「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「破戒と男色の仏教史」(松尾剛次)

 

島崎藤村「破戒」は、部落育ちである瀬川丑松が戒めを破るという名作だよね。しかし、仏教界にこんな歴史があるとは思わなかった…。そのエッセンスを紹介しよう。


「厳しい戒律があるにもかかわらず、いつしか日本仏教界にできあがっていた「男色」文化。稚児をめぐって争い、失っては悲しみにくれ、「持戒」を誓っては、何度も破る――。荒れはてた仏教界に、やがて「戒律復興」の声とともに新たな仏教を生み出す人々が現われる。戒と僧侶の身体論から見た苦悩と変革の日本仏教史」そのエッセンスを紹介しよう。


・世界の仏教界で日本仏教が仏教にあらずといわれるのも、僧侶が妻帯するといった日本仏教の戒律軽視に由来するのです。タイやスリランカでは、僧侶の妻帯は厳禁されていおり、女性と性的関係を持った僧侶は、僧団を追放という厳罰がくだされるのです。それは、釈迦が定めた戒律に、不淫戒を犯した者は僧団追放という規定がるからなのです。


不淫・不盗・不殺・不妄語の四戒の破戒は、波羅夷罪と呼ばれ、懺悔しても許されない、僧団追放という厳しい刑に処されることになっていました。不淫戒ですが、異性はもちろん、同性や動物との性交を禁じています。ただし、犯された場合は、故意ではないので、犯戒になりません。


男色といえば、一般的には、貴族や武士たちのそれはよく知られています。例えば近年、武田信玄が男色相手(高坂昌信)に宛てた手紙が見つかり、「信玄おまえもか」といった具合に、武将たちの間での男色関係の広がりが認知されるようになってきています。藤原頼長台記」は貴公子だけでも、少なくとも、その数七人であったというのです。


東大寺の僧・宗性(そうしょう)が36歳の時に誓った誓文の五箇条起請に、「現在までで、95人である。男を犯すこと100人以上は、淫欲を行なうべきではないこと」と男色相手の人数の多いことに驚かされます。


・中世の寺院社会における、僧の男色相手といえば、童子とか稚児と呼ばれた、垂れ髪の男児が有名です。もはや、男色が中世の官僧たちの「文化」であったことは疑いのないことでしょう。


はあ…〜知らなかったなあ…こんなことがあったんだねえ…。仏教の裏面史、オススメです。(・∀・)