扉の向こう

今回の巡礼に発つ前、死を覚悟しました。
このご時世に、テロの多い地域に行くからというわけではなく、
Ave Maria」の録音が終わったときに、自身のなかに荘厳な鐘がなるような気がしたからです。


勝手に「これでわたしの使命は終わったかな」と感じたからかもしれません。
ゆるしの秘跡はもちろん、お墓参りにも行って、特に最近お世話になった方々にご挨拶をして・・・。




地上での時間を何かと自分で算段する人間の愚かさを、今日の典礼は教えてくれているように感じます。

「知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、知恵を思って目を覚ましていれば、
心配もすぐに消える。」知恵の書6章

「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」マタイ25章


“いつ” “どこで” “どんな風に”地上の命が終わるのか…


そんなことを気にするより、
“どなたがお迎えに来られるか”“どこへ連れて行ってくださるのか”
ということにいつも期待して、目覚めていたいと思います。


写真:サグラダファミリア教会聖堂

聖イグナチオと聖ザビエルのふるさとへ

高山右近列福答礼公式巡礼ツアーのCコース一行は、右近と縁の深かったイエズス会の発祥地とふたりの聖人の生誕の地を巡りました。

フランシスコ・ザビエルが「日本の都に大学を」と望まれてから400年後、上智大学が誕生し、それから100年を超えて、日本のイエズス会の大学と中高はひとつの法人になりました。

遠く地の果てからザビエルによって運ばれた福音の種が、日本の土地で実を結び、広がっていることを感謝するために、今回わたしは上智学院のH師から拝命を受け、法人の精神を歌った「Man for others〜仕えるために〜」を聖イグナチオと聖ザビエルのお郷で捧げることになりました。

朝早くバスに揺られながら、みなさんと練習していた時のことです。
リードするために最前席にいたわたしの眼前に、大きな朝陽が昇って来ました。神さまとザビエルが大きな祝福をもって「ようこそ!!」と迎えてくださっているようで、胸が熱くなりました。。。。。

さらにうれしかったのは、みなさんがこの歌をほんとうに味わい、愛し、涙してくださったことです。「これからもずっと歌っていたい」「CDがほしい!」「くり返し流し続けて!」「甥っ子を、この歌を歌える学校へ入学させたい」
Man for others・・・キリストの思いが響き渡りますように。。。。

http://d.hatena.ne.jp/lucasan/files/Man%20for%20others%20201710%E3%82%B6%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%9F%8E.MOV?d=.mov

✿今日はアッシジの聖フランシスコのお祝い日✿


 「目で、高いところを仰ぐがよい。ずっと高いところを。そこには神がおいでになる。
限りない広さと、変わることのない輝きをもつ神が。
心の清い者とは、生きるまことの主を絶えず礼拝している者のことなのだ。
 
そのような人は神の生命そのものと深く結ばれて、どんなみじめさの中でも、神の永遠の喜びを深く感じることができる。
この人にとっては、神が神でいられることだけで足りるのだ。ただそれだけで、まったくの平安、まったくの喜びを見出すのだ。
 
そうなると、神ご自身がその人の聖性の輝きになられるのだ。」
              
光明社『まことの智にいたるまで』より
写真:アッシジの丘にあるフランシスコの坐像

じーざす・とれいる 39

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天使ガブリエルのお告げを受け、子を授かったマリアとエリザベト。


誰かに気軽に話すこともできず、身近な人々の動揺もひしひしと伝わってくる期間。
人知を超える恵みを受けた人たちが包まれる深い孤独。


このふたりが顔を合わせた時、どれほどの歓喜が湧き上がったことでしょう。挨拶の瞬間に弾ける聖霊!お互いの信仰と恵みを知ることに長い言葉は要らなかったのですね!


偉大な使命を受け入れられた聖母に、前もってエリザベトの懐妊という恵みを用意してくださった御父のデリケートなお計らいに感動します。


そして、エリザベトの家で過ごされた三か月間は聖母にとってとても幸せな時間であったような気がします。このような時間をくださった御父に感謝です。

じーざす・とれいる 37


四旬節と言えど、主のご復活を祝う主日

今日の福音朗読はマタイ17章 主のご変容の箇所でした。
その輝くお姿は、わたしたちの心に
最終目的地をしっかりと示してくださるようです。

Ad lucem!!