「アブラハム・クーパー」というサイモン・ウィーゼンタール・センターの人について

以下のところから、
traviesoの走り書き:[hoge]愛・蔵太(id:lovelovedog)さんへ

なお、US-JAPAN DIALOGUE ON POWS, INC.とサイモン・ウィーゼンタール・センターの関係については、エブラハム・クーパー師がDialogueのアドバイザーであることからはっきりしている。しかし、先に述べたようにセンターはグローバルに活動する人権団体のようであり、最近では以下のような問題にも関わっているようだ。

今日は私以外にもみなさんに直接挨拶したいという方がいらっしゃったのでここでご紹介します。
その方はアブラハム・クーパーさん(ラビ=ユダヤ教司祭)とおっしゃって、サイモン・ヴィーゼンタール・センター(ホロコースト生存者によって作られた国際的記録保存組織の博物館、研究機関)の館長をなさっていてます。
クーパー氏は、ホロコーストの生存者として普通の生活をなさってもよかったのですが、この経験を絶対に無駄にしてはいけないと言うことで、ナチス政治犯を見つけ出す活動を含めて力強い活動をなさってきた方で、今でも非常に大きな影響力を持っており、ユダヤ教の方々から大変支持を得ている方です。
クーパーさんは、私が主催する北朝鮮自由連合に最近加わりましたことで、私から日本人拉致問題についてお話ししたこともありまして、『日本人拉致問題を自らの経験と照らし合わせて非常に共感をもち感銘を受けたことを伝えて欲しい。』更に、『日本人拉致問題を特化したイベントをロサンゼルスのサイモン・ヴィーゼンタール・センターの中心的建物である、寛容の博物館(ロサンゼルス)で、催し皆さんを招待して是非紹介したい。』とのメッセージを頂いています。

http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3676

うーむ…。
アブラハム・クーパー - Google 検索
こんなのとか。
恐怖のユダヤ口封じ作戦 週刊ポストへの圧力
ユダヤ団体、週刊ポスト記事に大反発

ユダヤ団体、週刊ポスト記事に大反発
【ロサンゼルス15日=石井一夫】小学館発行の週刊誌「週刊ポスト」の記事に抗議しているユダヤ人人権擁護団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)が、同誌に広告を掲載している日米の企業十社に対し、広告掲載の中止を要請していることが十五日、明らかになった。同センターは四年前、文芸春秋の月刊誌「マルコポーロ」を廃刊に追い込んでいるが、「今回も日本政府やイスラエル政府への働きかけを計画している」という。
同センター副所長のアブラハム・クーパー師によると、広告掲載の中止を要請した企業は、松下電器産業トヨタ自動車日産自動車本田技研工業マツダサントリーキリンビール住友商事の各米国現地法人計八社と、マスターカードフィリップ・モリスの米企業二社。十四日いっせいに手紙やファクスを送ったという。
同センターが問題にしているのは、週刊ポスト十月十五日号の「長銀『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈ついに掴(つか)んだ」と題する記事。
クーパー師は各社に送った文書の中で、「『長銀買収の裏にユダヤ金融資本の陰謀があった』というもの」と要約し、「こうした反ユダヤ主義の虚報は、ホロコーストユダヤ人の大虐殺)を正当化するためにヒトラーによって使われた」と記している。
また、各社の広告掲載実態を指摘したうえ「週刊ポストをサポートすることは、同誌の芳しくない記事に貴社を関係させることになる」としている。
読売新聞社の取材に対し、同師は「広告掲載企業を通じて週刊ポストに圧力をかけてもらう」と話している。
同センターは週刊ポストに対しても、記事の撤回と謝罪を求める文書を送っているが、ポスト関係者によると、同誌は、「記事に関する問題点を具体的に指摘するよう求める回答書」を十一日付で送付したという。これについてクーパー師は「誠実な回答とは思えない」と話している。
同センターは、世界的に最大規模の人権擁護団体で、会員は米国内だけでも四十万人を数える。一九九五年に「マルコポーロ」誌がホロコーストの歴史的な存在を否定する記事を掲載した時にも、これに抗議のうえ、各企業に文芸春秋の雑誌などへの広告掲載中止を要請。各企業が次々とこれに応じ、同社は同誌を廃刊にし、社長が辞任する事態となった。
週刊ポストの坂本隆・編集長の話「センターからの抗議に対しては、すでに文書で誠意ある回答をしている。広告に関することについては、事実関係がわからないのでコメントを控えたい」
(10月17日3:02 読売新聞)

ちょっとこの人に関して言及すると禁断の領域に近づいてしまいそうなので自主規制をある程度することにして。
北朝鮮拉致問題にも、アブラハム・クーパーさんは興味を持っているみたいです。
なお、
traviesoの走り書き:[hoge]愛・蔵太(id:lovelovedog)さんへ

もし、「誰が」のみに焦点があたりすぎるなら、他の部分は影になって見えなくなってしまう。見えなくなることをリテラシーと呼ぶことはできないだろう。

なんですが、ある人物がどういう人物であるか、を見る(語る)こともないまま見えるものをリテラシーと呼ぶのは、俺的には無理があるのです。ニューヨーク・タイムズ大西記者が流す情報(記事)について、その記事を書いた人間が以前にどういう記事を書いた人間であるか知っておくことは、どう考えてもリテラシーとしか呼びようがないでしょう。「焦点のあたりすぎ」よりも、人物に対して今まで焦点が当たらなさすぎた(ある情報を誰が流しているか、についての言及があまり多くなかった)わけで。
ということで、実に久々に新しく、俺の日記のカテゴリーに「人物」というのを追加してみました。