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参照用 記事

集合のコンパクト化、フレシェ・フィルター、単位元を持たない可換代数

集合をコンパクト化する方法」において、集合Xを {0, 1}X に埋め込んで閉包を取るとコンパクト化が得られるだろうと書きました。このコンパクト化がストーン/チェック・コンパクト化と一致するとは思ってませんが、なにかしら極大フィルター(超フィルター)と関係しそうな「感じ」がしてました。

lkozimaさんのご指摘のように、実際には一点コンパクト化に過ぎず、コンパクト化としてはツマラナイと言えます。しかし、僕の感覚としてはけっこう面白いと思えます。一点コンパクト化の構成に極大フィルターは出てこないのですが、フレシェ・フィルターは登場します。このフレシェ・フィルターが、極大フィルターっぽい「感じ」を醸し出し、集合のコンパクト化で追加される点を特徴付けているようです。

コンパクト化の雰囲気としては; 無限の彼方に向かって広がっていたり、無限に近付けるが縁<フチ>のない穴が開いた空間に、無限遠点/境界点を付け加えて閉じさせることです。遠くのほうがだんだん見えなくなって把握できない空間に対して無限遠方を確定した点として付け加えれば、有限範囲の広がりとして見渡せます。縁のない穴に関しても事情は同じです。ここでは、追加する点は無限遠と呼ぶことにします。

無限遠点とは、どんな有限範囲を取ってもその外にある点です。特に集合=離散空間の場合なら、有限範囲=有限部分集合と考えていいでしょう。つまり、どんな有限集合にも属さない点が無限遠点です。「どんな有限集合にも属さない」とは、言い方を変えれば「有限集合の補集合に属する」ことになります。さらに、「有限集合の補集合の全体」という集合族を取ると、無限遠点はその集合族の共通部分に入ることになります。

「有限集合の補集合の全体」は、フレシェ・フィルターという名前が付いています。「フィルターと約積」でフレシェ・フィルターの定義を書いたので、そのまま引用します。

Xは無限集合(例えば自然数の全体)だとしましょう。主フィルター以外のフィルターの例として有名なものにフレシェフィルターがあります。フレシェは人名でモーリス・ルネ・フレシェのことです。

X上のフレシェフィルターとは、{A⊆X | Aの補集合は有限集合} と定義されます。これが実際にフィルターであることを示すのは良い練習問題です。補集合が有限であるので、補有限フィルター(cofinite filter)と呼ばれることもあります。

無限遠点とは、フレシェ・フィルターを近傍系として持つような点だ、と言えます。無限遠点を1個だけ付け加えたいなら、追加した無限遠点∞の近傍をフレシェ・フィルターにより定義すればいいわけです。

一方で、たくさんの無限遠点を付け加えるストーン/チェック/ウォールマン・コンパクト化では、すべての極大フィルター(超フィルター)を使います。主フィルターは既存の有限な点に対応するので、無限遠点は非主(non-principle; 非単項)な極大フィルターに対応します。

非主な極大フィルターの存在を示すには、どうやら選択公理(ツォルンの補題)に頼らざるを得ないようです。このとき、確実に存在しているフレシェ・フィルターから始めて、どんどん大きなフィルターをたどっていくといつかは極大フィルターになるだろう、という論法になります。

この論法では、個々の無限遠点を直接定義するのではなくて、無限遠点の近傍系の存在をもってして、間接的に無限遠点を定義していることになります。そして、無限遠点の近傍系を、「フレシェ・フィルターを含んでいて、一点を確定するようなフィルター」として特徴付けています。


もうひとつ面白いと思ったのは、一点コンパクト化を構成するとき、単位元を持たない可換環が出てくることです。可換体Kを係数域とする可換環可換代数)Aの定義で、Aの掛け算に単位元を要求しないことにします(単位元があることを禁止はしません)。

離散位相を入れた{0, 1}を可換体と思ったモノをBとします。 BF2 = Z/2Z と同じですが、整数の剰余環という意味はなくて二値真偽値の計算を可換体の形に仕立てただけです。この場合は、0をtrueとみなして、掛け算をORとみなすほうが自然です。(「古典論理は可換環論なんだよ」参照)

集合=離散空間X上のB値連続関数=単なる関数の全体を C(X, B) とします。C(X, B) はB係数の可換環で掛け算の単位元を持っています。可換環 C(X, B) の極大イデアルの全体がストーン/チェック/ウォールマン・コンパクト化を与える、ということが「超フィルター(ultrafilter)って何なんだ: 点? 確率測度?」の前半で述べた内容です。

連続関数(とは言っても単なる関数)f:X→B に対して、Xの部分集合 f-1(1) をfの台と呼ぶことにします。台がコンパクトである連続関数の全体を Ccomp(X, B) とします。「fの台がコンパクト」とは、「f-1(1) が有限集合」ということに過ぎません。これは、「f-1(0) が有限集合の補集合」と同じこと、つまり、Ccomp(X, B) はフレシェ・フィルターの言い換えです。

フレシェ・フィルターに対応する Ccomp(X, B) は、C(X, B) のイデアルですが、Ccomp(X, B) 自体をB係数の可換環と考えることができます。ただし、掛け算の単位元は持ちません。

古典論理は可換環論なんだよ」の議論は、可換環単位元があることを仮定していますが、可換環単位元がなくても同様な構成はできそうです。そうだとすると、C(X, B) の部分環Aがあると、(X, A) からXのコンパクト化が構成できるでしょう(たぶん)。可換環Aが余りに小さいとXを埋め込めるだけの大きさの空間ができない(潰れちゃう)ので、Ccomp(X, B)⊆A⊆C(X, B) とするのが現実的でしょう(たぶん)。

例によって、たいして確証のないことを言っているわけですが、上記のような部分環Aが「Xのコンパクト化」に対応しているなら、コンパクト化を見つけることは部分環を見つけることになるでしょう。どっちが見つけやすいか分からないので「それがどうした?」つう気もしますが。