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ジニアスフリークス

2013-04-23

【水槽の少女】


 金曜日のフリーマーケットでは、ときどき思わぬ掘り出し物を見つける。私はそこで、水槽に入った少女を買った。
 毎週、金曜日になると、教会裏の空き地でフリーマーケットが開かれる。そこでは、普段は町で見かけないような人々が寄り集まって様々なものを売り出している。
 猫目の太った男が、テントの下に大小様々の水槽を並べていた。緑色の金魚やら、透明のウミユリのような生き物、15センチくらいの大きさしかないホオジロザメやらといった、見たこともない水棲生物が、水槽の中を泳ぎまわっている。
 私は円筒状の水槽に入った、七色に発光するクラゲを興味深くながめていたが、ふと、店主の後ろに白い布の掛けられた、大きな正方体があることに気が付いた。
「それも水槽ですか?」
 私が尋ねると、店主はどっぷりと太った野良ネコのような顔をほころばせた。
「よく見つけたね、こいつは目玉だよ。特別に見せてあげよう」
 店主に手招きされ、私は膝立ちでムシロに乗ってその大きな水槽に近づいて行った。無数の水槽から、磯の臭いが昇ってくる。
 店主がちらりと布をどけると、隙間から水槽の中が見えた。背面に黒い紙の貼ってある、上までぴったりと水の入った大きな水槽。その中に、膝を抱えるようにして浮かぶ、裸の少女がいた。あどけない黒い瞳と目があって、私は思わず息をのむ。
 その時にはもう、私は少女を手に入れることに決めていた。店主の提示した値段は高額ではあったが、私にはさして法外な値だとは思えなかった。店主が代金を数えている間、私は掛け直された白い布、その下にある少女の水槽を見つめていた。
 店主が言うには、この少女は水中でしか生きられないらしい。水から出すこともできないというので、持ち帰るのには苦労した。マンションの自室になんとか運び込んで、水槽を覆っていた梱包材を取り除く。おそろしく透明な水の中から、少女がきょとんとこちらを見つめていた。
 私は水槽の前に陣取ると、ほとんどガラスに顔をひっつけるようにして覗き込んだ。少女は私の行動を不思議がってか、同じように顔を近づけて私を見つめてくる。
 私はあらためて、まじまじと少女を観察した。彼女は一度も泡を吐かなかった。水を吸い、水を吐き出した。白く細い手足を、ほんの少し動かすだけで自在に水の中を動き回った。
 ひれが生えているだの、えらが有るだのといったわかりやすい差異は見受けられなかった。だが、どこか根本的な所で、陸棲生活をする我々とは異なった生き物だと感じさせた。それはなめらかに光を通す白い肌かもしれないし、およそ考えられないほど効率的に水を掻く手足の動きかもしれない。
 たゆたう少女を、私は時間も忘れて朝までながめていた。
 次の日の朝、私は一応、目玉焼きを二つ作って、少女の反応をうかがった。水を汚してしまわないかと少し気が引けたが、小さく切った白身を水槽の中に入れてもみた。が、店主に聞いていた通り、少女は食物というものに対して、何の関心も見せなかった。少女が何を食べて生きているのかは、誰も知らないのだった。

 水槽の少女との同棲が始まった。私は仕事から帰るとすぐさま水槽の前へ行き、一時間はそこから動かなかった。くるくると水槽を回る少女の泳ぎを見ているだけで退屈しなかった。ベッドの位置を変え、眠りに落ちるまでずっと少女をながめて過ごした。
 少女は日に数回、水槽のへりに手をかけて身を乗り出し、物珍しそうに部屋の中を見まわした。少しの間なら水上でも過ごせるらしい。少女の動きは静かで、いかなる時もほとんど波を立てなかったが、それでも一杯に入れられた水は少しだけ零れて絨毯を濡らした。
 そのうち、少女は私を認識するようになった。私が水槽の前に来ると、少女も私の方へ寄って来て、ぴたっとガラスに顔をくっつけた。私がベッドの上に立って水槽の中に手を入れると、両手で握ったり、唇を当ててくる。懐いているというよりは、興味から形を確かめるような仕草だった。
 何度か、少女の声を聞いた。水槽から上半身を出している時、少女はたまに鳴き声のような言葉を発した。
「るぅ」
「るぃ」
 そう聞きとれる、甲高く短い音を一言二言発しては、水の中に戻っていった。
「それは、海の言葉かしら?」
 私がなにげなくそう聞くと、少女は私の方を向いて二、三度まばたきをし、「る」とつぶやいた。

 夢の中でも、私は少女の姿を見ていた。私と少女は、二人で海原をどこまでも泳いでいく。夢の中では私は少女と同じ存在になり、水を呼吸し、軽く身じろぎするだけで魚のように水を滑った。
 私はふと思い立ち、風呂に水を張る。少女と一緒に入れないかと考えたのだ。今の季節だと水風呂は少し寒いが、少女はぬるま湯でも火傷をしてしまう。
 水槽に手を入れ、いつものように私の手を握って来た少女を、慎重に捕まえる。少しでも嫌がるそぶりを見せたら止めるつもりだったが、少女は何の抵抗もしなかった。水槽から少女を掬い上げ、抱きかかえるようにして風呂場まで連れていく。少女は、軽くも重くもなく、予想した通りの重さだった。なんとなく、水と同じ比重なのではないかと思えた。
 慎重に浴槽へ入れると、少女は音もなく底に沈んだ。私が濡れた服を脱いで風呂場に戻って来た時には、少女は浴槽から身を乗り出して、こちらを見ていた。
 一人用の狭い浴槽の中で、私は少女の体に重なるようにして、水の中へと沈む。少女の、水と同質の体を抱き寄せると、それだけで胸がつまるような気がした。
「ごめんね。今はこんな狭いところでしか、一緒に泳いであげられないけど」
 私のつぶやきに、少女は不思議そうな声で、
「るぃ」
と応えた。

 夢を見る回数は次第に増えていった。ある時は光の届かない海の底を、ある時は宝石のような光が水面から差し込む河を、ある時は白っぽい盲目の魚達がたゆたう地底湖を、少女と二人で泳いでいる。目を覚ますと私はきまって少女の水槽の前へ行き、夢の続きをせがむように水槽のガラスに頭を付けて少女をながめるのだった。
 ある朝、私は水槽の中に見慣れないものがあることに気が付いた。それは泡のような丸いものだが、浮かんで行かずにふわふわと水の中を漂っていた。私の親指の先よりも少し小さい、クラゲのような、水と同じ色の丸いもの。すくいとって見てみようかと思っているうちに、少女が、すい、と泳いできてその丸いものをぱくりと食べてしまった。あまりにも自然な動きだったので、私はとめることも出来ずに呆然と見ていた。
 すぐに吐き出すかと思ったがそんな様子もなく、少女はいつものようにすいすいと水の中を泳いでいる。まあ悪いものだったら吐き出すだろう、と私はやや楽観的に考えることにした。それとも、あれが少女の食べ物なのだろうか?

 金曜日、私は教会裏のフリーマーケットへ行ってみた。水槽屋の店主の姿はなく、私は他の店で金魚網と古臭い水棲生物図鑑を買って家に帰った。あのクラゲのような丸いもののことを聞きたかったのだが、そもそもあの店主が知っているとも限らない。自分で調べたほうが早いかもしれない。
 図鑑にはそれらしいものは載っていなかった。私は次にあれが出た時にすぐに掬えるように、と少女の水槽のそばに金魚網を置いた。水槽の前に置いたベッドの上に立ち、水槽のへりに頬杖をつきながら、私は少女に聞いてみた。
「あれって、なんだったの?」
 るぅるぅるぃぃ。
 答えるように、水の中で少女が鳴く。

 海の中で、私たちはじゃれあう魚だった。お互いに体をぶつけ合い、先回りをしたり、わざと離れたりして遊ぶ。やがて少女の白い手が私をつかまえて、引き寄せた。
 少女の薄い唇が私の唇にふれた。少女はキスの最中も目を閉じなかった。黒い瞳が間近に広がり、私は自分が目を閉じるべきかどうか迷って、結局少女を見つめたままでいた。
 黒い瞳が満足したように細まって、少女は、私から唇を離す。私の口から、泡のようなクラゲのような丸いものが、ぷくり、と立ち上っていった。

 目を覚ますと、全身が重たかった。風邪の時みたいにだるいが、熱はない。さっきまで水の中に浮かんでいた所為かもしれない。体の重みにまだ慣れていないのだ。
 ふと水槽に目をやる。透明な丸い球が、ぽつぽつと水中に浮かんで、少女がそれを一つ一つ、静かに口に運んでいた。
 私は金魚網を手にとって、まだ少女が手を付けていない一つを掬ってみた。クラゲのようなそれはなんの重みもなく、水面から出るとすぐに弾けて、ただの水になってしまった。

 ぼんやりとした頭で仕事をしていると、隣りの机から同僚が話しかけてきた。
「大丈夫? 最近、寝不足みたいだけど」
「寝てますよ」
 笑って言うのだが、同僚は訝しげだ。
「あのさ、なんか変なもん飼ってない?」
 同僚の言葉に、私はぎくりとする。少女のことは誰にも話していない。が、隣りの机の彼女は、ときどき妙に勘が鋭いのだ。
「それ、捨てたほうがいいよ。呼ばれてるから」
「呼ばれてる?」
「水の中にね。あなたを連れていこうとしてる。海でも川でもいいから、さっさと捨てたほうがいい」
 眉間にしわを寄せたしかめっ面で、同僚は繰り返した。

 家に帰って、水槽の淵に身を乗り出した。透明な水の中から、少女が私を見上げる。
「私を、そっちに連れていくの?」
 私が聞くと、少女はすい、と水面へ泳いできた。水から両手を伸ばし、私の顔にそっと触れる。
 そのまま引き込まれるかと思ったが、少女はそうしなかった。反対に、水面から体を出し、私の体に抱きついて体重を預けてくる。
「どうしたの? 外に出たいの?」
 少女が私の肩に顔をうずめて、「るぃ」と鳴いた。
 私は少女を水槽から抱き上げて、ベッドの上へ移した。少女は私から離れようとせず、じっと抱きついたままで、時折思い出したように「るぅ」「るぅ」とつぶやいた。
 少女は水の外では生きられないのではなかったか、と私は心配になった。少女の体から染み出す水は、私の服やベッドのシーツをとめどなく濡らし、彼女の体の水分が全て出ていってしまうのではないかと私を危惧させた。
「そろそろ、水に戻らないと」
 私がそう言って少女を持ちあげると、少女はむずがるように身をよじった。水槽の上まで抱えあげても、私から離れようとしない。
「このままだと、死んじゃうわよ」
 困り果ててつぶやくと、少女は私の顔を見上げて、「るぅるぅ」と何かを訴えた。
「大丈夫。ずっと一緒にいるから」
 そう言うと、ようやく少女は私から体を離し、水槽へ戻った。一回り小さくなったような彼女は、水の中で、安心したように微笑んでいた。

 スーパーで食料品を買い込んだ帰り道、同僚に会った。彼女はぶすっとした表情で私を一瞥すると、自分のこめかみに手を当ててうめく。
「だいぶ食われてる。なんで、そこまで入れ込むかな……」
 ぶつぶつと何事かに文句を言いながら、同僚は右手に持ったビニール袋を私に差し出した。袋の端から、茶色っぽい木の根のようなものがのぞいている。
「これ。実家から送ってもらった、カダマ人参の干したやつ」
 私が首をかしげていると、彼女はずいと袋を押しつけてきた。
「火の性質を持ってて、水のものを追い払う効果があるの。成分は毒に近いからきついと思うけど、煎じて飲んで。今ならまだ、きっと間に合うから」
 ようやく同僚の言っていることを理解して、私は微苦笑を浮かべる。私が黙って袋を返すと、彼女はショックを受けたように目を見開いた。
「ありがとう、心配してくれて。でも、私には必要ないから」
「それでいいの? 本当に?」
 念を押すようにそう言って、同僚はいらただしげに頭を掻いた。
「……一応、渡しておく。要らないなら捨てて」
 同僚から袋を受け取って、私はもう一度「ありがとう」とお礼を言った。
 去り際に振り向くと、彼女はまだ道に立って、じっと私の方を見ていた。私の後ろの何かを見ているような、はるか彼方の海岸線をながめるような、そんな目つきで。

 私は出歩かなくなった。買いだめた食料を少しづつ食べながら、家の中ですべてを済ませ、空いた時間を水槽の前で少女と過ごした。夜も昼も関係なく眠り、夢の中で少女と泳ぐ。目が覚めると、少女の水槽の中にクラゲ状の球がいくつも浮かんでいた。少女は神妙な手つきでそれを一つづつ食べて、最後に「るぃ」と鳴いた。
 これでいい、と私は思う。少しづつ少女に食べられて、少女の一部になっていく。少女を陸に揚げて、干上がらせてしまうよりずっといい。
 私はベッドの上で倒れ込むように眠り、少女と一緒に、水の中を泳ぐ。まどろみながら、私は、「るぃ」とつぶやいた。

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