如星的茶葉暮らし別館

神慮の機械日記、お相手は維如星にて。
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2008-03-12-水

そろそろバッカーノを追いかけておくか

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小説として結構長いシリーズになっていて、知り合いの評判も良かった成田良悟バッカーノ!を追い始めてみた。ま、例によってアニメはノーフォローですが:)

とりあえず今のところ4冊(初巻、1931特急&鈍行、1932)まで読了、5巻目の2001に手をつけたところ。一気に手をつけ読み切ってることからも伺えると思うけど、これは確かに面白い、というか如星のツボに良く当たっている。一部擬音行などに「ラノベっぽい」ところはあるものの、全体として文体が非常にこなれていて読みやすいし、禁酒法時代やマフィアというしっかりとした「背景世界」を持ちつつ、その背景説明に堕さないストーリー作りも好みだ。またどの話でも、如星が円環構造と呼ぶ理想のストーリー形、つまり物語の末尾を冒頭につなぎ、世界を完結させるって手法が取られているのもイイ。

何より群像劇として、多数の登場人物を自在に操り、かつそれらの人物を利用して視点間のシーン切り替えを多用し、それでいて読み辛さを感じさせず、むしろテンポの良さを作り出している辺りは物書きとしちゃ嫉妬するしかない領域である。シリーズ自体も一貫した主人公を持つわけではなく、巻が変わるたびに前巻の脇役と新規追加人物を主役に据え直しており、それでいて物語はどれを取っても確かに「バッカーノ」である。キャラ作りの能力と、全体を俯瞰し軸をぶれさせない管理能力、この双方を備えた作者ってことだろう。

多人数・多視点を扱うということ

少々二次創作屋の視点になってしまうのだけど、世の中に如星が「巧い」と思える人、つまり巧い文体や巧い構成を取る小説家は何人もいる。さて、バッカーノ!の作者たる成田氏も確かに巧いけど、別にずば抜けているって訳じゃない。それでも彼の文体や技法が如星のツボにはまり、初見時には「悔しい」とすら感じたのは、その数多ある「巧い小説家のあり方」の中でも、成田氏のそれが自分の目指す所に近いからだと思う。

実は……と言うほどのことでもないけど、如星は自分の二次創作小説において、同時に扱えるのは基本的に二人までだったりする。TH2小説など、もっと多くの人物が絡んでいるように見えるかもしれないが、良く読めば二人だけの間で完結する会話や関係の塊を重ねているだけなのが分かると思う。如星の小説が基本としてダイアログ=対話で進行しているのはこの為であって、別に意図しているわけではない。同時に三人がリアルタイムで関係性を変動させるところまで構成を複雑に作り込めないってことなのだ。

例えば、「夏色シリーズ」では貴明、ささら、このみ、タマ姉の4人が登場するが、あくまで描けているのは貴明=ささら、貴明=このみ、貴明=タマ姉、そして一応ささら=このみと、個々の連衡状態の関係性である。貴明=ささら=このみといった、三者の同時関係には踏み込みきれていないのだ。もちろん人間関係である以上、要素還元すればペアの順列を重ねた状態で間違いではないし、自分の書込みも三者間とは一切呼べない代物、とまでは行かないと思うのだけど。この辺の境目は曖昧で、程度問題ではある。

そして1シーンの登場人物が二人までである以上、1シーン内で視点をくるくる切り替え、映画的に事件を多面的に描いていく、なんて芸当はさらに遠い代物である。しかし一方で、遠い代物ではあっても目指しているのはその方向なのだ。人間関係の要素を二人、三人、四人と強めていく方向。それに従って視点を増やし、物語世界の中を泳ぎまわって中継しているような感覚。今成田氏の文章にとても惹かれるのは、君望Fateと来てTH2に行った時、多少なりともその方向へ進もうと登場キャラを増やし入り組んだ構造を増そうとしてみた時期に、ちょうど「バッカーノ!」という目指すべき方向性そのもののような小説に出会えたからなのだろう。円環構造を好む、って辺り親近感も湧くしね。

何より恋愛って3人以上でするものだから、3人書けないと話が面白くないよねー:)

http://luxin.blackcats.jp/diary/200803a.html#d03110

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