如星的茶葉暮らし別館

神慮の機械日記、お相手は維如星にて。
本家と同一内容+αです。詳しくはこちら



 

2008-06-09-月

昨日の秋葉原通り魔事件の率直な感想

昨日の秋葉原通り魔事件の率直な感想 - 如星的茶葉暮らし別館 を含むブックマーク

事件直後、現地に群がっていた人々の実に楽しそうな表情が脳裏にこびりついてます。

昨日列記したように、私はあの時ちょうど秋葉原にいたのですが──そこで見たのは、事件現場に居合わせられた幸運と興奮に目を輝かせ、携帯やデジカメを頭上に掲げて現場交差点に押し寄せる人々。あの時間帯、恐らくは犯人逮捕後ではあったのでしょうが、未だ現地では状況が判明しておらず、緊急車両が殺到してくる中、何処までも「他人事」として一枚撮りに殺到し、「何が起きているか分からない事件への危機感」など微塵も感じさせない人々の、余りに醜悪で無邪気な姿は夢に出てきそうなほど。

昨日の事件そのものは確かに凄惨で、悲劇で、亡くなられた方は実に無念であったと拝察しますが、逆に言えば予測も回避も不能なキチガイの発狂は再発防止などもできず、所詮第三者に過ぎない私や周囲の人間には、ただ不幸な事件として記憶にのこしていく以上の事はできません(警察の対応も、その後の救急消防含めた動員体制も、実に良く機能していたと思います。最初に刺された警察官の方は残念ですが、一方でアレは到底発砲制止できるような状況ではないでしょう)

しかしその一方で、あくまで「観客であること」に執着し、事件の状況にまるで想像力を向けないこの危機感の無さは、偶発でも何でもない「日常の積み上げ」の結果であり、第三者ではなく「我々」という当事者の話です。実際に事件現場にいた人間の行動として、正直この現実は昨日の如星をあまりに打ちのめしてしまいました。これが現地ではなく、画面越し・ネット越しに事件を消費する「観客」の話であれば非日常化の一環としてまだ理解できるのですが……。むしろ事件に恐怖していたのは現地にいない彼らの方であり、現地にいるかもしれない友人をネット上で案じていた人々だったのが実に印象的です。

考えても見てください、

  • 現地ではまだそれが殺傷事件なのかどうかも良く分かっていない

  • 警察・消防の車両が次々と明神通りから封鎖域に入り、あるいは救急車が出てくる

  • 傍目にすら「カタギではない」外観の緊急車両、そこに銘打たれた消防救助機動部隊の文字

そんな中で、ほいほい現場に接近していける感覚は理解できません。踵を返して逃げ出すほどな危機感こそ持ちませんでしたが、如星は真っ先に薬品運搬車等の化学事故を連想し、後から巻き込まれては敵わんと裏通りへ大きく迂回する選択肢を取りました。が、この時既に中央通りの人々は現場を一目見ようと交差点に邁進していましたし、迂回して明神通りを渡るときに見えたのは、少しでも現場に近づき、あるいは高さを取ろうとガードレール等によじ登り、高々と携帯を頭上にかざす人々で溢れかえる交差点周辺でした。卑近な例えですが、あの有り様はまるで理解不能な行動原理と無感情で行動するBETAの群れですよ。この余りに無邪気な光景に、正直吐き気に近い衝撃を感じていました。

繰り返しますが、消防救助機動部隊が殺到し、救急車がバンバン出て行く状況ですよ? ちょっと待て、何故そんな場所にホイホイ近づいていけるのかと。日本人は、東京都民は、もう「サリン事件」という数少ないバイオテロの経験を忘れたのかと。まさに、脳裏に浮かんでたのは昨日書いた台詞「銃声がしたとき、伸び上がって音がした方を見るのが日本人」の一言。あまりにも、自分たちが事件当事者になり得るという想像がなさ過ぎじゃないでしょうか……。

その後裏通りにも配置された車両から殺傷事件である旨がアナウンスされ始め、ようやく事件内容が現地の人間にも伝わり始めたわけですが、それでもその時間帯は「犯人がもう一人逃走している」という実しやかなデマが錯綜していたのです。にもかかわらず、現場への人の流れは止まることがありませんでした。ふと見上げてみりゃ、まんだらけの新ビル外壁に出ている階段には、でかいカメラを構えたオタクが鈴なりだったりと、もう「現地にカメラを向ける」以外の思考が辺りから失われたような錯覚さえ(流石にこれは考えすぎなんですが)受けてました。

結局この手の事件があると、マスメディアの殺到ぶり、地上のコミュニケーションを阻害すらするヘリの爆音を響かせる報道姿勢が問われたりするものです。が、今回自分がその渦中に立ってみると、秋葉原がたまたまデジカメ+それを公開する個人ブログ等への親和性が高い街だったからなのか、一億総特攻していく様はマスメディアと大差ないわけです。そのことの是非、あるいは醜悪さは別途語られるべき問題かもしれません。が、改めて繰り返します。私が恐怖したのはその際のあまりの当事者性の欠落、事件性への想像力の欠落でした。マスメディアは少なくとも自分のやってる事ぐらいは理解しているでしょう。でも、一般市民は? 「常に一枚撮れる」という携帯カメラの普及が意識を麻痺でもさせてしまったんでしょうか? これが「民衆」の現実かと思うと、私は吐き気がする程恐ろしい──半笑いなのに顔の無い人間が高々と携帯を掲げ、押し寄せてくる様を夢に見そうなほどに。It never happens to me. 阪神大震災やサリンから、あるいは日本に飛び火するかもと言われていた911、それらから私達は何も学ばなかったのか、と。

半分ぐらいは、海外生活経験者が感じる杞憂であるとは思います。が、今回の事件を語る際に「事件の残虐性から引く、犯人に的を絞った社会問題論」、あるいはお決まりの「犯人オタクでっち上げに始まるマスメディア批判」ばかりが目についたので、この秋葉というネット親和率の高い街で起きた一大野次馬事件という視点を片隅に記録しておこうかと思います。

http://luxin.blackcats.jp/diary/200806a.html#d06090

manninmannin 2008/06/10 09:39 阪神の震災のときも野次馬目的で神戸入りする輩がいたという話を
なんぞで読んだ記憶があります(ソース失念)。
秋葉の件については現場の狭さとそこへのアプローチのしやすさが
野次馬群集を生んだんじゃないかなと。

カメラを持って現場に行くことはまあいいとしても、
そこで写真を撮った時点でもうカタギには戻れないんだよ
っていう意識は持ってるべきだよなーと偽写真屋としては思います。
なんかこう無邪気すぎるんだよな。想像力云々以前に。

riichiriichi 2008/06/10 23:10  私は人間は常に野次馬根性に溢れていると思ってます。それが不謹慎かどうかとは別の意味で。
 あえて大きく言うなら、現代人のサガと言うヤツです。
 みんな退屈なんです。だから自分が現場に居合わせたら写真を撮って、撮った写真を自慢する。物珍しい場に居合わせたと思う。得したと思う。
 サプライズショーなんですよ。人が何人死のうが、もしかしたら、それが自分自身であろうが。
 確かに被害に合われた方々や、自身も被害に合うかもしれない現状を全く無視した行為です。非常に失礼で無礼で不謹慎な行為です。
 でも、それが面白いんですよ。例えて言うなら「中途半端な非日常」。
 でもそれ、恥ずかしい話ながらブラウン管越しであれば同類多数なのも事実なんです。
 そしてそれをマスコミも利用してる。「決定的瞬間!」とか「スクープ!!」ってのは、早い話がショッキングなそういう瞬間なワケで。
 あくまで卑しい言い方をするなら「じゃあ、アソコで撮ってたヤツらは忌むべき存在で、メディア関係者だけは伝える目的があるから例外なのか」ともなるのです。
 やってる事、野次馬とマスメディアとそんなに違うかな、って気にもなるけど。
 いや、だからって撮ってた人間が不謹慎では無いのかって言うとノーだろうけどね。

luxinluxin 2008/06/10 23:30 こう、野次馬根性単体の「是非」は、私は醜悪だと思うけど、まだ議論の余地があると思うんです。
でも「危機意識のなさ」や「当事者意識のなさ」は、なんというか、不謹慎という域を越えて「不気味」なんですわ、多分。「無邪気すぎる」というのはとても当たっています。「半笑いの民衆」って「赤ん坊の群れが携帯掲げてる」イメージでも代替可能でした。

laksalaksa 2008/06/10 23:50 こんなことを思い出しました。

バスクでテロに居合わせたとき、私は必死で爆発音がしたところと逆側に走り出し(持っていたワインを頭からかぶっていたことにも気づかず)でしたが、同行していた女性はなんとカメラを持って現場に向かって走ろうとする‥!もう一人の同行者と引き止めましたが、彼女は元新聞記者だということです。

とっさの反応が全く逆だったわけですが、それが「視聴者」が「決定的瞬間を見せろ」と求めてきた結果だと思うと、「決定的瞬間!」を観てしまう自分に激しく自己嫌悪。

luxinluxin 2008/06/11 00:08 「決定的瞬間!」と反応する人種……なら、これまたまだ理解の範疇内なんです。そうあろうと願い、あるいはそう訓練された人なわけですから。
でも、本来「逆側に走り出す」のが普通じゃないか(と如星が思う)人々までもが殺到した辺りに、すごい違和感を感じているのだと思います。

JETJET 2008/07/03 09:40 自分も海外経験者ですが、そのせいかたまに日本人との感覚のずれを感じることがあります。「銃声がしたとき、伸び上がって音がした方を見るのが日本人」もその一つなのだろう、この記事を読んで認識しました。
和製の漫画やアニメによくある光景ですが、衆人環視の中でなんかの非日常が起こったとき通行人が「これって撮影か何か?」という台詞を吐きます。血が吹き出ようが宇宙人が降りてこようが同じです。ちょっと考えれば違和感があること、何かがおかしいことに気付きそうなものなのに。アメコミとかじゃ、悪役がどんなふざけた格好してようと、一般人はまず叫ぶか逃げるかのどっちかの行動を起こします。今回の事件は、そういう場面を漫画やアニメで「視る」ことに慣れきっている、「秋葉原によくいる人たち」が周りにたくさんいた、ということも野次馬騒動への発展への要因の一つなのではないか、と考えています。皆、フィクションの「観察者」としての立場に慣れきっているのです。スクリーンの中でなく、自分の目の前のことなのに、です。如星さんが仰った、「自分たちが事件当事者になり得る」というより、僅かながら既になっていることの意識が無いんだと思います。これだけが原因でないのでしょうが、日本人の「主体性の無さ」をここにも感じます。
さらに、現代人はネット、携帯と瞬時に情報を得ることに慣れすぎています。これはすなわち、答えがすぐ手に入る、という意味です。何が起こったかわからないから、安易に答えが手に入る現場に急行しようとするのではないか、そう私は思ったわけです。如星さんは真っ先に薬品運搬車等の化学事故を連想したわけですが、他の大多数の人(≒野次馬)は考えを起こすことさえしなかったのではないのでしょうか?
以上が如星さんの日記を読んで思った私の考察です。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証


 
<< 2008/06 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

main-side menu