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2010-06-27

二宮金次郎像 The Spirit of JAPAN

| 19:40 | 二宮金次郎像 The Spirit of JAPAN - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク 二宮金次郎像 The Spirit of JAPAN - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

本日、藤岡小学校にてカヌー教室のお手伝いをしてきました。文化事業です。その昔、とあるロボットアニメにて、地球人の日常生活における「歌謡番組」「異性交遊」を取り上げて、それらを“文化”と呼称するものがありましたが、それで言うならスズムシだって文化人ですww もしかするとこれらは本能かもしれません。それに対してこっちは本物の文化です。もちろん、強い主体性を参加者に求めるものである故に、運営者においてもやる気・意欲を長期間持続させる努力を要する。萎えてしまったらだめ。これって結構きついと思う。定着させるための地道な努力。出発前にカヌーを積み、現場で下ろし、指導後にまた積載、再び戻って整理する・・ なんというか本当、昔ながらの日本人の美徳が試されるところにあるといえますね。カヌーだって結構重いし。濡れたものの上げ下げ棚積み・・

そういえば小学校の片隅にこれがありました。コンクリート製の二宮金次郎像です。薪を背負って運搬しながら本を読んでいる。貧しさに負けずに学習し、目標を達成するのです。美しい話だw 二宮は経済的困窮のみでなく両親も早くに亡くしています。しかしそれを言い訳にしない。この像が小学校に建っている。モンスターペアレントに見せてあげたいですねw この像の意味が現在の学童・両親に理解されているでしょうか。

学習の機会が均等に与えられる。日本の公教育における充実したカリキュラム・施設・図書館。私たちは幸せと考えなくてはいけません。とりあえず文字が読める。これだけでコミュニケーションの幅は大きく拡がる。文字が読めないとすれば、それこそ直接話題を交換できる狭い世界のみが個体の環境と限定される。文字を扱うことが可能となるだけで、視点も世界も拡充するのです。

なのにですよ? 

田舎の人々はなぜか本を読まないw なぜなんだww 二宮像での薪を背負っている側ばかりを評価し、前面にある本を読んでる側を評価しない。先日、田舎の診療所の診察医が地元住民とコミュニケーションできずに運営が危機的状況にあることをレポートした記事をリンクさせていただきましたが、これは社会階層というより教育レベルの問題である。診療所批判者は概して老人。二宮像を見て育ってきたはずなのにデスクワークサイドの重要性が認識できない。これでは第三世界に逆戻りではないか? 困ったものです・・

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ぺんぎんぺんぎん 2010/06/28 09:30 カヌー教室、公園の貸ボートのようなカヌー環境出来れば良いのですが・・まだまだ社会的認識上げ定着させてからでないと難しいでしょうね!、最後の艇庫片付けまでの作業への協力有難うございました。

本(文書)が大切な知識情報な時代からラジオ〜テレビ時代になりネット社会となり__、しかし、一部の社会(田舎?この表現抵抗あるが‥)はインターネット嫌うXXでも本読まない・・でもテレビは好き☆、この辺の認識かな?

今風二宮?電車でネットブック読む通勤(勤務移動)時間____どー見る?

losttechnologylosttechnology 2010/06/28 14:18 ぺんぎん様お世話になっております。
ネットブックはいいと思いますよ。自分は読書派ですが。電車の中で何もしないと頭がぼけちゃいます。一番に悪いのは通勤時間が異常に要求されるところにあると思います(←これこそ日本国の活力が低下した最大要因である。通勤通学はドアtoドアで最長片側1時間でなくてはならない)・・
いい年こいた若者・壮年が、毎日4時間も貴重な私的時間を電車の中で過ごしている状況では、消費意欲は消滅しちゃいますし、体力も減退しますし、高度な読書力もなくなります。なんにもなくなっちゃいます。
当方はビジネスの必要上、東京都内でキャンピングカーを事務所として活用しましたが、作業終了後10分で風呂屋に直行、駐車場で即睡眠、起床しそのまま現場に直行など恐るべき効率で仕事が可能でした。疲労の度合いも違いました。毎日通勤していたのでは納品までの時間も倍かかってしまい、金銭的にもペイしなかったと思います。
仕事は自宅でできるのが心理的な負担もなくて最高ですよ! ぺんぎん様もそう思うでしょ?
よろしくお願いいたします。

2010-06-25

バック・トゥ・ザ・フューチャー 20年前の家庭用健康器具は「ぶら下がり健康器」だった

| 19:34 | バック・トゥ・ザ・フューチャー 20年前の家庭用健康器具は「ぶら下がり健康器」だった - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク バック・トゥ・ザ・フューチャー 20年前の家庭用健康器具は「ぶら下がり健康器」だった - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

本格的に腰がやばいです。生活に支障の出るレベル。ちょっと頑張りすぎた。これ、たとえば机にしがみついて勉強してきた中国人留学生(文弱の徒)がいきなり日本に来てやらされたら、我が国に未来永劫消えることのない恨みを抱くレベルですね。日本人働きすぎ※儲けているというわけではありません。単調労働が好きすぎ。視覚的にとらえられる単調労働のみを評価する傾向にある。「こんなに苦労しているのに」いやそれ、もうちょっと簡略化できる筈なんだけど・・

当方はこれらの作業を主体的に行っていますが、これらをもし、民間人がいきなり強制されるとしたら、拷問です。中国における文化大革命ポル・ポト政権のやり方はそれでしたね。あほくさい。まさに田舎者特有の発想です(「他人を巻き込みたい」)。共産主義東欧東アジアで発達したのは、そこが土田舎だったからです。経済的に立ち遅れていたから。人類補完計画wは、具体的な個人を想定せず、ありえない対象「人類」を取り上げましたが、まさに一緒w 人々は顔と名前を奪われ、抽象化された個体である中国人カンボジア人となるのです。うわやだw 日本でもそういう発想を評価する人々がいますが、自分はちょっと耐えられないw 当時の中国農村の生産性は当時の日本の50分の1でした。何がしたかったんだww 赤い発想は理解不能。

さて、農場における現場作業は、常に最適化されているわけではありません。驚いたのですが、せっかく耕運機を用いて土壌を団粒化したのに、その後の作業で平気でその上を歩いてしまい、踏み固める人もいたのです。スコップ使用時の負荷は3倍程度上昇します。ありえない。何をしているんだ。道具を切り替える工夫もない。これで苦労を語るなんて間が抜けています。高等教育は必要。しかし彼等は苦労をレジャーのように語るのでついていけない。苦労とレジャー、どっちを押し付けるかw 人類補完計画の正体が見えてきましたねw あるいは田舎と都会の違いとも言えますが・・

話替わって。

ぶら下がり健康器はほしいですね。田舎にはほしい。腰を伸ばすのに必要。かつてあれほど普及していたのにすっかり消滅しています。それはこれが肉体労働者を相手とした健康器具だから。現在の健康器具の主流はエアロバイクです。非肉体労働者相手のものですね。歩けよw 

twiggytwiggy 2010/06/25 22:03 私も母の腰痛改善にぶら下がり健康器を買おうとしましたが、部屋にモノが増えるのは嫌だと却下されました。
腰痛治療の方が大事でしょうが(笑)。

倒産ネタ、すごく面白かったので再開を楽しみにしています!

losttechnologylosttechnology 2010/06/26 20:29 twiggy様お世話になっております。
お母様の台詞は正しいかも。だって部屋にもの増えちゃったら大変ですよ! 増やすのは簡単ですが、減らすのはなぜか苦労します。これこそ資本主義の回転する原理ですよねw
理想的には、風呂場や廊下に体重を支持できるハンガーが事前に設定されていればいいのですが(棒一本わたすだけでぶら下がり)。
倒産事例近いうち再開させていただきます。よろしくお願いいたします。

twiggytwiggy 2010/06/26 22:16 お返事ありがとうございます^^
そっか〜廊下に棒一本、横渡しにしてあれば良かったんですね。
家を建てる時に、設置しておけば良かった!もう少し早く知っていれば(笑)^^;
後付けだと、ぶら下がっている時にボコッ!っと落ちてきたら怖いですから・・・。
実家はスペースはたくさんあるので、ぶら下がり健康器を購入するのが一番良さそうです。
でも、モノが溢れないように気をつけないといけませんね。

twiggytwiggy 2010/06/26 22:17 書き忘れましたが、倒産事例、楽しみにしています。

losttechnologylosttechnology 2010/06/27 21:08 twiggy様お世話になっております。
倒産事例ですが、ぜひ再開したく考えていますが、間一回おかせていただきたく、よろしくお願いいたします(※日本農業との関係があるため。日本の専業農家の8割は高齢者中心のため今後10年以内に消失する。産業構造の激変が予想されるが、具体的な対策はゼロである・・)。

twiggytwiggy 2010/06/28 16:45 倒産事例は、いつでもいいですよ〜。
あくまで余興?ですから^^;

農業の問題のほうが重要ですね。

2010-06-12

ひよ子。このデザインは純粋に傑作と思います。

| 15:36 | ひよ子。このデザインは純粋に傑作と思います。 - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク ひよ子。このデザインは純粋に傑作と思います。 - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

お茶菓子のひよ子饅頭です。デザインが素敵。素焼きの小麦の色なのにひよこの呼称と一致する。単純な窪みの部分が直ちに目と認識される。見上げるポージングがなおよい。製作者の愛情が感じられるのだ。

これは東京みやげなので以下に述べるのは駄文ですが(※本来は九州のお菓子だったみたいですね。なんだ移住ww)。

ニュージーランドは鳥の国です。人間が持ち込むまで四足獣は存在しなかった。公園でも猫のように鳥が闊歩している。国鳥もキウイ。ニュージーランド人自身が自分たちの愛称としてキウイを用いている。そして観光立国。世界各地から旅行者が集まり、しかし交通費が高いので誰もみな頻繁に来られる状況にない。必然的に土産物を買い込む。オークランド空港の物産コーナーは人数比として成田よりはるかに充実している。

すなわち。

くちばし長めにしてキウイ饅頭にすればあっちでも売れちゃうんじゃないですかね? 中味はキウイ餡にして。がんがんに掃けちゃう気がします。工場作れば現地も絶対に喜ぶ。CMとか不要だけど作りたいときはピーター・ジャクソンにでも撮らせればいい。おそろしいブームになります。しかも一過性のものじゃなく定着する。ニュージーランド土産といえばキウイ饅頭の時代がくる。おまけに日本のひよ子まで関連商品として売れるのだ(成田で指名買いされる)。

うわー。やりたいです! ああ。仕事ねた1個 漏らしてしまった・・

◎サイエンスチャンネル まんじゅうができるまで

http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=B030601&i_renban_code=151

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2010-06-08

スパイダーマンvsゴジラ。結論として前者の圧勝。そもそもエメリッヒはなんでゴジラ映画作ったの?

| 05:02 | スパイダーマンvsゴジラ。結論として前者の圧勝。そもそもエメリッヒはなんでゴジラ映画作ったの? - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク スパイダーマンvsゴジラ。結論として前者の圧勝。そもそもエメリッヒはなんでゴジラ映画作ったの? - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

映画の3D化は着実に進行しているみたいですね。GWでの「アリス・イン・ワンダーランド」の入りも最高だったみたいです。口の悪い人々は「3Dなんて昔からある技術だ」なんて語りますが、それこそ迷言。3DとCGとの相性は最高なのです。三次元空間内で自由にイラストが制作可能となってきた現在だからこそ、3Dは普及しつつあるのです。日本も頑張らなくては・・(って言っても真っ先に映画化されるのが「バトル・ロワイアル」w 恥ずかしいw 田舎者大爆発ww)

3D化により過去の名作がリメイクされる。近いうち予想されるのは「ゴジラ」ですね。海外ではエメリッヒの手でリメイクされました。あれ、日本のゴジラと大きく違っていたのわかりますか?

NYにおいては、ゴジラは(Godzillaは)ビルをあまり壊さないのです。街を大切にする。行儀のよろしい怪獣ですねw 走るのは道路、吹き飛ばすのは路上に並んでいる自動車くらいです。モデルはいったいなんなのでしょうか? 少なくとも日本のゴジラでないことは確実です。オリジナルのゴジラは重機(ブルドーザ等)を模しています。こちらは建築物に直行する。そして倒す。まさに土木工事者の夢ですね。本能として更地を作りたい。整地にいそしむ爬虫類w 勤勉にもほどがあります。いったい彼はどこの出身なのでしょう??(←ほめ言葉ですよ)

ソニー・ピクチャーズによれば、次回のスパイダーマンは3Dとして制作されるそうです。これも楽しみですね。ダイブ時の浮遊感覚で酔ってしまいそうですが(超人であるスパイダーマンの身体能力を、3Dで直に再生するとなると、視聴者の感覚は理論的に追いつかないはずです。被害者続出w 下手すると訴えられるかな? ソニーはわかっててやってるんでしょうか?←ほめ言葉です)。

「アバター」や「アリス」では、背景となる夢想的世界を描くために3Dが使われています。異世界を表現するには3Dが不可欠なのです。しかし「バトル・ロワイアル」や「スパイダーマン」では、主人公たちの無敵の能力を描くために3Dが使用される。武器や銃弾がいきなり飛んでくるのです。なんだこの違いわ? いま書いてて呆れました。どういう映像になるんだろう? ジェットコースター的に驚かせることが目的なのだろうか? こりゃ根本的な違いだな? 映画について取り組むスタンスがまるで違っている。名監督は確かに名監督なんだと理解した瞬間です。この差はでかい。ちょっと深刻な差ですねこれは。

で。スパイダーマンとゴジラとの違い。

前者は街を守るのです。後者は徹底的に破壊する。テーマは正反対ですね。エメリッヒのゴジラは、最後に鉄橋のロープに搦め捕られて終わるのですが、これってスパイダーマンに捕まえられちゃったってことですよね? 土台である橋梁を壊しておけば彼も無事だったのに(土木工事者の観点がないから無理ですが)。ヒーローに更地願望があるかないか。この差が映画に現れているのです。

スパイダーマンのヒーローは、都市生活者の2世・3世に該当する世代です。都市の中で、底辺の場に位置しているにもかかわらず、前向きに、かつ自分に無理をしないで生きようとする。過度な上昇志向はない。ちょっと間抜けだ。しかし立つべきときには立つと知っている。従来型の都市住民と言えます。言うなれば、生まれながらの江戸っ子ですね。それに対してゴジラは、新世代の移入者ですね。彼は既に完成した都会にやってくる。地上げ屋同様に都市の更地化を敢行し、自分の居場所を力ずくで確保する。彼は完全な異分子ですが、彼のパワーは都会を席巻する。この両者が直接対決したらいったいどうなるのでしょう??

エメリッヒの解釈では、都市の力により(底力により)ゴジラは破滅するのです。都市はそれほど頑丈であり、直接的な破壊などありえない。都市は都市の力により成立し神格化している。それを守るのがスパイダーマンだ(スパイダーマンの力の源は都市の構造そのものにあります。スパイダーマンはビル街にクモの巣を張る。彼は、都市建築後の次の世代です)。しかしわが国の解釈では、都市の更地化は敢行されます。ゴジラを倒すのは政府権力。しかしそれは首都の力に立脚したものではありません。首都が破壊されても、東京なんて存在しなくても、政府は存在できるのです(←実際にそれが可能なのかは大いに疑問符がつきますが・・)。果たしてどちらが正しいのでしょう?

いまわかるのは、どちらの文化が“都市”を大切にしているかということです。どちらの街が美しいか。米国・欧州の街を歩いてみた方ならわかりますね。かの国の街並みは日本の街とは比較にならない。それは世代を超えて人々が街を愛しているからだ。日本では10年単位で街が表情を変えてしまう。街は使い捨てられる存在でしかない。首都が崩壊しても放送機能が停止しても、変わらず政府運営ができる程度の存在としてしか、私たちは(ゴジラ主義者たちは)街を(都市を)認識していないのです。

私たちはどちらに住む方が幸福なのでしょう? あるいは私たちの次の世代においては? 東京湾では捨てられるゴミを集めただけで続々と島が作られています。リトル・ゴジラが日々東京中で活躍しているからです。しかしこれももうじき不可能となる。捨て場所は数十年でなくなってしまうのです。この異常な構造を、私たちはおかしいとは感じないのでしょうか??

◎東京都廃棄物埋立管理事務所公式ウェブサイト  

http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/tyubou/

◎東京港最後といわれる新海面処分場の埋立が終わったら、ごみはどこに持っていくのですか。

http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/tyubou/tyubou09_faq/faq_ans01/ans1-7.htm

2010-06-07

アリ・バタネンvs太宰治。青森にとってどちらが参考になるか。勧めた結果は火を見るよりも明らかだ。 

| 00:20 | アリ・バタネンvs太宰治。青森にとってどちらが参考になるか。勧めた結果は火を見るよりも明らかだ。  - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク アリ・バタネンvs太宰治。青森にとってどちらが参考になるか。勧めた結果は火を見るよりも明らかだ。  - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

本日、栃木県宇都宮市にあるログハウス専門店BIGBOX様を訪問させていただきました。ものが良すぎ! ていうか直にほしくなりました。普段住んでいる和式住宅より確実に一歩上の生活が営めます。部屋の中にいてもストレスが溜まらない。疲れないのです。

外壁が厚い木材でできているので耐候性・防音性が極めてよい。なにこれ収録スタジオですか!?って驚いてしまうレベルです。剛性が高くてみしりとも言わない。地震に対してはべらぼうに強いそうです(地震災害に直面したとき、BIGBOX様のログハウスはほぼ無傷だった。基礎ごと流された1棟を除いては。他の一般家屋は柱が折れて倒壊している状況です)。建材の香りも素敵。むくの木材なのでシックハウス症候群とも無縁です。また作りが細かくて、雨垂れにやられてしまう木材の性質をよく理解しているので、軒先が全範囲に延長されており、テラスや手摺りや土台付近が結露時の水滴にやられないようにできている(雨の少ない北欧から直輸入された製品では、その辺の対策がなされてない物もあるです。それらでは劣化の速度が速い。もちろん各自が日々手入れしていればまったく無問題なのですが)。

そして感動したのがこれ。四隅の貫通ボルト。

ログハウスは、支持材である外壁の木材が、最初の数年間、1枚につき1mmほど年間で縮んでいくのですが、それを吸収する設計がなされている。ドアが開かなくなったり窓が閉じなくなったりしないのです(自作でログ建築を作った人ならわかりますねこの苦労。毎年のカンナ掛けorz)。その対策が本体のドア枠・窓枠になされている。そして経年的に生じる建築後のサイズずれを吸収するために、建物の四隅に建材を貫通してボルトが通してある。年間数回締め上げることで、建物がますます頑丈となる。念には念を入れた構造となっているのです。

いやあほしくなっちゃったよこれ! どうしましょう?

津軽の話に戻りますが。ログハウスの本場はフィンランドだそうです。青森以上の寒村・僻地の国ですね。でも世界最優秀のラリードライバーを多数輩出している。ラリーが国技と呼べる水準にまで達しているのです。ニュージーランドでフィンランド人のおねーちゃんと酒飲んでるとき聞いてみました「うちの国では、スバルとか三菱とかがいい車作ってんだけど、あんたの国のドライバーにいつもお世話になってるんだよね。アリ・バタネンとか。国民全員テールスライド&カウンターステアできるって本当なの?」「イエースww」wwww。

わかりますね? この重用さ。青森県人は別に甲子園優勝を目指さなくていいのです。別に目指してもいいのですがw 地理条件が違うから同レベルで張り合う意味がわからない。いやわかりますがw 日本は均質な文化だそうですがww それってテレビ放送に合わせているだけのことですよねw 同一番組を試聴しているから違いがあることもわからない。北国には北国のヒーローがいるのです。恰好いじゃないですかアリ・バタネン(おれも古いな・・)。そしてフィンランド。無理して日本家屋を作り、無理して野球してる意味がぜんぜんわからない。なんで東京文化なんだ。コスト払って結局住民は流失する。地理的条件が似ている、北欧と仲良くすればいいのにww

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2010-06-06

田舎といえば太宰治。彼はなんで東京にきたんだw あんた欧州の大学に留学するべきだっただろww

| 13:34 | 田舎といえば太宰治。彼はなんで東京にきたんだw あんた欧州の大学に留学するべきだっただろww - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク 田舎といえば太宰治。彼はなんで東京にきたんだw あんた欧州の大学に留学するべきだっただろww - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

田舎論の続きです。

あ。もちろん。都市の称賛をしているわけじゃないですからね! 逆です。都市と田舎とはそれぞれ別の文化を持っている。それが当たり前です。別の文化を所有することで、都市も田舎も双補的に存在できるのです。

しかしそれが前提とされていない(日本国では各人同じ教科書を使用しています)。日本は(日本人は)均質という不自然な想定がなされている。これが都市と地方に混乱と破壊をもたらす。この先入観を否定することが自分の義務なのだ。それらの文化はもともと一体ではない。別なんだ。別のものでいいじゃないかと。

津軽の話です。

私はこれまでバイクで何回か訪れています。感想は一言「遠いですね」。ひたすら時間がかかりました。アクセルひねる右手が疲れる。一般道をちんたら走ってるレベルで、開けっ放しのため右手が疲れるのです。最初に青森をバイクで走ったのは1984年の夏ですが、このとき一般道を走っていて、地域住民のセダンが時速110kmで走行しているのに驚愕しました。250ccのツインカムでなかなか追いつかなかった(前年は自転車で来たので速度域についてはわからなかった)。ねずみ捕りがないのにさらに驚きました。青森ではその程度の速度ではつかまえないのです。高速並みの移動速度を許容している。そうしないと、たとえば県内での人々の交流に問題が生じてしまうからなのです(午後の会合に出席できない等)。

NZなみの人口密度だから可能な速度ですね。NZでは一般道は100km/h制限なのです。そう、青森が参考とすべきだったのは、NZを含めた西側世界、北欧、デンマーク、スコットランド等。決して東京や大阪などではない。気候や人口密度、そして産業が似ている、緯度的にちょっと北に位置する西欧諸国にこそ、津軽のモデルは求められるべきだったのです。

で。

太宰治。作家です。代表作品『津軽』『人間失格』。彼はなんで東京になんてやってきたのでしょうね? もちろん理由はわかっていますが。戦後無頼派ww そういったもの名乗るなら、もうちっと冒険してもよかったですよね。たとえば海外の大学に留学するとか(太宰の実家はそれを可能とする大金持ちです)。それも留学先を、名前ではなく環境で選ぶ。“祖国”津軽に近い環境にある、デンマーク・北ドイツ、スコットランド等を選ぶこと。彼の天才のことです。上記の土地柄にはまったく問題なく馴染んでしまうでしょう。ルックス的にも悪くない。彼は多分もてますw しかし彼は東京を選んでしまった。その理由は彼にも周囲にも、意味不明の東京信仰があったからです。もったいない。東京で得たものっていったいなんだったのでしょう?

わかんないんだよなあ。環境が似ている欧州の方を彼は選ぶべきだったのに(←もちろん私はその理由を「わかっていて」書いてますよ)。そうすれば地元津軽にも貢献できること大だったのに。欧州の農業運営や、寒々しい北方の街を維持するのに必要な経営の在り方、鱈の乾物や麦加工品等の商品化、森林事業、あるいは白人のねーちゃんとの逢瀬等w 可能なことはいっぱいあったのです。なのに彼は東京の文学界に突入した。やってることは狭い文学サークルでの作業と女ですw いやもちろんその後の日本文学に寄与するところは大だったのですがw 彼はいい文書くと思いますよ? でも結局なされたのは玉川上水での心中。これって場所的にみても都民への当て付けですよね? 「おれと一緒に死んでくれ」という形で女を道連れにする。なんちゅーエヴァンゲリオンww 個人的な人類補完計画です(もちろん太宰の方が先です)。道連れって田舎者特有の思考ですよね? 他人を巻き込みたいw 田舎者いい加減にしろww

太宰は、戯画的にも取り上げられるような形式で死という舞台を選んだ。世界から消えようとは思わなかったのです。これ見ると彼には生の余地があることがよくわかる。生の延長として、デモンストレーションとしての死を選んだのです《つまり定義的に自決ではない》。あくまで演じることが主であり死は従であった。つまり文学という手法上の問題であった。新しい面白いネタがあれば、彼は死ぬ選択をしなかったのです。

太宰が、もし、北ドイツ等で、津軽みたいな寒々とした環境の中で健気に生きるドイツ人をみたら、いったいどう思うでしょう? あの書き出しに違和感をおぼえるのではないでしょうか。畜産加工品に生まれ変わり食生活を豊かにする家畜の群れをみたらどう思うでしょう? 津軽の地元で豊富に実る天然の恵を、東京と比較して取り上げるべきと考えてしまうのではないでしょうか?

東京の大学に続々と出ていく津軽の人々。彼等のかなりの部分は帰りません。地元の環境に適合しない、東京のサブセットに該当する知識を得るからです。教えられたことは東京文明の敷衍。これでは青森県全体として原発誘致に傾くわけです。なぜなら若人がそれ以外の知識を持たない。東京で育てば東京至上主義になるのは当たり前です。しかしそれが日本中にはびこり、各地をおかしくしている。東京一極集中の主たる原因となっているのです。東京にいたのでは津軽に適用できるアイディアなど浮かばない。それは緑のない過密都市でこそ使えるアイディアなのです。

津軽の人間は、青森県人は、東京ではなく自分たちの生活環境に類似した北米・欧州の大学にむかうべきであった。資金的な余裕さえあれば今すぐ向かうべきです(もちろん学費はかかりますが・・)。それでこそ帰郷してすぐに応用可能な知識が得られる。世界との交流のチャンスもある。東京に出たとしても、東京文明の手先となるだけです。ストロー効果で吸い上げられるだけ吸い上げられ、田舎には何も残らない。ますます地元は衰えてしまう。それなら東京を飛び越えてしまって、同様の環境でうまくいってる寒帯諸国を参照してしまったほうが早いのです。それでこそ真の知的経験が得られるのです。

それにしても考える。欧州で津軽の将来について思考を深める太宰治。じゃがいもと豚肉を前にして。隣には半分呆れた笑顔で振る舞うドイツ人の美女。なんて素敵なんでしょうww 彼は帰国してつぶやきます「入水? 遠い極東の世界ではそんな選択もあった・・」

2010-06-05

エヴァンゲリオン叩き! あれは山出しだ。OK&了解。じゃあ何が都会的っていうのかな?

| 02:01 | エヴァンゲリオン叩き! あれは山出しだ。OK&了解。じゃあ何が都会的っていうのかな? - ロストテクノロジ研究会 を含むブックマーク エヴァンゲリオン叩き! あれは山出しだ。OK&了解。じゃあ何が都会的っていうのかな? - ロストテクノロジ研究会 のブックマークコメント

昨日の続きです。映画の話。

調べてみてわかりました。ゴジラってまんべんなく日本国土を襲ってたんですね。すみません。でも最終目的地は東京ww まあそれはともかく。

初代ゴジラの監督を調べてみました。円谷さんですね。詳細な経歴はぜひ検索していただくとして。田舎出身という予想は見事に当たりました。やっぱりあれは土着的なものを感じさせますよ。都会的でスタイリッシュですが土着的です。つまり「いき」な話ではない。

いき? いきだと? なにからしからぬ発言ですねww

はい。都市生活のいやらしさ、常時相対評価にさらされること、これは都会では日々感じざるを得ないのですが、これを僅かながらにバファリングするには、いきな計らい(気の利いた計らい)は不可欠と思うのです。

突然妙な単語が出てきてもわかんねえぞこの野郎。把握できねえ。実例あげろ。そんな声が聞こえてきそうですね。

あげてみましょう。黒澤監督、小津監督、近年では山田洋次監督などです。彼等の映画では、主人公やバイプレイヤーたちの「いきな振る舞い」が話の肝要を占めています。椿三十郎は、命のやり取りの場に乗り込んでも自らの本名を名乗らない。そんな行為は「野暮」だからです。フーテンの寅さんも旅先では本心を語らない。それこそ間抜けた話(あるいは救われない話)と化してしまうからです。「それを言っちゃあおしまい」だからなのです。ひとは足掻きに足掻いてもその先の救済までたどり着けない。救済は努力ではなく偶然によりなされる。あるいはいきな振る舞いによって。都市では明らかなことが田舎出のひとにはわかりません。田舎出のひとたちは伝え聞いた成功歎をたよりに都市の解釈を行っている。決して都市部での人々の振る舞いからエンロールされたわけではないのです。そしてこの違いは保有する文化の違いとして制作物に投射される。「いき」系の監督たちの、経歴とその背景を調べてください。土着系の円谷さんとは、かなり違うことがわかるでしょう?

私はエヴァンゲリオン(←新しい綴りが携帯から入力できないのです)が苦手ですが、それは登場人物がそろって野暮だからですw 山出し軍団ww なのに岡田としおは「エヴァンゲリオンは日本文化だ」とか言っちゃってるw それねえわww 土着力全開ww シンクロ率とは土着率ですww 野暮な人々が東京を襲い、田舎の論理で都市を目茶苦茶にしてしまう映画。それがエヴァンゲリオンなのですww(寅さんと比較してみてくださいね)