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愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2011-01-01

[]はてなダイアリー・みんなの「2010年の10冊」リンク

 明けましておめでとうございます。

 もう去年の話になってしまいますが、みんなの「2010年の10冊」(ベスト本)のリンクを作ります。

 キーワード「2010年の10冊」というのを作ったので、皆様が「2010年の10冊」というエントリー(見出し)つきで書いたもの、あるいは本文でそのキーワードがあるものを拾って、このページにリンクさせていただきます。

 過去のものはこちら。

2008年の○冊(代行)

 2005-2007年をまとめていただいた「chirashino☆ura」様の日記が現在「プライベート・モード」なので見られません。

 2009年はやりませんでした。

 

 以下、よくありそうな質問。

Q・良かった本、10冊もないんですけど。

A・「2010年の10冊(5冊ですけど)」とか書いておけば大丈夫です。1冊でも3冊でも大丈夫です。

Q・漫画やライトノベルしか読んでないんですが。

A・全然問題はありません。ただ、リンクテキストに「漫画のみ」とか添付するかも知れません(そういうの苦手とか読まない人も想定できるので)。漫画は別にやったほうがいいのかな? とりあえず入れてみます。

Q・映画とかアニメ・ゲームはどうですか。電子書籍はどうですか。

A・一応「本」(書籍)に限定します。電子書籍はオーケーです。雑誌もまぁオーケーです。

Q・いつまで追加していく予定ですか。

A・2011年1月中ごろぐらいまでです。

Q・集計はしますか。

A・ものすごくバラバラになりそうなので、その予定はありません

 以前集計したけど、死ぬかと思った。

2008年のはじめに読みたい本(私家版・その1)

2008年のはじめに読みたい本(私家版・その2)

Q・はてなダイアリーじゃないと駄目ですか。

A・はてな応援企画みたいなもんなので、とりあえず、はてなダイアリーに絞らせていただきますです。

 その他、不明なことがありましたら、コメント欄でお願いします。なぞなぞ認証の答は「沢城みゆき」です。

 

 とりあえず、去年の「今年の10冊」「今年の十冊」を語ったかたのリンクを貼ってみます。(上のほうが新しいもの)。遺漏があったらすみません。

(追記)

 こちらのかたもやってました。

2010年、この○○冊。まとめエントリ。 - 志先行型人間が地に足をつける日記

 

2010年の10作(小説) - FULL MOON PRAYER

2010年の10冊 - 狂詩曲の果てに

2010年の本 - eighty's cafe

2010年の10冊(思想編,世界編,日本編)

2010年に読んだ作品、ベスト20

2010年、今年の10冊 - 井戸から出た蛙は蛇に食われながら

2010年読書録総集編! - 志先行型人間が地に足をつける日記

今年の10冊 - キリンが逆立ちしたピアス

今年の10冊 - 読書記録の続き

今年の10冊- terravore改め玉吉の日記?

今年の10冊 - and i still remember・・・

適当に、今年の10冊 - いい眺めだ(漫画)

読書記録2010 - 誰にともなく綴る日々

今年の10冊+1冊 - 労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)

2010年の読書を振り返る - fujitaka’s lifelog

2010年・今年の10冊 - 恐妻家の献立表

2010年の本 - 西東京日記 IN はてな

今年の10冊および10篇 - Nightmares of Delight

今年の10冊+ - 本の備忘録

今年の10冊+3(漫画)

 

 ついでに、朝日新聞と毎日新聞の書評担当者が選んだものを挙げておきます。古いものはリンク切れになっちゃうので、とりあえず書名だけ引用添付。現物は早いうちに見るべし

朝日新聞

石川直樹

(1)百年前の山を旅する [著]服部文祥

(2)空白の五マイル [著]角幡唯介

(3)哲学者とオオカミ [著]マーク・ローランズ [訳]今泉みね子

植田和男

(1)デフレの正体――経済は「人口の波」で動く [著]藻谷浩介

(2)アメリカ連邦準備制度の内幕 [著]ステファン・H・アキシルロッド [訳]田村勝省

(3)リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上・下) [著]アンドリュー・ロス・ソーキン [訳]加賀山卓朗

江上剛

(1)墓標なき草原(上・下) [著]楊海英

(2)なぜ危機に気づけなかったのか [著]マイケル・A・ロベルト [訳]飯田恒夫訳

(3)井伏鱒二飯田龍太往復書簡 [編]山梨県立文学館

逢坂剛

(1)カチンの森 [著]ヴィクトル・ザスラフスキー [訳]根岸隆

(2)ウラジオストクから来た女 [著]高城高

(3)死支度 [著]勝目梓

奥泉光

(1)20世紀を語る音楽(1・2) [著]アレックス・ロス [訳]柿沼敏江

(2)ジョージ・オーウェル日記 [編]ピーター・デイヴィソン [訳]高儀進

(3)俺俺 [著]星野智幸

柄谷行人

(1)トーラーの名において―シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史 [著]ヤコヴ・M・ラブキン [訳]菅野賢治

(2)天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡 [著]八木雄二

(3)量子の社会哲学―革命は過去を救うと猫が言う [著]大澤真幸

姜尚中

(1)自我の源泉 [著]チャールズ・テイラー [訳]下川潔ほか

(2)荒廃する世界のなかで [著]トニー・ジャット [訳]森本醇訳

(3)昭和 [著]ジョン・W・ダワー [監訳]明田川融

久保文明

(1)ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(上・下) [著]D・ハルバースタム [訳]山田耕介ほか

(2)モスクワ攻防戦 [著]アンドリュー・ナゴルスキ [訳]津守滋監

(3)大統領オバマは、こうしてつくられた [著]J・ハイルマンほか [訳]日暮雅通

鴻巣友季子

(1)ピストルズ [著]阿部和重

(2)小さいおうち [著]中島京子

(3)流跡 [著]朝吹真理子

斎藤環

(1)ピストルズ [著]阿部和重

(2)半分のぼった黄色い太陽 [著]チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ [訳]くぼたのぞみ

(3)身体の歴史(1〜3) [監修]アラン・コルバンほか [監訳]鷲見洋一ほか

酒井順子

(1)読み解き「般若心経」 [著]伊藤比呂美

(2)おだやかな死 [著]シモーヌ・ド・ボーヴォワール [訳]杉捷夫

(3)だから、ひとりだけって言ったのに [著]クレール・カスティヨン [訳]河村真紀子

四ノ原恒憲

(1)俵屋宗達 琳派の祖の真実 [著]古田亮

(2)小さいおうち [著]中島京子

(3)〈私〉時代のデモクラシー [著]宇野重規

高村薫

(1)自動車と移動の社会学 [編著]J・アーリほか [訳]近森高明

(2)数の魔力 [著]ルドルフ・タシュナー [訳]鈴木直

(3)進化論はなぜ哲学の問題になるのか [編著]松本俊吉

田中貴子

(1)漢文スタイル [著]斎藤希史

(2)世界で最も危険な書物 グリモワールの歴史 [著]オーウェン・デイビーズ [訳]宇佐和通

(3)ナニカアル [著]桐野夏生

辻篤子

(1)大気を変える錬金術 [著]トーマス・ヘイガー [訳]渡会圭子

(2)グーグル秘録 [著]ケン・オーレッタ [訳]土方奈美

(3)宇宙は何でできているのか [著]村山斉

中島岳志

(1)俺俺 [著]星野智幸

(2)神的(しんてき)批評 [著]大澤信亮(のぶあき)

(3)場所と産霊(ムスビ) [著]安藤礼二

平松洋子

(1)原稿零枚日記 [著]小川洋子

(2)読み解き「般若心経」 [著]伊藤比呂美

(3)パンとペン [著]黒岩比佐子

保阪正康

(1)20世紀断層 野坂昭如単行本未収録小説集成 全5巻+補巻 [著]野坂昭如

(2)内訟録 細川護熙総理大臣日記 [著]細川護熙

(3)毛沢東 ある人生(上・下) [著]フィリップ・ショート [訳]山形浩生ほか

穂村弘

(1)星座から見た地球 [著]福永信

(2)自転車の籠の豚 [著]渡辺松男

(3)新撰21 [編]筑紫磐井、対馬康子、高山れおな

横尾忠則

(1)失われた天才―忘れ去られた孤高の音楽家の生涯 [著]ケヴィン・バザーナ [訳]鈴木圭介

(2)とらわれない言葉 [編]アンディ・ウォーホル美術財団 [訳]夏目大

(3)完本 ジャコメッティ手帖 1 [著]矢内原伊作

 

毎日新聞

荒川洋治(現代詩作家)

 <1>『現代語訳 榎本武揚 シベリア日記』=榎本武揚著、諏訪部揚子・中村喜和編注(平凡社ライブラリー・1470円)

 <2>『リュヴェルスの少女時代』=ボリース・パステルナーク著、工藤正廣訳(未知谷・2100円)

 <3>『死体について 野間宏後期短篇集』=野間宏著(藤原書店・2310円)

◇五百旗頭(いおきべ)真(防衛大学校長・日本政治外交史)

 <1>『日本再軍備への道−−1945〜1954年』=柴山太著(ミネルヴァ書房・9450円)

 <2>『日中国交正常化の政治史』=井上正也著(名古屋大学出版会・8820円)

 <3>『人間の安全保障−−グローバル化する多様な脅威と政策フレームワーク』=福島安紀子著(千倉書房・4410円)

池内紀(おさむ)(独文学者)

 『20世紀断層−−野坂昭如単行本未収録小説集成 全5巻+補巻』=野坂昭如著(幻戯書房・各8820円)

 『夕暮の緑の光−−野呂邦暢随筆選』=野呂邦暢著、岡崎武志編(みすず書房・2730円)

 『イタリア広場』=アントニオ・タブッキ著、村松真理子訳(白水社・2310円)

池澤夏樹(作家)

 『サハラ、砂漠の画廊−−タッシリ・ナジェール古代岩壁画』=野町和嘉著(新潮社・3570円)

 『半分のぼった黄色い太陽』=チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著、くぼたのぞみ訳(河出書房新社・2730円)

 『鳥を探しに』=平出隆著(双葉社・3990円)

伊東光晴(京大名誉教授・経済学)

 <1>『リーマン・ショック・コンフィデンシャル 上・下』=アンドリュー・ロス・ソーキン著、加賀山卓朗訳(早川書房・各2100円)

 <2>『模擬と新製−−アカルチュレーションの明治日本』=前坊洋著(慶應義塾大学出版会・4200円)

 <3>『究極の田んぼ−−耕さず肥料も農薬も使わない農業』=岩澤信夫著(日本経済新聞出版社・1575円)

◇井波律子(中国文学者)

 <1>『言い残しておくこと』=鶴見俊輔著(作品社・2520円)

 <2>『黒船前夜−−ロシア・アイヌ・日本の三国志』=渡辺京二著(洋泉社・3045円)

 <3>『ことばの哲学−−関口存男のこと』=池内紀著(青土社・1890円)

江國香織(作家)

 <1>『観光』=ラッタウット・ラープチャルーンサップ著、古屋美登里訳(ハヤカワepi文庫・840円)

 <2>『奪い尽くされ、焼き尽くされ』=ウェルズ・タワー著、藤井光訳(新潮クレスト・ブックス・1995円)

 <3>『いちばんここに似合う人』=ミランダ・ジュライ著、岸本佐知子訳(新潮クレスト・ブックス・1995円)

海部宣男(放送大教授・天文学)

 <1>『ロボット兵士の戦争』=P・W・シンガー著、小林由香利訳(NHK出版・3570円)(講談社選書メチエ・1680円)

 <3>『文学のレッスン』=丸谷才一著、聞き手・湯川豊(新潮社・1575円)

鹿島茂(明治大教授・仏文学)

 <1>『マラルメ全集 1 詩・イジチュール』=マラルメ著、松室三郎・菅野昭正・清水徹阿部良雄渡辺守章訳(筑摩書房・1万9950円)

 <2>『失われた時を求めて 1 スワン家のほうへ 1』=プルースト著、吉川一義訳(岩波文庫・945円)

 <3>『ユイスマンスとオカルティズム』=大野英士著(新評論・5985円)

川本三郎(評論家)

 <1>『ひそやかな花園』=角田光代・著(毎日新聞社・1575円)

 <2>『硝子の葦』=桜木紫乃・著(新潮社・1680円)

 <3>『評伝 梶井基次郎−−視ること、それはもうなにかなのだ』=柏倉康夫・著(左右社・6615円)

小島ゆかり(歌人)

 『斎藤茂吉−−あかあかと一本の道とほりたり』=品田悦一・著(ミネルヴァ日本評伝選・3150円)

 『子規の宇宙』=長谷川櫂・著(角川選書・1680円)

 『世界一空が美しい大陸 南極の図鑑』=文・写真、武田康男(草思社・1680円)

小西聖子(たかこ)(精神科医・武蔵野大教授)

 『小さいおうち』=中島京子・著(文藝春秋・1660円)

 『無縁社会−−“無縁死”三万二千人の衝撃』=NHK「無縁社会プロジェクト」取材班・編著(文藝春秋・1400円)

 『子ども被害者学のすすめ』=デイビッド・フィンケルホー編著、森田ゆり・ほか訳(岩波書店・2835円)

五味文彦(放送大教授・日本中世史)

 『神話から歴史へ 天皇の歴史01巻』=大津透・著(講談社・2730円)

 『伝統都市 全4巻』=吉田伸之、伊藤毅・編(東京大学出版会・各5040円)

 『叢書(そうしょ)「アナール 1929−2010」1』=E・ル=ロワ=ラデュリほか監修、浜名優美・監訳(藤原書店・7140円)

白石隆(政策研究大学院大客員教授・国際関係)

 <1>『アカデミック・キャピタリズムを超えて−−アメリカの大学と科学研究の現在』=上山隆大・著(NTT出版・3360円)

 <2>『策謀家チェイニー−−副大統領が創った「ブッシュのアメリカ」』=バートン・ゲルマン著、加藤祐子・訳(朝日新聞出版・2415円)

 <3>『僧侶と海商たちの東シナ海』=榎本渉・著(講談社選書メチエ・1680円)

高樹のぶ子(作家)

 <1>『高く手を振る日』=黒井千次・著(新潮社・1470円)

 <2>『闇の奥』=辻原登・著(文藝春秋・1575円)

 <3>『もしもし下北沢』=よしもとばなな・著(毎日新聞社・1575円)

田中優子(法政大教授・江戸学)

 『大逆事件−−死と生の群像』=田中伸尚・著(岩波書店・2835円)

 『日本政治思想史−−十七〜十九世紀』=渡辺浩・著(東京大学出版会・3780円)

 『江馬細香−−化政期の女流詩人』=門玲子・著(藤原書店・4410円)

張競(明治大教授・比較文化

 『藝術の国日本−−画文交響』=芳賀徹・著(角川学芸出版・6090円)

 『六〇年安保−−メディアにあらわれたイメージ闘争』=大井浩一・著(勁草書房・3360円)

 『戦後日本人の中国像−−日本敗戦から文化大革命・日中復交まで』=馬場公彦・著(新曜社・7140円)

辻原登(作家)

 『ドストエフスキー』=山城むつみ・著(講談社・3780円)

 『TRIP TRAP(トリップ・トラップ)』=金原ひとみ・著(角川書店・1470円)

 『異邦の香り−−ネルヴァル「東方紀行」論』=野崎歓・著(講談社・2940円)

富山太佳夫(青山学院大教授・英文学)

 <1>ドイツ映画=ザビーネ・ハーケ著、山本佳樹訳(鳥影社/ロゴス企画・4095円)

 <2>老人の歴史=パット・セイン著、木下康仁訳(東洋書林・5040円)

 <3>バウドリーノ 上・下=ウンベルト・エーコ著、堤康徳訳(岩波書店・各1995円)

◇中村桂子(JT生命誌研究館館長)

 <1>人生に大切なことはすべて絵本から教わった=末盛千枝子著(現代企画室・2100円)

 <2>ある小さなスズメの記録=クレア・キップス著、梨木香歩訳(文藝春秋・1500円)

 <3>小惑星探査機はやぶさ物語=的川泰宣著(NHK出版生活人新書・777円)

中村達也(中央大教授・社会経済学)

 <1>フリーフォール−−グローバル経済はどこまで落ちるのか=ジョセフ・E・スティグリッツ著、楡井浩一・峯村利哉訳(徳間書店・1890円)

 <2>リーマン・ショック・コンフィデンシャル 上・下=アンドリュー・ロス・ソーキン著、加賀山卓朗訳(早川書房・各2100円)

 <3>なにがケインズを復活させたのか?=ロバート・スキデルスキー著、山岡洋一訳(日本経済新聞出版社・2100円)

沼野充義(東大教授・スラブ文学)

 <1>わたしは英国王に給仕した 世界文学全集3−1=ボフミル・フラバル著、阿部賢一訳(河出書房新社・2310円)

 <2>昼の家、夜の家=オルガ・トカルチュク著、小椋彩訳(白水社・2730円)

 <3>馬鹿たちの学校=サーシャ・ソコロフ著、東海晃久訳(河出書房新社・2520円)

藤森照信(工学院大教授・建築史)

 <1>権力の館を歩く=御厨貴著(毎日新聞社・2625円)

 <2>民主党政権への伏流=前田和男著(ポット出版・3360円)

 <3>テルマエ・ロマエ 1・2=ヤマザキマリ著(エンターブレイン角川グループパブリッシング・各714円)

堀江敏幸(作家)

 <1>ことばの哲学−−関口存男のこと=池内紀著(青土社・1890円)

 <2>傍らの男=高木敏次著(思潮社・2310円)

 <3>昔日の客=関口良雄著(夏葉社・2310円)

松原隆一郎(東大教授・社会経済学)

 <1>ネット帝国主義と日本の敗北−−搾取されるカネと文化=岸博幸著(幻冬舎新書・798円)

 <2>奪われる日本の森−−外資が水資源を狙っている=平野秀樹・安田喜憲著(新潮社・1470円)

 <3>おすもうさん=高橋秀実著(草思社・1575円)

丸谷才一(作家)

 <1>乾隆帝の幻玉=劉一達著、多田麻美訳(中央公論新社・3360円)

 <2>卵をめぐる祖父の戦争=デイヴィッド・ベニオフ著、田口俊樹訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ・1680円)

 <3>流跡=朝吹真理子著(新潮社・1365円)

三浦雅士(評論家)

 <1>見者ランボー=粟津則雄著(思潮社・2940円)

 <2>俵屋宗達−−琳派の祖の真実=古田亮著(平凡社新書・819円)

 <3>現象学の根本問題=マルティン・ハイデガー著、木田元監訳、平田裕之・迫田健一訳(作品社・5040円)

村上陽一郎東洋英和女学院大学長・科学史)

 <1>カラー版 ヨーロッパ中世ものづくし−−メガネから羅針盤まで=キアーラ・フルゴーニ著、高橋友子訳(岩波書店・3255円)

 <2>日本語ほど面白いものはない=柳瀬尚紀著(新潮社・1365円)

 <3>ショパン 炎のバラード=ロベルト・コトロネーオ著、河島英昭訳(集英社・2940円)

◇持田叙子(日本近代文学研究者)

 <1>優しいおとな=桐野夏生著(中央公論新社・1575円)

 <2>パンとペン−−社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い=黒岩比佐子著(講談社・2520円)

 <3>子規とその時代 坪内稔典コレクション 第2巻=坪内稔典著(沖積舎・3675円)

◇本村凌二(東大教授・西洋史)

 <1>ユダヤ人の起源−−歴史はどのように創作されたのか=シュロモー・サンド著、高橋武智監訳、佐々木康之・木村高子訳(浩気社/ランダムハウス講談社・3990円)

 <2>フランス史 1・2 <中世 上・下>=ミシュレ著、大野一道・立川孝一監修、立川孝一・真野倫平責任編集(藤原書店・各3990円)

 <3>勝手にふるえてろ綿矢りさ著(文藝春秋・1200円)

山崎正和(劇作家)

 <1>権力の館を歩く=御厨貴著(毎日新聞社・2625円)

 <2>人生という作品=三浦雅士著(NTT出版・2520円)

 <3>アカデミック・キャピタリズムを超えて−−アメリカの大学と科学研究の現在=上山隆大著(NTT出版・3360円)

湯川豊(京都造形芸術大教授・文芸)

 <1>闇の奥=辻原登著(文藝春秋・1575円)

 <2>渡りの足跡=梨木香歩著(新潮社・1365円)

 <3>残夢整理−−昭和の青春=多田富雄著(新潮社・1680円)

養老孟司(解剖学者)

 <1>世界のクワガタムシ大図鑑 全2巻=藤田宏著、水沼哲郎・永井信二・鈴村勝彦監修(むし社・4万8300円)

 <2>天地明察冲方丁著(角川書店・1890円)

 <3>デフレの正体−−経済は「人口の波」で動く=藻谷浩介著(角川oneテーマ21・760円)

若島正(京大教授・米文学)

 <1>賜物 世界文学全集2−10=ウラジーミル・ナボコフ著、沼野充義訳(河出書房新社・2730円)

 <2>煙滅=ジョルジュ・ペレック著、塩塚秀一郎訳(水声社・3360円)

 <3>明治大正昭和 不良少女伝−−莫連女(ばくれんおんな)と少女ギャング団=平山亜佐子著(河出書房新社・1995円)

渡辺保(演劇評論家)

 <1>井上ひさし全芝居 その七=井上ひさし著(新潮社・6300円)

 <2>初陣−−−隠蔽捜査3.5=今野敏著(新潮社・1575円)

 <3>坂東三津五郎 踊りの愉しみ=坂東三津五郎著、長谷部浩編(岩波書店・1995円)

 

2009-11-03

[]世界で一番長生きした作家について

 以下のつぶやきから。

http://twitter.com/kuratan/status/5387120383

調べた限りでは、SF作家で一番長生きだったのはジャック・ウィリアムスン(1908年4月29日 - 2006年11月10日)享年98、日本だと今日泊亜蘭(1910年(明治43年)7月28日 - 2008年(平成20年)5月12日)享年97? ミステリー作家だと誰だろう。

http://twitter.com/kuratan/status/5387159743

長命作家だと、やはり宇野千代(1897年11月28日 - 1996年6月10日)享年99? あ、98か。

http://twitter.com/kuratan/status/5387176477

やはり100歳越えはハードル高い。映画評論家の双葉十三郎(1910年10月9日 - )がまだ生きてて99歳。

http://twitter.com/hkazano/status/5387294628

@kuratan 丹羽 文雄(にわ ふみお、男性、1904年11月22日 - 2005年4月20日) 満100歳。

http://twitter.com/totinohana/status/5387410154

@kuratan 長命作家ということで言えば、E・ユンガーというドイツ人作家が103歳まで生きましたよ。ドイツ帝国からヴァイマール体制下のドイツ共和国、ナチス・ドイツ、そして戦後のドイツ連邦共和国までの期間に当たりますか。

http://twitter.com/serpentinaga/status/5387512752

ええと、渡辺啓助

http://twitter.com/kuratan/status/5387595888

@serpentinaga どうもありがとうございます。「渡辺啓助」ウィキペディアによると「1901年(明治34年)1月10日(1900年末?) - 2002年(平成14年)1月19日」享年101!?

http://twitter.com/kuratan/status/5387626689

さすがに、3世紀にわたって(多分)生きたってのはすごいな、渡辺啓助

http://twitter.com/kuratan/status/5387690108

エルンスト・ユンガー、ウィキペディアによると「1895年3月29日 - 1998年2月17日」享年102? ていうかなんかすごい面白そうな作家っぽい! でも邦訳で読めるの少ない→http://bit.ly/2aBR6q

http://twitter.com/kuratan/status/5387778692

エルンスト・ユンガー、『ヘリオーポリス』が世界幻想文学大系で邦訳されてたのに、ウィキペディアには入ってない。俺も知らなかった。多分家のどっかにある。『言葉の秘密』も図書館利用すると読めるかな。

http://twitter.com/kuratan/status/5387807198

SF作家じゃないけど、幻想文学作家(広義のSF作家?)ということだと、やっぱエルンスト・ユンガーが一番長命だった人かな。

http://twitter.com/kuratan/status/5387948659

『大理石の断崖の上で』はさすがに置いてないな。岩波書店から1950年代に出たエルンスト・ユンガー。

http://twitter.com/serpentinaga/status/5387915061

@kuratan ただ、(注:渡辺啓助の)最後の作品は創元推理No.1(1992秋)に載った短編「伯爵」ですね。

http://twitter.com/serpentinaga/status/5388021121

渡辺さんの「伯爵」はリアルタイムで読んだけど、流石に「ああ、もう現役じゃないんだな」というのが私の感想でした(←失礼)。

 あと、誰のつぶやきだか忘れてしまったけど(すみません)、「小島政二郎」の名前も出ました。

小島政二郎 - Wikipedia

小島 政二郎(こじま まさじろう、1894年1月31日 - 1994年3月24日)は、小説家、随筆家。

 享年100。

 だいたいこのあたりですが、長生きの作家が他におりましたら教えてください。

 特に海外のミステリー作家で、この人、というのは是非。

 

(追記)

 とか書いてるうちに、レヴィ=ストロース死亡のニュースが。

構造主義確立、レヴィ=ストロース氏死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

【パリ支局】フランスの人類学者、クロード・レヴィ=ストロース氏が死去した。

 100歳だった。AFP通信が3日、出版社からの情報として伝えた。

 レヴィ=ストロース氏は、ブラジルでの人類学調査などを通じて、構造主義の手法を確立、サルトル実存主義を批判した。

 コレージュ・ド・フランス名誉教授。フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員。著書に「悲しき熱帯」「構造人類学」「野生の思考」「神話論」などがある。

 

(2009年11月4日01時56分 読売新聞)

クロード・レヴィ=ストロース - Wikipedia

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss, 1908年11月28日 - )はフランスの社会人類学者、思想家である。

(まだウィキペディアは修正前)

 もうちょっと生きたら、101歳だったのに。

 

(追記)

http://twitter.com/hkazano/status/5395357369

hkazano @kuratan 海外ミステリではたぶんこの人がいちばん長生き。http://bit.ly/34CLaC

フィリス・A・ホイットニー - Wikipedia

フィリス・アヤメ・ホイットニー(Phyllis Ayame Whitney, 1903年9月9日 - 2008年2月8日)は、アメリカ合衆国の推理作家。

 享年104。

 エルンスト・ユンガーを1歳上回っています。

2009-11-01

[]SF作家の生き残り具合について

 1960年代末から1970年代はじめにかけて、早川書房から「世界SF全集」というものが出たわけですが(正確には何年から何年の間に刊行されたか、ちょっと調べられなかった)(追記:「1968.10〜1971.8の間」だそうです。コメント欄参照)、

世界SF全集(1〜26)

世界SF全集(27〜35)

早川書房(Hayakawa Shobo)/全集(Complete Collection)

 これの「短編集」に収録された作家以外の享年などについて調べてみる。ミスなどがありましたらご教示を。

 

1 ジュール・ヴェルヌ1828年2月8日 - 1905年3月24日)享年77

2 H.G.ウェルズ(1866年9月21日 - 1946年8月13日)享年79

3 コナン・ドイル(1859年5月22日 - 1930年7月7日)享年71

4 ヒューゴー・ガーンズバック(1884年8月16日 - 1967年8月19日)享年83

 ジョン・テイン(1883年2月7日 - 1960年12月21日)享年76

5 フィリップ・ワイリイ(1902年5月12日 - 1971年10月25日)享年68

 ファウラー・ライト(1874年1月6日 - 1965年2月25日)享年81

6 オラフ・ステープルドン(1886年5月10日 - 1950年9月6日)享年64

 C.S.リュイス(ルイス)(1898年11月29日 - 1963年11月22日)享年64

7 E.E.スミス(1890年5月2日 - 1965年8月31日)享年70

8 アレクサンドル・ベリャーエフ(1884年3月16日/ユリウス暦3月4日 - 1942年1月6日)享年57

9 イリヤ・エレンブルグ(1891年1月27日 - 1967年8月31日)享年76

 カレル・チャペック(1890年1月9日 - 1938年12月25日)享年48

10 オルダス・ハックスリィ(ハクスリー)(1894年7月26日 - 1963年11月22日)享年69

 ジョージ・オーウェル(1903年6月25日 - 1950年1月21日)享年46

11 エドモンド・ハミルトン(1904年11月21日 - 1977年2月1日)享年72

 マレイ・ラインスター(1896年6月16日 - 1975年6月8日)享年78

12 R.A.ハインライン(1907年7月7日 - 1988年5月8日)享年80

13 レイ・ブラッドベリ(1920年8月22日 - )まだ生きてる

14 アイザック・アシモフ(1920年1月2日 - 1992年4月6日)享年72

15 アーサー・C.クラーク(1917年12月16日 - 2008年3月19日)享年90

16 フレドリック・ブラウン(1906年10月29日 - 1972年3月11日)享年65

 シオドア・スタージョン(1918年2月26日 - 1985年5月8日)享年77

17 A・E・ヴァン・ヴォークト(1912年4月26日 - 2000年1月26日)享年87

18 アルフレッド・ベスター(1913年12月18日 - 1987年9月30日)享年73

 フィリップ・K.ディック(1928年12月16日 - 1982年3月2日)享年53

19 ジョン・ウィンダム(1903年7月10日 - 1969年3月11日)享年67

20 ジェイムズ・ブリッシュ(1921年3月23日 - 1975年7月29日)享年54

 クリフォード・D.シマック(1904年8月3日 - 1988年4月25日)享年83

21 フレデリック・ポール(1919年11月26日 - )まだ生きてる

 C.M.コーンブルース(1923年7月23日 - 1958年3月21日)享年34

 ポール・アンダースン(1926年11月25日 - 2001年7月31日)享年74

 フィリップ・ホセ・ファーマー(1918年1月26日 - 2009年2月25日)享年91

22 イワン・エフレーモフ(1907年4月22日 - 1972年10月5日)享年65

23 スタニスワフ・レム(1921年9月12日 - 2006年3月27日)享年84

24 アルカジイ・ストルガツキー(1925年8月28日 - 1991年10月12日)享年66

 ボリス・ストルガツキー(1933年4月14日 - )まだ生きてる

 アリアードナ・グロモワ(1916年12月2日 - 1981年11月13日)享年75

 ゲンナージー・ゴール(1907年1月15日 - 1981年1月6日)享年73

25 ルネ・バルジャベル(1911年1月24日 - 1985年11月24日)享年74

 マーチン・フリック 不明(追記:1933 - ?)

 ヘルベルト・W.フランケ(1927年5月14日 - )まだ生きてる

26 J.G.バラード(1930年11月15日 - 2009年4月19日)享年78

 ブライアン・W.オールディス(1925年8月18日 - )まだ生きてる

27 安部公房(1924年3月7日 - 1993年1月22日)享年68

28 星新一(1926年9月6日 - 1997年12月30日)享年71

29 小松左京(1931年1月28日 - )まだ生きてる

30 光瀬龍(1928年3月18日 - 1999年7月7日)享年71

 筒井康隆(1934年9月24日 - )まだ生きてる

 眉村卓(1934年10月20日 - )まだ生きてる

 

ヒューゴー賞って、まだヒューゴー・ガーンズバックが生きてた時代に作られたんだ。

・ジョン・テインは本名E.T.ベル(Eric Temple Bell)という数学者で『数学をつくった人びと』の著者としても有名。

・フィリップ・ワイリイ、ジョン・ウィンダムは多分「世界SF全集」刊行中に亡くなった。

・はじめの10巻が「クラシック」というか、SFと呼ばれる小説としては広義のSF。『フランケンシュタイン』も入れて欲しかったところ。

・非英語圏のSFもちゃんと押さえているのが「世界SF全集」と名前がつくだけのことがある。

・50代までで若死に、と判断すると、アレクサンドル・ベリャーエフ(享年57)、カレル・チャペック(享年48)、ジョージ・オーウェル(享年46)、フィリップ・K.ディック(享年53)、ジェイムズ・ブリッシュ(享年54)、C.M.コーンブルース(享年34)が若死に。

・生きている作家はレイ・ブラッドベリ(89歳)、フレデリック・ポール(89歳)、ボリス・ストルガツキー(76歳)、ヘルベルト・W.フランケ(82歳)、ブライアン・W.オールディス(84歳)、小松左京(78歳)、筒井康隆(75歳)、眉村卓(75歳)。

・一番長生きした作家はアーサー・C.クラーク(享年90)、じゃなくてフィリップ・ホセ・ファーマー(享年91)。

・SF作家の「大量死」はフィリップ・K.ディック(1982年3月2日)以降の印象あり。

・ゲンナージー・ゴール(ГЕННАДИЙ ГОР)の生年月日・没年月日は、ぼくにはキリル文字が読めないので不正確かも。

・マーチン・フリック(スイスの作家)はどうにもこうにも不明。(追記:少しわかりました。コメント欄参照)

 

 新しい「世界SF全集(現代世界SF全集)」を入れるのなら、誰あたりからかなぁ。ゼラズニィディレイニー、ディッシュ、のニュー・ウェーヴ御三家とか、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアコードウェイナー・スミスR.A.ラファティ、の短編御三家とか、フレデリック・ポール、ロバート・シルヴァーバーグ、ラリー・ニーヴンといった、1970年代に評価されてきた人とか。あと、非英語圏のSF・SF系作家も入れたいよね。ラテンアメリカとかフランスとか。

 

2009-10-05

[]J.G.バラード「内宇宙への道はどちらか?」(伊藤典夫訳)とその感想

 これは以下の日記の続きです。

J.G.バラードと健忘症(アムネジア)

 

 今日は、「NEW WORLDS」誌1962年5月号に初出されたJ.G.バラードの「ニューウェーヴ」宣言とも言うべきテキストを掲載してみます。翻訳は「内宇宙への道はどれか?」(季刊NW-SF No.1、1970年)をS・Fマガジンの1997年3月号に改訳・掲載した伊藤典夫氏によるもの。太字は例によって、ぼくによるものです。

 今となっては歴史的テキストですが、これが掲載され、日本に紹介されたときの騒ぎはなかなかのものでした。とはいえ、当時の日本人(日本SF)には少し早すぎた「今のSFなんてダメだ」的テキストですな。まぁ、当時も創元のE.R.バローズやE.E.スミス、早川書房のエドモンド・ハミルトン(キャプテン・フューチャー)などなど、スペース・オペラの代表作がちらほらと翻訳され、いわゆる「名作SF」(ハインラインとかアシモフ、ブラッドベリとか)よりもセンセーショナルな形で売れていた、という状況があったりしたので、「これからのSFはどういうものがいいのか」に関しての、一つの痛烈な刺激にはなったんじゃないかと思います。

 引用テキストは、S・Fマガジン1997年3月号、p27-31

 米ソ宇宙競争の悲しむべき副産物をひとつ挙げるなら、それはサイエンス・フィクションが一般大衆の心のなかで、バック・ロジャーズのロケットや光線銃と一緒くたにされる風潮をいっそう強めてしまったことだろう。サイエンス・フィクションがこの同一視----現在ある悪評の大半はここから来ている----をまぬがれる見込みが仮にあるにしても、チャンスはまもなく失われ、有人宇宙船の華々しい月面着陸が、この心象をいやおうなく固定してしまうにちがいない。宇宙服姿のヒーローの登場に腹の底からうめき声を上げるどころか、一般読者のほとんどは、ロボット脳とかハイパードライヴといったお決まりの小道具が出てこないといって、がっかりするようになる。これはたいていの映画観客が、西部劇のなかに最低一回は派手なガンファイトがないと、退屈してしまうようなものだ。撃ち合いなしの西部劇もいくつか試みられているが、みんな犬と未開地の話になってしまうようである。わたしが読者として恐れるのは、近い将来サイエンス・フィクションがよほど大胆な活力回復をおこなわないかぎり、現在かろうじいてこの媒体を正当化しているシリアスな周辺素材は失われ、それは怪談や探偵小説とおなじく、色あせた文学形式が落ちゆくリンボー界に追いやられてしまうだろうということだ。

 宇宙小説はもはやSFのアイデアを生みだす主要な源泉ではない。そうわたしが信じる根拠はいくつかある。第一はその大半が変わりばえもせず児童向きであることだが、これは必ずしも作者の罪とばかりいうことはできない。モート・サール(アメリカのナイトクラブ・コメディアン。テレビに進出、政治諷刺で評判をとった)がケープ・カナベラルのミサイル実験場を「東部ディズニーランド」と呼んだように、好むと好まざるとにかかわらず、たいていの人びとのサイエンス・フィクション観はそんなものであり、ロケットや惑星めぐりといった背景が強いる想像力の限界を露呈している。

 レイ・ブラッドベリのような詩人は、いまある雑誌の約束事を受け入れながら、火星のような使い古しの題材さえもうっとりするような自己の世界に造りかえてしまう。だがサイエンス・フィクションは、ブラッドベリ級の作家がつぎつぎと出るという希望にすがって、存続を楽観することはできない。ロケット&惑星ものが本来そなえる興趣の度合いは----肉体的・心理的奥行きのなさや人間関係の限界もあって----あまりにも軽く、これを土台にして、自立した小説形式を保つことは不可能に近いのだ。多少何かがあるにしても、有人衛星のあいつぐ成功のあとには、クルーの限られた心理的体験が−−−−総じてSF作家たちの予見は、意図とは別になかなか正確だったが----SFに出てくるこの種のものの模範になってしまうのがオチだろう。

 もちろん視覚的には、壮大な展望と冷厳な美において、宇宙小説にかなうものはない。これはSF映画やSFコミックが証明しているとおりだが、文学形式を成り立たせるにはもっと込み入ったアイデアが必要なのだ。はっきりいって、それは宇宙船からは得られない。(不思議なことに、近ごろの宇宙飛行士の勤務表をながめるとき、前時代のスペース・オペラでただひとつ本物だったのは、そのぎごちない一本調子の会話である。シェパード中佐の「おい、なんて飛行だ(ボーイ、ホワット・ア・ライド)」という叫びは一概に責められないにしても、チトフ少佐の宇宙第一夜の夢もない熟睡は、イカロスの失墜以来、最大の興ざめではないだろうか。----どんなにたくさんのSF作家が、彼の台本を書きたかったと願ったことか!)

 しかし、いまわたしが宇宙小説の占める中心的役割にいちばん不満をおぼえるのは、訴えかける読者層があまりにも狭すぎることなのだ。サイエンス・フィクションがその地歩を保ち、今後も発展をつづけようとするなら、それは西部小説のように、広範な非専門読者の気まぐれな暇つぶし用だけに、その存続を賭けるわけにはいかない。専門化した媒体がたいていそうであるように、サイエンス・フィクションに必要なのは、鋭い眼力を持った忠実な読者であり、抽象絵画や十二音音楽の鑑賞者とおなじく、特定の楽しみにすすんで食いついていく人びとなのだ。保守的なスペース・オペラ・ファンたちは、現在のSF読者の安定した中心層ではあるだろうが、この媒体を生かしつづける力にはなりそうもない。純粋主義者の通例として、彼らはメニューが変わるのを好まないし、ここでサイエンス・フィクションが進化しないかぎり、遅かれ早かれ他の媒体が割りこんできて、その最大の長所、未来のショウ・ウインドウたる権利を横取りしていくだろう。

 近ごろのわたしは知的興奮を味わいたいとき、サイエンス・フィクションへは行かず、音楽や絵画にこれを求めることがきわめて多い。ところが、これこそが当面の最大の問題点なのだ。批判力のある読者を引き寄せるには、サイエンス・フィクションはいまの内容とアプローチを根本から改める必要がある。1930年代に生まれた雑誌SFは、当時の流線型まがいの建築とおなじように、並みの読者の目にも古くさく見えはじめている。これはたんに時間旅行、精神力学(サイオニックス)、テレポーテーション(いずれも科学とは何の関係もないものだが、それがほのめかす可能性は息をのむばかりで、満足に扱うにはよほどの天才が必要だ)から時代が知れるというだけではない。並みの読者は利口であり、物語の大半がそうしたテーマをほんのすこし焼き直しただけのもので、新鮮なイマジネーションの飛躍とはいいがたいことに気づいているのだ。

 歴史的に見て、この種の職人芸は明らかな衰退のきざしであり、SFの演じるべき本来の役割がつまるところマイナーな雑学的娯楽で、専門誌は通俗科学の流行を日和見(ひよりみ)的に追いかけるだけということになる場合も大いにありうる。

 しかしながら、こうした展望をしりぞけ、サイエンス・フィクションが未来の想像力豊かな通訳として、今後も役割を広げていくと信じるならば、アイデアの新しい源泉をどこに求めたらいいだろうか? まず第一に、SFは宇宙に背を向けるべきだとわたしは考える。恒星間旅行、地球外生物、銀河戦争、あるいはその重複タイプ、つまり雑誌SFの誌面の九割をおおうそうしたものから、SFは遠ざかるべきなのだ。偉大な作家ではあるが、H・G・ウエルズはその後のSFの進路に破滅的な影響を及ぼした。彼の提供したアイデアのレパートリーが、過去五十年にわたってこの媒体を占拠することになったというだけではない。単純なプロット、ジャーナリスティックな語り口、シチュエーションや人物設定の標準的な幅など、文体や形式の慣例を確立してしまったのである。自覚があるかどうかはともかく、いまSF読者を退屈させているのはそうしたものであり、それ自体が文学の他の方面での発達に比して、時代遅れに見えはじめているのである。

 なぜSFに実験への熱意があまり見られないのか。過去四、五十年の絵画、音楽、映画と比べるとき、わたしはしばしば不思議に思う。近ごろこれらがまるごと思弁的(スペキュレイティヴ)になり、新しい心のあり方の想像に打ちこみ、新鮮なシンボルや言語を、効力をなくした古いものに代わって構築しているのを見るとき、特にその感を深くする。おなじ意味でわたしは、SFはいまある語りの形式やプロットを放棄しなければならないと考える。こうしたものの大半は、性格描写やテーマの得もいわれぬ相互作用を表現するには、あまりにもあからさま過ぎる。たとえば時間旅行やテレパシーのような仕掛けは、たしかに時間と空間の相関関係を婉曲に説明してくれて、作家たちには都合がいい。ところが奇妙なパラドックスによって、それらはまた作家のイマジネーションの広がりを妨げる役目を果たし、仕掛けがつくりだした狭い境界内でほとんど身動きとれなくさせてしまうのだ。

 目前の未来においてもっとも大きな発展が起こるのは、月でも火星でもなく地球だろう。探求されねばならないのは、外宇宙(アウター・スペース)ではなく"内"宇宙(イナー・スペース)である唯一未知なる惑星は、地球なのだ。過去においてSFは物質科学----ロケット工学、エレクトロニクス、サイバネティクス----を偏重してきたが、これからは生物科学に目を向けなければならない。正確さなどというのは想像力のない人びとの最後の逃げ場であって、そんなものは一顧の値打ちもない。いまほしいのは科学的事実(サイエンス・ファクト)より、もっと多くのサイエンス・フィクションであり、科学解説などといった企画は、古くさいバック・ロジャーズものに上品ぶった衣をかぶせようとしているだけのことだ。

 より厳密にいうなら、わたしはSFがもっと抽象的かつ"クール"になり、テーマを遠まわしに描きだす新鮮なシチュエーションやコンテクストを発明してくれることを願っている。たとえば、時間を輝かしい観光道路のように見るのではなく、あるとおりに人格のパースペクティヴのひとつとして、また時間帯(タイム・ゾーン)、深時間(ディープ・タイム)、原始心理的時間(アーキオサイキック・タイム)といった概念を精密化させて使っているところを見たい。心理文学(サイコリテラリー)的なアイデア、メタ生物学やメタ化学の概念、私的な時間系、模造の心理や時空、さらに精神分裂病患者の絵画に見られるような遠い陰鬱な半世界、こうしたものがもっと増えることを望む。すべてが申し分ない思弁的科学のポエジーでありファンタジーだ。

 サイエンス・フィクションこそ明日の文学たり得る資格を充分に持ち、アイデアとシチュエーションの適切なボキャブラリーをそなえた唯一の媒体であると、わたしは固く信じている。概してSFがそれ自体に課す基準は、他の専門的な文芸ジャンルのどれよりも高いが、これ以後、つらい作業のおおかたを担うのは、作家や編集者ではなく、読者であるとわたしは思う。婉曲な叙述文体、控えめに提供されるテーマ、私的なシンボルやボキャブラリー、そうしたものを受け入れる義務を負うのは読者なのだ。もし誰も書かなければ、わたしが書くつもりでいるのだが、最初の真のSF小説とは、健忘症の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪をながめながら、自分とそれとの関係のなかにある絶対的な本質をつかもうとする、そんな話になるはずだ。突飛で抽象的に聞こえるかもしれないが、それでけっこう。サイエンス・フィクションには、実験をおこなう余地がまだたっぷりあるからだ。退屈に聞こえるかもしれない。だが少なくともそれは新しい種類の退屈であるはずだ。

 締めくくりの話題としてわたしが思いだすのは、サルバドール・ダリが数年まえロンドンで講演したとき、彼が着ていた潜水服のことである。潜水服の整備にやってきた職人が、どのくらい深くまでもぐるつもりかとダリにたずねた。するとマエストロは手をひとふりし、「無意識のなかまでさ!」と叫んだ。職人は分別くさく「わたしらはそこまで深くは行きませんね」と答えた。それから五分後、言葉にたがわず、ダリはヘルメットのなかでほとんど気を失いかけた。

 そんな"内"宇宙服(イナースペース・スーツ)こそいまでも必要とされているものであり、それを作るのがサイエンス・フィクションの使命なのだ!

 今読み返してみると、なかなか時代を感じさせる「ニューウェーヴ宣言」だったのでした。野尻抱介氏あたりが読んだら大激怒

 ぼく自身の今の心境としては、「抽象絵画や十二音音楽」は、ちょっと堪忍してください、という感じなのですが、1960年代はじめは多分そうじゃなかったんだろうなぁ。バラードの思想というか問題提起は、その意味で「モダン志向」、要するにポスト・モダンなわれわれの時代にとっては「クラシック」と言うようなレベルのものなんじゃないかという、巽孝之の分析は正しいかも。

2009-10-03

[]各務三郎による植草甚一のテキスト批判

 ということで、「EQ」1979年3月号の書評「独断と偏見」より。「EQ」p110-111。ほとんどの太字は引用者(ぼく)によるもの。

 おそらく----『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』の書評には、わたしは向いていないのかもしれない。著者は、ジャズ、映画、ミステリー……何でも評論し、その評論ぶりが多くの人たちに愛され、高く評価されている外国通なのだそうだ。エッセイ・評論集が何十冊も出版されているのだから、そうなのだろう。だが、ことミステリーに関するかぎり、わたしには、なぜ氏が高く評価されているのか、理解に苦しむ。氏のよき読者ではないからだろう。

 たとえば----本書は、海外ミステリー随想、書評、ミステリー講座の三本立てになっていて、起承転結のない、世にいう植草調なる文章がつづいている。だが……これほど独断と偏見にみちた本も珍しい。さらにミステリー専門出版社から刊行されたにもかかわらず、それを指摘する編集者がいなかった事実にショックを受ける(書評以外はミステリー雑誌に掲載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった)。

 ----スティーヴン・マーカス編『コンティネンタル・オプ』に触れている部分をみると、どうやらニューズウィークの『コンティネンタル・オプ』書評について書いているらしい。「……もうひとつの『黄金の馬丁というのは、ある事件があって、競馬の騎手四人に頼んで嫌疑者を洗おうとしたところが、うまくいった。お礼に騎手たちに五ドルずつやって、『君たちは生まれつきのガムシューだ』っていう。そういう台詞(せりふ)が『黄金の馬丁』の題名にひっかかって味があるんだろうと思います。じつはそういうふうにスティーブン・マーカスはハメットを賞めているんですけれど……」ところが、競馬の騎手など作品のどこにも登場しないし、題名のThe Golden Horseshoeとはメキシコのティファナになる〈黄金の馬蹄酒場〉を意味している。

 つまり植草氏は、『コンティネンタル・オプ』を読まずに、『コンティネンタル・オプ』に関する書評を(それもまちがって)訳しながらハードボイルドを講義しているのだ。

 植草氏の文章は、どこまで他人の意見で、どこから氏の意見がはじまるのか判然としないという特徴があり、読者は大いに困惑させられる。明らかに氏の意見なり評価だと察せられる箇所にぶつかると、ホッとするあまり、思わず氏の〈独断と偏見〉に拍手したくなるのではあるまいか?

 クリスティーの『象は忘れない』における十数年まえの夫婦心中について「夫と妻のどっちがさきにピストルで相手を撃ったんだろう。こんなに魅力のある難問も珍しい」と平凡な謎(ただし心中事件は現実に少ない)に無邪気に感嘆したり、今さらのようにクリスティー作品における会話の流れについて感心したりするのをみれば、氏がそれまでクリスティーを読んだことはないのではないか? とかんぐりたくなる。『運命の裏木戸』におけるクリスティーのユーモア(それもダジャレや楽屋落ち)に感心されたんじゃかなわないし、これら晩年の作品における冗長な会話を高く評価する姿勢も理解できない。

 氏の博識ぶりは世評に高い。『象は忘れない』Elephant Can Rememberの題名について「それはたぶん四十年以上まえになるがエセル・ライナ・ホワイトが『象は忘れない』(Elephant Don't Forget)というサスペンス小説を書いているからにちがいない。そうしてこの作品はアメリカでは出版されなかったから邦訳に使った『象は忘れない』でかまわないわけだが……」と断定。ホワイトのAn Elephant Never Forgets(1937年)は、翌年、アメリカのハーパー社で出版されたらしいが、それはさておき、〈象は忘れない〉という言葉は、もともと象の記憶力のよさに関連する慣用句みたいなものなのだ。

 また、ウッドワード&バーンスタインの『大統領の陰謀』の原題All The President's Menをペン・ウォーレンのAll The King's Menのもじりだと断定----マザー・グースに登場する卵のなぞなぞ唄「ハンプティ・ダンプティ」であるという基本的な知識が欠落してしまっているのだ。

 かつては〈独断と偏見〉には悪いイメージがあった。昨今、よいイメージを期待して使われるようである。本書にみるかぎり、植草氏が各所に披瀝(ひれき)する〈独断と偏見〉は、文字どおりの意味でしかない。

 この後、結城昌治氏の初エッセイ『昨日の花』にも言及していますが、植草甚一氏とは関係のないテキストなので、略。

 確かにこれは、時代が時代なら「植草甚一検証blog」ができてもおかしくないレベル。

 この件に関するぼくの意見。

 業務上何らかのつきあいがあったと想定される「編集者」が「ライター」の批判・悪口を公の場で実名・筆名で書いている場合は、その背景に私怨もしくはそれに類する何かがあったかもしれない、という可能性を考慮するのも必要。原稿が遅かったとか、無名のときはどんどん原稿を「書かせてやった」のに、有名になったら原稿依頼を(スケジュールその他の理由で)断ってきたとか。各務三郎に「植草甚一は俺が育てた」意識があったかどうか。あるいはもっと深い「心の闇」があったり。嫉妬とかね。

 太田博(各務三郎)氏は、1969年8月号から1973年6月号までミステリ・マガジンの編集長をつとめたわけですが、その間、植草甚一氏とはどういうつきあいがあったのか、興味を持ちました。(追記:コメント欄によると、つきあいがなかった、というか、避けてた、と言ってもいいぐらいな感じ)

 しかし、これはちょっと笑えた。

唐沢俊一検証blog(2009年9月24日コメント欄)

SerpentiNaga 2009/09/25 09:12

横からごめんなさい。

>藤岡先生

現在唐沢俊一に代表される「サブカル畑のインチキおじさん」の系譜を辿ってゆくと植草甚一にぶち当たるのですが。

各務三郎による植草甚一批判をご存じないですか(<EQ>誌1979年3月号「独断と偏見」)。まるで時を超えて唐沢を批判しているかのような面白いエッセイです。各務は植草の『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』をとりあげて、こう語っています。

「これほど独断と偏見にみちた本も珍しい。さらにミステリー専門出版社から刊行されたにもかかわらず、それを指摘する編集者がいなかった事実にショックを受ける(書評以外はミステリー雑誌に連載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった)。」

 

藤岡真 2009/09/25 09:27

>SerpentiNagaさん

 死後何年もたってから、植草甚一の一般的な評価が変わっていった事実は知っています。それを「サブカル畑のインチキおじさん」と総括するのは、あなたの勝手ですが、少なくともその“系譜”の上に唐沢俊一がいないことは確かだと思います。唐沢はただの「インチキおじさん」であって、「サブカル」は勝手に標榜しているからです。

 各務氏の悪意のある批判を一方的に受け入れるつもりはありません。『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』はリアルタイムで読んでいますし、なによりこの作品に日本推理作家協会賞を与えた審査員の目が、全員節穴だとも思えないからです。それに、わたしの新作『七つ星の首斬人』が収録された東京創元社の叢書「クライムクラブ」は植草氏が創設したものですから。

 なにかあなたのご意見は、どさkyさに紛れて、唐沢という馬鹿を植草氏に重ねて、植草氏を貶めようとしているだけにしか見えないんですが、如何に。

http://twitter.com/serpentinaga/status/4358899441

「悪いのは唐沢一人だ! 大恩ある植草先生を貶めるお前は敵だ!」みたいな反応を示されてはもうにんともかんとも。お返事どうしやうか。

11:45 AM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4360206426

『ミステリの原稿は夜(以下略)』をリアルタイムで読んでたってそれがどうしたというんだろ。リアルタイムで読んでたから騙されても仕方ないんだってならまだわからないでもないが。

12:47 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4360297160

重要なのは各務三郎のエッセイ「独断と偏見」の方を読んだかどうかなんだけど、あの反応は多分読んでないよな藤岡先生。

12:52 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4360435585

読んでてなおあれを「悪意ある批判」とか書いてるならどうしようもないや。あれが悪意ある批判なら「唐沢俊一検証ブログ」は悪意の固まりか? 話にならないよ。

12:59 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4361306675

ああもう、唐沢擁護の連中と同じメンタリティで反論してくる人にどうお返事したものやら。「伝説の偉人」と化してしまった人物について何か言うとこれだから困る。

1:48 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4368465424

まあいいや、「各務三郎による植草甚一批判」については近々はてダで取り上げることにしようっと。ほんっとに面白い記事だから、前から紹介しようしようとは思ってたんだ。

10:45 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4524291665

ん…各務さんの「独断と偏見」は植草さんの『ミステリの原稿は…』受賞の後に書かれたものなの?それとも前?隔月刊の三月号が書店に並ぶのはいつ?一月?

10:21 PM Oct 1st movatwitterで

 隔月刊の三月号が書店に並ぶのは、1月だと思います。『ミステリーの原稿は徹夜で書こう』が受賞したのは1979年なので、受賞前ではなかろうかと。

 こちらの「はてなダイアリー」にも注目です。

SerpentiNagaの蛇行記録

 あと、こちらも。

40代病人夫婦の日記 ドキュメンタリー映画「精神」を応援中

本日の到着品(各務三郎による植草甚一批判)

実は、自分も、もともと植草甚一の文体があまり好きではなくて。「どうして世間の人々は、ああも、あの人を褒めるんだろう」と不思議に思っていのただが。その「違和感」の理由を、各務氏に教えてもらった気分。

 『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』ちょっと読んでみたくなった。多分家のどこかにあると思う。

 植草甚一に関して批判・検証ブログがないのは、今さら、という感があるからだろうな。だいたい、海外(アメリカ)の情報が乏しかった1960年代〜1970年代中ごろぐらいまでの海外SFやミステリーの評論家って、今にして思うとかなりインチキの要素をみんな持っていたと思う。

2009-09-30

[]スタニスワフ・レムのスタージョン批判テキストその他

 以下の日記のコメント欄から。

カート・ヴォネガットのSF業界罵倒テキスト

kokada_jnet 2009/09/02 17:34

こんにちわ。

レムですが、ご存知かもしれませんが、「SFマガジン」2004年1月号のレム特集で、いわゆる「レム事件」が紹介されていました。

それに関連して、レムのアメリカSF批判のうち、ハードSF作家への批判が変だと(物理学者の、レムの元盟友のフランツ・ロッテンシュタイナーとの間で大喧嘩があったそうで、そのテキストが掲載されているURLを牧眞司氏が紹介していました。(下記の、私のブログにURLを張ってあります)

http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20090424#p2

ご参考になりましたら・・。

kokada_jnet 2009/09/02 17:37

すみません。上記コメントを削除できなかったので、訂正です。

3行目の、変だとの右側の、「(物理学者の」は無視してください。

lovelovedog 2009/09/02 20:56

情報どうもありがとうございます。これも初出がいつなのか気になりますが、SFマガジンを探して見てみようかと思います。

kokada_jnet 2009/09/29 17:17

たびたび、お邪魔します。自宅の整理をしたところ、レムの英米SF批判テキストが掲載されている「別冊・奇想天外」が出てきました。その中でも、面白かったスタージョン批判を、私のダイアリーで引用してみてます。ご参考までに。

http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20090929#p1

lovelovedog 2009/09/29 21:04

コメントどうもありがとうございます。引用もとても面白いです。

 ということで、ここを読むといいことあるよ。

「SFマガジン」2004年1月号

スタニスワフ・レムのスタージョン批判

アメリカSFには二つの疫病がある。「駄作病」と「まやかし病」である。

しかし、価値のまがいものつくりの功罪は非常に由々しい、危険なものである。

◎「スタニスワフ・レム=インタビュー」ダニエル・セイ(1973)/野口幸男訳 別冊奇想天外4『SFの評論大全集』(1978年)に収録より引用。

 スタージョンに対して感じていた、ぼくのモヤモヤとした気分をぶった切り。まぁスタージョンの場合は「でもそれがいいんだよ」という人もいる(多い)ので。

 これの元テキスト(英文)を探してみたんだけど、ちょっとネットでは見当たらなかった。

 しかし1970年代のテキストは、別件でも読みたいのがあったので(<EQ>誌1979年3月号「独断と偏見」)、

http://twitter.com/serpentinaga/status/4368465424

まあいいや、「各務三郎による植草甚一批判」については近々はてダで取り上げることにしようっと。ほんっとに面白い記事だから、前から紹介しようしようとは思ってたんだ。

10:45 PM Sep 25th movatwitterで

 ちょっと都立図書館ぐらいの規模の図書館に行きたくなった。

2009-09-20

[]『デッドエンドの思い出』を読む

『デッドエンドの思い出』を読む。別に普通に面白いんだけどな、よしもとばなな。今あんまり読まれてないの? 矢作俊彦と同じ?