「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ねずさんの日本の心で読み解く 百人一首」(小名木善行)

この本は、間違いなく今年読んだ本の中でナンバーワンです。いや、この10年の中でもダントツの本です。
あまりの感動に、涙が出てくる。(T_T) 日本に生まれたこと、日本人で生まれたことの尊さとありがたさに胸が締め付けられる想いです。


まさか百人一首」が、百首で一首の抒情詩だったなんて!こんな解釈があっただなんて!そして以前は普通に教えられていた常識的な解釈だったなんて!オドロキと新発見の連続っ!

古い友人でもある、彩雲出版の社長は、この本が売れなかったら、出版社を辞める!とまで言っていました。その意味がよくわかります。日本人必読、各家庭に一冊、絶対に置いて座右の書にすべき本です。ちょっと長くなりますが、そのエッセンスを紹介しましょう。


・本書で紹介する歌の解釈は、昨今の「百人一首」の解説本では、まずお目にかかれません。しかし戦前までは当たり前にされていたものが多く含まれています。どこのご家庭でも、あるいは神社の「百人一首」大会などで、普通に教えられていた常識的な解釈です。あまりにも常識的すぎたため文字にもされなかったくらいです。加えて、大切なことは「隠す」というのが日本の伝統文化ですから、歌の真意についても本にしませんでした。「察する」ことが大切にされたからです。読み手はその歌に書かれた文字から、詠み手の真意を「察して」いかなければなりません。「おもてなし」も「思いやり」も「察する」心がなければ、成り立たないものです。「察する」という文化は、あらゆる日本文化の原点になっているのです。


百人一首」は百種で一首の壮大な抒情詩なのです戦国大名はなぜ「京」を目指したのか、その答えさえも「百人一首」を読み解くと分かります。「百人一首」の歌人たちの人生や時代背景、人間関係等をつぶさに見ていきながら歌に込められた思いを「察し」配列順に読み解いていけば誰にでも分かるようになっています。それは日本を日本たらしめる根源的な思想であり、人類の至宝ともいえる素晴らしい価値観です。


和歌は千年前の人々の心と、現在の私たちの心をつなげてくれる貴重な文化遺産です。千年前の人々も、今の私たちと同じように一生懸命に生き、喜怒哀楽を繰り返しながら、悩みや苦しみを乗り越えてきました。人は、現在の取り巻いている環境(横軸)の中だけで生きているのではありません。過去に生きた先人たちから、未来の子供たちへとつながる歴史(縦軸)の中にも生きているのです。歴史の縦軸と、自分を取り巻く環境の横軸が交わったところが、その人の立ち位置です。和歌の真意を失うということは、日本人として自分の立ち位置を失うことと同意なのです。


百人一首」は、晩年の藤原定家が、良き時代の精神を後世に残そうと、百人の歌人とその歌を使って、天皇と貴族が統治した約500年間をひとつの抒情詩にしたものです。日本とは何か、日本人とは何か、日本精神とは何かがはっきりとした形をもって理解できるようになります。




【一番歌 天皇も率先して働く国ー天智天皇(626〜671)】


秋の田の
かりほの庵の
苫をあらみ
我が衣手は
露に濡れつつ

(秋の田んぼの脇にある仮小屋の、屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は濡れてしまったよ)


一番歌が天智天皇であるというところには意味があります。日本においては天皇は直接政治を行わず、施政者に政治権力を授ける「権威」として存在し続けてきました。19世紀までは世界中どこの国でも皇帝や国王などの権力者が、民衆を支配していました。領地・領民は権力者の私有地・私有民であり「支配と隷属」の上下関係により国が成り立っていました。(ウシハク統治)しかし日本の「シラス統治」では、豪族などの施政者にとって、領地、領民はすべて天皇の「おおみたから」つまり、天皇からの預かりものという位置づけになります。これを民衆の側から見ると「俺たちは天下の公民だ。俺たちの土地は天子様の公地だ」ということになって領主や豪族の圧政を許さないという体制になります。これは究極の民主主義といえるものです。


天智天皇は皇太子であった中大兄皇子のときに、この「シラス国」づくりのための大改革を成文化・制度化して律令制の基礎を築き、その上で後年になって即位した偉大な天皇だったのです。「大化の改新」によって国の基礎が出来上がると、我が国は奈良平安時代の約500年間にわたし平和な社会を維持発展させてゆきました。百人一首」はその誕生から崩壊(武家政権の台頭)までの、人々の思いや社会世情を描いた一台抒情詩なのです。だからこそ、一番歌に天智天皇の御製があるのです。


さて、「我が衣手は 露に濡れつつ」で「私の袖」が「露に濡れている」と書いています。なぜ、濡れたのでしょう。天智天皇ご自身が長時間、自ら苫(とま=ござ)などを編んでいたからこそ袖が濡れたのです。その袖や手を濡らしたのは露です。つまり朝早くか夜遅く、つまり太陽が出ていない時間帯に、粗末な庵の中でご自身の手で藁を編んでいたことがこの歌からわかります。天皇自ら編んだ「ござ」を一般の人が使うわけにはいきません。ということはその「ござ」は、天皇ご自身や、天皇のご家族が使うものだとわかります。


天皇は我が国の最高権威であり、我が国で一番貴い方です。その天皇が外が暗い時刻に、粗末な庵の中で、自らの手を濡らし、袖を濡らしながら、家族が使う「ござ」を編んでいるのです。作業場で「ござ」を編むくらいなのですから。おそらく天智天皇は、田植えから、田の雑草取り、稲の刈り入れから、藁の天日干し等、民と共に農作業をしていいたであろうことが、この短い歌の中から読み取ることができます。そして民と一緒に働いた天智天皇は、私たちの国で、私たち民衆こそが「おおみたから」であることを初めて具現化した、世界史上でも類まれな偉大な天皇だったのです。


天皇の時代はとても寒い時代でした。しかも「かりほ」の秋で朝晩がめっぽう冷え込みます。その寒い中で、日の登らぬ早朝、もしくは誰もが寝静まる深夜まで作業をしている。これが我が国の最高権威である天皇の姿です。それを考えれば、私たち庶民は、やれ暑いだの寒いだの、雨に濡れるだの手が汚れるだのと、我がままなんて言っていられません。とにかくみんなと一緒に黙って働くしかない。これが君民一体です。「上に立つ者から率先して働く」「上に立つ者は常に民と共にある」そういうありがたい歌が「百人一首」の一番歌なのです。


…はあ…感動…。これが100首続くんだから、感動の連続です。もう一度言います。日本人必読!各家庭必ず1冊は置くべきです。この本の著者のねずさんと彩雲出版の鈴木さん、こんな素晴らしい本を世に出してくれてありがとうございます。大感動の一冊です!!!(・∀・)!!!