「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「真剣師 小池重明の光と影」(団鬼六)

10年前に読んだ本の再読。やっぱり抜群にオモシロイ!新宿の殺し屋、最後の真剣師と呼ばれたアマ将棋の強豪、小池重明が44歳の若さで波瀾万丈の生涯に投了を告げ、早10年がすぎた。高段位の花形プロを次々と打ち負かして無類の強さを発揮する一方、人妻との駆け落ちをくり返した破綻の人生だった。そのエッセンスを紹介しよう。


新宿の殺し屋と異名をとる真剣師小池重明には、不可思議な魅力があった。人間の純粋性と不純性を兼ね合わせていて、つまり、その相対性の中で彷徨を繰り返していた男である。善意と悪意、潔癖と汚濁、大胆と小心、勇気と臆病といった相反するものを内包した人間といえるだろう。多くの人に徹底して嫌われる一方、また、多くの人に徹底して愛された男である。


・小池は小学校四年から博打をやり、高校を中退し、最初にやった仕事が十七歳のとき、売春婦の注文取りであった。そして真剣師となった。真剣師とは、将棋の勝負に金を賭け、それで金を稼ぐことをなりわいとしている人間のことである。おそらくは、最後の真剣師であろう。名人位に挑戦するくらい実力のあるA級棋士に、平手戦で勝利してしまうのだ。将棋以外に、どのようなとりえもない男。しかし、唯一あったその将棋の才能は、天下一だったが、生かし切ることができず、44年の短い生涯を酒と女に溺れて使いきってしまった男である。とにかく、面白い奴だった。そして、凄い奴だった


小池の金銭感覚は出鱈目なもので、借りた金は自分の金だと信じこみ。返済しなければならぬという責任感は持ちあわせていなかった。だから小池が、1ヶ月ばかり十万円をお貸し願いませか、と私のところにきたって、その金をただでくれてやる気にならなければならない。


生きたまんまで先に香典を受け取り、礼状を書いた男は前代未聞ではないだろうか。小池は時々、私に電話をかけて、その日の香典の集まり具合を尋ねてきていた。生きている奴が香典先渡しの催促をするというのも、他に礼を聞いたことがない。この香典は当時の小池のパチンコ代になった。「僕みたいな人間の面倒を見て下さったり、生前に香典を下さった人達には。死んで幽霊になってからでもお礼に参上したい」と小池がしみじみいった事がある。それなら、昔、お前が金銭的に迷惑をかけた人々にはお詫びに行かないのかと聞くと、「いや、あの人達の所には、幽霊になっても怖くて出られませんよ」と小池はいった。


事実は小説より奇なり。ぜひ映画化して欲しい。オススメです。(・∀・)