「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

HUMAN〜『千日回峰行 同じことの繰り返しで見える真実』(塩沼亮潤


ココで以前紹介した、千日回峯行。(・。・) 我々凡人には無縁の究極の修行だよね。


BOOK〜ただ自然に…比叡山・千日回峯行・酒井雄哉画賛集
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070405


2010 年8月号の雑誌WEDGE「TOP RUNNER」欄に掲載されていた塩沼亮潤大阿闍梨の記事を見て、そのすさまじさと凄さが伝わってきた。そのエッセンスを紹介しよう。


往復48キロ、標高差1300メートル超の獣道を、一日も休まず登り下りする。奈良県吉野の大峯山千日回峰行の史上2人目の満行者、塩沼亮潤大阿闍梨
精神的にも肉体的にも極限の状況で、同じ時間に同じ道を行くという単純な繰り返しを実践する中で、塩沼が得た気づきとは何か。辛くなったら別の世界に鞍替えするような生き方では、見えないものがある。


1999年に千日回峰行を成し、翌年、四無行(断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける)も満行し、大阿闍梨の称を得た。一見、単調な行のようだが、すさまじいの一言。標高364メートルの蔵王堂を0時半に発ち、漆黒の中を提灯と杖を頼りに延々24キロの険しい山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に至る。同じ道を下って15時半に帰堂、自ら掃除洗濯、翌日の準備をして19時に就寝、23時半には起床。


千日回峰行は、台風が来ようが体調が悪かろうが、休むことはできません。毎日、同じ道を繰り返し行きます。目の前にある一段一段を精いっぱい歩んだ結果として、今の私があります」


「5月の山頂は雪が降ることも珍しくなく、6月になると栄養失調になり、梅雨明けとともに猛暑、そして台風や雷のシーズンが訪れ、その頃は疲れもピークで血尿が出ます加えて40度近い高熱が出たこと、下痢が止まらなくなったこと、心臓の具合が悪くなったこといろいろなアクシデントがありました。しかし、行の間は寺の敷地から出ることは許されませんから、医者に診てもらうことはできず、もちろん行を休むこともできません


命がけの行を繰り返す中で、肉体と精神、そして山に流れる気のようなものの変化を感じるようになりました。いつも同じ道を行きますから、行のはじめの50メートルの坂を歩くだけで、その日の自分の体調や自然の気配がどう違うかがわかるようになります。肉体と精神のバランス、山の気が噛み合わないと、汗ばかりかいたり呼吸が乱れたりして、いい行ができません」


「草花がお天道様に向かってまっすぐに伸び、花を咲かせて実を結び、土に還る。それは自然の決まりごとで、春夏秋冬が巡り、水が高きから低きに流れるのも同じです。毎日歩いていると、大自然が、こうした律にもとづいた、嘘偽りのない真理そのものであることに気づきます。それは人生も同じだと思います。自分がいいことをすればいいことが返ってくる。これも律です


「例えばいいこととは、『ありがとう』『すみません』『はい』の気持ちを実践することです。行の途中、土砂降りの中でおにぎりを食べながら、今、自分の目の前に食べ物があるといういことが、とても幸せなことなんだと感謝をし涙を流します。極限の中に追い込まれると、日常当たり前のことに感謝をするものです


「みんなが千日回峰行をやったら、社会が成り立ちません。人それぞれに役割があるということだと思います。その役割を、どんな精神的、肉体的な状況でも、きちんとやる。それも立派な心の訓練です。でも、今は、文明や科学技術が発達して、便利なものへと人間が走りすぎています。その基本中の基本に立ち返り、人としての基礎を身につけなければなりません」


人と仲良くありたい。理想とする自分を追い求めながらそのとおり生きられない。そこから抜け出すにはどうしたらいいのか。葛藤と苦しみを抱えつつ同じ道を自問自答しながら歩いた。限界と隣り合わせの状況で感性を研ぎ澄ませ。同じことを繰り返すことが、自分の心身の微妙な変化を気づかせた。のみならず、その感性は自分の周囲の変化もとらえた。こうした変化を感じることで、自分の問題を客観視できるし、周りとの関係性の中に自分が存在することも意識できる。何より、日ごろ混沌として見えなかった真実が浮かび上がってくるのも、単調ともいえる日々の中で余計なものが削ぎ落とされたことが背景にあるだろう。


繰り返すことではじめて、自分の欠点も成長も見えるのだろうし、自分のやれることとやれないこと、周囲が支えてくれていることにも気づくだろう。、気づいたら、それを「ありがとう」といった言葉や行動で表せば、自分という人間は大きくなるし、人生もずっといいものになる、それが「心の訓練」ではないだろうか。


すごいなあ…。その精神力は想像すらできないね…。せめてその100分の一の爪の垢でも飲んでみたいよね…。マリナーズイチロー選手は、舞台は違うけれど、彼が同じことをやり続けているからこそ、修行僧のように見える世界があるんだろうね。いや〜!頭が下がるわ!(>_<)