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愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2007-08-16 いつまで暑い日が続くのか

[]映画『火垂るの墓』で高畑勲監督が伝えたかったこと(アニメージュ1988年5月号から)

 これは以下の日記の続きです。

『火垂るの墓』は宮崎勤事件と関連して見たような記憶があった

 

 で、とても重要なことですが、ぼくの前回の日記は高畑勲監督のメッセージを読み間違えていました、すみません。

 ということで、1988年5月号アニメージュに掲載された、高畑勲監督の言葉を全文引用します。p46-47。太字は引用者によるものです。

反時代的だった清太と節子の生活

 

映画「火垂るの墓」は、昭和20年、空襲によって母を喪い、家を失った兄妹、清太と節子のふたりだけの生活を中心にすえている。この楽しくも、また哀しい”家庭生活”について、高畑勲監督にうかがった。

 

最小単位の”家庭”

 

 清太14歳、節子4歳。戦時下の日本ではやや恵まれた家庭に育ったと思われるふたりは、空襲によって母をなくし、親類の家にも居づらくなり、壕でふたりだけの生活をはじめる。それは節子の死によって終わりを告げるのだが、この映画は、そのふたりの生活を丹念に映像化している。その意図はどこにあったのか?

「はじめて原作を読んだとき、これは神話だな、と思ったんです。『神話』とは何か、ぼくもよくわからないので、いい加減なものですが、とにかく神話性のある物語は、同じ人物、同じ筋だてに様々な意味や肉づけを与えることができるんですね。どんなことをしても、簡単にはこわれてしまわない強さを物語自体がもっている。とまあ、この物語の扱い方が読者それぞれの思い入れやイメージとちがっていた場合の弁明を先にしておきたいんです。

 で、意図といわれると困るんですが、この物語はやはり”家庭”を描くことが前提だと思います。(海軍大尉である)父親のことはいつも清太の頭のなかにあったのでしょうが、現実にはいないし、空襲で母親も死んでしまって、兄妹ふたりになった。その最小単位の家族で独立した”家庭”を営もうとする。

 家庭を営むには、大きくいって衣・食・住が必要なわけですが、衣については親戚の未亡人の家にふとんや衣類を疎開しておいたので大丈夫だったとして、あと食と住の大問題があるわけです。この問題ぬきに”家庭”は成立しない。ふたりは如何にして彼らの”家庭”を築いたか----どうもこれは最小のホームドラマだと考えながら、この作品を作ってきたように思っています」(高畑勲監督。以下「」内コメントはすべて高畑監督のものです。

 とはいうものの、妹の死によってこの兄妹ふたりの家庭生活は失敗に終わってしまった、と考えられるのではないだろうか?

「そうではないんじゃないでしょうか。成功したんじゃないかと思います。成功したにもかかわらず妹が死んでしまうというところに、この物語の悲劇性、ひいては神話性があると思うんですが。

 なぜ成功だったかというと、たとえば、無人島で愛しあうふたりが生活したけれど、他人がいなくて退屈してしまい、いさかいばかりおこしていたというなら、これは失敗で、ふたりの天国を築きあげられなかったことになると思います。

 でも、清太は節子との生活のなかでイキイキしていたんじゃないでしょうか? 家庭生活を築く楽しさ、そのなかでの心のかよいあい、いうならば愛、その限りにおいて、清太は大変充実した生を生きたと思います。精一杯できる限り好きなように生きようとしたんじゃないでしょうかね。好きなようにといっても、清太が妹の世話をいやがるような少年であったならば、まったく話はちがってきたわけで、たとえば、ごく当り前のように節子をおぶい紐でおんぶしたりするところを見ても、空襲以前からそういうことに慣れていたということを感じさせますよね。病弱の母親にかわってオサンドンをするというようなことも、きっとあったんでしょう。妹への愛情だけでは”家庭”は営めませんからね」

 

反時代的な行為

 

 高畑監督は「火垂るの墓」の制作に入る前に、清太という少年と現代の少年たちが似ているということを指摘している。この家庭を営む兄妹という点から考えて、その類似はどんなところにあるのだろうか?

「清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。お向かいの娘に、『うちらも2階の教室やからけえへん?』と誘われて『ぼくらあとでいきますさかい』と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。清太はそれを我慢しない。壕に移り住むことを決断して清太はいいます。『ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。』そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。

 心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。

 でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ! と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の”全体主義”がはびこっていたんです。清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。”純粋の家庭”を築く、というのはおそろしく反時代的な行為ですよね。現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします

 ところで、戦時下とはいえ、清太と節子の生活は、いわばふたりだけの天国だった。その充実した短い楽しい日々は、ふたりの死によって、かえって美しく感じられる。一種の”刹那主義”と感じられる危険性もあるのではないだろうか。

「それに対しては、死によって達成されるものはなにもないとぼくは思っているんです。清太と節子の幽霊を登場させているんですが、このふたりの幽霊は気の毒なことに、この体験をくり返すしかないわけです。それは、たとえそのふたりの生活が輝いていたとしても、うらやましいことでもなんでもない。

 人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います

 高畑監督といえば、これまで「アルプスの少女ハイジ」をはじめ「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」など、日常生活に密着したアニメーションを演出しつづけている。その姿勢は今回の「火垂るの墓」にも貫かれているようだ。

 原作をもとにしながらイキイキと描かれた清太と節子の生活が、現代の少年少女たちに、戦争を知っているおとなたちに、どう写るのか。高畑監督ひさびさの劇場用作品を観客のひとりとして楽しみに待ちたいと思う。

 ということで、高畑勲監督は「ビバ・オタクで、清太の反社会的な生き方に肯定的」な人だったので、監督の製作意図としては「清太に感情移入してみてほしい」というものだったようです。

 まぁ神話なんで、様々な解釈があってもいいと思う、とは高畑監督も言っていますが、こうまでぼくの見方と真逆だとは思わなかったのでした。全体主義よりはいっそ妹を殺すほうを選ぶぜ、だったのか。

 野坂昭如氏の、「火垂るの墓」に関する意見は、また日を改めてテキスト探しておこうかと思います。

(追記)

以下の日記もおもしろかったです。

http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20070819

チャトランガ夫人の恋人:『火垂るの墓』に対するIMDbCinemaScapeWikipediaの評価

NN 2007/08/16 23:15 なんか怖いお話です。高畑監督の小さい目の奥にうすぼんやり見える冷徹そうな
眼光が怖いです。そういえば、以前BSで小津監督の特集をやったとき、佐野史郎が「小津監督は本当は人間の事なんかどうでもいいと思ってるんじゃないかと、思える

セリフがあって、怖い」と語っていました。小津、高畑。日本のリアリティ系の作家
は共通点があるのでしょうか。

lovelovedoglovelovedog 2007/08/16 23:56 小津監督の映画は「東京物語」しか多分見ていないのでよく知らないのでした

ねねねね 2007/08/17 01:30 庵野秀明も高畑勲のことを「あんな冷たい人はいない」と著書(スキゾ・エヴァンゲリオンかパラノ・エヴァンゲリオンのどちらか)と語っていました。(「火垂るの墓」でせっかく描いた摩耶をあっけなく黒塗りにされたせいかもしれません)
「火垂るの墓」DVDに収められた高畑監督のインタビューでは、「清太をあえて”今時の少年”として描写した}ということを語っていました。宮崎駿から「あの時代の14歳で、しかも海軍士官の跡取り息子だったらもっとしっかりしているし、軍隊では遺族に対する互助がきちんとしていた。あんな話はありえない」と批判されて、「自分は疎開も体験したし、当時のことを知らないわけじゃない。あえてああいう話にしたんだ」と言い返したそうですから、「何不自由なく育った子供がいきなり世間に放り出された場合のシミュレーション」をやってみたのかもしれません。もともと「火垂るの墓」自体「反戦映画」ではなく「厭戦映画」だと思います。原作の清太は妹のむき出しの脚にムラムラしたりしてますし、「可哀相な天使ちゃんの話」ではありません。「アメリカひじき・火垂るの墓」の主人公はワガママで自分勝手な奴ばかりです。(この中の「死児を育てる」の女主人公が妹にやったことが、野坂昭如の妹に対する態度の実態に近かったようですね。)
ところで、空襲が6月5日、叔母さん(といっても「父の従兄弟の未亡人」だからはっきり言って他人だよなあ、実家に戻ってても肩身狭いだろうし)の家を出たのが梅雨明けしてるようなので7月末くらい、節子の死は8月22日、清太の死が9月21日なんですが、栄養失調による衰弱死ってこんなに早いもんなんでしょうか?

lovelovedoglovelovedog 2007/08/17 21:44 戦争は嫌(厭)ですよねぇ。あまり戦争体験がないから想像でしかモノが言えませんが。昭和天皇も嫌だったって言ってました

護摩吉護摩吉 2007/08/18 05:25 >ねねさん
「何不自由なく育った子供がいきなり世間に放り出された場合のシミュレーション」
僕も同感です。母親が死んだとはいえ兄妹は当時の上流階級の子供で蓄えもあり父は日本最強艦隊の乗組員で生還は確実。清太にとって壕は14歳の少年が考えうる自立した大人の自分を体験する場であり、同時に父が帰還するまでの暫定的な非難生活シェルターだったのでしょう。だからこそ大和の沈没を聞いて初めて現実に直面するも、その直後に守るべき妹が死亡。生きる目標を失った清太は緩慢な死を待つのみだったと考えました。
>栄養失調による衰弱死ってこんなに早いもんなんでしょうか?』
そこは映画を観ててもあれ?と思いました。少ないとはいえ何かしら口にするシーンが結構ありましたね。なんで節子が下痢を訴えている点からアメーバ赤痢による脱水症状と考えています。清太も原作では下痢による衰弱が死因と描写されています。

scrumploversscrumplovers 2011/02/22 07:54 護摩吉さんのコメント、私も同感です。原作は読んだこと無いんですが、納得出来る説明だと思います。
私も戦争を知らない世代ですが、戦争して良いことは何もないと思っています。

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