luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

ちょっと過去を振り返ってみよう。1978年、訒小平氏の話。

人民中国 訒小平氏は日本をどう見ていたか

この時、二人の指導者は、経験を学ぶうえでもっとも理想的な国は、同じ東方の文化圏に属し、戦後、経済が非常に速く勃興した日本しかない、と期せずして考えた。

深思、熟慮の結果、訒小平氏は、中日平和友好条約の調印式の機会を借りて、自ら日本へ行き、実地調査を行って、経済成長の奇跡を造った世界第二の経済大国である日本という国を診断し、改革・開放という中国の百年の大計を検討し、結論を出すことを決定した。

中日両国は一衣帯水で、二千年来の親密な往来がある。中国には「友人は選ぶことができるが、隣人は選ぶことができない」という古い諺がある。中日国交正常化の際に周総理は、中日友好関係を勝ち取ることが簡単ではなかったことについて触れ、「二千年の友好があり、半世紀の対立があり、この数十年の努力があった」と述べた。

 中日平和友好条約の締結は、まさに二千年の中日友好の歴史に立って、近代史の血の教訓を吸収し、干戈(戦争)を玉帛(友好)に変え、条約の形で両国の友好関係を固めたものである。

天皇陛下訒小平氏に対し「両国の長い歴史の中で、不幸の事件もございました」と述べた。私の記憶では、天皇が中国の指導者の前で、戦争について間接的に触れたことも、「不幸」という言葉を使ったことも初めてであった。また天皇が、宮内庁が準備した原稿を捨てて、自分の言葉で外国の指導者に、心のうちを表したのも初めてであったと思う。

10月25日、訒小平氏は東京で記者会見し、今回の日本訪問と中日平和友好条約を高く評価した。彼の話は率直で、ユーモアに溢れたものだった。

 「今回、私が日本を訪問したのは、日本に教えを請うためです。日本は昔から『蓬莱』と呼ばれ、不老不死の薬があると聞いています。今回はそれを求めに来ました。不老不死の薬がなかったとしても、私は日本が科学技術を発展させた先進的な経験を持ち帰るつもりです」

 ある記者が中日間でまだ解決していない釣魚島問題を質問したとき、訒小平氏は楽観的にこう答えた。

 「我々の世代では意見をまとめることができないが、次の世代は私たちより頭がよいから、そのときにきっとみんなが受け入れられる良い方法を探し当てられるでしょう」

 要するに、この問題をとりあえず棚上げにするという、寛容な問題処理の方法を表明したのである。領土問題を棚上げにするという訒小平氏の考えは、中日両国人民の根本的な利益を出発点とし、中日関係をよく理解し、発展させ、処理するという大局的な戦略的思考であり、我々が国際問題を処理する際の貴重な理論的財産となった。

http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/fangtan/200502.htm


少し考えてからコメントする予定なので、まずは引用の記事の内容*1を、しっかり噛みしめて考えてみてほしい。
この時の中国の目標であった「経済的成長」、...今まさに、これを中国はなし遂げつつある。


中国に問うべき問い、日本に問うべき問い。また、それぞれの答えはなんだろう?

*1:リンク先に全文あり。人民中国の2005年の日本語記事だ。