Hatena::ブログ(Diary)

愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2007-09-05

[]日本人奴隷の売買を禁じた秀吉の発令(?)は「バテレン追放令」ではありません

 見出しは(少しだけ)演出です。

 ネットで検索するとこんな感じなわけですが、

バテレン追放令 奴隷 - Google 検索

加賀百万石異聞・高山右近(19)

秀吉 の天下取りの思惑とは別に、大村、有馬の両キリシタン大名を脅かす九州の雄、島津を打ち破るのは右近の願いでもあったに違いない。秀吉と右近の関係は九州平定でますます強固になったと思われた。だが、島津を破り、右近の役割が終わったのを見計らったように箱崎の陣にあった秀吉は突然「バテレン追放令」を出し、右近に棄教を迫ったのである。

 近年、研究者の間で内容の理解の仕方に論争までおきているが、追放令は外国人向けと見られるものと、国内向けの条例のようなものの2種類が出された。定説に従えば1つは次の五項目からなっている。

一、日本は神々の国である。キリシタン国から邪法を授けるのはよろしくない。

一、彼らは諸国で宗門を広め、そのために神社仏閣を破壊した。かつてないことであり、罰せられることである。

一、バテレンは二十日以内に自国に帰るべきである。

一、商船は商売のためであるから、別の問題である。

一、今後、神と仏の教えに妨害を加えなければ日本に来るのは自由である。

 もう1つの国内向けとみられる法令は11カ条からなっている。一条から九条までの内容は▽キリシタン信仰は自由であるが、大名や侍が領民の意志に反して改宗させてはならない▽一定の土地を所有する大名がキリシタンになるには届けが必要▽日本にはいろいろ宗派があるから下々の者が自分の考えでキリシタンを信仰するのはかまわない―などと規定する。

 注目すべきは次の十条で、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止。十一条で、牛馬を屠殺し食料とするのを許さない、としていることである。

 以上の内容からは▽右近が高槻や明石で行った神社仏閣の破壊や領民を改宗させたことを糾弾▽有力武将を改宗させたのはほとんどが右近によってで、右近に棄教をさせることで歯止めがかかると見た▽バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。

 さらに重要なのは、日本の民と国土は、天下人のものであり、キリシタン大名が、勝手に教会に土地を寄付したり、人民を外国に売ることは許されないということである。天下統一とは、中央集権国家の確立にほかならない。キリシタンは、その足元を乱す、かつての一向宗と同じ存在になる危険性があると秀吉が感じていたことがわかる。

 「バテレン追放令」は、キリシタンが対象であるかのように見えて、実は日本が新しい時代を迎えるため何が課題かを暗示する極めて重要な出来事だったのである。

●〔西欧に資料多数〕

 秀吉のバテレン追放令は、世界のキリスト教史でも重大事件で「バテレンたちの数百枚に及ぶ膨大ともいえる文書がヨーロッパに存在している」(「南蛮のバテレン」松田毅一著)という。日本側にも資料は多く、博多で秀吉の茶会に同席していた茶人紙屋宗湛(かみや・そうたん)が残した日記によれば、天正15年6月19日(西暦では1587年7月24日)のことで、秀吉の宴席から2人の使者が出され、1人は博多湾に浮かぶバテレンの船へ、もう1人は高山右近の陣営に走ったと書かれている。

 で、この「国内向けとみられる法令」なんですが、実はどうもこんな情報があったりして、

「バテレン追放令」の「十条」について(コメント欄)

出典は「神宮文庫」内の『御朱印師職古格』で、1939年、渡辺世祐氏が学会に向けて発表

 1939以前には知られておらず、調べた限りでは「神宮文庫」以外の場所にもあるかどうかは未確認でした(五項目からなる「松浦文書」は、資料がたくさん残っているようでした)。

 その条例は、以下のようなものです。これが掲載されているネットテキストって本当に少ないので、覚えておいてくださいね(転送・転載ですが)

「日本史なんて怖くない」 | melma!(No.323)

=======<史料引用・キリシタン大名の規制>===========

一(1)、伴天連{ばてれん《注》}門徒の儀は、其者{そのもの}の心次第{こころしだい(心のまま、自由)}たるべき事。

(2、3は略)

一(4)、弐百町二三千貫《注》より上の者、伴天連ニ成{なり}候に於{お}ゐてハ、公儀{こうぎ}の御意{ぎょい}《注》を得奉{えたてまつ}り次第ニ成申{なりもう}すべき事。

一(5)、右の知行{ちぎょう}より下を取{とり}候ハバ、八宗九宗の儀候間《注》、其{その}主一人宛{ずつ}ハ心次第成るべき事。

(6、7は略)

一(8)、国郡又は在所{ざいしょ}を持{もち}候大名{だいみょう}、其家中{そのかちゅう}の者共、伴大連門徒ニ押付成{おしつけなし}候事《注》ハ、本願寺{ほんがんじ}門徒の寺内{じない}を立{たて}し《注》より太{はなはだ}然{しか}るべからざる義に候間、天下{てんか}のさわり《注》ニ成るべく候条、其分別{そのふんべつ}これ無き者ハ御成敗を加へら

るべく候事。

(9は略)

一(10)、大唐{だいとう(明)}、南蛮{なんばん(ポルトガル・スぺイン)}、高麗{こうらい}え日本仁{じん}を売遣{うりつかわし}候《注》事曲事{くせごと}。付{つけたり}、日本ニおゐて人の売買停止{ちょうじ}の事。

一(11)、牛馬を売買しころし食事{くうこと}、是又{これまた}曲事{くせごと}たるべき事。

右の条々、堅く停止{ちょうじ}せられ畢{おわんぬ}、若{もし}違犯{いほん}の族{やから}これ有らば、忽{たちまち}厳科に処せらるべき者也。

天正十五年六月十八日 御朱印

(神宮文庫所蔵文書)

《注》史料の{ }は読み、( )は意味を表す

   伴天連 キリスト教の宣教師。ここではキリスト教をさす

   弐百町二三千貫 知行地二百町は貫高(銭納換算年貢額)二三千貫に相当した

   公儀の御意 秀吉の許可

   八宗九宗の儀候間 仏教にもいろいろと宗派があるから。八宗とは南都六宗天台宗真言宗。九宗はこれに禅宗を加える

   伴天辺門徒ニ押付成候事 キリスト教への入信を強制する

   本願寺門徒の寺内を立し 一向宗徒が寺内町を作ること。一向一揆の拠点となった

   さわり 障害

   日本仁を売遣候 日本人を奴隷として海外に輸出する

   神宮文庫所蔵文書 伊勢神宮の内宮・外宮に伝わる記録などが収められている

 で、これはぼくの判断なんですが、伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」にしか残されていないテキストが本当に全国の大名や日本に来ていた外国人に伝えられた(発令された)ものとしていいのかどうか、という疑いがあります。

 さらに言うと、「第十条」の、

一、大唐{だいとう(明)}、南蛮{なんばん(ポルトガル・スぺイン)}、高麗{こうらい}え日本仁{じん}を売遣{うりつかわし}候《注》事曲事{くせごと}。付{つけたり}、日本ニおゐて人の売買停止{ちょうじ}の事。

 これは、テキストを読むとわかるとおり、「付」はともかくとして、「南蛮人」に対する人身売買の規制ではなく、領主・大名に対する規制です。

 というか、これは「バテレン追放令」ではなく、テキスト全体としては、「日本史なんて怖くない」の人が書いている通り、「キリシタン大名の規制令」と、解釈するほうがいいように、ぼくには思えたのですが、皆さんはいかがでしょうか。

 そこで、こんなテキストに関してはもう少し批判的に見ないといけないだろうな、というわけで。

himosan's OpenLab - Slavery in Japanese Society : 日本社会と奴隷制 -

 天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布した。その一条の中に、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定がある。日本での鎖国体制確立への第一歩は、奴隷貿易の問題に直接結びついていたことがわかる。

 「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)

 天正15年(1587年)6月18日には「宣教師追放令」は出していないし(出したのは6月19日)、18日に出された「キリシタン大名の規制令(仮)」が正式に「発布」されたかどうかは、ぼくには未確認でした。

 したがって、「日本ニおゐて人の売買停止」を、日本人・外国人を問わず秀吉が公に命じたかどうか、も未確認なのでした。

 

 

 あと、こんなテキストも。

安野 眞幸 (あんの まさき)

『バテレン追放令――16世紀の日欧対決』(日本エディタースクール出版部)

サントリー学芸賞 サントリー文化財団 サントリー

秀吉が天正15年(1587年)6月19日に「バテレン追放令」を発したことは、「教科書」にも記されており、一般的によく知られているが、多少ともキリシタン史に関心を持つ者には、何とも理解しかねる不審な点が残る。まず「松浦家文書」の中の五ヵ条の文書だが――

 「……この文書のポルトガル語訳が納められているフロイス『日本史』の翻訳を松田毅一と共にすすめた川崎桃太から、当文書が『今に至るまで、日本の歴史家の何びとによっても厳密に現代語に訳されていない』ことが厳しく指摘されている。川崎の指摘をまつまでもなく、当文書に関する本格的分析・検討は、未だ充分には行なわれていない。本稿は、こうした課題に応えることを目的としている……」いわば本書は前記の「不審な点」への克明な解明である。

 ところがこの文書の外に、伊勢市の神宮文庫が所蔵する『御朱印師職古格』所載の天正15年6月18日付――ということは前記文書の一日前の十一ヵ条からなる文書がある。そして前記「五ヵ条」とこの「十一ヵ条」の内容は著しく違う。一体この二つの文書はどのような関係にあるのか。実はこれは、今まで正確な解明は行われていなかった問題である。そして私は本書によってはじめて、「なるほどそうであったのか」と納得することができ、同時にそれによって、「バテレン追放令」の眞相を理解できた。

 簡単にいえば、秀吉は、「伴天連門徒」の大名を糾合して薩摩を討ったが、相手の降伏とともに、両者を自己の統治下に組み入れようとしたのが十一ヵ条の方で著者は次のように記す。

 「……〈伴天連門徒と神社仏閣の両勢力を共に秀吉政権の保護下に置き、両者に平和を命ずる〉ことがこの時点での『天下』の内実であり、右近を頂点とする『キリシタン党』やコエリュに率いられた『イエズス会』に対し、このような形での統合を試みたとすることができる」

 簡単にいえば秀吉の考えは神儒仏基の平和共存をもとにすべてを自らの天下に統合することであったが、右近もコエリュも当然のことながらこれを受けいれることはできず、そこで秀吉は「キリスト教国家のイデオロギー」と対決せざるを得なくなる。

 この十一ヵ条には「神国」という言葉も「邪法」という言葉も出て来ないが、相手の拒否に対して、はじめて五ヵ条の追放令が出される。といっても四条、五条は黒船の来訪は差し支えないし、仏法をさまたげないなら「きりしたん国より往還くるしからず」である。そして相手のイデオロギー絶対化に対して、対抗するように「日本ハ神国たる処きりしたん国より邪法を授候儀 太以不可然候事」となる。

 以上の経過は欧米と日本との間に、明治以降にもしばしば生じた図式であり、本書の副題である「16世紀の日欧対決」は現今の諸問題にもさまざまな示唆を与えてくれる。

山本 七平(評論家)評

2007-09-04

[]南蛮人は日本人の娘を50万人も奴隷にとってなんかいません

 これは以下の日記の続きです。

既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる

 

 もう、検索でこれがひっかかるの、ちょう頭に来るので何度でも書いておこう。

1・まず、元ネタとして、以下の文章が存在する。

 山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』(新日本出版社)、p26-27

 有馬のオランダ教科書にその文が使用されてますが、ミゲルを名乗った有馬晴信の甥の清左、マンショを名乗った大友宗麟の甥の祐益らは、

「行く先々でおなじ日本人が、数多く奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜なみでみるに忍びない」

「わずかな価で、同国人をかかる遠い地に売り払う徒輩への憤りはもっともなれど、白人も文明人でありながら、なぜ同じ人間を奴隷にいたす」

 すると大村純忠のさしむけた少年マルテーは、

われらと同じ日本人が、どこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を鎖でつながれ、われわれをみて哀れみをうったえる眼ざしは辛くてならぬ……肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまるだしにつながれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本の女が転売されていくのを、正視できるものではない。われわれのみた範囲で、ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろう。ポルトガル人の教会や師父が、硝石と交換し、証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがなものだろう」

 これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン三世から、ローマ法王庁に、

ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだすのだから、神の御名において領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう」

 という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が、一五四一年四月七日、八年をかけて喜望峰まわりで日本へと着いたのだという。

有馬のオランダ教科書」「ポルトガル王のジョアン三世」の元テキストは未確認なので、「ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろう」「ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだす」というテキストが存在するかは未確認(何かこれに関するヒントをご存知の人は教えてください)。

2・それを、『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)の人が以下のように脳内変換

行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で五十万という。

 ジパングは火薬一樽と交換に五十人の奴隷(肌白くみめよき日本娘をさす)を差し出します。神の名において日本を領有すれば、献金額を増やすことができるでしょう。

 少なくとも、『ウサギたちが渡った断魂橋』では、「日本女性」「肌白くみめよき日本娘」などという言葉は使われていませんでした。

 「肌白くみめよき日本娘をさす」というのは、ちょっとエロゲ脳になっているのでは、というのがぼくの感じたところ。

3・徳富蘇峰の『近世日本国民史』に載っているのは、「秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録」ではなくて、「秀吉の九州出兵の記録であるところの、大村由己の「九州御動座記」」。

 

 いやはや、この『天皇のロザリオ』の著者の人、いろいろなところで、勘違いなのか故意の歪曲なのか(日本女性うんぬんは、ぼくは故意の歪曲と判断しています)、元テキストを見るとすぐにヘンだとわかるようなことをテキストにしすぎです。

 

 あと、もうひとつ、これも有名なネット内テキストなんですが(ちょっとネットで検索すると出てきます)、

なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)P.414〜417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。

「若菜みどり」という人物は、AV関係者以外には確認できませんでした。

 正確には「若桑みどり」。『クアトロ・ラガッツィ』という本は集英社から刊行されています。

 さらに、「火薬一樽につき日本娘50人」と似たようなフレーズ・テキストは、この世に存在する書物としては、『天皇のロザリオ』中以外には、存在が確認できませんでした。「記録は省かれています」も何も、あったもんじゃありません。

 今日はぼく自身、ネット巡回でこの「間違った情報」に接しすぎたため、ものすごく機嫌が悪いです。

 まったく、インターネットをデマの増幅装置に使うことに、どんな意味があるんでしょうか。ネット通して全世界に「自分は知恵の足りない人間です」と知らしめるためとか?

2007-08-31 夏の終わりの気分です

[]既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる

 これは以下の日記の続きです。

「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

 

 ということで、ネットで流れている「戦国時代の50万人日本人奴隷説」の大もととなっていると思われる『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)のテキストの当該箇所を読んでみたのですが。

 いやはや。

 これはどうにもこうにも。

 実はその元となるテキストが、ちゃんと書名つきで書かれているではありませんか。

 ネットであれこれ探してたりしないで、さっさと原典に当たればよかったんだよな。下巻p96-97

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録がのっている(二版では憲兵命令で削られた)。

 キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし。

 ザヴィエルが「キリスト教伝来」を日本にしてからは、今までの日本とすっかり様変わりしたのである。歴史家たちは真実を知らしめるのが本来の姿であるのなら、この本を引用し、真のキリシタン大名、小名、豪族たちの姿を描くがいい。

 ザヴィエルは、日本をヨーロッパの帝国主義*1に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れ込んで売りさばいたボスの中のボスであった。そのアルメイダは大友宗麟に医薬品を与え、大分に病院を建てたという事実のみが誇大に伝えられ、彼は大分県では、宗麟と並んで偉人となっている。

「女たちを南蛮船に運び」、そのかわりに「火薬」を獲得したという単純な事実を、現代の歴史家は無視し続けている。

 キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとに行ったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

 行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で五十万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されてゆくのを正視できない。

 鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。

              (山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)

 ということで、山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』(新日本出版社。ちなみに「断魂橋」は「どわんほんちゃお」と読みます)に目を通してみたら、全然違うことが書いてありました。まずp24

 また徳富蘇峰は、この人売について、大村由己の「九州動座記」を紹介しました。

「宣教師から硝石樽を入手せんため、大名、小名はいうにおよばず、豪族の徒輩までが、己の下婢や郎党はおろか、自分の妻まで南蛮船で運ぶ。それは獣のごとく縛って船内に押しこむゆえ、泣き叫び、喚くさま地獄のごとし」

 これは大村由己が、秀吉のお供で九州に行ったときの見聞録なのですが、蘇峰がそれを『近世日本国民史』に入れたところ、二版からは憲兵の命令で削りとられてしまいました。

 「朝鮮出兵の従軍記者」関係ないじゃん!

 で、『近世日本国民史』の記述を見たんだけれど、やはり初版じゃないせいなのか引用テキストまんまのものは見つかりませんでした。書き写すのが面倒なので、以下のところから書き下し文を引用してみます。

株式日記と経済展望 NHKの大河ドラマの「功名が辻」は単なるホームドラマ

「…今度、伴天連ら、能時分と思い候て、種々様々の宝物を山と積み、いよいよ一宗繁昌の計賂をめぐらし、すでに後戸(五島)、平戸、長崎などにて、南蛮航付きごとに完備して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ、それのみならず、日本仁(人)を数百、男女によらず、黒船へ員い取り、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、そのうえ牛馬を買い取り、生ながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手づから食し、親子兄弟も礼儀なく、ただ今世より畜生道のあリさま、目前のように相聞え候。見るを見まねに、その近所の日本仁(人)いずれもその姿を学び、子を売り、親を売り、妻女げどうを売り候由、つくづく聞こしめされ、右の一宗御許容あらば、たちまち日本、外道の法になるべきこと、案の中に候。然れば仏法も王法も捨て去るべきことを歎きおぼしめされ、添なくも大慈大悲の御思慮をめぐらされ候て、すでに伴天連の坊主、本朝追払の由、仰せ出され候……」

 別に「火薬」「硝石樽」で釣ったわけではないみたいです。

 やっぱこれだな。

教えて!goo キリシタン迫害における真実とは?

一般論として大村由己が残した記録は、宣伝を含めた「公式見解」と考えるべきで、極端な例では、秀吉が天皇のご落胤である事を示唆するような事まで書いています。(大政所が天皇のお手つきになったのだそうだ)。ですから、一般的には、その中身の詳細な部分は単純に信じてはいけない史料なのですが、そのような性格であるの史料ですら、キリシタン大名が火薬と引き換えに売った、などと書いてある事が確認できないのです。

 実は『九州御動座記(九州動座記?)』が掲載されているという『織豊政権とキリシタン : 日欧交渉の起源と展開』(清水紘一・2001年)にもざっと目を通してみたのですが、「火薬」「硝石樽」に相当するテキストは見当たらなかったのでした。

 山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』の、別のところの引用をします。p26-27

 有馬のオランダ教科書にその文が使用されてますが、ミゲルを名乗った有馬晴信の甥の清左、マンショを名乗った大友宗麟の甥の祐益らは、

「行く先々でおなじ日本人が、数多く奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜なみでみるに忍びない」

「わずかな価で、同国人をかかる遠い地に売り払う徒輩への憤りはもっともなれど、白人も文明人でありながら、なぜ同じ人間を奴隷にいたす」

 すると大村純忠のさしむけた少年マルテーは、

「われらと同じ日本人が、どこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を鎖でつながれ、われわれをみて哀れみをうったえる眼ざしは辛くてならぬ……肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまるだしにつながれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本の女が転売されていくのを、正視できるものではない。われわれのみた範囲で、ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろう。ポルトガル人の教会や師父が、硝石と交換し、証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがなものだろう」

 これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン三世から、ローマ法王庁に、

ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだすのだから、神の御名において領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう」

 という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が、一五四一年四月七日、八年をかけて喜望峰まわりで日本へと着いたのだという。

 もう、『天皇のロザリオ』の著者の人は、『ウサギたちが渡った断魂橋』の元テキストをパラフレーズしすぎです。

 で、この「有馬のオランダ教科書」というのが何のことかさっぱりなのですが(ご存知のかたは教えてください)、『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)には、ミゲル・マンショ・マルチノ(マルテー)の、それと似ていながら全然違うテキストが掲載されていたので、もう一度紹介しておきます。p232-235

「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

ミゲル そうしたことで市民権を失った者はただの一人もない。それはまた今もいったように、古来の確定した習慣で固く守られている。それどころか、日本人には慾心と金銭の執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨーロッパ人はみな、不思議に思っているのである。そのうえ、われわれとしてもこのたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。

マンショ ミゲルよ、わが民族についてその慨きをなさるのはしごく当然だ。かの人たちはほかのことでは文明と人道とをなかなか重んずるのだが、どうもこのことにかけては人道なり、高尚な教養なりを一向に顧みないようだ。そしてほとんど世界中におのれの慾心の深さを宣伝しているようなものだ。

マルチノ まったくだ。実際わが民族中のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、世界中の、あれほどさまざまな地域へあんな安い値で攫って行かれて売り捌かれ、みじめな賤役に身を屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。単にポルトガル人へ売られるだけではない。それだけならまだしも我慢ができる。というのはポルトガルの国民は奴隷に対して慈悲深くもあり親切でもあって、彼らにキリスト教の教条を教え込んでもくれるからだ。しかし日本人が贋の宗教を奉じる劣等な諸民族がいる諸方の国に散らばって行って、そこで野蛮な、色の黒い人間の間で悲惨な奴隷の境涯を忍ぶのはもとより、虚偽の迷妄をも吹き込まれるのを誰が平気で忍び得ようか。

「鉄の足枷」「ムチうたれる」「秘所」「五十万」「硝石」というようなキーワードがあるような元テキスト(引用テキストでないもの)をご存知のかたは教えてください。

 あと、ポルトガル王のジョアン三世がローマ法王庁にした進言テキストも、ぜひ。

 ちなみに、「火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだす」というテキストが、『天皇のロザリオ』の中ではこうなります。p116

 ポルトガル王のジョアン三世がローマ法王に進言している言葉の中に、キリスト教の恐怖が見えてくる。

 ジパングは火薬一樽と交換に五十人の奴隷(肌白くみめよき日本娘をさす)を差し出します。神の名において日本を領有すれば、献金額を増やすことができるでしょう。

     (山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)

 こうして、五十万を越える娘たちが、キリシタン大名らを通して売られた!

 麦茶吹かずにいられないぐらい、美しいファンタジー(というよりエロゲ?)変換をしているみたいです。

 ここらへんの妄想になると、八切止夫史観の素晴らしさがあるわけで。

■d-11-1 イエズス会とフリーメーソン

さて、次に鹿島序ォの『昭和天皇の謎』の中の一文を紹介する。

ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰砕けになったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終わる。しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。家康は火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。」

鹿島序ォは、明智光秀が織田信長を殺したとしていますが、八切止夫イエズス会が火薬で信長を吹っ飛ばしたとしています。

 胃液吹いた。

鹿島序ォの略歴

(12)、度々の海外旅行の中で立てた彼のお手柄は、三つあるように思う。

 その一つは、タイのバンチェン遺跡を国の内外にいち早く紹介したことである。

これは著書『バンチェン/倭人のル−ツ』として実を結び一九八一年発行されている。

 その二つは、メキシコのマヤ文明が倭人の遺産であることを発見し、

これを多くの著書の中で発表したことである。

彼はこういう研究を通じて外国の学者たちとも交流を深めているが、

何時までも国内で認められないことを残念がっていた。

 その三つは、始皇帝陵出土の兵馬俑が中国人のそれではなく

ペルシア軍団のものであることを考証したこと、さらに新たな地下宮殿の発見を

中国政府が隠ぺい工作したことなどを鋭く指摘していることだ。

これについては日本に運ばれた兵馬俑しか見たことがない人にでも判るように、

写真入りの『始皇帝とユダヤ人』で詳しく述べている。

 もう吹くもん、ないよ!

 なんか歴史学の奥の深さを感じさせられました。

 

 これは以下の日記に続きます。

南蛮人は日本人の娘を50万人も奴隷にとってなんかいません

*1:余計な注釈ですが、16世紀に帝国主義はありません

2007-08-30 一気に秋っぽい

[]「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

ちょっとまとめてみます。

1・鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』

 かなり「トンデモ度」が高いんですが、「50万人の日本人奴隷」説の大もとなので(というより、50万人説はこのテキスト以外に見当たらないので)目を通さないことには話がはじまらない。

 今だとアマゾンで、上下巻4000円ぐらいで購入できるようです。

2・徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」

 これはちょっと図書館を利用するしかない感じ。この中に「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」が載っている様子。

3・『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(人文書院、1995年)

 「多くの朝鮮人を日本人が連れ帰り、ポルトガル商人に転売して大きな利益をあげる者もあった」という史料の元に当たれそうな予感。朝鮮人を転売して儲けた日本人の名前が知りたい。

4・脇田修「大坂時代と秀吉」(小学館ライブラリー)の132p

 バテレン追放令の「十条」の現代語訳が掲載されている様子。秀吉の「バテレン追放令」の基礎資料として。

5・講談社『クロニック戦国全史』

6・慶念『朝鮮日々記』

 これは「医僧」の朝鮮戦役見聞記なので、「朝鮮出兵従軍記者」とは違うかも知れませんが、人身売買のことが書いてある様子。

7・「神宮文庫」内の『御朱印師職古格』

 これを読むと、バテレン追放令の「十条」の元テキストがわかる。

 

ネット上の結論としては、だいたいこんな感じなので、

教えて!goo 豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

つまるところ、本当の元ネタであろう、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」(本職は竹工芸家の人が書いた、「終戦当時に、マッカーサーとカトリック教会が、昭和天皇を改宗させ、日本をカトリックの国にしようという陰謀を企んだ」という本)を見てみないとわからないのですが、その本に「天正少年使節団の報告書」と本当に書いてあったのなら、著者は本当に天正遣欧使節記を読んだのかね、と思います。ヨーロッパ人が著者で、少年使節の対談の形式をとっている使節記を、使節団の報告書と思えるとしたら、相当変わった人ですね。

というわけで、質問者の方が見たネット上のネタは、『トンデモな人が、トンデモな本を読んで、トンデモな説を述べたのが、更にネットでコピペされていくうちに、トンデモ度が加わっていったもの』と思います。コピペはPCだけにして、頭の中ではしない方が無難ですよ。

「日本人 奴隷 歴史」とかでgoogle検索されても、あまりトンデモ度が高くないものが上に行くよう、おいらの日記の認知度を高めることにしたいと思いました。

教えて!goo 豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

改宗ユダヤ人であるザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(同じく改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

ザビエルは改宗ユダヤ人ではありません。アルメイダが奴隷を売りさばいたボス中のボスというのは、アルメイダが宣教師になる前に、貿易で巨額の富を得ていた、という事からの推測でしょう。100%とウソとは言いませんが、奴隷貿易を専らしていたかのように、受け取ったら、それは間違いです。質問者の方に辿り着くまでの間に、「ザビエルやアルメイダは、ユダヤ人、よって、金儲けに熱心」という印象を与えたがっていた人が存在したと思われます。因みに、ザビエルが金儲けの指示を出しているのは、イエズス会も、寄付などだけでは布教活動が出来なかった為です。

キリシタン迫害における真実とは? -OKWave

#4です。で、私はいろいろと調べたのですが、どうも分からないことがあります。それは私への補足にもあった「天正少年使節団の報告書によると」です。ご存知のように、天正少年使節団は帰国後キリシタン禁令により殉教したり国外追放されたりしています。彼らについての日本語の記録は「全て」消されてしまったので彼らの存在は明治時代になるまで忘れられていたのです。だから、天正少年使節団の報告書なるものの存在自体がわからんのです。日本側に資料がないのですから、後はバチカンにそういう記録が残っているかどうかですが、質問者さんはなにかご存知ですか。

質問者さんの示した報告書の話を書いたのは明治から昭和にかけて活躍した徳富蘇峰という人です。徳富蘇峰は歴史家でしたが、大変な帝国主義者で、戦前はイケイケの武闘派で世論を戦争賛成へリードした人物です。まあつまり、話の出所からして怪しい

さらに、欧州の日本女性奴隷が50万という数字ですが、この数字の根拠が全く不明です。現代日本には遠くはルーマニア、ロシアから近くは韓国、中国、タイ、フィリピンから連れてこられた女性が売春を強要されていますが、この女性が何万人いるかご存知ですか?

私も知りません。誰もわかりっこありません。だって、数えようがないでしょ?表にでる数字のものじゃないですから。それと同じで、どうやって売られた奴隷の数を勘定したのか。そもそも、当時の日本の人口が何人くらいいたのかも分からないのになぜそこで「50万」という具体的な数字が算出されたのかが不明です。

つまり、バッサリ切り落とせば、質問者さんの示す資料の内容は「ユダヤの陰謀」とか「フリーメーソンの陰謀」なんかと同じ類いのものです。教科書に「ユダヤの陰謀」なんて載るわけないでしょ。

もちろん、海外に奴隷として売り飛ばされた男女は大勢いたでしょうし、それにキリシタン大名や宣教師が全く関わらなかったということはないでしょう。でもだからといって何でもかんでも鵜呑みにしてはいけません。質問者さんのお読みなった資料自体が「日本人の優秀さを誇示し、外国人とその文化の非道さを宣伝するための陰謀」であることを忘れずに。

日本宣教論序説(第16回)

(1) 植民地政策

キリシタンの宣教は西欧諸国の植民地政策と結びついていました。それは、初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、次に軍隊を送って征服し植民地化するという政策です。秀吉は早くもそのことに気づいて主君信長に注意をうながしています。ポルトガル、スペインのようなカトリック教国は強力な王権をバックに、大航海時代の波に乗ってすばらしく機能的な帆船や、破壊力抜群の大砲を武器として、世界をぐるりと囲む世界帝国を築き上げていました。その帝国が築き上げた植民地や、その植民地をつなぐ海のル一トを通って、アジアでの一獲千金を夢見る冒険家たちが、何百、何千とビジネスに飛び出していきました。そうした中にカトリックの宣教師たちも霊魂の救いを目指して、アジアに乗り出して行ったのです。彼らが求めたのは、霊魂の救いだけではなく、経済的利益でもありました。

ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てた手紙から引用すると、「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に

帰依することになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)

「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述べたように、堺の港についた時、持ってきたのが少なければ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。

ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人(マラ一ノ)だけあって、金儲けには抜け目ない様子が、手紙を通じても窺われます。ザビエル渡来の三年後、ルイス・デ・アルメイダが長崎に上陸しました。この人も改宗ユダヤ人で、 ポルトガルを飛び出してから世界を股にかけ、仲介貿易で巨額の富を築き上げましたが、なぜか日本に来てイエズス会の神父となりました。彼はその財産をもって宣教師たちの生活を支え、育児院を建て、キリシタン大名大友宗麟に医薬品を与え、大分に病院を建てました。

(2) 奴隷売買

しかし、アルメイダが行ったのは、善事ばかりではなく、悪事もありました。それは奴隷売買を仲介したことです。わたしはここで、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」pp.249〜257から、部分的に引用したいと思います。

徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨ一ロッハ゜の帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラ一ノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであった。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ロ一マ法王のもとにいったが、その報告書を見ると

キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨ一ロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神社・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があればの話だが」。(以上で「天皇のロザリオ」からの引用を終ります)

わたしはこれまで各種の日本キリシタン史を学んで来ましたが、この「天皇のロザリオ」を読むまでは、「奴隷」の内容について知りませんでした。しかし、こういう事実を知ったからには、同じキリスト教徒として真摯な態度で語り継いで行きたいと思います。なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」――天正少年使節と世界帝国――pp.414〜417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳富蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇pp.337−387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。そして。「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、武力の格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、王権に訴えてこれを阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、そして差別を土台としてい

るかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416)と説明して、売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天連はインドその他の遠隔地に売られて行ったすべての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。

(3) 巡回布教

更に秀吉は、「なぜ伴天連たちは地方から地方を巡回して、人々を熱心に煽動し強制して宗徒とするのか。今後そのような布教をすれば、全員を支那に帰還させ、京、大阪、堺の修道院や教会を接収し、あらゆる家財を没収する」

と宣告しました。。

(4) 神社仏閣の破壊

更に彼は、「なぜ伴天連たちは神社仏閣を破壊し神官・僧侶らを迫害し、彼らと融和しようとしないのか」と問いました。神社仏閣の破壊、焼却は高山右近大友宗麟などキリシタン大名が大々的にやったことです。これは排他的唯一神教が政治権力と結びつく時、必然的に起こる現象でしょうか。

(5) 牛馬を食べること

更に彼は、「なぜ伴天連たちは道理に反して牛馬を食べるのか。馬や牛は労働力だから日本人の大切な力を奪うことになる」と言いました。

以上秀吉からの五つの詰問にたいする、コエリヨの反応は極めて傲慢で、狡猾な、高をくくった返答でした。高山右近を初め多くのキリシタン大名たちはコエリヨを牽制しましたが、彼は彼らの制止を聞き入れず、反って長崎と茂木の要塞を強化し、武器・弾薬を増強し、フイリピンのスペイン総督に援軍を要請しました。これは先に巡察使ヴァリニヤ一ノがコエリヨに命じておいたことでした。しかし、かれらの頼みとする高山右近が失脚し、長崎が秀吉に接収されるという情勢の変化を見てヴァリニヤ一ノは、戦闘準備を秀吉に知られないうちに急遽解除しました。これらの経過を見れば、ポルトガル、スペイン両国の侵略政策の尖兵として、宣教師が送られて来たという事実を認めるほかないでしょう。これらの疑問は豊臣時代だけでなく、徳川時代300年の間においても、キリシタンは危険であり、キリシタンになればどんな残酷な迫害を受けるかわからないという恐怖心を日本人全体に植え付けることになり、キリスト教の日本への土着化を妨げる要因になったと言えるでしょう。

 このコエリヨの「極めて傲慢で、狡猾な、高をくくった返答」が見たくなりました。

教えて!goo キリシタン迫害における真実とは?

天正遣欧少年使節が、日本人奴隷を見た、というのは幕府の「でっちあげ」はありません。ご質問のリンク先の内容の引用元の本の根拠について、自ら調べられた方のブログが↓ですが、そこにあるように「天正遣欧使節記」に日本人奴隷の記述があります。しかし、「50万人」とか、「ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換した」などと、書いてはいません。ローマ法王に直訴も勿論していません。そもそも、この「使節記」は、形式上は使節の対話録という形をとってはいますが、実際にはヨーロッパ側が、ヨーロッパで読まれる事を意識して書いたもので、この本の内容にある通りの発言を使節がした、という風に理解する歴史学者はまずいません。勿論、ヨーロッパで読まれるのに、存在しない日本人奴隷をいる事にするウソをつく理由も考えられないので、奴隷がいた、という根拠としては使えるでしょうが…。

引用元の本が、一体何を根拠に50万人とか、ポルトガル人の教会や師父が人身売買をした、と書いたのか、私には不明です。(これ以外に、遣欧使節の『報告』などという呼び方に近いものって、聞いた事がないんだが…)

徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に載った「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」なるものに、「火薬と引き換えに日本人女性がキリシタン大名に売られていった」という記録があると書かれていていますが、その見聞録の名前がわかりませんね。最終的には、引用もとの本を見てみないと確認のしようがないのですが、↓の61番の書き込みでは、秀吉の祐筆だった大村由己の「九州御動座記」が引用されているので、この本が元ネタだと推測します。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1158818888/1-1

「従軍記者」などというものは勿論いませんでしたが、祐筆であれば、そのように呼んでもまるでウソとは言えませんからね。一方、私の手元にある一般人向けの概説書には、大村由己の記録がかなり長文で引用されています。書名は書いていませんが、↑のサイトにある「九州御動座記」の引用と内容が一致するので、おそらくその史料からの引用と思われます。

で、私の持っている本の引用には、キリシタン大名、小名、が火薬と引き換えに女性を売った」とかは書いていません。日本人奴隷が悲惨な目にあっている、とは書いてありますが…。

↑のサイトでは、「これは当時の公文書である」などと権威付けをしていますが、より正しくは、一般論として大村由己が残した記録は、宣伝を含めた「公式見解」と考えるべきで、極端な例では、秀吉が天皇のご落胤である事を示唆するような事まで書いています。(大政所が天皇のお手つきになったのだそうだ)。ですから、一般的には、その中身の詳細な部分は単純に信じてはいけない史料なのですが、そのような性格であるの史料ですら、キリシタン大名が火薬と引き換えに売った、などと書いてある事が確認できないのです。

日本における奴隷貿易

こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、同じく『九州御動座記』に書かれている。

八切止夫作品集

 ただ歴史家とは認められていない人だが、徳富蘇峰の『近世日本国民史』に、「後戸(五島)・平戸・長崎にて、日本人を男女を問わず数百人ずつ黒舟が買いとり、手足に鉄の鎖をつけ舟底へ入れて運び去るは、地獄の責苦にもまさって、むごい有様である」

 といった実地にみた大村由己の、

『九州動座記』の奴隷売渡しの実況が挿入されているだけである。

 由己は豊臣秀吉の祐筆頭で、これは当時の公文書である。

 それより何故日本人が、こんなに奴隷に売られたのか?これまでの日本史では極秘である。

 というのは今日の日本史は明治帝国主義の所産だから、これは明治軍部のせいだろう

 真相は天文十二年に銃器が種ガ島へ渡来。

 器用な日本人は直ちにそれをまねて精巧な銃も作った。

 しかし、硝煙とよばれた硝石は、現在でもそうだが日本では一片も産出しない。みな輸入に依存するしかなかった。鉄砲があっても火薬がなくては戦争できぬ立場にあった。

 よって、しめしめとばかり黒人の奴隷売買で味をしめたドミニコ派の宣教師が、マカオよりの火薬と交換に、日本人を牛馬のごとく買ってゆき奴隷転売にしたのである。

 戦国時代に切支丹大名が多かったのも、信仰の為ではなく火薬入手の手段だった。判りきったこんな明白な歴史事実でさえ、明治軍部は国民を無謀な戦争にかりたてるため、(国内に火薬の原料なし)を隠すために歴史屋を黙らせたのである。

 さて、戦後二十六年。今になっても歴史家は一人も知ってか知らずか、この真実を発表しない。また吾々をどうするつもりなのかと、ここに告発したい。

 まだいろいろ面白いテキストもネット内外にあるんですが、いろいろ調べてまた何か書きます。

 最後にこれだけ。

株式日記と経済展望 キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事(コメント欄)

>「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述ぺたように、堺の港についた時、持ってきたのが少なけれぱ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。

『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』1を買って、書簡第9を読んでみましたが、上記のような記述はどこにもありませんね。

番号を間違えられたのですか?

なお、

>「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に帰依することになれぱ、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)<

これには続きがあって

「私がインドで経験したところでは、(物質的な利益に)関係なく、神の愛だけで神父たちを渡航させる船を出す者は、誰もいないと信じています。」

とあります。つまり、商売になるからと言って、船を持っている金持ちに日本まで渡航させる動機付けを与え、自分たちの足を確保しようということです。ザビエル自身が商売に興味があったわけじゃありません。

そして他からも指摘があったように、ザビエルはマラーノではありません。ナバラ地方にはザビエル城があって、代々領主、貴族の家系です。ユダヤ人はどんなに金持ちであっても、スペインの一領主になることはできなかったでしょう。

 ザビエルの書簡集にも目を通さないといけない様子。

 

 これは以下の日記に続きます。

既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる

2007-08-26 このあたりの残暑がいちばんこたえる

[]アルゼンチンに「日本人奴隷」は本当にいたのか

 ちょっと興味を持ったので「日本人奴隷」という見出しタグを作ってみました。過去の関連テキストもタグを修正しました。

 関連テキストは、今のところ以下のようなものです。

「キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは

「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

「バテレン追放令」の「十条」について

 

 もう、ウィキペディアにも書かれてたり、

奴隷貿易 - Wikipedia

天文11年(1543年)の鉄砲伝来の後、1540年代後半から始まったと考えられている。16世紀後半にはポルトガルや南米アルゼンチンなどへ送られていた。

 こんな記述もあったりしたので(多分これが元)、

Shimosan's OpenLab - Slavery in Japanese Society : 日本社会と奴隷制 -

日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。

 ネットであれこれ見てみたんですが、「アルゼンチンの日本人奴隷」に関して確認できたのは一人だけでした。

アルゼンチン 日本 奴隷 - Google 検索

在アルゼンチン日本国大使館

コルドバ市の教会の古文書に、1597年にフランシスコ・ハポンという名の日本人奴隷がいたとの記録が残っており、これが日本人とアルゼンチンの最初の接触であったと思われる。

 おまけにその人は「奴隷」じゃなかった様子。

沖縄タイムス 特集 海外沖縄

一五〇〇年代末、コルドバ不当にも奴隷として売られた日本人の裁判告訴資料を発掘。アルゼンチン日本人移民第一号・牧野金蔵の埋もれた資料の掘り起こしを手掛け、日本人移住者の史実を追い、「日本人発祥の地コルドバ州日本人百十年史」を九七年に刊行した。

(社)ラテン・アメリカ協会 - 各国概況

わが国とアルゼンチンとの最初の接触は古く、1597年1人の日本人青年が奴隷ではないと申し立てたとの記録が古都コルドバ市に残っている。

 興味しんしん。

南米最初の日本人奴隷

その内容を要約するとこうだ。1597年3月4日に一つの告訴がコルドバ市のスペイン為政者のトップに対して告訴があげられた。裁判官(未だ裁判所としての体裁は整ってはいなかったが)に対して「フランシスコ・ハポン」という奴隷が「自分は奴隷ではない。不当に売買されるいわれはない。釈放されるべきだ」という訴えを起こしたというのである。

 ↑このテキスト、とても面白いです。「ハポン」って日本(ジャパン)の古名なのか。(追記:すみません間違ってたみたいです。コメント欄参照)

 果して「16世紀の後半」の南米アルゼンチンに、フランシスコ・ハポン以外の日本人(日本人奴隷)はどれくらいいたのか、興味を持ったことは持ったのですが、それを知るにはポルトガル語の古文書を読めないとどうしようもないようです。

南米最初の日本人奴隷

『当時ポルトガル人は争って日本人奴隷をアジアでかいあさっていたという事実がある。中国人、日本人の女性だけを満載したガレオン船アカプルコへ向かっていたのを記録した記述がブラジルの歴史書に出ています

1997年の末、サンタクルス市の日系ボリヴィア紙の編集部で、ブラジルからきた日本人がそう教えてくれた。

 余談ですが、こんな話も。

奴隷船に乗って

アフリカから運ばれた奴隷の総数はおよそ1200〜1500万人と言われていますが、そのほとんどは南アメリカに上陸しています。したがって、南アメリカにおける黒人の比率が高く、混血がより進んでいるのも当然ということになります。そのうえ、意外なことに北アメリカに運ばれたアフリカ人奴隷の数は40〜75万人程度にすぎないと言われています。ただし、1865年の奴隷解放時、すでに黒人人口は400万人を越えていました。どうやらその多くは自然増だったようですが、奴隷貿易が禁止されて以降、密輸も頻繁に行われていたようです。(その他、奴隷たちを繁殖させる業者すら存在しました)

「北アメリカに運ばれたアフリカ人奴隷の数」と同程度の人数(50万人)がヨーロッパに送られていたとしたら(鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』によると「ヨーロッパ各地で50万」だそうです)、ヨーロッパで日本人奴隷が自然増しなかったり「日本人の公民権運動」が起きなかったりしたのはなぜ。

 

 なお、この件に関するぼくの見解は以下の通りです。

「キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは

俺の感じとしては、その数字には無理があるにしても、数百〜数千人が「売られた」という可能性は否定できないです

「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

ただやはり「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされたと言う事」は、いろいろ条件を考えて「大げさな話」と見て問題ないでしょう。

まず、外国の船が戦国時代に日本に初めて来たのは「1543年」(種子島)。

秀吉の鎖国令(バテレン追放令)は「1587年」。

(中略)

で、その40年の間を通して数千、あるいは数万の日本人が「奴隷」としてヨーロッパその他に売られた、という可能性は否定できない(というか、かなり高い)と俺は判断しますが、数十万、というのはあやしすぎます。

 

 また、この件に関して何かコメントをいただけるとするなら、「思う」「思わない」ではなく、以下のものに関する「一次資料・史料」の手がかりになりそうなヒント(○○から出ている××という本の△△ページに記述がある、のようなヒント)をいただけるとありがたいです。

1・「ヨーロッパ各地で50万」という日本人奴隷の数の、鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』の記述以外の根拠

2・「火薬一樽で50人の娘が売られていった」という数字の、鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』の記述以外の根拠

3・徳富蘇峰『近世日本国民史』における「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」、特に「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」という記述があるテキスト。どの巻の何ページにあるか。「版」も指定していただけるとありがたいです。

4・『日本王国記』(アビラ・ヒロン,ルイス・フロイス)における、日本の奴隷貿易に関する言及テキスト。どの巻の何ページにあるか。「版」も指定していただけるとありがたいです。

5・「当時の日本人奴隷の境遇が記録されている」という『九州御動座記』が読める図書館

6・豊臣秀吉の朝鮮征伐(侵略)の際に、「多くの朝鮮人を日本人が連れ帰り、ポルトガル商人に転売して大きな利益をあげる者もあった」(『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(人文書院、1995年))という記述があるようなのですが、それについてくわしく書かれている一次資料・史料(ひょっとしたら一次資料・史料でも「…という話を聞いた」という、事実確認が不可能な記述だったりする可能性あり)

7・アルゼンチンの「日本人奴隷」に関して、何かヒントになりそうなテキスト(できれば鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』の記述以外のもの)

2007-08-25 雷雨になった

[]「バテレン追放令」の「十条」について

以下のコメントから。

「キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは

キム・テキョン 『天正遣欧少年使節団にも日本人奴隷について書かれているし、バテレン追放令の十条でも日本人奴隷の売買を禁止している。

コメ欄の奴隷貿易自体がなかった。みたいな書き方はおかしい。

当時の日本の有力な輸出品が、日本人奴隷だったし、朝鮮人も奴隷として輸出している。』

バテレン追放令の十条」というのが、どうもネットの中ではうまく見当たらなかったので、図書館に行って調べてみようと思うためのメモ。

天正遣欧少年使節団」に関しては、以下のところで言及しています。

「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

 あと、以下のところも参考に。

教えて!goo 豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

 ウィキペディアには以下のように書かれているようですが、

奴隷貿易 - Wikipedia

 ウィキペディアの「バテレン追放令」に資料として掲載されているテキスト(松浦文書の史料)には「日本人奴隷の売買を禁止」に相当するものが見当たらず。(五条までしかないみたい)

バテレン追放令 - Wikipedia

 ということで、ぼくも少し調べてみますが、「バテレン追放令」の全テキストが見られるところはどこかにありますか。

 以下のところは現代語訳テキスト。

バテレン追放令

 ここらへんあたりがヒントになるか。

16世紀、キリシタン大名が、日本の若い女性を奴隷として南アジア、アメリカなどに大量に売り渡したといいますが、こうした日本人による日本人奴隷取引について詳しくわかる.. - 人力検索はてな

安野正幸の『バテレン追放令』に経緯が載っているかと思います。

というのも、国内向けの11か条(この中の十条で、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止する、とある)を初めて分析した書物として、山本七平氏も評価している(上記URL参照)からで、北國新聞の記事も、この書物を典拠としている可能性がありまづ。

 

 これは以下の日記に続きます。

アルゼンチンに「日本人奴隷」は本当にいたのか

  

2006-03-13

lovelovedog2006-03-13

[]「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

これは以下の日記の続きです。

「キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは

 

こちらからリファが来てたので。

株式日記と経済展望(2006年3月6日)

「からゆきさん」の話はとりあえず置いておいて、戦国時代の奴隷貿易について。

だから戦国時代といわれた100年余りの間に50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされたと言う事も大げさな話ではないのでしょう。しかし株式日記を読んだ読者にはこれを「既知外テキスト」として切り捨てる人もいる。私はデタラメを書いているつもりはないのですが、それほど現代の日本人は日本の歴史を知らないのだ。

すみません、「既知外テキスト」というのは我ながらあおりすぎたかな、と反省してます。あと、「現代の日本人は日本の歴史を知らない」というのも同意見です。

ただやはり「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされたと言う事」は、いろいろ条件を考えて「大げさな話」と見て問題ないでしょう。

まず、外国の船が戦国時代に日本に初めて来たのは「1543年」(種子島)。

秀吉の鎖国令(バテレン追放令)は「1587年」。

まぁ、せいぜい長くみてその期間は「100年余り」ではなくて40年ぐらい。毎月1000人は多すぎるような気もします。

それだけの輸送量が、当時のヨーロッパの船にあったのか、という問題。

東洋の果てから、それだけの人数をヨーロッパまで運んでも儲けが出たのか、というコストの問題(アフリカからのほうが全然楽です)。

ヨーロッパがそれだけの労働力を必要としたか、という需要の問題(労働力ではなく「性奴隷」としてなら考えられないことではありませんが、それにしても人数は多すぎます)。

で、その40年の間を通して数千、あるいは数万の日本人が「奴隷」としてヨーロッパその他に売られた、という可能性は否定できない(というか、かなり高い)と俺は判断しますが、数十万、というのはあやしすぎます。

で、以下の日記で言及しました関連テキスト(書籍)に、ちょっと目を通してみました。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060304#p1

1・鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』…見つからず

2・徳富蘇峰『近世日本国民史』…秀吉の朝鮮役部分に目を通してみたんですが、「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」に相当するものは見つからず

3・「天正少年使節団の報告書」…『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)というものが見つかり、その中の対話として「日本人の奴隷」に関するテキストも確認できたんですが(あとで言及します)、「ヨーロッパ各地で50万」その他のテキストは見つからず

4・『天下統一と朝鮮侵略』(藤木久志)…この本の中で『日本王国記』(アビラ・ヒロン,ルイス・フロイス/岩波書店)というのが紹介されていたので、そちらも見たのですが、

5・『日本王国記』(アビラ・ヒロン,ルイス・フロイス/岩波書店)…日本の奴隷貿易に関する言及テキストは見当たらず

あと、本そのものが見つからなかったのが、1以外にこんなのとか。

6・『九州御動座記』…これは『織豊政権とキリシタン』(清水紘一著 /岩田書院)というのに収録されているようなので、また探してみます

7・『天正年間遣欧使節見聞対話録』(エドウアルド・サンデ編/東洋文庫叢刊)…これは多分、3と同じものだと思いますが、また確認してみます

8・『在南欧日本関係文書採話録』…見つからず

ということで、恥ずかしながら鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』で紹介されている以下のテキストを探しています。

1:

キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし

2:

行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている

『天皇のロザリオ』以外に、それは何という史料の何ページに載っているとか、もしご存じのかた、あるいは見つけたかたがいましたら、本の題名・著者・出版社・載っているページつきで教えてください。少し俺の探しかたがへたすぎるようです。

しょうがないので、俺が見つけた『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)の中の、対話部分のテキストで、「日本人の奴隷(奴隷貿易)」について言及しているものをアップしておきます。p232-235

レオ ちょうどよい機会だからお尋ねするが、捕虜または降参者はどういう目に遭わされるのだろう。わが日本で通例やるように死刑か、それとも長の苦役か。

ミゲル キリスト教徒間の戦争で捕虜となったり、やむをえず降伏する者は、そういう羽目のいずれにも陥ることはない。つまりすべてこれらの者は先方にも捕虜があればそれと交換されるとか、また釈放されるとか、あるいはなにがしの金額を支払っておのが身を受け戻すのだ。というのも、ヨーロッパ人の間では、古い慣習が法律的効力を有するように決められ、それによってキリスト教徒は戦争中に捕われの身となっても、賤役を強いられない規定になっているからだ。だがマホメット教徒、すなわちサラセン人に属する者に対しては、別の処置が取られる。これらの者は野蛮人でキリストの御名の敵だから、交戦後も捕えられたまま、いつまでも賤役に従うのである。

レオ そうすると、キリスト教徒なら、その教徒間では戦争中に捕虜となっても、賤役に従えという法律に拘束される者は一人もないわけだな。

ミゲル そうしたことで市民権を失った者はただの一人もない。それはまた今もいったように、古来の確定した習慣で固く守られている。それどころか、日本人には慾心と金銭の執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨーロッパ人はみな、不思議に思っているのである。そのうえ、われわれとしてもこのたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。

マンショ ミゲルよ、わが民族についてその慨きをなさるのはしごく当然だ。かの人たちはほかのことでは文明と人道とをなかなか重んずるのだが、どうもこのことにかけては人道なり、高尚な教養なりを一向に顧みないようだ。そしてほとんど世界中におのれの慾心の深さを宣伝しているようなものだ。

マルチノ まったくだ。実際わが民族中のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、世界中の、あれほどさまざまな地域へあんな安い値で攫って行かれて売り捌かれ、みじめな賤役に身を屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。単にポルトガル人へ売られるだけではない。それだけならまだしも我慢ができる。というのはポルトガルの国民は奴隷に対して慈悲深くもあり親切でもあって、彼らにキリスト教の教条を教え込んでもくれるからだ。しかし日本人が贋の宗教を奉じる劣等な諸民族がいる諸方の国に散らばって行って、そこで野蛮な、色の黒い人間の間で悲惨な奴隷の境涯を忍ぶのはもとより、虚偽の迷妄をも吹き込まれるのを誰が平気で忍び得ようか。

レオ いかにも仰せのとおりだ。実際、日本では日本人を売るというような習慣をわれわれは常に背徳的な行為として非難していたのだが、しかし人によってはこの罪の責任を全部、ポルトガル人や会のパドレ方へ負わせ、これらの人々のうち、ポルトガル人は日本人を慾張って買うのだし、他方、パドレたちはこうした質入れを自己の権威でやめさせようともしないのだといっている。

ミゲル いや、この点でポルトガル人にはいささかの罪もない。何といっても商人のことだから、たとえ利益を見込んで日本人を買い取り、その後、インドやその他の土地で彼らを売って金儲けをするからとて、彼らを責めるのは当らない。とすれば、罪はすべて日本人にあるわけで、当り前なら大切にしていつくしんでやらなければならない実の子を、わずかばかりの代価と引き換えに、母の懐から引き離されて行くのを、あれほどこともなげに見ていられる人が悪い。また会のパドレ方についてだが、あの方々がこういう売買に対して本心からどれほど反対していられるかをあなた方にも知っていただくためには、この方々が百方苦心して、ポルトガル追うから勅状をいただかれる運びになったが、それによれば日本に渡来する商人が日本人を奴隷として買うことを厳罰をもって禁じてあることを知ってもらいたい。しかしこのお布令ばかり厳重だからとて何になろう。日本人はいたって強慾であって兄弟、縁者、朋友、あるいはまたその他の者たちをも暴力や詭計を用いてかどわかし、こっそりと人目を忍んでポルトガル人の船へ連れ込み、ポルトガル人を哀願なり、値段の安いことで奴隷の買入れに誘うのだ。ポルトガル人はこれをもっけの幸いな口実として、法律を破る罪を知りながら、自分たちには一種の暴力が日本人の執拗な嘆願によって加えられたのだと主張して、自分の犯した罪を隠すのである。だがポルトガル人は日本人を悪くは扱っていない。というのは、これらの売られた者たちはキリスト教の教義を教えられるばかりか、ポルトガルではさながら自由人のような待遇を受けてねんごろしごくに扱われ、そして数年もすれば自由の身となって解放されるからである。さればといって、日本人がこういう賤役に陥るきっかけをみずからつくることによって蒙る汚点は、拭われるものではない。したがってこの罪の犯人は誰かれの容赦なく、日本において厳重に罰せられてよいわけだ。

レオ 全日本の覇者なる関白殿Quambacudonoが裁可された法律がほかにもいろいろある中に、日本人を売ることを禁じる法律は決してつまらぬものではない。

ミゲル そうだ。その法律はもしその遵守に当る下役人がその励行に眼を閉じたり、売手を無刑のまま放免したりしなかったら、しごく結構なものだが。だから必要なことは、一方では役人自身が法律を峻厳に励行するように心掛け、他方では権家なり、また船が入って来る港々の長なりがそれを監視し、きわめて厳重な刑を課して違反者を取り締ることだ。

レオ それが日本にとって特に有益で必要なこととして、あなた方から権家や領主方にお勧めになるとよい。

ミゲル われわれとしては勧めもし諭しもすることに心掛けねばなるまい。しかし私は心配するのだが、わが国では公益を重んずることよりも、私利を望む心の方が強いのではなかろうか。実際ヨーロッパ人には常にこの殊勝な心掛けがあるものだから、こうした悪習が自国内に入ることを断じて許さない。それはそうと、このあたりで以前の話に戻ることにしてはどうだろう。

…と、こちらのテキストではかなりヨーロッパ・キリスト教圏に甘い(日本に厳しい)評価をしています。

 

 これは以下の日記に続きます。

アルゼンチンに「日本人奴隷」は本当にいたのか