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愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2009-07-05

[]広島の原爆の死者の公式数15万±1万人は幻か

 この「広島の原爆の死者の数」というのが、いくら歩いても近づけない蜃気楼のようにぼくの前に現れて離れません。

原爆死没者慰霊碑 - Wikipedia(注釈)

なお原爆による「犠牲者数」については、今日に至るまでさまざまな議論や検討がなされている。1976年11月 国連報告では、原爆による死者・行方不明者:広島14万±1万人(1945年12月末まで)としている。(国連報告に記載された犠牲者数は、1945年末までの限定であり、また被爆から数年後に発症し死亡した白血病患者を含まない)

ヒロシマ─広島 被爆60年(その2)(pdfファイル)

 国連アピール〔原爆被災報告書作成〕昭和51年11月、荒木 武広島市長、諸谷義武長崎市長、大内五良広島県医師会長が国連を訪問し、被爆被災の実情を訴えるため、広島・長崎両市の原爆被災報告書を国連のデクエアル事務総長に提出することになった。広島大学総合科学部 今堀誠二部長を報告書作成委員長に、原田東岷原田病院長、岡本直正広大原医研所長、庄野直美広島女学院大学教授、湯崎 稔広大原医研助教授と広島原爆病院内科部長の私が報告書を分担作成することになった。原爆の物理学的被害〔熱線、爆風、放射線による〕は庄野教授、被爆者の健康障害については私、被爆者の生活、社会的影響については湯崎助教授が担当した。国連アピール全文について記載するには膨大なので、要点のみ記したい。広島・長崎両市における被爆者数は、広島市では36±1万人、その内死亡者数は昭和20年末で14±1万人、長崎市では28±1万人、死亡者数7±1万人であった。

 この「国連アピール全文」を、国会図書館とかネットのどこかで見つけてくればよさそうです。

 で、中国新聞のこの記事を引用。多分2007年の記事。

10代がつくる平和新聞 − ひろしま国:8.6探検隊【原爆の犠牲者数なぜあいまいなの<上>】

Q:広島に落とされた原子爆弾でいったい何人が亡くなったのか、なぜいまだに正確に分からないのでしょうか。

A:市推計は14万人だけど…

 人の命は地球よりも重いって言うよね。大事な質問だ。調べるため、まず広島市中区の原爆資料館に行ってみた。

 展示パネルでは、1945年12月末までの原爆による推定(すいてい)死亡者数を「約14万人(誤差±1万人)」と紹介している。つまり13万から15万人の間ということ。2万人もの命がはっきりしないことになる。何でそんなことになるんだろう。不思議(ふしぎ)だよね。

 この根拠について、市原爆被害対策部は「76年に、市が国連事務総長(じむそうちょう)に核兵器廃絶(はいぜつ)などの実現を目指すよう要請(ようせい)したときに、専門家を集めて調査研究した結果の数字」と説明する。

 

■「20万人以上」も

原爆で亡くなった人が次々と画面に映し出される国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の遺影コーナー。20日現在、12392人分が公開されている

 最近の高校の教科書を調べてみると、この数字を根拠としたと思われる「原子爆弾による1945(昭和20)年12月までの死者は、広島で約14万人」という記述や、「被爆直後から5年間に、広島では20万人以上(中略)の市民が死亡」など、期間や人数がばらばらだ。時期を特定せずに「およそ12万人の命をうばった」とするものもあった。

 「20万人以上」の根拠を探してみると、市が53年に「約20万人」と推計していることが分かった。「原爆被爆者対策事業概要(平成18年版)」にそう記され、説明がしてある。

 被爆当時に広島市にいたと推定される人口42万人から、5年後の全国調査で「当時広島市に居住(きょじゅう)していたか」を尋(たず)ね、生存が確認された約15万8000人を引き、そのほかの資料を考慮(こうりょ)した数字だという。

 ところが、数年前にさかのぼってこの事業概要を見てみると「約20数万人」になっている。いつの間にか「数万人」が消えたことになる。

 キツネにつままれた気分で、53年の中国新聞を取り出してみた。「二十数万名」と、市の発表を伝えている。「広島県史」原爆資料編もこの記事を引用し、数万人多い。

 頭がこんがらがるので市の出している数字を、一度整理してみよう。原爆が投下された45年の年末までには13万から15万人が亡くなり、5年後の50年までには20万から20数万人が死亡したということだ。いずれにせよ、なんでこんなに差がでるのか、理解しづらいよね。

 そう考えていると、また別の数字が出てきた。

 

■名前の多く不明

 

 2006年8月6日現在、市の原爆被爆者動態(どうたい)調査事業によれば、45年12月末までに亡くなった人のうち名前が分かっているのは、8万8979人だという。推定死亡者の最少の13万人から引いても、4万人以上の差がある。被爆62年を迎えて、そんなに多くの人が命を失ってなお名前が分かっていないということなのだろうか。

 市原爆被害対策部の松村司部長は「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)は推計に過ぎない」とした上で、「この数字がどういう経緯で決まったのか、すぐには分からない。詳しく調べてみたい」と話す。ここから先は、次号で紹介するね。

(森岡恭子)

10代がつくる平和新聞 − ひろしま国:(4)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <下>】

Q:広島に落とされた原子爆弾でいったい何人が亡くなったのか、なぜいまだに正確に分からないのでしょうか。

A:見つからない特定方法

 前回、原爆死没者数について、なぜ、はっきりした数が分からないのだろうと、いろいろな数字を紹介したね。  

「宿題」だった、市の推計「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」の根拠について、市国際平和推進部平和推進担当の手島信行課長から回答があった。結局、どういう数が重なったのかは市の資料では分からないらしい。「専門家による委員会に資料作成を任せた」からだという。

 ただヒントはくれた。

 

■新聞寄稿で説明

 

1976年12月10日、13日付の中国新聞だ。市の発表から約2カ月後、推計に携わった故湯崎稔広島大教授(当時同大原爆放射能医学研究所助教授)が2回にわたり寄稿している。  

 44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している。被爆30年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置されてきたと指摘する。

 でもなぜ誤差が2万人も出るのだろう。広島市や周辺の人は戸籍と照合し、軍人は遺族に対する給付金の申請などの数を基に差を小さくすることはできないのか―。

 

■抹消された戸籍

 

「広島原爆戦災誌」第3巻を読むと、戸籍簿は疎開させ、焼失を免れたとある。誤差があるのは、原爆で文書が焼けたり、戦後の混乱で書類が無くなったという理由ではなかった。なら、戸籍とその人が原爆で亡くなったかを一人ずつ当たっていけば、実際の犠牲者数に近づけるよね。  

 ところが、市などはそれをしていない。それどころか、家族全員が原爆で死亡し、死亡届を出されることがなかった人も含まれるとみられる戸籍を抹消し、その数を記録していない。市内で最近抹消されたのは2003年度の166人。以前の数字について、企画総務局総務課の大東和政仁課長は「抹消した戸籍数が合計で、数百か数万か分からない」という。

 軍人や軍属の死没者については、個人の軍歴の書かれた兵籍簿や公務中に死没した軍人・軍属を記録した戦没者名簿があるものの、個人情報保護のため、見られる人は限定されている。また、それを見ても被爆者かどうかは分からないと広島県はいう。  

 うーん、壁は高い。

 「約14万人」の調査の一部を担当した宇吹暁広島女学院大教授は「調査方法には、さまざまな議論があったが、いまだにいい方法が見つかっていないのが現実」と残念そうだ。  

 市の公式見解はあくまで「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」。前回出てきた、45年12月末までに亡くなった人のうち名前が分かっている約8万9000人との差が4万人以上あることについては「14万人に近づくよう、一人一人数を積み上げていきたい」と、繰り返すだけだ。

(森岡恭子)

「1976年12月10日、13日付の中国新聞」を見るのは、国会図書館なら割と簡単そうです。

 しかし、今からでも遅くないので「国家的な調査」をちゃんとして欲しい気が、ぼくにはするのでした。

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