シラフでは書きづらいので…(カシュッ #一番搾り
まあ私も炎上した時には確かに批判するようなツイートをしたと思うのですが、ご自分が間違っていたのを認めて謝罪会見をされたのでもう解決したと思っていたところ、事態は最悪の結末を迎えてしまったのですね。
それにしても…
以前から感じていたのですが、この国の人々は他人の失敗に敏感で、しかも絶対に許さないんですよね*1。ひいてはそれが起業のし辛さであるとか、この国の人間共通の自己主張の弱さであるとか、自殺の多さの原因の一つにもなっているんじゃないでしょうか。*2
で、こう思ったんです。この国に必要なのは失敗を許す/許容する「器の大きさ」であるとか、「優しさ」ではないかな、と。
勿論それには失敗したヒトが失敗を認めること、必要なら謝罪をすることとセットなわけなのですが…必要以上に追い詰めたり、悔やむ必要は無いと思うわけです。
どこかの「素っ裸さん」も仰ってるじゃないですか「過ちを気に病むことはない。ただ認めて次の糧にすればいい。それが大人の特権だ」てねw
万事間違いのないパーフェクションなんて幻想だし、最初からすべて成功するヒトだっていない。
要は間違いでも失敗でも繰り返して良くて(同じ失敗は良くないけどね)、最後にでもうっかり成功すればそれでいいんじゃないかなと思うわけです。そうしたら今度は他のヒトが成功する為に手を貸してあげればいい。*3そうすればそのうち皆が成功して幸せになれるんじゃないかなと…まあこれは私の理想論なんですけどね。
許す、という話に戻ると「じゃあどんなに謝罪しても許してくれないヒトが居たら?」という話が出てくるわけなんですが、それはもうどうしようもないので放っておけばいいんじゃないかと思います。
「他人が自分をどう思ってもそれはそのヒトの自由」なんですから。それは自分がどうこうする/できる話じゃない、管轄外の話なので無視しても責められる謂れはないハズです。ましてヒトの思想の自由を侵すなんてそれ自体マズい行為ですよね?w
なおかつ、そのヒトがしつこく謝罪を求めたり批判を続けるなら、そのヒトは失敗から立ち直ろうとする自分の足を悪意を持って引っ張る有害な人物に他ならないのですから、それこそ無視して構わない…と、私は思うわけです。難しいケド。
まあそんなわけで。皆で失敗を許せる器の大きい人物になりませんか、という実に私らしくない説教じみたエントリでした。私も気を付けないとなあ…
まあ半分くらいこの本の受け売りですw 私が以前落ち込んでた時に立ち直るのを手伝ってくれた本なんですよー
- 作者: アルボムッレスマナサーラ
- 出版社/メーカー: 成美堂出版
- 発売日: 2008/11/05
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
私は「『祈り』なんて役に立たない!」って言う帯が付いてたのが気に入って買ったんですけどねw
まあ、それにだ。何より自分が失敗した時に同じように許して貰えた方が次に進みやすくていいよね? 生きている以上、過去よりもその瞬間瞬間に味わう「これから先を決定する今」が大切なわけですから。 つまりそういうことです:p
*1:そもそもが失敗したらハラキリの国だし…とは@kawanobの弁。そーいえばそーだった!w
*2:私も多分に漏れない
*3:私が新自由主義を標榜する連中やキョービのIT成金を嫌うのはそのプロセスが欠けていて、とにかく自分達の成功を拡大することしか考えてない様に思えるから