髪の長い女の人

それは、暑い夏の午後の、ようやく日も暮れようというたそがれ時でした。私の前を、髪の長い女の人が歩いているのが見えました。距離は50メートルぐらいで、はっきりその人の顔が見えたし、歩いているのも確かだったのですが、じきに妙なことに気がつきました。
私とその人とは顔が向きあっているので、じきにすれ違う距離になるはずなのですが、いくら歩いてもその人と私との距離が縮まらないのです。不思議なこともあるものだ、と思いましたが、やがてその理由がわかりました。
彼女と私とは、すれ違う方向に歩いていたのではなく、同じ方向に歩いていたのです。
そのことに私が気がついたのを、彼女は知ったのか、私の顔を見るとにっこりと笑って、髪の毛で自分の顔をおおいました。
するとそこにはただ、私の少し前を歩いている髪の長い女の人の後姿があるだけだったのです。
 
ネットのどこかで拾ったネタでした。

客観的に確認可能な事項について断定的に何かを言っている人間は、「人力検索はてな」になる覚悟と責任と自覚を持て、という可能性は否定できない

こんなところから。
BigBang: 奴隷になるなら1人で行け----僕らは「人力検索はてな」ではない。

議論になったときの戦い方と言うのは、その人それぞれで特徴があり、鋭いとか鋭くないとかいう以前に、意表をついたような論法で向かってきてくれると、これはこれで趣があって楽しいものだけれど、品がないだけではなく、退屈極まりないのがこれ。実に楽でずるい戦い方である。

どこに書いてあるんですか。早くリンクを示してください」

別にずるくもないし、議論でも、議論になったときの戦い方でもありません。客観的に確認できる事項についての「事実確認」をしているだけなのですが。要するに「議論」以前の問題です。そもそも俺は何かについて議論をする気はありません。ネットで「ちょっと小耳にはさんだいい加減な話」をブログでしている人が、その「話」を都市伝説ではなくあたかも事実であるかのように断定的に話している場合に、それはいったいどういう情報に基づいているのか、その情報は真実なのか、に興味を持つだけのことです。俺が知らない事実がそれによって分かる場合もあり、自分の無知を知ることは、知識を増やす意味でまず自分にとってマイナスになることはないのですね。
上記のエントリーを真に受けて、「私はあなたの人力検索はてなではありませんので、質問の回答はお断りします」と言いながら、引き続き根拠の曖昧な情報を流しまくる人が出てくるかもしれないと気になったので言及してみました。あることについて何かを語っている人間がいる場合、それが真実であるか否かの立証・検証責任は、言った側にあると、俺は判断しています。
「ソースを示せ」という人に対する、あまり面倒くさくない解決方法(回答)としては、むしろ以下のもののほうが、より「本当はどうだったのか」について検討する(=知識が広がる)、という意味があるので、おすすめしておきます。

確かに私の記述はソースが曖昧すぎたので、「○○は××である可能性は否定できない」という表現に、該当部分を改めます。もし可能でしたら、別のもっと高い可能性がありそうな事実を示していただけるとありがたいのですが。

その際に、「○○は××でない可能性を示してください」と言うのは、よほど頑固に「自分が考えている「○○は△△である」という可能性のほうが高い」と、曖昧な根拠で言い続ける人以外にはやらないほうが無難です。
BigBang: 奴隷になるなら1人で行け----僕らは「人力検索はてな」ではない。

僕たちは「人力検索はてな」でもなければGoogleの奴隷でもない。なぜあなたの屁理屈への反論のために労力を費やし、情報を探してきてあげなければならないか。

それはまぁ、「ここはいい加減なことを憶測で書いているトンデモ系なブログなので、あなたの質問は場違いです。それではまたどこかでお会いしましょう」と言っているのと同じですね。