病院の帰り
いつもの古本屋の、海外文学の棚で
ミヒャエル・エンデ『モモ』の、ドイツ語版を見つけた

子どもの頃ずっと、実家の本棚の目立つ場所にあった、
岩波の重たい本と、同じカバー絵

エンデを原書で読む、というのは
いつか、やってみたいことのひとつだった
今だってことかしら、と、迷わず買うことに決めた



『モモ』といえば思いだす、出来事がある
去年友だちに、スウェーデン語で読むのによい本を訊いたとき
彼女が薦めてくれたのが、この本だったのだ

原書はドイツ語だけれど、とてもいいと思う、
哲学的で洗練されていて、大好きな本なの、と、彼女は教えてくれた
それだけでも、わたしは嬉しかったのだけれど
数週間後、彼女は神妙な顔で
「あとからすごく考えたの、
あなたに子ども向けの本をすすめるなんて失礼だった」と切り出し
何冊もの長編小説のリストをくれたのだった

実直で真面目で、やさしい
彼女らしいエピソード


その後、彼女はわたしにとって、
もっとも仲のよい友だちのひとりになった
本について、文化について、スウェーデンや日本について
些細なことも、時間のある限り、話をした

もう、あの時間は戻らない
だけど、一生会えないわけじゃ、勿論ないし
なによりわたしには、美しい記憶があって
こんな風にいつでも取りだして、眺めることができる


そんなことを考えながら
わたしは、京都で、ひとりで
いつもの喫茶店で、明るい窓のそとを眺めて
スウェーデン語じゃなく、なぜか、ドイツ語を読んでいる

そのことで、なにが消えるわけでもないけれど
やっぱり、ある尺度では距離というのは残酷だな、と
すこしだけ、思ったりもする