檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編 このページをアンテナに追加 RSSフィード

この「はてなダイアリー」は、
2019年1月18日の記事を最後に更新を停止します。
しかし、
「檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編」は保存され、新規ブログに移行します。
新しい「檜山正幸のキマイラ飼育記」と関連ブログについては、
こちらの記事 をごらんください。
連絡は hiyama{at}chimaira{dot}org へ。

2018-10-03(水)

言葉づかい、態度

| 11:56 |

ほんとに深刻だよなー。

  • 内容的な命題:人間が解釈し運用する命題
  • 形式化された内容的命題: 記号化された内容的命題
  • 符号化された命題: 形式化された内容的命題に脱符号化できるが、人間が解釈し運用することはない。
  • データ化された命題: 符号化された命題だが、脱符号化を考えない。

ここで、符号化=ゲーデル化、データは選ばれたデータ領域の要素のこと。

何を信頼し、何を疑うか? で逆の態度を取ってしまうとアウトだ。

  • 内容的な古典二値論理と内容的な証明を疑うわけではない。逆! 古典二値論理と形式化された証明は徹底的に信じる。でないと、確実な拠り所がなくなり、何も信用しないという悪しき懐疑主義に陥る。
  • 素朴集合論も同様に信じる。
  • 特定の集合や写像に関する議論では、内容的な証明なしに予測や雰囲気で信じない。
  • 特定の集合や写像に関する内容的命題は、古典的な証明があるなら信じる。

古典論理や素朴集合論を疑う方向に傾くと、ロクなことにならない。通常の、普通に行われている(形式化されてない)記述と証明の行為は徹底的に信じる。

風評・風説は、逆の方向(誤解)に誘導しているように思える。

  • 形式化されている/なしに関わらず、古典論理は信用してよい。それを覆すなんてことはない。
  • 公理化されている/なしに関わらず、集合論は信用してよい。それを覆すなんてことはない。
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama-memo/20181003/1538535400