「日の当たる丘で、軽く口笛を吹き、おもいっきり、あはは、と、笑ってみようよ」--Reach for the sky--

今、すべて、うけとめて。

誰かと、何かについて話をしているとき、誰でもが、自分の考えを一生懸命に伝えようとするとする。でも、だいたいの場合、それはそのまま伝わることはないし、その伝え手の意図というよりは、受け止め手側の意図に近い意味でとらえられることが多い。本当の意味で「聞く」ことの難しさ。

そして、そこで繰り広げられる討論は、一見、意見を出し合って、新しいものを作りだそうとしているかのように思えるのだけれど、そんな創造的な活動ができる場合--関係、といってもいいかもしれない--というのは、実はほんの一握りに限られていて、それに対して費やされた時間の量とは全く関係なく、結局は、「聞きたいように聞き」「言いたいように言い」そのどちらか、その時によってそれはどちらの方へ傾くかという違いはあるにしても--いや、本当は違いはなく、大概はどちらに傾くかというのは最初から決まっていたりするのだけれど--結局は、どちらかの思うような結果でしか終わらない。結局自分の中に最初からあった結論しか見えていないにも関わらず、そこで止まってしまう。そして、その思うような結果にならなかった方には、疲労と絶望に似た感覚のみが残るという、本当は、どちらにとっても不幸な結果に終わることが多い。

でも、もし、そこで、本当にすべてを受け止めて、いや、すべてなんていうのは不可能だろうから、一部でもちゃんと受け止めて、それに対して、誠実に感じ、考え、思うことをまたフィードバックできるなら、それは、どんなにか幸せなことだろう?

私は、できるなら、そんなふうにしていたいと思う。一生懸命に、感じたいし、思いたいし、考えたい。そんなの幻想だよ、と言われようとも、もしかしたら、という望みは捨てたくない。