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愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2012-03-09

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):その他の作家に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):光瀬龍に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):豊田有恒に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):久野四郎・石原藤夫に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):平井和正に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?(順番的にはこの位置です)

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

アウトサイダーたち

 

A それじゃ、これでプロパーたちは一応総なめにしたから、これからアウトサイダーたちを見てみようや。ちょっと今年はあまり目立たなかったように思うけど。

C そうだね、そういえば。

A 去年は河野典生がかなり面白い動きをしたと思うけど。それから西村京太郎ね。ところが今年は、草川隆ぐらいしかない。

B あれはこまる。SFというのがロウレベルの通俗小説だという証明みたいなもんだ。

A あの程度にIQを下げておきながら、SFには数式が出てこなくてもむずかしい理論が出てこなかうても面白いものがあるんだなんていうのは思い上りだよ。おこがましいよ。彼のはSFを面白くしたんじゃなくて単純にしただけだ。後書きで彼があれを大人のメルヘンだなんていってたけど[要出典]度し難いね。

C でもお話しとしては一応まとまってんじゃないか?

A そのまとまりがさ。ありとあらゆるSFのパターンをご都合主義的に使って辻褄を合わしてるんだ。

B ことに結末の通俗ヒューマニズムはいただけない。ああいうものはもう腐るほど読まされた

A むしろ、ああいう作品をSFと銘うって出した出版社側に問題があるな。SFが比較的安全な商売になってきたからって、あれはひどい。

C ぼくはやや強弁の気味はあるけど、オム・デラシネ根のない人間の哀愁みたいなものが出てるんで、あれをメルヘンだと思ってたんだが、読みすぎかな。

A 心やさしいんだ。

E あの人は、いや、あまりにもSFを読んでないんだ。だからあんなものが書けるんだ。

A ほかにあったかな。

E 『気ちがいの同盟』の山本裕一

A あれについては、あの作品のシリアスな態度を、ぼくは評価したいな。すくなくとも既成のものに寄りかかろうとする----常識主義で片づけようとするイージーゴーイングさがない。SFとしては未熟だし未完成すぎるけど。

C ちょっと衣裳がこりすぎだけど、一応面白く読めたな。

B この草川とか山口とかいう人たちはSF作家の層の中に入れるかな

E 草川隆なんかは、うまく乗れればなるんじゃないかな。

C 福田紀一の『日本たやけた精神史』というのはSFの手法を使った日本文明論だけど----。

E 小松左京の亜流だ。

C そう、完全なエピゴーネンだが、それなりに面白かったな。草川や山口と較べたら骨はある。

A 宮崎惇は私家版を出したね。

C 『金毛九尾秘譚』ね。これは一応SF時代の試みとして無難な出来だった。

A とにかく、今年は、SFプロパー以外の人たちの活躍がすくなかった。興味を失なったのかな。それともスケジュールの関係かな。雑誌、週刊誌でもあまり特集もしなかった。

C 軽いものしかね。

B SFプロパーの人たちが出て来たんでイヤ気がさしたんじゃないかな。

A そうか。SF作家が出てくるまでは彼らが注文を受けていたんだからね。SF的なものがほしい場合。それじゃどうだろう、このへんで、最初の総括にもどろうか。

B 今の内容的な沈滞を、いい意味に解釈しようじゃないか。いままであまり公式的なSFを書いてきちゃったことに対する自戒だというふうに。

A つまり、今まで忙しくてしょうがなかった人はもっと時間を見つけていいものを書く、今まで受けに入って金儲けにいそがしく自己批判の足りなかった人は大いに反省して自分のものを見つける、といったようなことか----そんなことが、来年は起るかな?

C クラークじゃないけど、幼年期の終りなんだ、今の日本のSF界は。これから少年期に入って声変わりもするし反抗期もある。これだけSFが社会に受け入れられて歓迎される形になってくるのはむしろ警戒すべきだ。

A 日本の作家たちは、前は海外の翻訳作品から学びとろう、勉強しようという気が猛烈にあった。それがこの頃なくなっているということはいえるね。それをいうと、いやこの頃の海外作品にいいものがないからだというんだが、そんなことはほんとはないんだ。やっぱり内的な要求がないからだ。初心を忘れかけてるんだ。

B アメリカでのSFの扱われかたは、大体エンタテインメントだということだが、日本ではもっと高度なものが要求される。だからアメリカ的SFというのを軽く見る傾向がでてきた。

A アメリカでは確かにSFはエンタテインメントだ。しかし、それは外側からみての、大衆小説ジャンルだという区別であるにすぎなくて、SFジャンルそのものの中には、およそ大衆をエンタテインしない小説----というより、その作家自身の問題を追及している作品がずいぶんある。だから、大衆小説とかエンタテインメントとかいうことよりも、SFという独特のジャンルがあって、その中ではやはり芸術が、小説が追及されてるんだ。日本では、エンタテインメントというと、大衆に面白がられ、可愛がられなければならないという考え方があまりに強すぎる----だからどうしたらいいか、ということはむずかしいけどね。

B 日本ではエンタテインメントというと非常に講談社文化的な読者の捕え方をするくせがあるんだ。ところが、一番の読者であり批評家であるのは自分なんだという考えを持つことが、エンタテイナーには大切なんだ。それから、もう一ついいたいのは、一般にSFはよりノン・フィクションよりもドラマ性に欠けてるような感じがしてしょうがない。

A それは、こてこてと手先でこねあげた小説より、事実の持っている壮大なドラマ性の方がよりドラマチックであることは当り前でね。それはSFの場合でも例外じゃない。

B いや、ぼくのいうのは、SFにぼくが望みたいものがあるとすると、そういうものに匹敵するぐらいのドラマ性とサスペンスと密度を持ってほしいということさ。

D SFといっても現実の世界に生きてるんだから、現実の世界がどんどん変革されていく、今なんか大変な激動の時代だ、そういう現実とのかかわりあいを忘れない、というよりつねに直視するという態度も、SFにとって大事だね。当り前のことだけど。

E そうだな、いつになってもタイムマシンで過去へ行くんじゃね。

C 日本に限らず世界のSF界全体の問題だが、時代を先取りしてたはずのSFが今や時代のあとをくっついていくのが精一杯に近くなってきた。日本の場合は実作者が少ないので一層それが目立ちはじめてるんじゃないか。ただこれをどうしたらいいのか……どうにもしようがないんじゃないか。それからSF的発想が未来論の流れの中で埋没してしまいそうな状況もあるし、一方では活字文化が衰退して映像文化万能がいわれはじめて、その中にも埋没してしまいそうだし、さらには社会全体のSFへの寛容さが出てきてその中でいい気になりかねないようなところもでてきてるし----。

D 昭和元禄か。

C そう、SF界の元禄太平記的ムードがあるようだけど、その下には地獄がある。むしろ孤独な栄光者の道を決然として(笑)……歩む気概がSF作家にはほしいね。それはたとえば、われわれの使ってる言葉が、この頃やけによく通用するようなこと一つとってもそうだ。そうかんたんに理解されるはずはないんじゃないかと疑問を持つことが必要だな。

A、B、D、E さんせい。異議なし。ばんざい。

 関連作品。絶賛品切れ中です。

殺意という名の家畜 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集)

殺意という名の家畜 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集)

学園魔女伝説―SF (1979年) (秋元文庫)

学園魔女伝説―SF (1979年) (秋元文庫)

 山本裕一はよく分からない。

蜃気楼の少年 (徳間文庫)

蜃気楼の少年 (徳間文庫)

 これでSFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を終わります。

 山田正紀・田中光二・半村良といった日本SFの第二世代(半村良は1.5世代かな?)が活躍するのはこの座談会から数年後、福島正実に代わって森優がSFマガジン編集長の時代、ということになります。

 読み終わっての個人的な感想…。

 星・小松・筒井、って死ぬまで(死んでも)この順番なのか。あと、広瀬正はないの? SF業界でヒロセといえばタカシではなくてタダシ。

マイナス・ゼロ (集英社文庫)

マイナス・ゼロ (集英社文庫)

2012-03-08

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):平井和正に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):光瀬龍に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):豊田有恒に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):久野四郎・石原藤夫に対する評価

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

虎は起きたか起きないか

 

A 平井和正はどうかな。

B 彼はごく最近長篇を完成したばかりだけど、これまた賛否両論はげしいようだね。

D ちょっとしんどい。

E 話にのるまでに骨がおれたな。

D でも、将来性は買えるな。はっきりと問題意識を持ってるし、それを展開する技術も持ってる。

A いまはっきり持ってるといい切れるかな。嗅覚は鋭いからちゃんと嗅ぎ当てるけど、まだかなりトライアル・アンド・エラーを経ないと自分がどういうことを書こうとしているのかはっきり掴めないところがあるようだな。『メガロポリス』の場合もそれがある。

D 一貫して人間の内面性を追求するところはいい。

A 内面性を図式化してね。

C 矢野徹が、SFはこの頃文学ずいちゃって面白くないといってたが[要出典]、そういう面は確かにあると思うんだ。SFがエンターテインメントの一面を無視して文学一途につっぱしるというのは確かに偏向だ。そこで矢野徹のいうところによると、平井和正はエンターテナーで結構だという[要出典]。ところがぼくはそう思わない----むしろ文学性の方がつよいと思ってたんだ。それで、そういう従来の平井観をもってこれを読んだんで、非常に不満だった

E そもそもの発端から、この作品はまちがってるんじゃないかな。説明がやたら多すぎて、長編を書きなれない未熟さが目についてしょうがない。

A うん、そういう意味では未熟だね。欠点を全部さらけだしてるといってもいい。それに、この作品を書いてるあいだに、彼はずいぶん揺れ動いた----あるときは、スラプスティックSFに影響され、あるときは----という具合にね。それも、やっぱり出て来ちゃってる。

E そういう影響をみんなつめこんじゃったから、印象が散漫なんだ。いらない部分が多すぎる。赤原なんて人物はいらないよ。

A つまりあれがスラプスティックSFの名残りなんだ----サイバネティックス社会の落とし子だってことを書くんなら、まだまだ手があったはずだ。あれに対する愛着が、けっきょくかなりこの作品に悪影響を与えてしまったね。

C 平井和正のSFは自己燃焼する情念のドラマだと、いつか石川喬司が書いていたけれど[要出典]、長編になると、自己燃焼だけじゃだめだ。対立する他者がいる。対立する他者との間に極端な限界状況ができて主人公が追いつめられ、そこにドラマが出来ていくんだけどこの作品ではそういう他者の設定がない

A なるほど、その通りだな。彼にとって自動管制文明というのが、対立する他者になってないんだ。

C だから虎の発動のしようがない。

A その意味で『ブラック・モンスター』なんかは、サイボーグ問題を黒人問題に置き換えて、そこに対立する他者を見出してある程度まで優れた作品になってると思う。残念なことに後半でエイトマン・ドタバタになっちゃった

E ぼくはこの三部作の中では『ダーク・パワー』が好きなんだな。結末ですこし大きな展開をしてる。それまでが尻つぼみの話ばかりだったが、これはパーッと開いてるし。

C 虎がナルシストになっちゃいけないんだよ。だから……だいたい、平井和正はエンターテナーかね、それともシリアスSF作家か。

A 本質的にはエンターテナーだな。エンターテナーが文学青年なんで自らナルチシズムに陥ってると思うな。

C エンターテナーに徹し切れば『メガロポリス』も壮大なSFハードボイルドになったはずだ。

A だから、これは失敗作だけど惜しいんだ。それに、彼は自己燃焼するところも十分持ってるから、グレードの高いエンターテナーになれると思う。

C 潜在可能性は大きいな。

A 虎がまだ眠ってるんだ。夢遊病にならないようにしなきゃ。(笑)

 Dさん、平井和正を評価してます。

 1968年末の平井和正は、漫画原作者として『エイトマン』『幻魔大戦』などを書いていましたが、『狼男だよ』他ウルフガイ・シリーズは1969年(翌年)スタートです。

 平井和正も品切ればっかですね…。

 関連作品として、こんなのとかどうかな。

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

 

 これは以下の日記に続きます。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?(順番的にはこの位置です)

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):その他の作家に対する評価

2012-03-07

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):久野四郎・石原藤夫に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):光瀬龍に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):豊田有恒に対する評価

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

有望株か不真面目か

 

A さてそこで、同じようにオリジナリティはないけれども、大変に読ませるものを書くもう一人の作家として、ぼくは久野四郎を挙げたい。

D ぼくは最近、わりと好きになった。最初の二作、三作はすごくいや味だったけど、ところがみるみるうまくなってきた。

A たしかにそういえる。

C ぼくはあまり真面目に読んでないが、後書きを読んで腹が立っちゃったから[要確認]、偏見があるかもしれない。

A 久野四郎は、だいたい軽い作品が多いからあまり評価されてないけど、この作家の持ってるいい意味での大衆性、通俗性は今後のSF界にとって貴重なものだと思うな。中にはでっちあげたものもあるけど、『砂上の影』や『夢判断』『五分前』あたりの作品は、一種のレデイメードなアイデアなんだけど、それをちゃんと組み込むべきところに組み込んで、しかもいわゆる読める文章で説得力ある作品をつくってるう。あまり無視しちゃまずいね。

D ただ、この人の勝負はこれからだな。もっと長い、力の入ったものを書くべきだ。

A アイデアは、ああこの手を使ってると判っても読める。

B それはアマチュアリズムの好さだよ。プロ作家が、既成のアイデアで、わりに安直に書いてるのとちがって、そのアイデアの持つセンス・オブ・ワンダーを新鮮に出してる。

C ずいぶん点が甘いな。作品はまあ、確かに見所がなくはないけど……こんな後書きを書く人は、はっきりいって嫌いだな。

A ああ、そういったところはある。ただね、この男も何でもSFにしてしまえる作家なんだ、アイデアは既成でも、パターン的でも、その使い方がうまい----作家としてのカンが感じられる。失敗した場合はどうしようもないけど、成功した場合は読める。そこが買いたいんだな。玉石混淆の中から。

B でも、SFをあんまり甘く見てくれるなといいたくなる、不真面目なところがある。

A ただ、この男に、もっと真面目に書けっていうと、そんな面倒臭いものならやめちまうよっていいかねない。つまり、才気で書いてるところがあってね……それでもぼくは、その才気はいま日本のSF界に必要だと思うんだ。

D だから今後もっと長いものに期待したいな。

B あまりうまくなって、職業的になってはほしくないね。

C 古風なことをいうようだけど、SFを書く必然性があるかないかということだけどね、SF作家は、SFでしか書けないものを実感として感じ、相手にそれを感じさせなけりゃいけない。それが感じられないようなSFはSFじゃない。

 

未完の大器・石原藤夫

 

D 同じアマチュアリズムからの連想だけど、石原藤夫はどうかな。彼は『ハイウェイ惑星』『画像文明』と二冊の短篇集を出した。

A 彼はいい意味でも悪い意味でもアマチュアリズムの代表で、文字通りアマチュアの感じだけど人気は非常にあるし、彼の持ってる可能性は大きいな。

E ぼくは彼の最近の作品は読む気がしない。

D 確かに彼の最高傑作というのは、最初の『ハイウェイ惑星』だね。もっとも、クラークだって処女作がいちばんいいといわれるんだから[要出典]悲観することはない。

C ぼくは、石原藤夫はとうにアマチュアの域を脱してると思うな。久野四郎あたりよりは遥かに上質だよ。

A 冗漫じゃない?

E すこしコンパクトにしなきゃね。『天使の星』なんか悪い方の典型だ。

A 密度がとってもムラでね。それがアマチュア臭い。とくに会話なんか、アマチュアが、こういうときにはこうするもんだというときやるような、あまりに素人くさいところがある。しかしアイデアの立てかた、展開のしかた、説得のしかたなどは立派なもので、その意味ではほんとに新しい海野十三だといっておかしくない。それに、日本SF界において唯一の理工関係出身者だし。(笑)

C そうそう、そういう外的条件を十分作品の中で生かしているという点評価できる。自分のいいたいことを過不足なく書いてるという点でぼくは、アマチュアの域を脱しているといったんだ。

A 『ハイウェイ惑星』の場合は、もともとディスカッション小説を狙ったせいがあるのかもしれないけど密度の薄さはあまり感じなかった。ところがそれ以後、『空洞』『バイナリー』『天使』『画像』『愛情』などのことごとくに、密度のムラがある。つまり大事なところとそうでもないところがはっきり目につく。

C ただ、不思議な、理解不可能な事態の中で色々考え、推理していくところは過不足ない

A いや、会話でもたとえば『安定』の中には、ユーモラスで、素人ばなれしてる、そうくものもあるのは認めるんだ、ところが『天使』において見られるような、説明の代りに会話を使う、少年小説の中でよく使われるみたいな手がかなりあるんだな。それを、密度の薄さといってるんだ。

C 海野十三の戦後版ということだけど、海野十三よりは小説づくりは段違いにうまい

A それはもちろん、その点でいうと、『銀河を呼ぶ声』なんかね、あれはぼくは非常に好きなんだが、あれだけ内容が堅いにもかかわらず----あれほどドラマが少ないにもかかわらず、しっくり、がっちりとした構成を持ってる。これと『空洞』『バイナリー』とはどうも、極端ないいかたをすると、同一人物が書いたとは思えないぐらいちがう。クラークの翻訳を読んでるみたいな感じがある。

E 石原藤夫の小説がときどき退屈なのは小説的な論理でなく平板な時間的継続で書いていくからじゃないかと思うね。むしろ小説的なソフィスティケーションを持ってやって時間的なズレやひっくり返しを用いて変化を持たせると面白いと思うな。

C しかし登場人物が勝手に動きだしたら彼の小説はこわれてしまう。

E そこをうまく噛み合わせることはできるんじゃないかな。

A それから、意外に光る、よく磨かれた文章だって書ける人なんだ。『銀河』と『天使』なんか、その文章まで違う。

C とにかく、大成する人だよ。

D 未完の大器だ。

A それはたしかだ。これは彼自身いっていたけど、いま彼はすっかり胸の中がからっぽになっちゃったんだそうで、これからまたいいだすべきものを蓄めて----そのあいだは例の『物理学入門』なんか書いていて----あらためて書きたい、といっていた。期待がもてると思う。

 今の読者には久野四郎? 石原藤夫? 誰? って感じになってる? 別に石原藤夫は知っててもおかしくないか。

「日本SF界において唯一の理工関係出身者」って、星新一東京大学農学部農芸化学科卒・大学院卒)の立場は?

 とりあえず、

砂上の影 (ハヤカワ文庫 JA 68)

砂上の影 (ハヤカワ文庫 JA 68)

 石原藤夫は、なんか『ハイウェイ惑星』(徳間デュアル文庫)が高くなってたんで、これと、

 これを。

 

 これは以下の日記に続きます。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):平井和正に対する評価

2012-03-06

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):豊田有恒に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):光瀬龍に対する評価

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

SF作家プロパー

 

C その点、まだほんとに未知数なのは豊田有恒だね。

A 彼は去年の長篇のあと今年は『アステカに吹く嵐』一冊だけど、わりとよく書いてる感じだね。

B ぼくは一番買わない人だな。つまり、彼には、SFを書かなきゃならない必然性があるのか。次元テーマ、タイムトラベル・テーマ、宇宙テーマというものがあって、そこへそれぞれの状況を挿入していくと、一篇の作品が出来上るという、オートメーションみたいなものを、彼に感ずるんだな。

E いや、だからこそ、彼は本質的にSF作家なんじゃないかな、SFで書かなきゃならないものがあるかどうかということより----。

A 何でもかんでもSFになっちゃう。

C 逆にいうと非常にプロパーなSF作家だよ。ただ、あまり優等生すぎるから魅力がない。

E 何でもかんでもSFになっちゃう、その裏に、彼の持ってる思想内容が入ってくればいいんじゃないかな。何でも自然にSFになってくるという頭の機構を、自分が自覚すれば。

A ぼくも彼は一番、商売人としてのSF書きになれる素質があると思うね。そのイミで、石川喬司福島正実がよくいってる[要出典]、SF作家の層の薄さ、これを何とかするために必要な人物だと思うな。いまのSF界は、みんな一人一党的でそれぞれ特性を主張してる----それ自体はいいことなんだが、そこにSFプロパーの、何でもSFにしてしまえる作家ももっといてほしい。面白いSF、うまいSF、読めるSFを書ける作家が必要だ。アメリカなんかそうだしね。テーマもジャンルも好き嫌いなしに書く、大衆作家としてのSF作家が必要なんだ。そのイミで最も有望株だと思うな。

E 読める文章は書く。

D そいつはどうかな。

B 通俗の極みだよ。何とかでゴザルといえば時代が出ると思ってる。(笑)

E スラスラ読めるよ。

D 文章にあまり品のないところは小松左京に似てる。

B 層の薄いところへこんな人がいると、全体の株を下げるんじゃないか。

A それはそうは思わない。彼の研鑽しだいだね。大衆作家がほしいというのは三文作家がほしいということじゃないんだ。大衆の肌に合う人がほしいんだ。それが、それこそ山本周五郎になってくれりゃ結構なことじゃないか。

C 『渡り廊下』なんか面白かったな。

E あれは全然買わないな。

D 全然冒険していない。

C そうかな。つまり過去というものの意味が現われていた。

D でも彼の作家的資質からいえば、あれは彼の行く方向じゃない。

A そこが、何でも書いてやろうということで----実際、彼は、従来のジュヴナイル調から脱するためにだいぶ努力してて、その努力ぶりは敢闘賞なみだと思うよ。

D アイデアがあまり簡単に出て来ちゃうのは直ってないな、思いつき的で。

B それがまた既成のアイデアだ。仲間が書いた作品にヒントを得て、すぐ書く。あれはいかんね。オリジナリティがあるのかしら。

 …Bさんは「(俺かお前か)死ぬまで許さない」レベルじゃなくて、「死なないなら俺(豊田有恒)が殺す」レベルだと思う。

 A・Cさんはかなり弁護してるというか、豊田有恒に期待してる。

 しかし、『アステカに吹く嵐』…新刊で手に入るわけないか。

 お、これあるじゃんよ。

モンゴルの残光 (ハルキ文庫)

モンゴルの残光 (ハルキ文庫)

 

 これは以下の日記に続きます。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):久野四郎・石原藤夫に対する評価

2012-03-05

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):光瀬龍に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

世界に冠たれ無常SF

 

A 光瀬龍は、今年すこし鳴りをひそめていたんじゃないか。

D 『カナン五一〇〇年』一冊だね。

A ジュヴナイルの方では大活躍だけどね。まあ、ぼくにいわせれば、これは或いはいいことかもしれない----彼が自らの中に何かを蓄えようとしているのならばね。彼は、あらゆるテーマを捕えて彼一流の、いわゆる光瀬節でこなしてしまうという評価が、そろそろ出来てしまった。『百億の昼と千億の夜』も、その意味で、それらしいものができただけだった。これは、彼の中に、語るべきものが乏しくなってきたからなんじゃないか。だから、このへんで、彼一流のあの仏教的----東洋的世界観をぐっと深めたようなものを構想すればいいんじゃないかと思うんだけどね。このままでいくと、たとえば『オホーツク二〇一七年』とか、この種の、未来はピンク色じゃなくて灰色だ式の作品群、こういうものが多くなっていくのは危険だと思うんだ。ピンク色は戴けないが灰色だ灰色だとただいってるだけじゃ裏返しただけだからね。彼は----この点でいうと『スペースマン』みたいなものを本当はもっと書いていくべきだね。これは作品としては小ぶりだけど内容的に充実がある。

B この作家は技術的にはうまくなった。内容的な点がもっと考慮されなきゃ。ぼく自身の好みをいえば、間然するところない作品というのは、ごく初期の『弘安四年』だね。

A 『レイ子、クレオパトラね』とか『ヴェトナムとハルコの間』とか、この手のものもちょっと困る作品だな。

E 何か書きたいんだけど何を書いていいかわからないって感じだ。

D 何も書くことがないから光瀬節だけになるんだ。何かと何かをくっつければいい、みたいな。

A ぼくは、彼の場合、せっかく彼が打ち出してきた、アメリカにもないサイボーグもの、ヒューマン・サイドになったサイボーグをもっと書けばいいと思うな。それが一番の突破口になるよ。

C ぼくは光瀬龍のぶつかってる壁はちょっとどうしようもない壁だと思う。彼の世界に冠たる無常SFは、もう行くところまで行きついてしまったんだ。この壁を打ち破るには、サイボーグものもいいけど、戦争小説がいいんじゃないかね

A いま、むかし宇宙塵に書いた『派遣軍還る』を書き直してるらしい。

C 日本のSFが世界の中で独自性を持ち得るとすれば、その一つの方向として光瀬龍の方向を挙げなきゃならない----大乗的諦観思想というかね----無常SFでもいいけど。

B あの文体が重要だね。

E あの文体でいいの? ぼくは何だか疑問があるな。

A それは、彼のあの世界に冠たる無常SFそのものの質とも関係あるんじゃないか。つまり、彼の無常感というのが、よく引き合いに出される、長城の上に立ってはるか地平線をながめる一人の男というアレね、あの一幅の絵だけのものでしかないんじゃないか、とカンぐりたくなるわけよ。だから表現がセンチメンタリズムに終始する。彼にとって無常感というのはセンチメンタリズムだけかということになる。本当の無常感というのは、もっと切ないものでどうしようもないもののはずだからね。

E どうも、読んでるうちに、ワケがわからなくなる。

B 読んでるものを、ワケがわからなくするのも一つの才能だよ。(笑)

C 悠々たるかな天地だけど、やっぱり変っていくわけだし、逝きて還らぬ水の流れも実際には回帰してるわけだし、光瀬龍ももっとその辺を踏まえて実質的に世界に冠たる無常SFを書いてもらいたいね。

 今回は短いです。

 さすがに品切れか。

カナン5100年 (1968年) (ハヤカワ・SF・シリーズ)

カナン5100年 (1968年) (ハヤカワ・SF・シリーズ)

「宇宙年代記全集」も品切れ中…。

宇宙救助隊2180年―宇宙年代記全集〈1〉 (ハルキ文庫)

宇宙救助隊2180年―宇宙年代記全集〈1〉 (ハルキ文庫)

 とりあえず、ロングセラー入れておきます。

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

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 これは以下の日記に続きます。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):豊田有恒に対する評価

2012-03-03

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

眉村卓期待にこたえるべし

 

A そこで、非常に正反対な感じのする眉村卓に話題を移すとするか。彼は今年、彼の一番の力作である『EXPO'87』を完成してるけど、これ、どう思うかな。評価はかなりマチマチなようだけど。これはまあ、いわゆる社会SFのチャンピオンである眉村卓の総決算だし、その意味で彼にとって重要であるばかりでなく日本のSFにとっても重要でなければならない作品だけど。どう、端的にいって面白かったかな?

E 三章までは面白かったな。でもそれからが……伏線が陳腐だし、第一あの催眠術が困っちゃうな。あれが、結局一番大きな役割を果すものになってるからね。未来の経済の動きそのままが出てくる未来SFとして、最初すごく期待したし、結構も悪くなかったと思うんだけど……。

A そうなんだ。社会なり、経済システムなりが動いていって、そこに新しい状況ができたときに、そこで、そういうものを動かす人間、たとえばビッグ・タレントとか産業将校とかというロールを持った人間像が出てくる。それらの手で動かされる社会がどうなるかということを『EXPO'87』というビッグ・イベントの中でやる、この発想は、いまの日本のSFにとって重大なテーマだったと思うんだ。

E 日本SFの突破口だ。

D ぼくはしかし、今のままではあまり買わないな。面白くないんだ

A なぜ面白くないのかな。

D まず説得力がない。感情移入がどうしてもできない。

C 確かに彼は、胸をときめかして読む作家じゃないよ。しかし、非常に地道な問題提起をやる作家だよ。現実の社会に対してね。サラリーマンが切実に感じているような日常の問題を先取りしてSFにする。

A 彼は本当は私小説タイプなんじゃないのかな

C うん。もっと思いきって私小説を書いたほうがいいね

E ただそれにしちゃ文章のコクが足りないな。表現や描写が月並みで。

B ぼくが気になるのは、やっぱり彼のインサイダーSF論だな。

A パワー・ポリティクスを認めること自体問題だが、しかしそう決心したからには、大変な努力が必要だということを、案外御本人は気がついていない

C それは、今度の参議院選挙における石原慎太郎と同じだと思うな。慎太郎は、自民党に入るのはイヤだけれども、体制の中に入らないと体制は動かせない、という論理を使った。眉村卓のインサイダーSF論もそれと近いところがある。慎太郎がそれであれだけの票を稼いだのと同じように、眉村のそういう発想は今のサラリーマンにピンとくるところがあるんだ。

 石原慎太郎、1968年(昭和43年)に参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選(ウィキペディアより)。

A でも眉村卓の場合には、その考え方の中に、ちょっとフラストレーションの要素が強く入りすぎてる。それなのに、インサイドに居れば動かせるんだと力んでいるがちょっとおかしいんだ。負け犬ならば負け犬の気持ちに徹したほうがいい。私小説を書いたほうがいいというのもそのことだ。水は油にならないしね。

D でも、いいのもある。『万国博がやってくる』はいいな。

C しかし、あれが宇宙人だったというのは、やっぱり月並みじゃないかな

E ぼくは『虹は消えた』のほうを買うな。

A でも、もうすこし味の素がいる

B それと、タバスコ・ソースみたいなきつい調味料がね。どうもぼくは、彼が体制の中に入っても、体制を動かせるということにはならなくて、結局役に立たないような気がするんだがな。

C そりゃそう。でも、体制を知らなければ体制を動かせないというのは、実際その通りなんで、眉村卓には、ビジネス権力機構を実際に内側にいる目で見て知っているという自信があるんだよ。もちろん現実には、それは、サラリーマンがそういう中にいるとけっきょく頽廃していくということを肌で知っているということに過ぎない。でも何も知らないで、体制なんぞといってるよりはいいはずなんだ。彼のSFを読んで、出世したいと思ってるサラリーマンやすこしルートに乗りかけた人たちが、自分のやってることは大したことじゃないんじゃないかということをふっと疑問に思うという、そういう効果はあると思うよ。

A 眉村卓はこれからどうしていけばいいのかな。このままでいいのかな。彼はどっちかといえば庶民的な人間を捕えていく、というところから文学を志したんだし、それが一番身についてるんだから、そういうサイドをもっとつきつめていったほうがいいんじゃないかな。一時期くぎってでもいいから、私小説を書くとか。

C SFファンじゃない一般読者が身につまされるようなものを書けばいいんだよ。その意味で私小説とぼくはいったんだ。

E そうだな。一般読者を納得させることだ。眉村卓の欠点は味の薄いことだけだよ。だから、技法的なことだけだと思うよ。彼の分野ではアイデアはいくらでも見つかるはずだし。

A 『養成所教官』はナニワ節だけど、一般読者が身につまされるところはある。だから、こういうナニワ節を、一時、うなるだけうなってしまえば、道は自ずから開けてくる。一皮ぬげる。

 Aさん、しきりに眉村卓に私小説を書くことをすすめています。

『EXPO′87』は…やっぱり無理だな(品切れ中)。

EXPO′87 (1978年) (角川文庫)

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 これをおすすめしておきます。

司政官 全短編 (創元SF文庫)

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 けっこうジュビナイル生きてるんだよね。

なぞの転校生 (講談社青い鳥文庫)

なぞの転校生 (講談社青い鳥文庫)

 

 これは以下の日記に続きます。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):光瀬龍に対する評価

2012-03-01

[]SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):筒井康隆に対する評価

 これは以下の日記の続きです。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):小松左京に対する評価

 

 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。

 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

時代と踊る筒井康隆

 

B ぼくは、小松左京筒井康隆を、よく比較して考えるんだけど、小松左京の場合は一口でいうと、仏つくって魂入れずというところがある。

A そろそろ出てきたな。(笑)

B それに対して筒井の方は、葭(よし)のズイから天井のぞく……(笑)今までの作家はどちらかといえばこの後者の方だった。彼の特長は、現実における自己の存在に対する自意識が稀薄なところだ。だからこそ、へんな軽薄さの魅力が出てかえって一般受けするところがある。だから、彼が大人になっちゃって軽薄さがなくなると、どうなるか。

A ぼくも思いだすことあるよ。アルジャーノンをね。ほら。

C あ、ひどいね。(笑)

B 天性の資質は非常にある。ところがそのことに就いての認識がまるでない。そしてそれが強味なんだ。しかし、いつまでも強味かどうかは疑わしいね。

A 直木賞候補になった『アフリカの爆弾』なんかはそれがたしかに弱味になってる。あれはどうも、小松左京のやってることを、筒井スラプスティックにしたかったんじゃないかと思われる節があるけど、そういう形にすれば誰でも喜んでくれる、面白がってくれると多寡をくくってる感じでね。ところが、話の流れがどう流れていくか、読者にはみんな判っちゃうから、面白くも何ともない。むしろ秘密な感じさえする。あれはぜんぜん買わないね。あれより『色眼鏡』のほうがいい。

E 『アフリカの爆弾』は、途中の手つきが非常に常套的で、細々してるくせにまるで印象が稀薄な感じだったな。だけど、ラストの赤ん坊での締めくくりは短編としちゃみごとだと思った。

B みごととはいえないな。

D 彼の作品は結論がいつもないね。しめくくりの手つきしかない。

C ぼくは『幻想の未来』が面白かったな。『アフリカ』にしろ『ベトナム観光』にしろ彼の世にもてはやされてる作品は、時代の風潮にマッチした、テレビ時代の面白さみたいなものがある。ところが『幻想----』には、SF作家としての筒井康隆がいる。あそこには、彼の内部にある、ナンセンスやドタバタでなく、彼の本質的に持ってるイメージが一つの世界に結晶されている。

B それは同感だな。出来は、同人雑誌小説的だけど、にもかかわらず面白い。いかがなりゆくかの興味があった。

A つまりあの暗中模索がね。今の彼には暗中模索なんてなくなった。きわめて常套的な手段の連続で、ただ変ってるのは目先きだけだ。あれみてると、ぼくはいまのボードビリアン……というよりも司会役たちを思いだす。彼らは目先きの変ったことばかりしゃべるけど、その台詞じたいは常套句ばかりだ。

E あれを書いた時点では、筒井康隆サイケもスラプスティックもなかった。今はその反対だ。だから新鮮な感じがするのかもしれない。いまそれが書けたら大したものができるな。あれ自体は、やっぱり、ファンの書いた習作だと思うけど。

A ただ気になったのは、後書きで彼が書いてることなんだ。彼はこの作品を「SFのテーマやアイデアを逆手につかみ、これでもかこれでもかと逆撫でにした」って書いてあるけど[要出典]、ちっともそうしてないんじゃないか。

E 彼の被害者意識じゃないかな。

D これもやっぱり手つきだね。いま彼が書いてるようなものは、きっとあまり残らないと思うな。いまの時代に受けるだけで。彼の安直さ、人生すべてスラプスティックという見方じたい、あれはじつは、彼の逃避にすぎないんだ。しかも、彼は自分でそれを知っていて平気なんだ。そこがイヤだな。

C しかも『賑やかな未来』では、ぜんぶ後書きと前書きをつけて、本心をさらけだしてるんで。

A このあいだ福島正実がどこかで書いてたけど[要出典]、彼が、あの『ファンタジイ・ファンタジイ』のような作品に、あんまり無理に意義を見出そうとしているのは、よくないね。

D 気にくわない。イヤらしいね。

C ただ、ここでぼくが筒井康隆を持ちあげておきたいのは、彼が非常に勇気のある作家だということなんだ。つまり、現代のタブーに、つぎつぎと挑戦してることね。卑俗な見方かもしれないが、創価学会とかNHKとか、普通の人なら触れずにおこうとすることにすすんで触れる。これは勇気というより、精神異常かもしれないけど。つまり自分の避けたいものを余計触れたくなるというね。これは決して社会派的発想ではなく、実存主義の作家たちと同じ地盤に立ってるところからくると思うんだ。人間を知的存在として概念的に捕えるんじゃなくて、もっと血と肉の塊りとして捕える、それがごく自然な発想として出てくる作家だからこそ、受けてるんじゃないかな。

A でも、お言葉を返すようですがね、あのNHKといい創価学会といい、一見大胆に見えるんだけど、実はかなり手前に限界があって、この辺までならまあ大して問題にはなるまいという多寡をくくりたくなるんじゃないかな。その証拠にどの作品にも必ず韜晦があって、致命傷を相手に与えることは決してない。

E 問題を横にそらすね。

C しかしそれだけのことにしてもほかの作家はやってない。

A そりゃそうだけど、ほかの作家がやったら、ああ韜晦できないからやらないということもいえる。

C うん。星新一小松左京はエッセイ書いても面白いけど、彼のはぜんぜん読めないということは確かにいえるな。

A 話はそれるけど、彼の発言はときどき無責任で困るね。いつか、俺は右翼だが、考えてみればSF作家はみな右翼だとどっかに書いてた[要出典]。あれは怪しからんと、みんな怒ってた。

D 彼にはそういう思想的な観念がないね。育ちも環境もそうだし、そこから一歩も出ようとしない。それで満足してる。

C ただね、彼の、人間をモノとして見るという見方は、かなり彼の身にそなわった資質だよ。『人口九千九百億』の中の圧縮されたビルのイメージとか管理人が床をあけると下が大西洋だったとかいう、イメージの喚起力というのは、すぐれた作家的才能だよ。その点は認めなきゃね。

A 彼の場合は、そういう自分を大事にすることがまだ判ってないんじゃないの。

C 「時代と寝ている」というか「時代に踊らされてる」ところは多分にあるね。『幻想の未来』で持ってた貞操を時代という深情けの年増にとられたんだな。(笑)。

A それはやっぱり彼の方にも好き心があったからだよ。(笑)チョイトといわれたとたんにアイヨって行っちゃったんだ。

 …入力しながら、俺のことでもないのにかなり嫌な気分になってきた。特に最後のAさんがひどい。俺だったら死ぬまで許さない

 まあでもCさん一生懸命評価してます。

『アフリカの爆弾』はやはり品切れですかね? えー!? 『幻想の未来』も!?

アフリカの爆弾 (角川文庫 緑 305-2)

アフリカの爆弾 (角川文庫 緑 305-2)

幻想の未来 (角川文庫 緑 305-1)

幻想の未来 (角川文庫 緑 305-1)

 中公文庫は残ってました。

ベトナム観光公社 (中公文庫)

ベトナム観光公社 (中公文庫)

 これも張っておこう。ロングセラー。表紙がいとうのいぢになってる!

 

 これは以下の日記に続きます。

SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):眉村卓に対する評価