「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜400勝投手と万年Bクラス球団…『国鉄スワローズ 1950-1964』

東京ヤクルトスワローズの前身はヤクルトスワローズ。その前がヤクルトアトムズアトムズサンケイアトムズ→ サンケイスワローズそしてその前が400勝投手・金田正一 を擁した国鉄スワローズだ。戦後日本が高度経済成長期にあった15年間、成績はパッとしなかったが、独特の存在感でファンを魅了した球団だった。


実は、国鉄野球の歴史は古い1878年明治11年)日本初の野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」は国鉄の職員を中心に作られたのである。1906年明治39年)全国にのびた鉄道が国有化され、その頃から大正時代にかけて全国の国鉄職場で野球部が生まれた。そして鉄道開業50周年を記念して、1921年(大正10年)に第一回の全国大会が開催された。都市対抗野球大会が始まる6年も前である。2010年は、セ、パ両リーグが結成されて60年にあたる。したがって国鉄スワローズ、そしてその母体ともなった国鉄野球に改めてスポットライトを当ててみたのが本書。そのエッセンスを紹介しよう。


国鉄スワローズは、プロ野球が2リーグに分裂した1950年(昭和25年)1月に誕生した。ちょうど60年前になる。400勝投手金田は、その年の8月高校を中退して、17歳で入団した。いきなり8勝をあげ、最下位脱出の原動力となった。それからB級10年選手の権利を行使して巨人に移籍するまで、国鉄スワローズのエースとして君臨。数々の永久不滅の記録を作った。



・球団経営は、国鉄の外郭団体が行っていたが、経済の高度成長とプロ野球人気の高まりに伴って、選手の契約金が暴騰するなど経費が膨らみ、国鉄では持ちきれなくなった。その結果、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックの開かれた1964年(昭和39年)を最後に、経営権を手放してしまう。球団が誕生して15年、国鉄が赤字に転落した年でもあった。


・記録男・金田正一14年連続20勝、通算400勝。「もう少しまともなチームだったら、500勝していますよ」金田は投手としての本塁打記録も持っている。生涯38本打っているが、うち2本は代打で、投手として出場して放ったのが36本。2位が米田哲也の33本、3位が別所毅彦の31本。金田の初本塁打は、17歳二ヶ月。これがプロ野球の最年少本塁打記録になっている。



「ホンマにいい球団だったのよ。弱かったけどな。国鉄総裁をはじめ本社の幹部も、現場の職員も、労働組合も、国鉄一家あげて応援してくれた。温かい球団だった。同じ貧乏球団だった広島カープは、今でも存続しておる。スワローズだって身売りしなくてもよかったんや」

その他、公共企業体国鉄の発足」、「なぜ国鉄プロ野球の球団を持つのか」「金田正一入団」「金田の移籍と球団消滅」「監督泣かせのお金に渋い球団」「あのときJRスワローズが誕生していたら?」など。野球ファン、必読っ!!!オススメです。