以前紹介された本

   

いまこの国で大人になるということ

いまこの国で大人になるということ

 という本を以前O森が紹介してたが、それを読んでみて、整理している


選択ってのは選んだ物以外の可能性を捨てることだが、僕が今まで捨ててきた可能性というと何なのか

中学受験をやろうとした段階で、のびのび楽しい小学校生活やプロ野球選手は無くなった。男子校に入った結果、思春期真っ只中で彼女を作ったり悶々したり出来なくなった。ワンゲルに入った結果、他のクラブで何ぞすることは出来なくなった

気づかないうちにもう選べない道が増えてしまった。とはいえ今のところ、まだ色々残ってはいる。しかし後1年以内に、どーんと減ってしまう

 自分の可能性という宝物を大事にし過ぎて、抱え持ったまま捨てられず、"本当の自分"とかいう幻想を抱えて、結局ダメになってしまう人が多いと聞く。麻雀で言えばドラ抱え込みすぎて、結局無役になるような話だ

あと半年ほどで文理選択があるわけだが、多分僕は文系を選ぶだろう。僕よりも数理に強い人はたくさんいるから。だが選んだ瞬間、これまでに無いほどに多くの、あり得た"将来の自分"を失うことになる。医者だったり、科学者だったり……そうなれるという可能性を捨てなければいけない。捨てる中に、実は凄い幸せがあるのかもしれないという不安。だがその不安に負けて決断を先延ばししても、いいことは何もないわけで

かといってその不安を感じずに、単純な理由で簡単に決めてしまうのもいけない。ギリギリまで考えるべきなんだろう。真剣に自分の能力と理想に向き合って、とっておくべき"可能性"や"将来の自分"を最後の最後まで考えて、その上で選ばないといけない

今後も悩みの重さに投げ出すことなく、考えて行かないと

堕落

日本人は堕落したかと聞かれたら大部分の人がYes!Yes!Yes!と答えると思う。僕もそう思う

確かに若い衆の道徳意識は下がったみたいだし、少年の凶悪犯罪は増えてるし、深く物事を考えたりしない人が多くなった気がする。本も読まれなくなったしね

 読書すりゃ人間堕落しないとするのは乱暴な論理だが、今日の"堕落"の一因が若い衆の読書(学問って意味も若干含まれてる)不足と考えてみる

なぜ読書しないか。読書よりもゲームでもしてる方が楽しいし、感覚的で楽ってのがある。同じ快楽を得るのに、わざわざ手間のかかることをしないのは、むしろ自然だ

 まぁ知的活動の効用ってのを理解してる人は、それなりに考え考え本を読んだりしてるだろう。とはいえ、そういう人も読書し始めるきっかけは"楽しさ"なわけだ。読書の習慣がつく前に読書より楽で楽しい物を得たら、そりゃそっちをやるわけで、習慣なんぞつかない。人間は価値がどうとかより、楽か苦か、好きか嫌いかで結局行動する

読書に親しんで文章を読む耐性がついてれば、学ぶための読書もしやすいわけだ。思考のスタミナも身につくし

まぁ若い衆の本離れは当然の帰結ではある。とかく中二病は既存価値を否定したがるもんだし


インターネットがらみの事件増加も、その手の未成熟な若い衆が"一個人"扱いされちゃうとこに問題があるのかな。ネットがあるがために、通過儀礼的に起こす問題や事件が、昔と違って無闇に規模がデカくなってしまってる

まぁこういうのもああいうのも、様々なことが重なり合った結果が、日本人の崩壊・堕落に見えるのかもしれんね。

 インターネット上では人間は自由な"個人"なんだと考えると、西洋的な個人主義がきちんと定着するにつれ、問題も減っていく……こともないか?

 しかし個人主義社会の典型であるアメリカも、どうみても住みやすそうに見えない。人間は結局単体では不完全なもんなんだから、個人主義ってのは本来成立しないのかも。まあ群体としても完全とは言えないけど。ややこしいし、終わっとくか

レポート

 レポートは本離れをテーマに書くことに決めました。のですが、はて時間があるようなないような。5日で書き上げろったって、ねぇ……。どのぐらいまでなら締め切りオーバーできるでしょうかねぇ

 家庭科?家庭についての記事とかどうやってあのスペースに貼り付けるんスかwww誰か真面目にやった奴にいただこうかしらん