に重要な問題がある。チームを組んで作業を進めるという、生産作業に関与する問題だ。この点、ゆとり教育出身者には絶望的な壁がある。こんなにドタキャンの連続になるなんて5年前にはなかった事例なのだ。

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ゆとり教育が目指していたものとはなんだったのでしょう? 1992年から実施された学習指導要領では、「新しい学力観」が提示され、その中では「『主体的』に学習するする態度を学力として重視する」ことが全面に打ち出されました。意欲・態度の重視です。しかしこれは一部の学校で誤解され敷衍してしまった。児童生徒は、意欲・態度を示しさえすれば、評点として加算されてしまうのです。そして授業の運営は彼らの気まぐれな意欲・態度のあり方に従って実施されることになる。現場での義務付けは無効となる。あふれるほどの学習意欲・労働意欲を、先天的に所有し、かつそれにしたがって自主的に行為する主体的な個人というものが、課題さえ与えておけば、野放しの環境の中で自動的に確立するとのあり得ない想定がなされてしまったのです。

そういう人材が天然に存在すれば素晴らしいことでしょう。しかし彼らも労働の場では、学校では直面しなかった様々なコンフリクトに直面することになる。労働とは常に、他者に生じた困難な事情を解決する作業であり(この対価として金銭が生み出される)、現場においては主体的に解決されない問題がごろごろ存在するからです。労働者においては意欲がわかない部分が必ず存在する。これを解決するためには、金のことだけ考える等の思考の転換が必要となるのですが(この獲得こそ「社会性」と呼べる)、ゆとり教育ではこの点が完全に欠落しているのです。好きなことをすることで(意欲的に取り組めるものに取り組むことで)金が獲得される、これが、ゆとり教育を受けた生徒たちが社会を眺めるときの視点なのです。

それ以前の教育を受けてきた世代とは齟齬が生じるのは当然です。以前の世代においては、労働とは他者の困難を解決することだった。他者から笑顔をもらうことだった。その場ではコミュニケートが必ず必要となった。課題達成にはチームワークが不可欠であった。それは単純に個人の意欲をかき立てるだけで培われるものではない。問題の発見と明示化、困難な部分を洗い出すこと、誰が担当するのか、その評価、これらを組み合わせることで初めて仕事は可能となる。困難の解決こそ評点となる。ゆとり教育ではこれらの過程をきれいに無視しているといえる。人々の課題を解決するために困難を克服している人も、彼らの視点では、好きでやっているのだからのひと言で済まされてしまう。これでは「労働力が不足している」の提示がなされても(←求人)、そのままでは人が来ることはまずあり得ない。ゆとり時代の人々においては、求人の場を踏みにじっても、問題が生じているとは認識されていないのです。

もちろん、以上はゆとり教育の一部を抽出して判断したものです。前進した部分も多いのでしょう。しかし当方において、7〜8年前とは異なった事情が生じていたことも明らかだった。ドタキャンに常に苦しめられた。苦い思いをしているのは自分だけなのでしょうか? もしかすると今後、他の人々も同様の事例にぶつかるかもしれない。今回のニュースではそれが確かめられた。説明会を開いても空席が目立つ。このことが担当者の胸にどれだけ悲しみを残すことになるのか、それが約半数の参加者には認識されていないのです。

新採用した人材が使い物になるか、ならないか。おそろしいことに、履歴書・成績票等を通じてそれを把握することは不可能です。表書きが素晴らしく優秀な学生でも、現場において使い物にならないかもしれません。しかしその逆もあり得るのです。要するに社会的な姿勢が養われているかどうかが重要なのですが。たとえば下積みをしてもチームとしての達成を喜べるか否か。上にいる人々も、個人として困難を克服した人材を評価してポイントを分かち合えるかどうか。つまりは組織として対処できるか否か。この力の養成が現在求められていると言えます。

今後の学習指導要領で予定されている詰め込み教育の復活はたしかに重要ですが、チームとして、他者と協力しながら課題を解決する姿勢をどこかで育まなくては、ゆとり教育との違いは生まれないでしょう。仕事は個人で行われるものではないのです。まずはコミュニケート。そして問題解決を評価すること。つらく苦しい作業を押し付けないこと。その苦しさを等分に分け合えれば、解決時間は半減し、それだけで優秀な人材と人々から評価されることになるのです。

ぺんぎんぺんぎん 2010/06/22 19:21 そんな困難乗越え社会に出て数年の若者に、働くとは===、仕事:強制労働:奉仕:盗:....貴方の働きは何処?ドードーと応えられれば◎◎?その働きが社会的評価された時(プラスマイナス双方有り)、何かが得られる☆___、報酬*死*名誉*罪*....結果ドーデアレ生き残ったものが正しい??・・歪狂社会・・脱日本考えよか。。。

トコロデ、カヌー持って奉仕に来るか??日曜日??

losttechnologylosttechnology 2010/06/22 21:13 ぺんぎん様お世話になっております。
カヌー手伝いますよ! もちろん当方も現在農業に従事&1企画提案中なので、事前に状況把握の要があります(先週も2回ほど徹夜です。無償)。
ご教示いただければ直ちに参上させていただきますのでご安心ください。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m

2010-06-07

アリ・バタネンvs太宰治。青森にとってどちらが参考になるか。勧めた結果は火を見るよりも明らかだ。 

| 00:20 | アリ・バタネンvs太宰治。青森にとってどちらが参考になるか。勧めた結果は火を見るよりも明らかだ。  - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク アリ・バタネンvs太宰治。青森にとってどちらが参考になるか。勧めた結果は火を見るよりも明らかだ。  - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

本日、栃木県宇都宮市にあるログハウス専門店BIGBOX様を訪問させていただきました。ものが良すぎ! ていうか直にほしくなりました。普段住んでいる和式住宅より確実に一歩上の生活が営めます。部屋の中にいてもストレスが溜まらない。疲れないのです。

外壁が厚い木材でできているので耐候性・防音性が極めてよい。なにこれ収録スタジオですか!?って驚いてしまうレベルです。剛性が高くてみしりとも言わない。地震に対してはべらぼうに強いそうです(地震災害に直面したとき、BIGBOX様のログハウスはほぼ無傷だった。基礎ごと流された1棟を除いては。他の一般家屋は柱が折れて倒壊している状況です)。建材の香りも素敵。むくの木材なのでシックハウス症候群とも無縁です。また作りが細かくて、雨垂れにやられてしまう木材の性質をよく理解しているので、軒先が全範囲に延長されており、テラスや手摺りや土台付近が結露時の水滴にやられないようにできている(雨の少ない北欧から直輸入された製品では、その辺の対策がなされてない物もあるです。それらでは劣化の速度が速い。もちろん各自が日々手入れしていればまったく無問題なのですが)。

そして感動したのがこれ。四隅の貫通ボルト。

ログハウスは、支持材である外壁の木材が、最初の数年間、1枚につき1mmほど年間で縮んでいくのですが、それを吸収する設計がなされている。ドアが開かなくなったり窓が閉じなくなったりしないのです(自作でログ建築を作った人ならわかりますねこの苦労。毎年のカンナ掛けorz)。その対策が本体のドア枠・窓枠になされている。そして経年的に生じる建築後のサイズずれを吸収するために、建物の四隅に建材を貫通してボルトが通してある。年間数回締め上げることで、建物がますます頑丈となる。念には念を入れた構造となっているのです。

いやあほしくなっちゃったよこれ! どうしましょう?

津軽の話に戻りますが。ログハウスの本場はフィンランドだそうです。青森以上の寒村・僻地の国ですね。でも世界最優秀のラリードライバーを多数輩出している。ラリーが国技と呼べる水準にまで達しているのです。ニュージーランドフィンランド人のおねーちゃんと酒飲んでるとき聞いてみました「うちの国では、スバルとか三菱とかがいい車作ってんだけど、あんたの国のドライバーにいつもお世話になってるんだよね。アリ・バタネンとか。国民全員テールスライド&カウンターステアできるって本当なの?」「イエースww」wwww。

わかりますね? この重用さ。青森県人は別に甲子園優勝を目指さなくていいのです。別に目指してもいいのですがw 地理条件が違うから同レベルで張り合う意味がわからない。いやわかりますがw 日本は均質な文化だそうですがww それってテレビ放送に合わせているだけのことですよねw 同一番組を試聴しているから違いがあることもわからない。北国には北国のヒーローがいるのです。恰好いじゃないですかアリ・バタネン(おれも古いな・・)。そしてフィンランド。無理して日本家屋を作り、無理して野球してる意味がぜんぜんわからない。なんで東京文化なんだ。コスト払って結局住民は流失する。地理的条件が似ている、北欧と仲良くすればいいのにww

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2010-06-06

田舎といえば太宰治。彼はなんで東京にきたんだw あんた欧州の大学に留学するべきだっただろww

| 13:34 | 田舎といえば太宰治。彼はなんで東京にきたんだw あんた欧州の大学に留学するべきだっただろww - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク 田舎といえば太宰治。彼はなんで東京にきたんだw あんた欧州の大学に留学するべきだっただろww - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

田舎論の続きです。

あ。もちろん。都市の称賛をしているわけじゃないですからね! 逆です。都市と田舎とはそれぞれ別の文化を持っている。それが当たり前です。別の文化を所有することで、都市も田舎も双補的に存在できるのです。

しかしそれが前提とされていない(日本国では各人同じ教科書を使用しています)。日本は(日本人は)均質という不自然な想定がなされている。これが都市と地方に混乱と破壊をもたらす。この先入観を否定することが自分の義務なのだ。それらの文化はもともと一体ではない。別なんだ。別のものでいいじゃないかと。

津軽の話です。

私はこれまでバイクで何回か訪れています。感想は一言「遠いですね」。ひたすら時間がかかりました。アクセルひねる右手が疲れる。一般道をちんたら走ってるレベルで、開けっ放しのため右手が疲れるのです。最初に青森をバイクで走ったのは1984年の夏ですが、このとき一般道を走っていて、地域住民のセダンが時速110kmで走行しているのに驚愕しました。250ccのツインカムでなかなか追いつかなかった(前年は自転車で来たので速度域についてはわからなかった)。ねずみ捕りがないのにさらに驚きました。青森ではその程度の速度ではつかまえないのです。高速並みの移動速度を許容している。そうしないと、たとえば県内での人々の交流に問題が生じてしまうからなのです(午後の会合に出席できない等)。

NZなみの人口密度だから可能な速度ですね。NZでは一般道は100km/h制限なのです。そう、青森が参考とすべきだったのは、NZを含めた西側世界、北欧デンマークスコットランド等。決して東京大阪などではない。気候や人口密度、そして産業が似ている、緯度的にちょっと北に位置する西欧諸国にこそ、津軽のモデルは求められるべきだったのです。

で。

太宰治。作家です。代表作品『津軽』『人間失格』。彼はなんで東京になんてやってきたのでしょうね? もちろん理由はわかっていますが。戦後無頼派ww そういったもの名乗るなら、もうちっと冒険してもよかったですよね。たとえば海外の大学に留学するとか(太宰の実家はそれを可能とする大金持ちです)。それも留学先を、名前ではなく環境で選ぶ。“祖国津軽に近い環境にある、デンマーク・北ドイツスコットランド等を選ぶこと。彼の天才のことです。上記の土地柄にはまったく問題なく馴染んでしまうでしょう。ルックス的にも悪くない。彼は多分もてますw しかし彼は東京を選んでしまった。その理由は彼にも周囲にも、意味不明の東京信仰があったからです。もったいない。東京で得たものっていったいなんだったのでしょう?

わかんないんだよなあ。環境が似ている欧州の方を彼は選ぶべきだったのに(←もちろん私はその理由を「わかっていて」書いてますよ)。そうすれば地元津軽にも貢献できること大だったのに。欧州農業運営や、寒々しい北方の街を維持するのに必要な経営の在り方、鱈の乾物や麦加工品等の商品化、森林事業、あるいは白人のねーちゃんとの逢瀬等w 可能なことはいっぱいあったのです。なのに彼は東京文学界に突入した。やってることは狭い文学サークルでの作業と女ですw いやもちろんその後の日本文学に寄与するところは大だったのですがw 彼はいい文書くと思いますよ? でも結局なされたのは玉川上水での心中。これって場所的にみても都民への当て付けですよね? 「おれと一緒に死んでくれ」という形で女を道連れにする。なんちゅーエヴァンゲリオンww 個人的な人類補完計画です(もちろん太宰の方が先です)。道連れって田舎者特有の思考ですよね? 他人を巻き込みたいw 田舎者いい加減にしろww

太宰は、戯画的にも取り上げられるような形式で死という舞台を選んだ。世界から消えようとは思わなかったのです。これ見ると彼には生の余地があることがよくわかる。生の延長として、デモンストレーションとしての死を選んだのです《つまり定義的に自決ではない》。あくまで演じることが主であり死は従であった。つまり文学という手法上の問題であった。新しい面白いネタがあれば、彼は死ぬ選択をしなかったのです。

太宰が、もし、北ドイツ等で、津軽みたいな寒々とした環境の中で健気に生きるドイツ人をみたら、いったいどう思うでしょう? あの書き出しに違和感をおぼえるのではないでしょうか。畜産加工品に生まれ変わり食生活を豊かにする家畜の群れをみたらどう思うでしょう? 津軽の地元で豊富に実る天然の恵を、東京と比較して取り上げるべきと考えてしまうのではないでしょうか?

東京の大学に続々と出ていく津軽の人々。彼等のかなりの部分は帰りません。地元の環境に適合しない、東京のサブセットに該当する知識を得るからです。教えられたことは東京文明の敷衍。これでは青森県全体として原発誘致に傾くわけです。なぜなら若人がそれ以外の知識を持たない。東京で育てば東京至上主義になるのは当たり前です。しかしそれが日本中にはびこり、各地をおかしくしている。東京一極集中の主たる原因となっているのです。東京にいたのでは津軽に適用できるアイディアなど浮かばない。それは緑のない過密都市でこそ使えるアイディアなのです。

津軽の人間は、青森県人は、東京ではなく自分たちの生活環境に類似した北米欧州の大学にむかうべきであった。資金的な余裕さえあれば今すぐ向かうべきです(もちろん学費はかかりますが・・)。それでこそ帰郷してすぐに応用可能な知識が得られる。世界との交流のチャンスもある。東京に出たとしても、東京文明の手先となるだけです。ストロー効果で吸い上げられるだけ吸い上げられ、田舎には何も残らない。ますます地元は衰えてしまう。それなら東京を飛び越えてしまって、同様の環境でうまくいってる寒帯諸国を参照してしまったほうが早いのです。それでこそ真の知的経験が得られるのです。

それにしても考える。欧州津軽の将来について思考を深める太宰治。じゃがいもと豚肉を前にして。隣には半分呆れた笑顔で振る舞うドイツ人の美女。なんて素敵なんでしょうww 彼は帰国してつぶやきます「入水? 遠い極東の世界ではそんな選択もあった・・」

2010-06-04

Q:ゴジラはなぜ東京を目指すのか? A:田舎者だからですwww

| 01:59 | Q:ゴジラはなぜ東京を目指すのか? A:田舎者だからですwww - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク Q:ゴジラはなぜ東京を目指すのか? A:田舎者だからですwww - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

アニメ・特撮の話です。

最近新しいディスクが出たみたいですね。アニメーション映画・新世紀エヴァンゲリオン。1990年代後半、日本の閉塞状況が始まった時代に放送が開始され、現在までヒットを続けています。息の長いアニメですね。この息の長さ、最近の深夜アニメではちょっと張り合えないんじゃないでしょうか。

この物語において、戦闘の舞台は、かなりのケースで、そのときの日本の都会=第三新東京市に限定されています。田舎にあるのに東京w まあそれはともかく、主人公の属する組織は、常に金の問題に頭を悩ませているにもかかわらず、ロボット以外にも沈胴式のビル等の大掛かりな仕掛けにありえないほどのお金をかけてます。これらの建設費、多分エヴァンゲリオンより高いでしょうね。いったいなぜなんでしょう??

予想された戦闘なら、ビル街ではなくまずリングを用意しておくべきです! プロレスの星・アステカイザーの様にw 話が佳境にさしかかり、その辺の造成地で戦闘が勃発するにしても、適当にロープを張っておけば、ステージ的に見映えは立つのです。でもそうしない。それはなぜか? ビルの破壊にこそ意味があるからです。エヴァンゲリオンでは、ゴジラ同様の“怪獣上京物語”が語られている。物語が破滅で終わるにしても、それは当然。怪獣たちは街に火を放たずにはいられない。これは都市をおそった災害物語なのである。名称だけでいい。壊される対象としての「東京」が、まずもって要請されているのです。

(この点キン肉マンとは違いますね。あちらでは日本中の城跡を中心として地方で戦いが繰り広げられた。友情がテーマだったからです)

人間が乗ってもいない地下鉄が、幅広の車線が、市街地が破壊される。この部分にこそ視聴者は感動を求めている。もし、怪獣(使徒)との戦いがいきなりキャベツ畑で開始されていたとしたらどうでしょう? 初回の戦闘で粉砕されるキャベツ。視聴者はいたたまれない気持ちになるのではないでしょうか。人類補完計画で、人間の代わりに膨張・爆発し四散するトマト。視聴者は「このばちあたりめ」と呟かずにいられないのではないでしょうか。

エヴァンゲリオンが目指していた都市の破壊。これは物語の中では二重構造でなされています(最初の東京崩壊=セカンドインパクト、および第三新東京市を目指す使徒襲来)。なのでこのドラマは息が長いのです。東京タワーは、特撮中では何回も破壊されているのになぜ簡単に復活するのか?に対する正しい解答を用意した。主人公たちがどう行動しようとストーリーの本筋には関係ない(複数のストーリーが並立することで証明されましたね)。ゴジラ映画も、ゴジラが登場し街が破壊されていれば、他の登場人物は実はどうだっていいのです。

ゴジラは、多くの障害に翻弄されながらも、ひたすら東京を(都市を)目指します。それはなぜか? 田舎者だからです。核のゴミ捨て場から誕生したゴジラは、田舎者の怒りを携え、都市の破壊を行います。これは絶対的な悪なのか? もちろん違う。ゴジラは散々破壊を振る舞った後では善のヒーローと化してしまう。日本に混乱をもたらしたのに? 然り。なぜなら日本はゴジラにより撹拌され、都市への一極集中がいい感じに均され、地方の不満や上京者の鬱憤をガス抜きし、捨てられたゴミ(放射能)をきれいに都会に返却するからです。

エヴァンゲリオンが救済するものとはなにか? これで見えてきましたね。ヤシマ作戦のように東京にかき集められた人々(都市住民を含めて)の内圧をすかっと抜いてしまう。都市への不満が高まったからといって、人々は決して下放に、自主的にナロードニキに向かうわけではない。都市の破壊が行われなければ田舎になんて向かわないのです(向かうときでも、わかりますね?エヴァンゲリオンのように地下鉄ともども)。都市の否定は田舎の称賛にあるのではない。都市の否定は、かような方々にとっては都市の破壊にこそあるのです。

2010-06-02

田舎のチャンスは過去3回あった。残念ながら4回目はない。いますぐ信仰を洗い流せ。

| 01:38 | 田舎のチャンスは過去3回あった。残念ながら4回目はない。いますぐ信仰を洗い流せ。 - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク 田舎のチャンスは過去3回あった。残念ながら4回目はない。いますぐ信仰を洗い流せ。 - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

すっかり田舎叩きモードになっちゃってますが。愛のムチです。死者に鞭打ってるわけじゃないのですよ(人造人間=人工母胎の普及で田舎は即時回復する)。

さて。

日本人には意味不明なリスタート信仰があります。「ダメにならなくちゃわからない」「落ちるところまで落ちて・・」等々。そこから驚異的なねばりで復活すると。すごいな。こんなの一般化するなんて。いったいどこの宗教?? まあ、カテゴリーとして気づきの面、メンタル的な側面に限定されるのでしょうが、これ、あらゆる面について本気で言ってるとしたら間抜けそのものです。そこにあるのは計算の不在。その不在をごまかしているだけの純宗教的台詞ですね。民主党が衆院選で選ばれた時にそのような台詞が語られたこともありました。無意味です。人間はゼロからスタートできるわけではない。

田舎の話でした。

これまで人身売買・娘の身売り等を話してきました。極東・東南アジアの第三世界から女性を“輸入”する話です。これ、現在の日本が豊かであるからこそ可能となっている。では豊かでない時代ではどうだったのか? 言わずもがなです。日本でこそ、例えば東北地方において、あるいは信州で、女性の身売りが相次いでいたのです。アジアでは結局まずしき農村は都市部に女性を売って稼ぐしかない。戦前ではそれこそ、日本自国において、巷にその手のエピソードがあふれていたわけです。

戦後にそれはなくなりました。なぜか? 終戦直後では戦前よりはるかに貧しき状況だったのに(一人当たりのGNPは当時のインドと同じ状況です)?

都市が崩壊したからです。東京が燃やされたからです。都市部の住民は田舎に疎開せざるを得なかった。売られた子供たちは立場が逆転したのです。これはミラクルだった。都会出はかえっていじめられる立場になったのです。これがまず1回目。このとき日本は国民がはじめて一つになった。クニ(県・藩)の範囲を越えて国民意識が統一されたのです。

まあこのとき一部の田舎では強烈ないじめがあったみたいですね。戦中派を自称する某タレントはいまでも百姓を忌み嫌ってますが。

その後日本は高度成長期を迎え、農家の次男三男は続々と都会に出て行きます。彼等は金の卵として歓迎されました。いまでは派遣村送りですが。そして2回目。オイルショック。このとき都市部ではエネルギー使用が制限され都市のメリットが一挙に失われた。都会生活は破綻したのです(ガソリンの休日販売も夕刻のテレビも夜のネオンサインもない世界)。このときはじめてUターン現象という言葉が生まれた。田舎に若者が戻ってきていた。これで息を吹き返した田舎も実は多いのです。

そして3回目。バブル期後半のレジャーブーム。都市部の休暇・休日を一手に引き受けようという動きです。道路も施設もたくさん作られましたね。残念なことにいまでは存続していないホテルやスキー場も多いのですが。考えたら人間(若者)を受け入れる、これが最後のチャンスでした。

そう。田舎にひとが来る機会は、過去にこの3回しかなかったのです。

それ以外は常に一方通行でした。田舎は人間の供給地として機能し、都市部は余剰人員を吸収する。これは日本だけでなく、アフリカ、南米でも常にそうです。都市はひたすら拡大を続け、そのバイタリティはなだれ込む若者たちの若さ自身に由来している。田舎は常に自存している。人間が自然供給されることで田舎は壊れずにいられるのです。田舎は都市部にぶら下がることはできない。都市から田舎に来る人間は権力を振りかざす地頭と決まっています。彼等は収奪にやってくる。決して、田舎の百姓に仕える万能の嫁としてやってくるわけではありません。なのに日本の田舎では過去3回の偶然的事象“奇跡”を頼る心が育ってしまっている。

私が叩きたいのは、この、奇跡を信じる心なのです。

それらは天災としてやってきたのだ。日本国における偶然の出来事なのだ。しかしちょうど良いバランスで定期的に田舎にひとが来たものだから、田舎の人々は待てば/頼ればなにかがやって来ると思っている。戦前ではそういうことはなかった。いまの世界中の国々でもそうだ。彼等は既に覚悟を決めている。世界とはこういうものだ(田舎にいたのでは普通に救われない)と強い認識を持っているのだ。この点いまの日本人はあますぎる。過去の奇跡を一般にあるものとして認識しているのだ。そして都市住民と同じことをすればどうにかなると思っている。浅はかだ。ひとの流れは応仁の乱クラスの都市の破壊がないかぎり逆流しない。田舎はいつも田舎自身の再生産性の高さにより切り抜けてきた。都市部の宗教が生殖に否定気味な仏教に傾いたとしても、男根・道祖神を拝み倒すことにより切り抜けてきたのだ。これらの神を拝むのは、決して住民が頑迷なためのみではなく、それこそが都市部の侵略に対する唯一の対抗手段だからなのだ。

そしていま、女性が流失し、ついに田舎から貴重な母胎が失われ、再生産が不可能な時代に突入した。このままでは田舎は間違いなく滅ぶ。少なくとも旧住民は失われてしまう。

田舎を救うのは母胎の機械的供給しかないのである。

ああ。いいこと書いちゃった。これ、自分の主張の中の最高傑作ですね。

ぺんぎんぺんぎん 2010/06/02 14:36 そんな時代、工場生産される野菜....浅草サンバカーニバル....都市の『なんちゃって****化』どーー思う??

鉄腕アトムはいらないけど>>>>キューティーハニーは欲しい♪。。。。必要機能差異。。。。

losttechnologylosttechnology 2010/06/03 03:06 ぺんぎん様お世話になっております。
東京にはもともと女性文化がなかった(文化を維持させる人口がなかった)んですよ。わずかに存在した女性は廓中で外界から孤立した状態で確保されていました。一流のおいらんへはお目通りだけで数十両。とんでもねえぼったくりw こんなんで儲けていたんじゃあ文化の継続なんてありませんね。

2010-06-01

メイドロボより人工母胎。開発の順番としてはこちらの方が先。

| 01:05 | メイドロボより人工母胎。開発の順番としてはこちらの方が先。 - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク メイドロボより人工母胎。開発の順番としてはこちらの方が先。 - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

いきなり過激なタイトルですw そして本音ww 人間(日本人)はそろそろ自然生殖をやめちゃっていいんじゃないかなあ。人工生殖を許してしまう。機械的環境のなかから赤ちゃんが出現する。SFの世界で太古から描かれてきたそれです。試験官ベビーの一歩先、受精のみならず分娩直前まで in vitro ですませてしまう。母親の肉体を必要としない環境。もちろん精子提供者と卵子提供者はいますが、彼等が提供するのはパーツとしての細胞だけであり、他の部分には一切の負荷がかからないのです。

現在IPS細胞とか使って再生医療目指してますよね? 人体のパーツを部分的にでも試験管内で製作しちゃうという。あれの応用版。あれ、可能ならクローン作るのまでいけちゃうんだけど、そこまですると人格的な問題(ex法人格)まで生じてしまう。とりあえず書面に記載するレベルでは現行法と矛盾しない、卵子・精子を用いるのです。工学的可能性として十分有り得ると思う。やろうと思えばすぐにでも可能。母親となる人々の肉体的負担が大きいと常々言われているのだから、フェミニズムの観点からも推薦されるべきだw これなら完全な男女平等社会の誕生です。人口問題にも直ちにピリオドが打てる(なにかあったら作ればいいのです)。わが国にはキリスト教的な人体錬成についての過剰な畏れはない。条件的にすべてが調っている。なのになぜそれをしない? わかります。人間の持つ愛情と生殖に過剰な期待を抱いている。しかしそれは幻想・思い込みの類かもしれないのだ。

人間の持つ役割はフレキシブルにまんべんなく外在化した。肉体労働のかなりの部分は機械が担当している。かつての家庭内の母親の役割は白物家電が担当し、知的労働までコンピュータにまかせられるような状況で、なぜ、最後の残りの部分には手をつけないでいられるのか? 海外からの人の輸入が人身売買的で問題であるというなら、人工母胎の開発と適用によりただちにそれらは解決するのだ。救われる人々はたくさんいる。日本国自体まで救われるかもしれない。しかしそれに手を付けずにいる。それは関係者たちに絶望的なまでのイマジネーションの不足があるからだ。

現場にはもちろん、法規的な縛りや医療倫理的な課題が存在するんだろうけど、社会全体を救わずに老人問題ばかりにコスト注いでいるから人々から共感が得られない。やってしまうべきです。ウシなんてみな人工受精じゃないですか。家畜でそれをしているのにヒトでそれ(に類似した行為)をしないのは、意味不明の人間性の拡大解釈があるからだ。現代人はそれに縛られすぎている。人工母胎は誰をも泣かさない素晴らしい技術なのです。死に行く人のためにだけ医療技術を開発するのではなく、たまには新しく誕生する人のために技術を使いましょうよ。人ひとり作るのに予算が300万円なら、農家の人々は喜んでこの額を提供すると思う。産業的にも余裕で元が取れるのです。みなさんもそう思うでしょう? 

いまわが国が集中して取り組んでいるメイドロボ。産総研とか頑張っちゃってますが。このメイドロボは確かに家事一般を解決する。しかしそれで人口問題は解決するのか? よりいっそう無理だw なぜなら人々の間の距離がいっそう拡大するからだ。人々が互いに距離をおくから子供の数は増えない。田舎は既に人口密度的に集団を維持できないサイズとなっている。ここでメイドロボを導入したとしても長期的に見るなら破綻は避けられない。幸いにも、いま田舎の人々は家畜を介して動物一般の人工生殖に慣れている。倫理的なブレイクスルーの余地はあるのだ。

というわけで。

作るならまず人工母胎ですよ。私は応援しています。

※重要な発言。

社会制度の改革によりこの問題を解決しようというならポル・ポトだ。血を見る可能性がある。人々の内側の何かを圧殺する。文化的にも破滅でしょう。社会学関係の人々は、常にこの手の発言を行う傾向があるが、私はそれを肯定しない。“金”で解決できるなら金で解決すべきだし、技術でそれが可能ならいますぐ行うべきだ。制度ww 笑えますね。それらの敷衍を期待する人々、彼らは他人を支配したくてたまらないのです。

※重要な発言2。

人類が深宇宙へと向かう際には、人工母胎の開発・搭載は不可欠となるでしょう。それ抜きで自然生殖のみを期待して宇宙に旅立てるわけはない。火星でも月でも世代交代の際にはこれを用意せざるを得ないのです。100年後には研究が行われている。もちろん最初に手がけられるのは地球重力圏においてです。いま研究をはじめることで将来の人類にも役立て得る。理屈こねまわして否定する奴(「人間にとって、それは幸福なことだろうか・・??」と発言する人々)はほんものの馬鹿だと思いますよ。

2010-05-31

特に名を伏す。さる業界の中身を知るには(←金原克範 Passive Language 理論の使用法)。

| 20:04 | 特に名を伏す。さる業界の中身を知るには(←金原克範 Passive Language 理論の使用法)。 - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク 特に名を伏す。さる業界の中身を知るには(←金原克範 Passive Language 理論の使用法)。 - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

苛酷な労働環境と、それに相反するわずかな給与の中で、新人研修医が正しい医療のあり方を求めて苦闘を続ける職業マンガ『ブラックジャックによろしく』は、おそろしく売れましたね。テレビドラマ化もされました。現在でもこのマンガは掲載誌を替えて連載されているようです。『ブラックジャックによろしく』には、実在人物をモデルとする素晴らしい方々も多く登場するのですが、大学病院のトップに君臨し主人公をねちねちといびりつづける悪の医局長も存在しますよねw 彼の姿を見てぞっとした人もいたのではないでしょうか。

今回はわずかですが、その溜飲を下げる情報をご提供しましょう。といっても、私が直接ある方々の実像を暴こうというのではありません。そんなのやる気ないですしw もちろん調べる暇もありません。でも、知るべきことはきちんと知る方法もあるということで。とりあえず調べる方法だけお伝えしましょう。

【病院 雑誌】で、検索してみてください。はい。雑誌名が現れてきますね。

これらのいくつかは経営雑誌です。医療を行う際に必要となる、機材・人事・営業・コスト面を取り上げ、最新情報を提供する雑誌というわけです。お医者さんが論文雑誌ばっかり読んでると思いましたか? もちろん論文の読み書きをしない、学会に所属しないお医者さんなんているわけないのですが。ひとつの病院を経営するなら、機材やコストについてもたしかに学んでおく必要がある。この手の専門誌のニーズがあるというわけです。これ見ると、医師は常に医療以外にも別の事にも頭を悩ませなくてはならない。生涯勉強ばかりですねw 研修医を終えても大変です。さて。この手の雑誌、実は書かれている記事にこそ雑誌の内容が集約されているわけではない。

ではどこに内容があるのか?

「広告」です。

これらの雑誌の後半部分は医療関係者向けの広告スペースとなっています。雑誌社の経営自体、広告の存在を前提としているのです。その中でも末尾はすごい。1ページを3段程度に分け、「病院」そのものが続々と売りに出されている。見る人が見るとどこの病院かわかってしまう。最後の数ページはつねにその広告により埋められている。まるで病院のバーゲンセールです。

もちろん、周囲に不安を抱かせないために名称・地理等の詳細は伏せられているのですが、狭い世界の事です。どこの病院かは半分手に取るようにわかるのです。上場会社の経営状況は株価で判断できてしまいますが、医療機関の経営状況は、この手の雑誌を裏からめくることで判断できてしまう。これらが関係者の間でうわさにならないわけはない。

これらの雑誌は市販されていますが、書店に並ぶことはまずありません。記事(アーティクル)もオンライン化されていない。つまりネットを経由してでは雑誌の詳細はわからない。しかも記事とはならない部分、ひそかに回覧されている「広告」の部分にこそ、医療機関の現状が記され、青息吐息の状況が伝えられているのです。

昨年の医療機関の倒産数は過去最悪の件数だったようです。医療機関はどこも経営的に苦しくなっている。この状況で海外から看護士等を“輸入”して、果たしてペイするだけの余力が医療機関にあるのでしょうか?

わが家の近所には建設されて廃棄された病院跡地が2ヶ所存在しています。全国的にも多くの跡地がみられるでしょう。これから人口減の時代を迎え、病院のニーズも今後減っていく可能性があります。日本はそれでも輸入をするのでしょうか? わが国の国民だけ考えるよりも、先進医療をひろく海外に普及させる方へと向かっていくべきではないでしょうか??

※追記

書き忘れました。もちろん、病院経営雑誌は金原分類におけるa)楕円誌です。特定の人々に向けられた、読者を限定する雑誌ということです。まさかb)放物線誌である一般向けの朝刊やc)双曲線誌であるフロム・エー等にこの手の広告が出されるわけはありません。そんなことしたら大騒ぎになります。地元に混乱を引き起こすだけです。言語は常に無限遠に向けて放たれるわけじゃないのです。

※追記2

世間は iPad で盛り上がってるみたいですねw あれで手に入る情報は放物線・双曲線的なものが多いと思われます。楕円的な情報は載らないでしょうね。つまり情報的飢餓が抑えられるわけではない。なんでもかんでもオープンにしちゃえばいいってものではないのです。iPad で商売する人(IT関係者)にとっては“楕円”ですが。関係者の理屈を周囲の人々まで鵜呑みにすることはないのです。

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◎医療機関の倒産、過去最悪の45件−昨年度

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100412-00000008-cbn-soci

4月12日17時15分配信 医療介護CBニュース

 帝国データバンクの調べによると、病院や診療所、歯科医院など医療機関の昨年度の倒産は、前年度比5件増の45件で、過去最悪となった。負債総額は295億1300万円。

 月別の倒産件数は、4月9件、5月4件、6月6件、7月5件、8月2件、9月4件、10月2件、11月3件、12月3件、1月3件、2月4件、3月ゼロだった。

 負債総額は、2008年度の213億9500万円より81億1800万円多かったが、07年度の307億7500万円と比べて12億6200万円少なかった。

 現在の集計方法となった05年度以降、これまで倒産件数が最も多かったのは07、08年度の40件。一方、昨年度の倒産件数は1月までで既に41件で、過去最悪を更新していた。