「Corpus Delicti(コーパス・デリクタイ)」の翻訳について(罪の巨塊)

 これは以下の日記の続きです。
人が書いてもいないことを書いたと書く(言う)のはカンニンしてください、曽野綾子さん(罪の巨塊)
 
 大江健三郎氏の、新聞に掲載された元テキスト(画像)から。
「罪の巨塊」に込めた思い(2007年11月20日朝日新聞』朝刊)

(前略)
私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。
(後略)

 いや、大江健三郎さん、corpus delictiって「他殺死体」という意味ではない*1し、普通は「罪の塊」という日本語にもなりませんから。
 ぼくのところに来たトラックバックから。
マニアック過ぎて恐縮なんだが - 萬の季節

"corpus delicti"は「罪体」だろう。他殺体じゃない。他殺体は罪体になりうるけど他殺体しかcorpus delictiじゃないなら殺人以外の罪には「罪体」が無いことになってしまう。つまり自白以外に補強証拠がいらないことになってしまう(恐ろしい)。
(中略)
「罪体」ってわかりづらいが、多分法科の元学生的には「客観的構成要件に該当する事実」という表現がわかりやすいだろう。
(後略)

 ひらたく言うと「物的証拠」でしょうか。「罪体」の「体」にはたとえば、犯行に使われたナイフといった「モノ」の場合もあるわけです。(追記。すこしちがったみたいです。以下のところ参照→http://d.hatena.ne.jp/nomurayamansuke/20071130#1196409870
罪体《コーパス・デリクタイ》

"Corpus Delicti" は普通『罪体』と訳されるが、知らなければこれでもチンプンカンプンだろう。要は、殺人事件で言えば、被害者がまちがいなく死んでおり、その死の原因は他者の犯罪的な行為である(自然死や事故死や自殺ではない)事の証明である。犯人は○○だと指摘する前に、まずこれを確立する必要がある。犯罪構成事実。有罪認定証拠。証拠物件。

日々是好日 大江氏による「罪の巨塊」の変な説明

まず「他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました」とのことである。そこで大江氏はcorpus delictiを「罪の塊」という日本語にし、それも巨きい数という意味で「罪の巨塊」とした、というわけである。ところがcorpus delictiは大江氏もご存じだと思うが普通の英和辞典にも載っている言葉である。大江氏はなぜ辞書をあえて無視して(?)自分勝手にcorpus delictiから「罪の塊」という、大江氏の説明がなければ意味不明の、いや、私にとっては説明があっても意味不明な日本語を作ったのだろう。この『造語』が実は誤魔化しの始まりになっているのである。
研究社の新英和大辞典(第六版)でcorpus delictiを引いてみよう。
《1【法律】罪の主体、罪体(犯罪の実質的事実). 2 他殺死体 (後略)》と出ている。
確かに大江氏の記すように「他殺死体」との訳語はある。だから「他殺死体」という意味を込めててcorpus delictiを「罪の塊」とするのなら、もちろん「罪の塊」(他殺死体)が渡嘉敷島の守備隊長でありうるはずがない。これを同じものとするには大江氏の主張通り文法的にムリがある。しかし、ここで「罪の巨塊」=(巨きい数の「罪の塊」(他殺死体))としてしまうと、これは大江氏の「沖縄ノート」における文脈とは矛盾して論理の破綻をきたすではないか。
大江氏の説明によれば「渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体」と実は書くべきところ、その代わりに「罪の巨塊」と書いたことになる。この「三百二十九の死体」は「他殺死体」ではなく文脈では「自決死体」なのである。アメリカ艦船の砲撃で殺戮された「三百二十九の死体」ではなくて、渡嘉敷島の守備隊長の強制で集団自決した「三百二十九の死体」なのである。

2004年 横浜連続講座 伊佐千尋氏 baishin.com

一つは法廷場面で、検察官が強姦犯人らしい男の被告人の重要部分を指して、「コーパス・ディリクタイ」とだけあります。
 "corpus delicti" は犯罪のボディ、罪体、あるいは犯罪構成事実を意味する法律用語ですが、死体など犯罪の対象たるものを指すこともありますが、この場合は「あれが、元凶だ」ともじっているのでしょう。
 corpus delicti の意味を知らなければ、この漫画の面白みはありません。

 ↑これは沖縄戦とは関係のない、法律用語に関するギャグ。
大石英司の代替空港: 罪の巨塊

corpus delictiに関してのみ言えば、これは純然たる法律用語で罪体(罪の本体)のことに過ぎません。
アメリカの推理小説家M・D・ポーストが書いたその名も「罪の本体」という小説(光文社文庫の「クイーンの定員I」に収録)で詳しく取り上げられていますが、corpus delicti(犯罪の結果としての死体)は状況証拠のみによっては証拠とできず、直接証拠があって初めて有罪にできる… というアメリカ法について争われた法廷小説です。

JOHN GEORGE HAIGH

ジョン・ジョージ・ヘイグは完全犯罪を企んでいた。彼は死体が見つからなければ殺人の罪には問われないと信じていたのだ。だから、死体をこの世から消し去った。しかし、彼がよく口にしていた「CORPUS DELICTI」というラテン語は、文字通りに「死体」の意味ではない。「罪体」の意味である。つまり犯罪を構成する事実そのものを指すのであり、それが客観的に証明されれば必ずしも死体は必要ないのである。

めとLOG 〜ミステリー映画の世界

⇒"CORPUS DELICTI"(コーパス・デリクタイ)とは法律用語で、一般的に「罪体」と訳される。殺人事件に於いては、被害者がまちがいなく死んでおり、その死因が他者の犯罪行為=自然死や事故死・自殺等ではない事の証明。犯罪構成事実、有罪認定証拠、証拠物件とも訳される

 もうこのくらいでいいかな。
 で、今週号(2007年12月12日号)の「SAPIO」、井沢元彦氏「拝啓 大江健三郎様 「〈罪の巨塊〉とは〈集団自決の死体〉のこと」という弁明は少し苦しいのではありませんか」p41

 そもそも「corpusdelicti」つまり普通に訳せば「他殺死体」を、「罪の塊」と訳したのが、まったく思いやりのない大誤訳である。これを「罪体」と訳す辞書もあるが、丁寧に言えば「犯罪によって生じた死体(自然死とは違う)」という意味だろう。それを「犯罪」ではなく「罪」という言葉を使うと意味が逆転してしまう。言うまでもなく他殺された人は被害者であって本人に罪はないのに、まるで罪があったかのように感じられてしまうからだ。
 大江さん、あなたはレイプされ殺された女性の遺体のことを「罪の塊」と、被害者の遺族の前で言うんですか? いや、既に言ってますよね。あなたの言う通り、「集団自決」した「三百二十九の死体」が「罪の巨塊」なら、彼等は「罪人」ということですか? 普通の国語力を持った日本人なら、そう受け取りますよ。

 これはひどい
「corpus delicti」を「罪の塊」と訳すのは、確かに異常訳ですが、普通に訳すと「他殺死体」ではなく「罪体」で、「罪体」とは「犯罪によって生じた死体(自然死とは違う」という意味ではありません。
「レイプされ殺された女性の遺体」は、法曹関係者によっては「罪体」と呼ばれるかも知れません(被害者の家族の前で言う可能性はあまり高くないと思いますが)。
 なんかこう、井沢さんのテキストは、相手の間違いを指摘しようとしているうちに、自分が何を言っているのか自分でもわからなくなる、みたいな見本のようなテキストにぼくには思えましたが、みなさんはいかがですか。
 ちなみにぼくには、大江健三郎さんが何を言っているのかがそもそもわかりませんでした。「渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体」と書けば誰にでもわかりやすいテキストになったと思うのですが。
 

*1:正確には、「他殺死体」という意味とイコールではない、の意。