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愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2012-10-04

[]トキワ荘年表(『まんがトキワ荘物語』その他を資料にして)

 以下のものがすでにありましたが、

「トキワ荘 入居年表」 - トキワ荘通り

 だいたい漫画家に利用されたのは1953年〜1961年のようです。

 リンク先のテキストと、以下の本を資料にざっくり年表を作ります。

 トキワ荘って何? という人もいるかもしれませんが、

トキワ荘 - Wikipedia

 まあざっくり、有名だった漫画家が若いときに利用したアパート、ということで。

 

昭和27年(1954) トキワ荘棟上げ

昭和28年(1953)

(年初) 手塚治虫が入居

12月31日 寺田ヒロオが入居

昭和29年(1954)

(夏ごろ) 新漫画党結成

(秋ごろ) 手塚治虫雑司ヶ谷の並本ハウスに転居(10月という説あり)

10月30日 手塚治虫の転居で空いた部屋に、藤子不二雄の二人が入居

昭和30年(1955)

1月 安孫子・藤本(藤子不二雄)が高岡に帰省、連載ほとんど落とし、その後しばらく雑誌からの依頼が途絶える

9月2日 鈴木伸一が入居(8月という説あり)

9月中ごろ 雑誌「漫画少年」発行元の学童社が倒産。雑誌も休刊

昭和31年(1956)

2月 森安なおや鈴木伸一の部屋に同居      

5月4日(?) 石ノ森章太郎赤塚不二夫が入居(赤塚は8月・11月という説あり)

5月15日 石ノ森章太郎の姉が入居

7月15日 新漫画党結成2周年記念会

6月 鈴木伸一、転居

    このころ、つのだじろうスクーターで出入りを始める。

12月(?) 森安なおや、一度も家賃を払わず、新漫画党も除名されて転居(翌1月という説あり)

12月31日 赤塚不二夫、横山孝雄と映画に行き、翌1月7日まで餅だけで過ごす

昭和32年(1957)

6月20日 寺田ヒロオ、転居

昭和33年(1958)

3月 水野英子入居(7か月で転居)

4月 石ノ森章太郎の姉が急死(3月という説もあり)

10月 水野英子が転居

(秋ごろ) 赤塚不二夫、まんが王で連載をはじめ、貧乏生活から脱出する

(日付不明) よこたとくおが入居

昭和36年(1961)

8月 石ノ森章太郎、シアトルの世界SF大会に出席する

10月 赤塚不二夫、転居

   よこたとくお、転居

   藤子不二雄の二人、転居

年末 最後までいた石ノ森章太郎も転居

昭和57年(1982)

11月 老朽化のため解体

 

 こうしてみると、トキワ荘の黄金期は1956年かな? といってもみんな貧乏ですが…。

 しかしそれから数年後で、「家買うか世界旅行するか」という身分になれるって、昔の漫画って(儲かる人には)儲かってたんですね。今も貧富の差はありすぎですが。

 1959-60年は何もなかったのか気になるのと、よこたとくお氏の入居・転居月日が知りたい。

 資料多方面から出てるんで、もう少し探して、見つかったら追記・変更します

 しかしこの本、

 みなさんの描いている「入居者の顔」が、各人の私観的なものになっていて面白いです。基本各人の自画像準拠なんだろうけど。

 あと、手塚治虫って、トキワ荘が一番賑やかだったころ多分知らない。何度か行ってるのかなぁ。

2012-05-17

[]マンガの神様=手塚治虫の起源

 多分これじゃないかと思う。週刊朝日1964年2月21日号の開高健のテキスト。誤字とか読み間違いはお許しください。

 連載ルポルタージュ「ずばり東京」の21回目。

 現在読める(書籍化されている)『ずばり東京』(光文社文庫版)には入ってない。多分「東京」ネタじゃないんで外したんですかね? 他にも書籍化・再編集の段階で何本か抜かされたりしていると思うけど、いちいち調べるのは面倒くさい。

 ちなみに、この時代の編集長は、10年前に手塚治虫を取材した足田輝一さんだったみたいです。手塚治虫の漫画作中でもかなりひどい顔に描かれてます。

マンガの神様・手塚治虫

大人がすでに忘れた言葉で

子供たちに答えてくれる男

開高健

 

 ここ一週間ほど、私は毎日マンガ本ばかり読んでいた。傑作も駄作もおかまいなく、手あたり次第に読んだ。机や寝床のまわりに散らばっているのを積みあげてみると七十四冊になった。そのうち手塚治虫さんのだけでも二十六冊ある。

 おかげで仕事らしい仕事はなにも手がつかず、頭がすこしボワッとなった。おでん屋で人を待つあいだも徳利にマンガ本をたてかけて読んでいた。あまり夢中だったので、いくらか気味わるがられたらしく、

「お酒おくれ」

 というと、

「いいんですか、お客さん」

 おっさんがこちらの眼をしげしげとのぞきこむようにするので、薄弱者と思われかけている*1のがわかった。私はだまって千エン札を徳利のあいだにおき、おっさんを安心させておいて、マンガを読みつづけた。

 忍者物、家庭物、宇宙物、少女物、チャンバラ物、野球物、柔道物、戦記物、西部物、ギャング物、三国志物、戦国物、ありったけ読んでみたが、九〇%までが愚作、駄作、凡作、劣作であった。読後の感触はおびただしい浪費感と、ぬれたボロ雑巾で顔を逆撫でされたような気持だった。絵具と擬音調のぬかるみに首までつかったような気がした。ガーッ。ダダダダッ。ギャアオッ。ハッ。トウッ。ドカン。ギュウ。ボイーン。ピシッ。ヒャアッ。ズズズズズウン。ヒタヒタ。BANG! BOON! ムギュ。ウーッ……。

 

読者にツメアトは残さない

 

 大人の世界で流行したものが半年おくれて子供の世界で流行するのだそうだ。かならずそうなるという。柴田錬三郎五味康祐の剣豪小説がヒットしてから『赤胴鈴之助』がヒットした。『ララミー牧場』があってから西部物が流行した。プロレスがあたってからイガグリ君が登場した。宇宙物がしばらく不振の時期があったがガガーリンで浮きあがった。子供マンガの作者は週刊誌をよく読んでなにが流行しているかを観察し、半年さきを目あてに作品を準備するようにしたら、だいたいまちがいがないとのこと。そして一つの流行は三年を周期として回転しているという。(文壇では十年周期説になっている)

 パルプ週刊誌が身のほども知らぬおごそかな口調でしきりに劣悪マンガの流行に警告を発している*2が、自分を切ることをとんと忘却つかまつっているので、お子様にバカにされるだけである。目苦素が鼻苦素を笑うという図ではないかと思う。私はもともとマンガ無害論者である。子供は吸収力が速いのとおなじ程度に排泄力も速い。忘れっぽい。弾力性に富んで新陳代謝がはげしい。劣悪マンガにひっかかってクヨクヨ考えこむのは、たいてい大脳皮質が象皮病になりかけた大人だけである。

 御多分に漏れず私もマンガでうつつをぬかした。のらくろ。冒険ダン吉。タンクタンクロー。仔グマのころ助*3。団子串助。蛸の八ちゃん。長靴三銃士。夜も昼もなく読みふけりアメ玉やメンコ(大阪では“ペッタン”といった)と交換に友達を口説きおとすのに苦心工夫をこらしたのである。けれど、現在、私の内部にそれら愛すべき空想と行動と哀愁の小英雄たちがどれくらい影をおとしていることだろうか。

 むしろマンガの影響がのこらないということをこそ嘆きたいようなものである。子供マンガの影響が大人になってものこるくらい澄明な社会でこそマンガの善悪についての議論が空論でなくなるだろうが、現代日本ではほとんどとるに足らないことではないかと思うのである。よいマンガもわるいマンガとおなじように泡となって消えてゆくのだから、困るのではないか。どの国どの時代でもマンガは一種の“時代の歌”とでもいうべきものであろう。傑作であれ劣作であれ、読者にはほとんど爪跡や後遺症というものをマンガはのこさない。とどのつまりマンガは作者の血と汗にもかかわらず“読みすて”られる。

 東京を震源地とする劣悪マンガの大津波に日本の子供は砕かれ、流されてしまっただろうか。パルプ週刊誌や象皮病教育家たちのおごそかな糾弾にもかかわらず、ここに一人、手塚治虫さんは十数年間たえず選ばれつづけた神様であった。無数のけたたましい泡の群れのなかで、彼は消えることがなかった。つねに求められ、選ばれ投票されつづけてきた。この事実が、なによりも雄弁に子供の軽薄きわまる嗜好の変化のうらにひめられた鑑賞力と識別力の鋭敏さを語っているように、私には思えるのである。

 

つねに一貫した主題

 

 子供マンガの人気の消長というものは大人の文壇や画壇や学界とちがって、作者の資質と実力だけがモノをいう世界であるらしい。むきだしギリギリに純粋で冷酷であることは勝負師やスポーツ選手と同じである。おつきあい、先輩後輩、義理人情、出版者に対する思惑、仲間ぼめ、肚芸、打算、挨拶、文士劇、ゴマすりなど、にやにや脂ぎって酒臭くヤニ臭い、あるいはキラキラと澄んで速くうごく利口な眼ざし、博学、同情、気まぐれの暗示など、なにひとつとして通用しない。たった一つのキメ手は子供が買うか買わないかということ。それだけで決せられる。目もなく耳もない、多頭多足の子供大衆という怪物が相手なのである。猥雑で、軽薄で、冷酷でまったく自由であり、鋭敏である怪物である。それを相手に十六年間たえず首位を占めつづけてきた手塚さんの何十万枚という努力は私などには異様なものに感じられる。“天才”というほかないのではないか。(『ジャングル大帝』七巻だけでもじつに十六万枚になるのである!……*4

 彼の作品を二十六冊もまとめて読むのは、はじめてのことであった。子供が友達から借りてきたものや床屋や医者の待合室などにころがっているものなどをちょいちょい盗み読みしておぼろげに楽しいものだと思って感心していたのだったが、今度通読してみて、あらためて感嘆させられた。そしてまた、ほかの無数のマンガと読みくらべてみて、どれだけ彼が傑出した人であるかということもよくわかった。

ジャングル大帝』、『Oマン』、『ロック冒険記』、『ナンバー7』、『宇宙空港』、『白骨船長』、『狂った国境』、『おれは猿飛だ』、『鉄腕アトム』、そのほか、いくつとなく彼の長編を読んでみると主題がつねに一貫していることに私は気がつく。

 それは、ひとことでいえば“対立”である。強国と強国、強民族と強民族、人間と機械、文明と文化、原始と現代、機構と個人、空間と時間、人口と面積、理想と現実、科学と道徳、父と子、すべてのものがそれぞれの衝動において局部肥大して対立しあい、抗争しあう。核実験競争や国境紛争やクーデターや資本の謀略や陰謀者同士の内部分裂や人種偏見や未来時代の楢山*5や官僚主義や独裁制や奴隷制や植民地収奪などがさまざまのイメージを変えつつこの“対立”の表現となってあらわれてくる。つねに対立と機構は避けようなく陰謀と打算を生みつつ肥大し、発展し、破局的な大衝突にいたる。

 人類はついに賢い愚行の果てに自滅しあうであろう。強者はつねにたがいを試しあってたがいに殺しあうであろう。そして小さな中立者をもかならずその破滅の淵にひきずりこまずにはおかぬであろう。変れば変るほどいよいよおなじである。ノアの洪水時代も、鬼子母神の古代インドも、イソップのギリシャも、つねにおなじであった。一九六〇年代も、未来もまたおなじであろうか。

 彼のマンガは複雑怪奇きわまる冷戦と軍拡競争と謀略と植民地主義と大量虐殺の大人の二十世紀をそのまま描きだすのである。要素化し、単純化し、奔放な空想において黙示録の破滅を描きだす。そして大破滅の戦前か戦後かに、ごくごくひとにぎりの子供や動物や人間の弱さに価値をおく科学者などが危機一発*6、地球を脱出して新しい衛星に向うか、陰謀者と機械の群れを破壊するかで、九死に一生の救済を得るのである。誇りと偏見と機械とにとりかこまれた大人たちの硬直の世界のなかで、子供たちはつねにシジフォスの役を負わされる。たえまなくころがりおちつづける石を山頂へ運びあげようと永遠の徒労をかさねつづける。優しい心を持った、孤独な苦役人が手塚治虫のマンガの主人公である。

 チャプリン*7や、ハックスリーや、オーウェルなどを眺め読むように、私は彼の漫画を、眺め、また、読むのである。

 

この世の原理原則をえがく

 

 人種偏見のない世界、国境のない世界、資本の謀略のない世界、人を殺す機械のない世界、人を殺す理論のない世界、階級のない世界、国家のない地球、小国の積極的中立主義の生きる世界、誇りの硬直のない世界、愚者と弱者が賢者や権力者や強者と同格で肩を並べられる世界、寛容と同情の世界それが彼の主張する世界像なのである。お読みになってごらんなさい。大人の世界では石器時代以前にとっくに御破算になってしまったこれらさまざまな理想の言葉を彼がどれだけ率直に、簡潔に、むきだしに、誰憚ることなく、機智と哀愁と人生智をもって語っていることか。

 私たち“大人”が複雑さと分裂に疲れ果てて率直に語る勇気を失ってしまったことを彼は一人で子供マンガの世界でぶちまけているのである。子供マンガの世界でしかそれらが述べられていないという事実に私たちはあらためて自身の象皮病の深さを発見するのではないだろうか。両親や兄姉たちが口ごもって答えてくれないことを彼一人が子供たちに答えてやっているのだ。しかも大人の言葉で、本気になって、親身で、うちこんで、答えてやっているのである。そしておどろくべきことには、じつに十六年間、何十万枚となく、えんえんと彼は一貫して描きつづけてきたのである。剣豪物ブームだの、柔道物ブームだの忍者物ブームだのという泡の群れとはなんの関係もなく、ただ彼は、中野重治風にいえば“もっぱら腹の足しになる”、そして大人たちが慢性下痢を起してただくだしにくだしてしまっているところのものを、この世の原理原則というものを、汗水流して描きつづけてきたのであった。

 以上は私が読んだ彼の二十六冊の本(彼の全著作ではない)について、その主題の発想であり、骨組であり、構造である。けれど、この世には、美しい感情をもって書かれた退屈な作品というものも無数に存在するのである。手塚治虫の感情がどれほどすぐれていても彼の描く絵や色の意味が理解され、すぐれていなければ、どんな立派な思想も骸骨の骨格見本でしかないだろうと思う。

 子供たちが彼のマンガを選ぶのはこの世界の現状についての大人たちの説明のいいかげんさに絶望する気持と、もう一つは、彼の描きだす線そのものの持つ楽しみや、くつろぎや機智や、爽快さからなのである。

 この部分はつねに説明不足で、暗黙のうちに理解されており、“批評”では重視されず、愛着の最初のものであり最後のものでありながら、誰も口にだそうとしないものである。教育家たちの批評のしらじらしさは、たいていそこからでてくるようである。人間をレントゲン写真で眺めて鬼の首でもとったみたいな気持でいるいい気さかげんが、私をしらじらしくさせバカバカしいとも思わせてしまうのである。

 

ユーモアをもっている「線」

 

 彼とならぶ人気を持つといわれる白土三平の『忍者武芸帳』や横山光輝の忍者物や石森章太郎の作品などとくらべてみると、クッキリとめだつ相違が一つある。三平は荒乱陰湿、光輝は流暢軽快、それぞれの差がある。ウデの上下はしばらくおくとしよう。けれどこれらの人びとと治虫の描きだす線とのあいだには、クッキリとめだつ一つの相違がある。それは、ひとことでいえば「ユーモア」である手塚治虫は線そのもののなかにすでにユーモアを持っているのだ。ほかの人たちは、ほかのダイナミズムとか秩序感などで彼よりすぐれた美質を部分部分で持ってはいるものの、この一点をまったく欠いている。私にいわせれば「ユーモア」の感覚は人間の本能の知恵なのである。この知恵を汲むことのできない人びとは、ほかのあらゆる美質にもかかわらず私を和ませないことで能力ひくく洞察力またひくい人であると思わせられる。ユーモアは現象を分析すると同時に一瞬に総合して批評の決裁をくだす知恵である。手塚さんの描く線にはどの一瞬にもそれがこめられているので私はうっとりしておでん屋で我を忘れてしまったのである。くそまじめな日本の陰湿な風土ではこれがひどく育ちにくいこと、文学界、学界、すべて同様である。(まじめであることと、くそまじめであることは全く別物である。これがあまりにしばしば混同されるので私は憂鬱である)

 手塚治虫さんがマンガを発表しはじめてからもう十六年になる。この十六年間に日本の子供たちは何十人のマンガ家を生み、育て、殺していったことだろうか。その貪欲さと軽薄さはこれに乗じて失敗したり成功したりアミーバー状脳細胞の出版社員の嘆きや畏れと私はおなじである。子供は冷酷である。けれど、それと同時につねに彼を選び求めてきた、大人に犯されない嗅覚の鋭さという一点で私は拍手を送りたい気もするのである。低能マンガは華々しくバカバカしい。けれど、ついにそれらは、泡にすぎないのだ。子供のほうが大人よりよく知っているのだ。

 手塚治虫さんよ。

 ガンバッてくださいね。

 誰も眼をキョロキョロさせて口にだすのをはばかっていることをあなた一人が叫んできました。地上にあなたの世界はしばらくありませんけれど、叫ぶことはやめないでください。

 あなたは儲けることをあまり考えないで儲けてしまったのですけれど、そんなこと、どうでもよろしい。昔のような作品をどんどん書きつづけてくださいね。あなたは私に会ったとき、“もう筑波山の上から見おろしているような気持ですよ”と早口にマンガ界の現状に対する自分の位置を述べましたが、そんな老けたことはいわないでください。私は自分の子供にあなたの作品を読むことだけすすめたのです。

 16年で神様ですか。CLAMPも23年ぐらいやってるんで、神々様(女神々様)と呼んでもいいですかね? 日本は多神教の国なんで、手塚治虫以外に複数神様いてもいいと思う。

 個人的にはこれ、開高健にしてはちょっと物足りない。漫画について何か言うことって難しいですね。

 あと、手塚治虫の「ユーモア」というか、ギャグの入れ具合って、今の漫画に慣れてる人にはつらいかもしれない。昭和30年代の漫才ぐらいの感覚だと思う。

 ということで、光文社文庫版にリンク。

ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)

ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)

 

「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。

1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

*1:これ、多分直ってない。ひどい。

*2:どの雑誌だか不明でした

*3:正確には『こぐまのコロスケ』のようです。

*4:この部分の誤記はさすがに削られているようです。ふたケタぐらい間違ってる。

*5:出典は深沢七郎楢山節考』かな?

*6:元テキストのままです。

*7:「チャップリン」表記のテキストもありました。

2012-04-19

passport

[]漫画家・佐々木マキに言った手塚治虫(マンガの神様)のひどいこと

 佐々木マキ『うみべのまち』(2011年・太田出版)あとがき。

 私は神戸の下町の、貧民細民あまたおわします地区に生まれ育ったので、私の家も、クツがないとか給食費を持っていけないとか、雨漏りがひどいとか米びつが時々カラになるといった程度には貧乏であった

 保証金なしの貸本屋というのは、戦後神戸から始まったそうで、私の子供時分には、どの町内にも二軒ずつくらいあって、それぞれ盛況であった。

 私は特に杉浦茂のマンガが大好きだった。杉浦先生はいわゆる貸本マンガ家ではなかったが、貸本屋は一般少年誌も貸していたし、ふろくの別冊マンガも四、五冊タコ糸で綴じて、一冊の貸本として扱っていた。

 また近所の子供たちは、それぞれの家にある雑誌を持ち寄って、それら総てを回し読みしたので、「少年画報」も「少年」も、「おもしろブック」も「漫画王」「冒険王」も、「少年クラブ」も「漫画少年」も、見ることができたのである。中には自分の提供分として、妹や姉の「少女クラブ」、「りぼん」や「少女」、「女学生の友」、はては「ジュニアそれいゆ」などを出すものもいて、おかげで私は上田としこや今村洋子のマンガ、藤井千秋や日向房子のさし絵などを懐かしく思い出すことができる。

 しかし、とりわけしあわせな時間は、何といっても杉浦氏の未読のマンガとぽんち揚げなどの菓子が目の前にあって、その二つを味わうべく、日にやけた畳に腹這いになる時であった。その時だけは厭なことも辛いこともみんな忘れて、体の中を春風が吹くような、しあわせな気分に浸れるのだった。現実逃避。マンガはまさに避難場所だった。中学生になるとか資本屋の小説と近所の映画館が私のシェルターになった。

 十歳の時から色々なアルバイトをしてきたが、マンガを投稿して原稿料を貰うというアルバイトにめぐりあったのは、まことに幸運というほかない。一九六六年のこと、私の兄がどこからか、「ガロ」を創刊号から最新号までひと抱え借りてきたので、私もつげ義春のマンガを楽しみに見ていたら、「ガロ」では投稿作品を募集していたのである。マンガを描いて金を貰う。これなら人に会わずにすむし、時間の融通がきいて真夜中でもできる。

 初めての投稿が「ガロ」に掲載された時、現金書留の封筒にメモがはいっていて、おそろしく下手な字で、貴君のマンガは面白いのでこれからも描いて送るように、と書いてあった。この筆蹟の主こそ青林堂社長、長井勝一であった。私はこの紙片を残しておかなかったことを後悔している。長井さんにはずいぶん世話になった。「朝日ジャーナル」が初めてマンガを連載するという時に、私を推薦してくれたのも長井さんだった。

 私のマンガについて言えば、初めは普通の風刺マンガを描いていたが、そのうち、コマとコマが因果関係や時間の流れを表わすのではなく、詩の中でコトバとコトバが響き合うように、コマとコマが響き合う、そんなマンガが描けないものかと思うようになった。その試みの第一作が「天国で見る夢」である。

「朝日ジャーナル」は私に自由で実験的なマンガを望んでいた。私もその期待に応えていたら、マンガの神様と呼ばれていた人の逆鱗に触れたのである。神様は綜合雑誌に一文を寄せて、私のことを「狂人である」と断じ、「朝日ジャーナルは狂人の作品を載せてはならない。ただちに連載を中止すべきである」と主張したのだった。興味のある方は一九六九年夏頃の「文藝春秋」だったと思うが、そちらを参照されたい。

 もしもマンガを描くことのみで生計を立てている者をプロのマンガ家と呼ぶのなら、私がプロであったのは、わずか十箇月に過ぎない。「ガロ」はすでに稿料の出ない雑誌として知られていた。

 また私は、神様の怒りに触れなくても、これ以上前衛的実験的なスタイルでマンガを続けていくための材料もアイデアも、もはや持ち合わせていなかった。私は気が済んだというか、自分なりの実験は一応おしまいにして、さて次に何がやりたいのか自身にたずねたら、それは一九五〇年代の杉浦茂に戻りたい、ということだった。

 すなわち、明るくてアナーキーで、呑気でナンセンスな、かわいらしいマンガを描いてみたいと思ったのだ。しかし私の場合、そういうものを発表する場所はどこにもありはしなかった。

 仕方なく、私はずるずるとイラストレーションや絵本の方面へ、生活の資を得る場を求めて移動したのである。アナザー・タウン、アナザー・ジョブ。

 それでも私は時折、マンガを描きたい衝動を抑えられなくなるのである。それで〈絵本〉のフリをシテ『たわごと師たち』とか『怪盗スパンコール』といった児童マンガを描いてみるのだが、ほとんど売れないまま、たちまち絶版になるのだった。

 昨年つまり二〇一〇年、神保町の書店が私の絵本の原画展をやってくれたとき、会場のアンケート用紙に、中学二年生(の多分女性)が「中一の夏、おしいれのガロ1969年2月号が見つかり、先生のマンガを読んだところ、しょーげきを受けました。なぜなら、自分が思っていたマンガらしいマンガだったからです」と書いてくれた。このマンガは「かなしい まっくす」のことだろう。私は少なくともこの子にとっては今でもマンガ家である。ちなみに私の税金申告書の職業欄は一九六九年から現在まで〈マンガ家〉のままである。

 マンガの神様というと…一人しかいないですよね? 天皇といえば黒澤明、将軍様といえば立川談志、ムッシュといえばかまやつひろし、ミスターといえば長嶋茂雄、神様といえば手塚治虫

 ということでそのあたりの資料を探して見ましたが…見つかりましたです、1970年3月号文藝春秋巻頭随筆。ずいぶん佐々木マキ氏の記憶と日時が違ってますが、これしかない。

わからぬ漫画 手塚治虫

 

 うちの子はまだちいさいのだが、盛んに漫画らしいものを描く。幼児の絵はそれ自体漫画的な感覚のものだが、まあ大抵の場合、意味がわからないので説明を要する。説明をきいても尚更わからないこともある。

 昨年の夏あたりから、朝日ジャーナルに掲載しているSという若い画家の作品が、一部マスコミで取り上げられているが、どうやら学生にちょっとした反響があるそうで、評論家の中にはそれを若い世代の心情を結びつける向きさえある。それによると一般には「わからぬ漫画」で通用しているそうで、ある新聞では、岡本太郎氏はじめ、そうそうたる文化人に、Sの漫画の解釈をしゃべらせていた。

 そんなことをすること自体がまさに“マンガ的”である以上に、なんの価値もないものだが、日本のジャーナリズムや文化人たちはなんと「わからないもの」に好意的であろうかと感心する。当のSはまだプロフェッショナルというには未知数で、本人みずからなにを書こうとしたのかよくわからないといったことを述べている。それを、勝手に、意味ありげな理屈をつけて解説するのは、ジャーナリズムのお手のものかもしれないが実にナンセンスだ。

 なにも「わからぬ漫画」は、Sの発明によるものではない。文春漫画賞の選考の前後には、ばたばたと自費出版の個人作品集が出る。ベテラン、無名とりまぜて、その半分以上が文字通り「わからぬ漫画」集である。

 またデザイナーや純粋美術の方面から、漫画と称して発表されるものも、大半はよくわからない。それを丁寧に漫画界の重鎮たちが推薦文をつけているのもおもしろい。

「むずかしい漫画」というのは、いわゆる共産圏には存在せず、そのハシリは、アメリカのスタインベルグあたりではないかと思われる。彼の「パスポート」という作品集などは、イラストレーションのお遊びのようなものが多く、それも絵が立派だから見られるのだが、一時日本のおとなの漫画に、かれに影響されたらしい難解な作品がかなり出たことがある。

 またこれえらの難解漫画は、第二次大戦後の作品で、それ以前には、現在残っている漫画の中にはみあたらない。あったのかもしれないが、霧消してしまっているのだろう。

 ぼくが思うのに、漫画が純粋絵画や装飾から独立してその目的をもった時点で、すでに民衆に「よびかけよう」という姿勢があったはずである。プロパガンダもしくはアッピールの目的で、大衆によびかけるには、よくわかるものを与えなければならないのは常識だ。なぜなら民衆を構成する大部分はコミュニケーションすらもたないてんでんばらばらの人間で、注釈や解説の必要なものでは途端に敬遠してしまうだろう。

 もちろん「わからぬ漫画」も漫画である以上、その存在意義を認めないわけではない。ただ少数の理解者やエリート達に配られるものならば、同人誌や、自費出版の作品集で充分ではないかということだ。

 それがマスコミに載り、「わからぬ漫画」がいやおうなく大衆におしつけられた時、その作品はすでに意義を失っているのである。Sの作品は同人誌的傾向の「ガロ」という雑誌に載っていればよかったのだが、それが発行部数を誇る週刊誌に掲載された時点で、その無意味さがはっきり露呈されたのだ。

 チャップリンの偉大さは、皇帝から放浪者にいたるまでよくわかる作品を、大衆の中で終始つくりつづけたことにある。故エノケンもそうであった。ここで興味深いのはエノケンの晩年に、たっての依頼をうけて、かれが「臍(へそ)閣下」という喜劇映画に出演した話がある。喜劇とはいえ、一般大衆にはすこしも笑えないすこぶる独善的な作品だったのでエノケンが怒ってしまって、この映画は続編をつくる予定だったのが、もう協力はしないと断ってしまったということである

 作品自体を批判する前に、映画に対するエノケンの姿勢と、当事者の姿勢とがまるでかみあわなかったことにナンセンスをおぼえた。高木東六氏からこんな話をきいた。NHKの「あなたのメロディ」で、アマチュアの作詞作曲の応募作品の中に、とびきり個性の強いおもしろいものがあったので、出演してもらおうと思ってNHKが通知を出したら、なんと返事が精神病院からであった

 さすがに驚いて、ではせめて出演のかわりに、作曲者の写真でもと依頼したら、ものすごい重症患者のポートレートを送ってきたので、ついに不採用になった、というのである。もしこれが知らされずに、そのままNHKで演奏されていたら、批評家は狂人の作品をほめちぎっていたかもしれないのである。

 赤ん坊に絵筆を握らせて作った絵を誰が描いたか知らせずに発表したら、知らぬが仏の文化人の間で熱狂的な理解と賞賛をまきおこすかもしれない。「わからぬ漫画」へわかったような注釈をくっつけた記事を読むたびに、ぼくはふと考えるのである。

 …佐々木マキさん、少し話盛りすぎてないかな?

「私のことを「狂人である」と断じ」とか「朝日ジャーナルは狂人の作品を載せてはならない。ただちに連載を中止すべきである」とは、神様も言ってないですよ? どっちかというと笑っちまうぐらい子供っぽい嫉妬。「じぇったいにゆるちまちぇん!」みたいな感じ。

 ところでいつごろから手塚治虫は「マンガの神様」ということになったんですかね? 1970年代はじめぐらいの手塚治虫は、原稿は出来てない、虫プロは丸こげ、あげく会費半年300円(鉄腕アトムクラブ)というgdgdな状況だったはず…当時は多分神様とは言ってもタタリ神だった気がします。1980年代になってからかなぁ、手塚治虫=マンガの神様。

 そんなことより昔の手塚治虫ってこんな風に言われてたんだぜ…。

週刊朝日 1949年4月24日号 こどもの赤本 俗悪マンガを衝く

低俗な子供漫画は大阪がもとである。(中略)赤本が売れて法隆寺が焼ける。それが今の日本文化の姿だ。

子供漫画を斬る 近藤日出造(中央公論1956年7月号)

 その画法が、アメリカ日曜新聞の冒険漫画の亜流を行ったようなものでも、さすが格段の腕前で、この程度の絵が揃っていればP・T・Aの有力者も、目くじら立てて漫画の追放を企むこともあるまい。しかし、その手塚治虫が、この頃しきりに大人漫画への進出を志し、今のところ「絵の点」での力量不足のため、進出思うにまかせず、との噂をきく。

 一応「大人漫画家」で通っている絵の下手糞な僕が、こうした噂を伝えるのはどうかとも思われるが、僕は、この噂を伝えることにより、一般の子供漫画家というものが、いかに箸にも棒にもかからない粗末な「絵描き」であるかをいいたかったのだ。

 

 エノケンの『臍閣下』って、1969年の映画(最晩年)です。

蔵出し映画缶 1960年代 自主制作映画

『臍閣下』 作品詳細、上映スケジュール − エンタメ〜テレ 最新映画ナビ

核時代のこの世に生まれ育ったエロス(八戒)テロス(悟空)グロス(悟浄)の妖怪三人組が、精力絶倫を誇る臍一族の支配者に挑戦するという話。現代の暗黒を卑猥と哄笑の精神で描いたグロテスク喜劇。

 

 スタインベルグの『パスポート』に関しては以下のサイトなど。

おとなまんが! | ロベルトノート

ソール・スタインバーグ「The PASSPORT」1954年 ソウル・スタインベルグ、Saul Steinberg

 

 手塚治虫イカれ具合は、たとえばこんなところに書いてあります。

「ブラック・ジャック創作秘話」 漫画の神様、手塚治虫の知られざる伝説!ただの神じゃあ済みません!! 3階の者だ!!〜ブログ編〜/ウェブリブログ

 ぎりぎりの進行で上がるアニメに「リテイク!!(撮り直し)」「ブラック・ジャックはね、こんなふうに歩かないんですよ!!」

 まさに外道。

 佐々木マキさんの『うみべのまち』は、ちょっといい感じになれる漫画作品集です。

うみべのまち 佐々木マキのマンガ1967-81

うみべのまち 佐々木マキのマンガ1967-81

 

「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。

1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

 

2010-09-28

[]『けいおん!』4巻の特典効果について半端に語るよ

 2010年9月27日(月)に発売された『けいおん!』4巻(最終巻)はこんな感じ。

今日もやられやく そんなこんなで今日原作『けいおん!』第4巻が発売したわけだが・・・お前ら買えたの?

パッと観た感じだけど、在庫は 多) ゲマズ>>メロブ>虎穴>メイト (少 

原作けいおん!4巻バカ売れ 「余裕で1K超え」「売れすぎデス!」 - アキバBlog

「けいおん!」4巻のアキバのとらのあな・メロンブックス・K-Books・ゲーマーズ・アニメイトの5店舗で入荷数は2万冊近くになってるっぽい。

特典一覧。

今日もやられやく 原作『けいおん!!』4巻特典まとめ・・・貴方はどこで買う?

アニメイト:かけかえカバー+秋葉原店・池袋店のみメッセージペーパー

ゲーマーズ:描き下ろし掛け替えカバー+ミニスリムポスター

とらのあな:オリジナルギターピック+描き下ろしイラスト付き台紙

メロンブックス:着せ替えザラピカブックカバー

K-BOOKS:ブロマイド

たちばな書店:クリアファイル

文教堂書店:サイン入りイラストカード

有隣堂:描き下ろしポストカード

啓文堂書店:描き下ろしメッセージペーパー

三洋堂書店:イラストカード

ジュンク堂書店:ブロマイド(津田沼店、町田店、難波店のみ)

いまじん:描き下ろしメッセージペーパー

ワンダーグー:ポストカード

COMIC ZIN:中村博文イラストカード+特製リーフレット

(井ノ本リカ子・うさくん・森永みるく・かきふらいのイラストを収録)

まんが王:名刺サイズキャラクターカード(5人分各1枚)を、1冊につき2枚ランダムにてプレゼント。更に「けいおん!」関連本(アンソロジー・ガイドブック含む)を一緒にお買い上げの方には、5枚をセットにしてプレゼント。

 面倒なので、「メロンブックスの4巻」だけ考える。他は複数特典だったり、描き下ろしじゃなかったりするんで。

メロンブックス - Wikipedia

 全国20店舗ということだけど、まぁ首都圏で半分ぐらい、秋葉原で3割ぐらいの仕入れだとすると、全店で1〜2万冊? ざっくり。最低1万冊。4巻の推定発行部数が40万〜50万部ぐらいなので、10〜20万部が「オタク専門ショップ」で特典つきで売られてもおかしくないレベル。

 発行部数の根拠。

漫画『けいおん!』の単行本が、計80万部・1巻あたり40万部販売を記録したとのこと :Syu's quiz blog

 2巻が出てから4か月目の状況。

 特典カバーのコストは、1万枚作って単価30〜50円。「ザラピカ」のコストが想像つかないけど、5〜10円ぐらい通常カバーより高いぐらい? まぁ50円ぐらいかな。印刷代コミ。

 ただ「描き下ろし」だと著者に原稿料払わないといけない。かきふらい先生、データ描き? どう見ても手描きじゃない(少なくともカラーは)。大きさにもよるけど、白黒で1万円、カラーで数万円なら俺だったらオーケーする。イラスト集とか出す予定があるなら、せっせと描いても無駄にならない。5万で描いても、カバーの原価にプラス数円余計にかかる程度。

 秋葉原で複数店舗が特典つき販売している中で、なしで売るのは無理。売れない。ただし店ごとに違うと複数買う人がいる。秋葉原までわざわざ来るような人は2〜5店舗回って数冊買う。転売屋対策で、一つの店では一度に沢山は買えない(はず)。

 1冊しか買わない人のはずが、特典で2冊買う人いるか? 860円のコミックスの儲けは、普通2割(どんな本でもだいたい書店の儲けは2割ぐらい)なので、1割(原価86円)の特典をつけても、倍売れば儲けは同じ。要するに「特典」で新刊の売り上げは、トータルで数倍伸びる(ただしオタク書店限定)。実数で5〜10万部。一番儲かるのは出版社だけど、著者の印税を考えると、タダで描き下ろししても数百万余計に儲かるレベル。

 まぁこれは特殊な例だけど、発行部数10万部前後ぐらいになったら、特典つきで1〜2割は部数乗せられる(オタク支持層が厚い場合。『ワンピース』ぐらい一般的なものになるとちょっとね)。新刊買って新古書店で買わないだろうから、400〜500円のコミックス、描き下ろしの特典つけても数十万著者の印税収入が増える。作者に描き下ろしするだけの時間的余裕がないと大変だけど。既存イラストの使い回しだとあまり効果期待できない。1冊の単価がもっと高いと、5万部ぐらいでも大丈夫。ただ、ゲームとかDVD/BDみたいに単価高くなりすぎると複数買いしない。

 あと、初動に比べて後伸びの悪さとか返品とか、いろいろ問題もある。特典手に入れたら即、本体を新古書店に売る人も多いかも。

 いつもとくらべてざっくりしすぎだろう、と思う人に、おまけデータ。

■同人誌印刷をしてくれる会社一覧■

同人誌印刷 栄光 ペラ物・グッズ関連:フルカラーカバー料金表

100枚まで14,000円

以降 100枚ごとに+4,000円

 1千枚=36000+14000=50000=50円。

 1万枚=396000+14000=410000=41円。

 メロンブックスだったら、もっとブックカバー製作コスト下げられるかな? 関連グッズ(マグカップとかクリアファイルとか)のコストも、同人誌印刷の会社サイト巡りしていくとだいたい分かるよ。

 ギターピックの原価は想像つかない。

2009-09-29

[]個人的にはCLAMPって手塚治虫を越えていると思う

 個人的にはCLAMPって手塚治虫を越えていると思う。

 関西出身。

 その、出自の怪しさ(手塚は貸本漫画、CLAMPは同人誌業界出身)。

 少年・青年・少女漫画にわたって成功している。

 手塚よりCLAMPのほうが駄作が少ないように思える(が実際のところはどうだろう)。

 結局アンチや過大に評価する人の数の問題なんだろうか。

 CLAMPのメンバーもTwitterやってたので、この機会に紹介。本人かどうかの確認は難しいのですが、フォローしている具合を見ると間違いないような気がする。

大川七瀬 - Nanase Ohkawa (clamp_ohkawa) on Twitter

いがらし寒月 (clamp_igarashi) on Twitter

猫井 椿 - Tsubaki Nekoi (clamp_nekoi) on Twitter

もこな - Mokona (clamp_mokona) on Twitter

 まだみんなアラフォー世代なんだな。

 手塚治虫がアニメの『鉄腕アトム』を作ったのが1963年(放映)だから、34歳。

 『COM』創刊が39歳。(1968年)

 『火の鳥』で第1回講談社出版文化賞児童まんが部門を受賞したのが41歳(1970年)。

 CLAMPって小学館・講談社漫画賞を受賞したことがないんだ。これは意外。

 

 

2009-06-02

[]『咲-Saki-』の漫画で実践では誰が一番強いかが分かったよ

 以下のところを参考に。

ねたミシュラン 咲-Saki-戦績表(via近代麻雀漫画生活)

 部長とキャプテンがけっこう強いと思っていたけど、やっぱりそうだった。

 鶴賀では妹尾香織(ステルス桃子は健闘)、龍門渕では国広一が、今のところ一番勝ってる。

 のどっち弱すぎ。これなら不調のぼくでも勝てそうだ。

 ちなみに「天鳳」、最近ものすごい勢いで負けてて、とうとう勝率3割切ってしまったよ。ていうか格落ち(段落ち)して3段からやり直してます。おいらも弱すぎだ。

2009-05-04

[]『咲-Saki-』全国大会で出て来そうなキャラを予想してみる

 こんなことを過去に言ったりはしましたが。

アニメの「感想」に「次週の予想」テキストを入れるのはやめて欲しい(ぼくの中では、な)

 細けぇこたぁいいんだよ。

 

オッドアイ・ボクっ子・オレ女・子供・委員長・眼鏡・お嬢様・エクソシスト・おっぱい・タコス・ステルスなどは既出キャラ。

 

双子(髪の長さは違うが色は同じ)。得意技はトイトイ七対子。

あるいは野武士(元は剣道部)。左手でツモって右手で切る、二天一流。

軍服(だけどパンツはいてない)。とつげきリーチ。神奈川県代表(横須賀)。

和服。演歌の花道。鳴きます、鳴かせます。

ヤンデレ。なんで、なんで来てくれないの、ずっと待ってるのに、なんでなんでなんで!?(南ポン)死んじゃえ!!

軍師。芭蕉扇持ってる。この雲の流れでは、風は夜中に逆風となりますぞ。(西ポン)

・アメリカ人(おっぱい大きい)。オーソレ、ロン、オールグリーンデース。沖縄県代表。

・中国人。チャイナドレスだけどパンツはいてない。

・キタキツネが変身している

・バナナが好きなロボット(バナナうまー)

・13時間しか記憶が保持できない

・動物使いもしくはプロ雀士猿。他人が聴牌すると外の鳥が騒ぐ。

・スクール水着(水中では最強

・毒持ち。そのキャラが切った牌をチー・ポンすると毒が回る

・相手の得意技をすべて封じる(得意技は「流局」)。これ最強。

 

ロシア人とかクリスチャンとか考えると『ムダヅモ無き改革』(大和田秀樹)と変わらなくなってきてしまうのでどうしよう。

ムダヅモ無き改革 - Wikipedia

「バルチックフリート」とか「サントリニテ」とか。